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【終章完結】神谷神奈と不思議な世界  作者: 彼方
五章 神谷神奈と大賢者
218/608

69.4 獅子神闘也――人間――


 彼は生まれながらにして種族的な意味で王者だった。

 百獣の王と呼ばれる肉食動物――ライオン。

 日本では別名で獅子とも呼ばれる動物だ。

 サバンナですくすくと育っていき、彼の狩りは始動する。


 気弱な草食動物。強気な肉食動物。彼の前には何者も無力。

 足が速いチーターも追いつかれる。大きく硬い体を持つゾウも蹂躙される。

 ライオンは通常、群れで狩りを行う。百獣の王といえど他を圧倒圧するほどの力を持つわけではない。統率された動きが生むコンビネーションが敵を追い詰める強さとなる。だが、彼だけは異常だった。彼は仲間の誰よりも強く、他の動物の誰よりも強く、圧倒的な王者であったのだ。


 成長してすぐに彼は群れの長になる。しかし彼はいつも狩りを一匹で行い、群れの中でそれを食事できるのは決まって彼のみ。彼以外は協力して狩りを行い自らの食糧を得ていた。そんな生活をしていれば当然他の者から不満が出る。長がいてもいなくても暮らしに違いが出ないからだ。

 群れから追い出されるのに時間はかからなかった。追い出されたというよりは、寝ている間に置いていかれてしまったのである。


 一匹になってからも彼は変わらない。

 腹が空けば見つけた獲物を食らい、眠くなれば寝る。まさに本能のままに生きている。

 いつしかサバンナ全域に住む動物達から彼は恐れられるようになった。極力近付かないようにした他の者達だが、決まって空腹時には見つかって牙が剥かれる。


 そんな彼に何度か人間という種族が襲いかかってきた。

 サバンナで脅威となっている彼を排除しようと目論んでいる者達。そんな人間達はさまざまな武器を扱ってきたが全員返り討ち。生態系を気にして、広範囲に被害が及ぶ兵器を使えなかったのが敗因の一つだろう。


 絶対王者の彼だが、その心は満たされていない。

 強い者と出会っていないからだ。彼はただ自分と同じか、それよりも強い者と戦いたいだけだった。それが何よりも重要な願いだった。

 ――だがそんな強者が現れることなく、見慣れない巨大な物に轢かれて死亡した。


 終わりを告げた彼の命だが、それで全てが終わったわけではない。

 全てが白く染められた場所。転生の間と告げるのは目の前にいる老人。


 老人は問いかける。未練はなんじゃと。

 彼は答えた。強いやつとやり合うこと以外、何もいらないと。

 分かりやすい願いを聞き入れた老人は彼を異世界へと送った。


 一度途切れた意識が覚醒し、彼は目を開ける。

 どういうわけか目を開けているのに真っ暗で、どこかに閉じ込められているようだった。壁は柔らかく、叩けばほどよい弾力で返される。身体の感覚がいつもと違うが見えないのではどう違うかも分からない。


 ――だから彼は強引な手段に出た。


 言わずもがな、彼が閉じ込められていたのは母親の腹の中であり、もうじき出産予定日となるはずであった。購入した家の中で幸せ絶頂であった男女は、これから起こる悲劇になすすべがない。


 まず女性の腹が裂かれた。何が起きたのか理解しないままに女性に駆け寄る男性はギョッと目を剥く。腹が裂かれたのは中から何かが出てきたからだ。ではその何かというのは何なのか。……当然女性が身籠っていた赤ん坊だ。


 赤ん坊の産声ともとれる咆哮が轟く。

 

 男性は呆然と、女性の腹から這い出てきた彼を見ていた。その心は恐怖で埋め尽くされている。目前の人間かどうかも怪しい赤ん坊に怯えて男性は動けない。


 首を回し、肩を鳴らし、赤ん坊が跳躍して、まだ未発達のはずの爪で男性を引き裂こうとする。この時点では未発達であったが、攻撃の瞬間にいきなりの成長を迎えて爪が伸びる。普通なら赤ん坊は生まれたばかりで跳躍しないし、殺気を滾らせて攻撃などしない。だが彼が普通であるわけもなく、男性は抵抗もできず首が三つに裂かれた。


 二か月後。奇妙な事件が発覚した。

 幸せそうだった夫婦と連絡が取れない家族や友人が心配して、夫婦の購入した家に赴いた時、その場所には大量の血液の跡だけが残されていたという。もうじき出産予定日であることを家族や友人は二か月前に話されていた。家族や友人は必死に夫婦の姿を捜すが、何年捜し回っても発見することはできなかった。警察を頼り、事件として捜査されたが見つからない。


 夫婦のことを消した張本人は早々に家から出ていっている。

 そんな事件を起こした張本人といえば、生活基盤がゼロであったにもかかわらずしぶとく生きている。


 食料については困っていない。なにせうじゃうじゃとそこら中に食料が歩いているのだから。自らの親である夫婦のことも、歩く人間達のことも、彼は餌としか思っていない。


 生活場所も路地裏で人気のない場所を確保した。裸の少年が住み着いたことで追い出そうとする者達は、例外なく肉塊にして骨ごと噛み砕く。


 数年経ち、彼は自らが人間になっているとようやく自覚した。

 最初はなぜ弱小種族になっているのかなどと嫌悪感を覚えていたが、次第にポジティブな考えになり、弱くなったのなら強い者とも戦いやすくなるのではと思考する。


 ある日、戦いしか求めていなかった彼は運命の出会いをする。


「裏社会の情報頼りに来てみれば、噂通りの男じゃない。血生臭くて、野生の猛獣みたいな目をして、人間なんか敵ですってオーラが出てるわ。どんなことがあったら人間こうなるのかしら」


 水色の髪を腰まで垂らし、冷たい目をした少女。それに付き従うように一歩後ろへ下がった場所に立つ少年も横にいる。

 幼き頃の天寺静香と日戸操真に彼は見つかった。


 一目で強いと彼は理解する。天寺は前世含め、今までに見たどんな生物よりも強いのだと。

 期待を胸に彼は動く。尖った歯を剥き、四足歩行で駆け、天寺の首元目がけて跳び――肘打ちをこめかみに喰らって気絶した。


「静香さん! 大丈夫ですか!?」


「問題ないわ。それにしても噂通りの狂犬っぷりね。ここまで凶暴だと使い物になるか分からないけれど、一応私達の家に運ぶわよ」


「反対です、こんな危険なやつ……いえ静香さんにとっては問題などないでしょうが、やはり……」


「ならいいでしょ、あなたの主人がいいと言っているのだから。操真、あなたはコンビニで食料調達とこの狂犬の衣服調達お願いね」


 天寺は倒れている彼を担ぎあげる。普通まだ幼い二人が運ぶには大変だが、二人には高い魔力が宿っている。身体能力を強化すれば人間の一人や十人軽々と運べるし、天寺に至っては瞬間移動という固有魔法があるので問題にもならない。


 人目もあるので結局瞬間移動で帰ることにした天寺は彼を床に寝かせる。白い布団に寝かせるには体が汚れすぎていて、本当は床でも嫌だったが床しかないので諦めた。幸いその部屋には家具もほとんどないため汚れるのは本当に床だけだ。


 やがて彼の目がうっすらと開き、天寺の姿を視界に入れた瞬間に限界まで見開かれる。彼は威嚇するような唸り声を上げながら、四足歩行で戦闘態勢に入る。


「言葉が分からない、いえ喋れないだけかしら? 私の言葉が通じているなら返事をしなさい」


 返事はしないが、代わりに彼は跳びかかる。


「躾が必要というわけ? 面倒なんだけど」


 またしても歯が立たずに反撃を喰らい、彼は床に倒れ――なかった。

 一度目と同じ威力で攻撃したにもかかわらず倒れない彼に、天寺の表情が面倒そうなものから興味が湧いたものに変わる。

 また跳びかかる彼に反撃し、天寺は冷静に思考を加速させていく。


「攻撃を受ける度に身体能力が向上していく、こんなところかしら。……これは使えるかも」


 十以上の攻防を繰り広げると、彼はついに天寺を押し倒すことに成功する。

 勝利の雄叫びを上げながら爪で引き裂いてやろうと腕を振りかぶると、天寺の姿が掻き消えてバランスを崩す。そしていきなり真上から頭を踏みつけられて、彼は動きを封じられた。


「操真がいないときでよかったわ。アレはどうにも私のこととなると感情が高ぶってしまうから。大きくなったらもう少し抑えてもらわないとね。それはともかく、耳は聞こえているでしょ? 言葉は通じているの?」


 踏まれた彼は黙っていたが、心の中で歓喜していた。

 今までこんなふうに押さえられたことも、負けたこともない。そしてよく分からない不思議な力も知らない。ただ彼は強敵との出会いに狂喜していた。


「急に黙った……なんなのよ。ああでも抵抗をしないということは諦めたのね。意思疎通できているのかは分からないけど……もう暴れたらダメよ? 部屋が汚れるだけだから」


 足が頭から離れたのを感じた彼はゆっくりと立ち上がる。

 彼は言葉が分からないわけではなく話せないだけだ。ライオン時代も人間同士の会話を聞いていたこともあり、言葉の意味などは理解している。ただ学ぶ機会がなかったため話し方が分からない。出せるのは唸り声のみである。


「うん、話は分かるみたいね。あなたの固有魔法と強さは認めてあげるわ。……で本題に入るけど私達と一緒に暮らさない? 私達と一緒に過ごせば強い人間といっぱい戦わせてあげる。戦いの中で伝わったけどあなた戦闘狂の類でしょう?」


 声を出さずに彼は差し出された手を取った。

 これから強者と戦えることを楽しみにしながら、昔は無関心であった仲間というものを作った。

 握手した天寺は手を離すと、反対の手で鼻をつまんで目を細める。


「オーケーなのはいいけどあなた臭いわ、まず体を洗ってあげるから付いてきなさい。そのあとは勉強ね、最低限言葉を話せなければ色々不便すぎるわ」


 先程の高揚感は嘘のように消え、彼はこの先面倒になりそうだなと思う。


「ああそうそう、名前。あなたその様子じゃ名前も分からないでしょう? だから私がつけてあげるわ。ライオンみたいな髪型と、猛獣みたいな戦い方、戦うのが大好きってところから……獅子神(ししがみ)闘也(とうや)なんてどうかしら。五秒くらいで考えたにしては良い感じじゃない?」


 彼は――獅子神は、人間というものに興味を抱き始めた。


 それから獅子神は腕を引っ張られて風呂場へと連行される。

 天寺は衣服を恥ずかしがることなく平然と脱ぎ捨てて裸になり、シャワー室に獅子神を連れて入ると椅子に座るよう指示した。


 高い位置にあるシャワーヘッドから温水が放出され、ライオンだったときから浴びたことのない温水にビクッと肩を震わせると、濡れた髪の水分を飛ばそうと頭を激しく振り回す。だが水滴に襲われた天寺の手刀により後頭部に強烈な痛みが発生。頭を振り回す行為は強制的に止められた。


「……ねえ、どうしてあなたにここまで構うか不思議?」


 獅子神は目を瞑り、もさもさの髪を洗われる斬新な感覚を味わいながら耳を傾ける。


「居場所のない人間のにおいがあなたからしたのよ。私もね、今はまだ自分が自由に生きていける居場所を作っている途中なの。ぜーんぶ壊されて、仕返しに壊してあげたからね。絶望ってもんよ、私含めてみーんな絶望。絶望したから、もうしないための場所を作る必要がある」


 それから何分か止まらずに話されたが正直聞いていなかった。

 獅子神が全く聞いていないことに気がつかずに思想を語り続ける天寺は、一区切りついたのか「どう、分かった?」と問いかけてくる。もちろん何も理解していないがとりあえず頷いておいた。


「絶対的な支配者となることでもう居場所を奪われることはない。あなたもその夢に協力できることを光栄に思いなさい」


 果たして獅子神の居場所はこれまであったといえるのだろうか。

 前世の同種族(ライオン)からも、今世の同種族(にんげん)からもあぶれ者扱い。自分が強すぎた恐怖の象徴だったからか、こうして悪感情を向けられずに接してくる者などこれまで現れなかった。


「静香さーん、買い物を終えたのでお背中をお流ししますよー」


 シャワー室の扉が急に開かれて、何かを期待したような目をした日戸が侵入してきた。そして獅子神が洗われている光景を目にすると、眼光を鋭くして殺意を秘めた表情に変化する。


「……殺す」


 とりあえず獅子神は、せっかくの縁を大事にしてみることにした。苦労が絶えなさそうな関係になりそうだが。



 * * *



 血塗れの状態で獅子神はシエラに対して答えを返す。


「今は人間だ……人間もいいもんだ……」


 人間という存在はシエラにとって、例外はあれど玩具程度の存在だ。ほとんどの個体は弱く、軽く小突いただけで命を散らすどうしようもない弱者。その認識は変わらず、獅子神の答えを理解することはできなかった。


「君はにゃぜ人間をい――いっ!?」


 獅子神が腰を落として足腰に力を入れた時、シエラが獅子神の方へと体勢を崩す。

 何者かに背後から攻撃されたのだと冷静に判断する。だが攻撃されてから気配に気付くなどありえない。シエラは自分の不甲斐なさを反省するが、彼が気付けなかったのも無理はない。

 ――瞬間移動という力を持つ天寺が相手では、現れるまで気配に気付けない。


「今よ獅子神、そいつをぶっ飛ばしちゃいなさい!」


 背中に蹴りを喰らったシエラの腹部に獅子神の腕が伸び、対象に当たらずに振り抜かれる。

 天寺は見た。シエラの肉体が金糸のようになり分解されたのを。そしてそれが自らの背後に、風も吹いていないのに移動したのを。


「ぶっ飛ばせだって? それってこういう感じかにゃあ!」


 糸から肉体に戻るシエラは天寺の背後に移動している。

 素早く腕を振りかぶり、手を丸めて殴りつけようとした。それは獅子神と同じように空振りに終わる。


「にゃあああああああああ!?」


 空振り後すぐにシエラの悲鳴が響き渡った。

 瞬間移動で天寺が移動した先はシエラの背後であり、気付かれないようそっと手を伸ばして攻撃したのだ。魔力光線を耳の穴に直接注ぎ込むという外道すぎる攻撃である。


 通常の攻撃手段だと天寺の力量では通用しない。でも人体と似たような構造ならば弱い部位は必ずある。眼球、耳の穴、口の中、それらは決して鍛えることができず、不意打ちなら最上位生命体といえど大ダメージは確実。

 右耳から入れられた光線は左耳から出ていく。脳は焼けるように熱くなり、苦痛に顔を歪ませるが最上位生命体の一角はそれでも死なない。


「へぇ、あなた強いのね。でも私もこんなふうに殺す前提の戦いなら手段は選ばないから強いわよ。自分よりも弱い相手に負けて、絶望する表情を見せてほしいわ。あなたの絶望はとても美しそうだもの。私はそれを特等席で見させてもらうから」


 攻撃を終えると天寺は着地して、見る者の背筋を凍らせるような笑みを浮かべた。

 両耳から赤い血が垂らすシエラは挑発ともとれる言葉に目を血走らせる。


「くくく、吾輩を負かす? 絶望させる? 君達人間如きにできるわけにゃいだろうがあ!」


 黄と黒の毛に覆われた体が糸になっていく。細すぎて人間の視力で見えない糸が向かう先は背後、怒りの矛先である天寺だ。


「うぁ? あくっ……ぐっ……!」


 妙な感覚が天寺を襲う。

 何かが、異物である何かが体に侵入してくる気持ち悪さ。最初はほんの僅かな快感もあったが、それがどうでもよくなるほどの痛みが来る。糸形態となっているシエラは全身の穴という穴から体内に侵入したのだ。


 獅子神の時のように傷口などなくても侵入は可能だった。人間には耳、鼻、その他数えきれないほど無数の穴が空いている。


 体内に侵入されたのだと天寺も獅子神も気付いた。

 一度やられているので獅子神の頭には嫌な予感が駆け巡る。


「があっ……! 体内から、直接攻撃……!」


 天寺の腹部から黒く長く鋭い爪が突き出る。予想外の痛みで喘ぐが続けてさらなる痛みが襲う。長い爪が骨を、血管を、筋肉を、皮膚を、突き破ったままゆっくりと上へ移動し始めた。傷口が広がった分だけ痛みも増す。


(瞬間移動は体内の臓器なども移動させにゃければ、臓器が置き去りにされて死亡するだけ。体内にいれば吾輩ごと移動するから瞬間移動の意味もにゃい。あの男もこの女ごと攻撃することはできにゃいだろう。偉そうにゃことをいっても所詮人間にゃんてこの程度。結局吾輩の玩具にしかにゃりえない存在)


「獅子神、やりなさい。その爪で私ごと!」


(……にゃんだ、と? この女は今、にゃんと言った? 自分ごと攻撃しろと、そう、言ったのか? いやできるはずがにゃい。友人であろう者の体を傷つけられるはずが……!)


 動揺するのはシエラだけではなく、獅子神もまた気持ちを揺さぶられていた。

 昔ならば人間など殺してもなんとも思わない餌であった。だが今は深く関わり合い、なぜか当たり前のように傍にいる者達。いざ自分の手で天寺を殺すとなると躊躇してしまう現状に、獅子神は自分のことなのに混乱している。


「安西……」


「天寺よ。あなた私の名前三回に一回くらいの割合でしか呼ばないわね。諦めたら試合終了だとでも言ってあげましょうか? そうよ、諦めないで、私を信じなさい。私がこんなところで死ぬと思う?」


「……そうだな、お前は簡単にはくたばらねえよ。信じてやるぜ、人間として人間を! 信じてやるぜ仲間をおおおお!」


 動けない天寺に向かい獅子神が足を進める。


(ハッタリだ……! 攻撃できるわけが……!)


 進む足は止まらない。迷うこともない。


(できるわけが……にゃい)


 獅子神が腕を振りかぶる。

 瞬間――天寺の姿だけが消えて、シエラは糸の状態でその場に残された。


(はあ!? 体外だと!? バカにゃ、にゃぜだ、にゃぜ吾輩が体外に出された! いったいどうやって、いや今はそんにゃことはどうでもいい! 早く、早く離れ、避け、いや肉体に戻せ! そうすればこんにゃやつの攻撃にゃど……!)


 予想外のことが起きると冷静さを失うことは多い。

 動揺が判断を鈍らせ、思考だけが加速する。

 糸の動きがめちゃくちゃになり、ぐちゃぐちゃに絡みあう。一部が肉体に戻ってもすぐに糸に戻ってしまう。


 元に戻ろうとしたシエラが焦って戻れないなか、人間にしては長めの獅子神の爪が大量の細い糸を引き裂いた。


「こんにゃ、バカ、にゃ……」


 糸からやっと肉体に戻っても、糸が切られたなら肉体に戻っても傷はそのままだ。今回受けた傷は致命傷であり、とても生き残れるものではない。見下していた人間に敗れ、悔しさと苦しさとその他の感情が混ざりあって絶望となる。


 完全に肉体に戻ったシエラはあちこちから血を噴き出して、後方に背中から倒れていく。


「瞬間移動の際に体内の物質も無意識の内についてくる、そうでなければ死んでしまう。でも逆に意識すれば置いていくこともできるのよねえ。……ほら、ちゃーんと特等席で見れたじゃない。あなたの絶望を」


 地面に倒れたシエラの顔を、後ろで屈み両手を顎につけている天寺は三日月状の笑みを浮かべた。


 召喚の魔導書から呼ばれた者は死ねば白い光に包まれて魔導書に戻っていく。最強の一角といえどシエラも同様で理からは逃れられない。


 敵がいなくなると、獅子神は動いていたのが嘘のように道路に倒れ伏す。天寺も限界だったので尻餅をつき、雲が多いが青空を見上げる。


「はぁ……しんどー。でも後はあの女がなんとかするでしょ……」


 一人の少女を思い浮かべた天寺は携帯電話を取り出す。


「操真、あなたもう少し役に立ちなさい。とりあえず私達の傷の手当てはよろしく……疲れたから、もう寝るわ……」


 携帯電話は手から零れ落ち、天寺も背中から倒れた。


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