69.2 紫――不死鳥――
宝生町北方にそびえ立つ雲よりも高い紫色の塔。
かつて大賢者と神奈の戦いが繰り広げられた場所の一つでもある毒々しい色の塔。
そんな場所の入口前に、斎藤とグラヴィーの二人が立っている。現在起きている正体不明の事件を解決しようとしており、手がかりとなるだろう紫の塔へとやって来ていた。
「紫の塔は以前に出たものだけど、同種の塔が出た以上関連がないとは思えない。……グラヴィーさん、付いてきてくれてありがとうございます」
「礼には及ばん。僕だけでなくレイとディストも事件解決に動いているからな。ここに来ようとしたのは偶然だし、お前に力を貸すのも日常を取り戻したいだけにすぎない。……とにかく中に入ってみるぞ、黒幕がいるかもしれない」
現状宝生町にそびえ立つ五つの塔以外に手がかりはない。
二人は一面紫の塔へと足を踏み入れようとして――弾かれた。
「うわっ!」
「ぐっ!?」
足を進めた瞬間、激しい紫電が迸る壁が塔を覆ったのだ。それに触れたために後方に弾き飛ばされた。
こういった現象に斎藤は心当たりがある。狩屋との決戦時に使われた結界だ。つい先程弾かれた結界は性能が何十倍も上であるて性質は同じだと感じ取る。
後方に吹き飛ばされた斎藤は慌てて周囲に目をやるも、大事にしていた本がないことを思い出して意味がないと理解した。グラヴィーと共に立ち上がり、結界が見えなくなった紫の塔を見つめる。
「今のは、結界……魔力障壁か」
「ですね、それもすごく強力な。おそらく維持に必要な鍵があるはずです。こんなものがある以上黒幕がいるのは確定ですよね?」
「分からんぞ。もしかすれば全ての塔にこんなものがあるかもしれない。……仮にそうだとしなくても、あれには規格外な力が込められている。黒幕は明らかに僕達より強い、このまま進めたところで意味はないな」
慎重な思考をするグラヴィーは塔を見上げる。
また自分ではどうしようもないのかと自分のことを情けなく思ってしまう。
そんな時、グラヴィーは視界に妙なものを捉えた。紫の塔周辺にある白い雲の中に鳥のような影が見えたのだ。普通の鳥ならば取り立てて騒ぐことじゃない。だが通常高すぎるところでは鳥など点にしか見えないだろう。つまりそのグラヴィーが目に映した鳥は雀や鷹などの類ではなく、遥かに大きい生物だということだ。
「なんだ……?」
雲の中の影は徐々に大きくなり、一部赤く染まる。
暗い影ではなく、雲から薄紅色の体をした大きな鳥が姿を現す。その鳥の開けられている口には真っ赤な炎があり、少ししてグラヴィーと斉藤の方へ吐き出された。
「なっ……! くそっ!」
周辺の空気を歪ませるほどの高熱の球体が迫る。
斎藤もそれに遅れて気がつくが遅い。直撃を避けるためグラヴィーは彼の腕を掴んで駆けた。三十メートルほど一気に離れた二人がさっきまでいた場所に炎の球が直撃して、地面が爆発した。
高熱が二人のいる場所にまで伝わり、直撃した場所と周辺はマグマが通ったかのように溶けている。もしも人間に当たれば跡形もなくなるだろう。その攻撃の爪痕を見て斎藤は目を見開きながらグラヴィーに礼を言う。
「あ、ありがとうグラヴィーさん」
「……礼は後にしろ。今は問題ができた」
斎藤はグラヴィーの真剣な瞳の視線を追った。するとそこには震えるようなプレッシャーを放つ一羽の鳥が、空中で色鮮やかな赤い羽をゆっくりと動かし続けて留まっていた。黄色いくちばしからは白い煙が出ており、さきほどの炎球が口から吐き出されたものだと斎藤も理解する。
赤い鳥は丸くつぶらな瞳で二人の人間を見つめる。
「かっかっか。我は召喚の魔導書の最上位生命体、不死鳥なり。この塔の守護を仰せつかっているのだが……まさかそなたらのような小僧共が来るとはな」
「召喚の魔導書!? じゃああの時の巨人のように強いのか!」
「守護、か。どうやら面倒な敵もいるようだな。先手は貰うぞ、〈重力操作〉!」
不死鳥にかかる負荷が膨れ上がる。
重力が十倍ほどになっていた。本来なら耐えられず地面に下りてくるか、そのまま地面に押しつけられて身動きが取れなくなる。弱い者ならば数秒で死に至る。
しかし不死鳥はどの状態にもならず、ただ平然と空を飛んでいた。
「ほぅ、重力を増加させたか。だがこの程度では我を地に下ろすことなどできぬ。そらどうした、もっと上げられんのか? これでは肩こりすらとれんぞ」
自分の力が効かない。それだけでグラヴィーは不死鳥を明らかな格上であると理解した。軽く舌打ちして〈重力操作〉の使用を中止する。これ以上やったところで戦闘で不利になるのは自分だからだ。
「なんだ止めるのか、つまらんな。もっとやる気を出さんか、我らを倒さなければこの塔を覆う結界は消えんぞ」
「我ら、だと?」
「くくっ、呼び出されたのは我だけではないということだ。最上位生命体を五体呼び出してなお有り余る圧倒的魔力。そなたらのような弱者ではあの御方に挑んでも、一秒とかからず消し炭にされるのがオチじゃて。まあ我に挑んでも同じことだが、どれ、そっちの小僧も力を見せてみい」
言われずとも黒幕に敵わないことなど二人は分かっていた。不死鳥に勝つのが難しいことも理解している。だがそれでも勝利を捨てたわけではなく、確かな希望がある。
究極魔法だ。斎藤が使用するそれならば格上の相手にも通用する可能性が高い。しかし不安な点が一つ、いつも究極魔法を使用する際に持つ魔導書が手元にない。こればかりは試したことがないので使えるかどうか分からない。
使うか使わないか。斎藤が悩んでいると、グラヴィーが小声で話しかける。
「斎藤、究極魔法は使用するな。使うタイミングは僕が指示する。とりあえず〈炎の矢〉でも撃っておけ。相手を油断させるのがお前の戦闘スタイルだ」
「そうですね、タイミングは任せます。〈炎の矢〉!」
斎藤が右手をピストルのような形にすると、火種が人差し指の先端から生まれて、膨れ上がると短い弓矢のような形に変化する。
下級とされる魔技の一つ。それは斎藤の叫びとともに音速で放たれた。
「なんだこのチンケな炎は、やる気があるのか?」
「……え」
防がれることも効かないことも斎藤は理解していたが、不死鳥が取った行動は予想外のもの。飛んでいった〈炎の矢〉は不死鳥が口を開けたことにより、口内に吸い込まれて消えてしまったのだ。
「いや違うな、我が強すぎるだけであった。常人にはそなたのような者でも脅威になりえるのだろう。どれ、我が真の炎を見せてやろう。代価は、そなたらの命でどうだ?」
不死鳥の口が赤く染まる。瞬間、二人の背筋に悪寒が走る。
まともに受ければ即死。そう感じ取ってしまった二人だが、取る行動は勝利に向けたもののみ。
「〈紅蓮爆炎波〉」
真っ赤な炎が火炎放射器のように噴射された。
グラヴィーと斎藤は走る。勝利するための行動は時に逃げることもある。
必死に走るが赤き炎はすぐ後ろの地面に到達し、地に触れた瞬間爆発するかのように膨れ上がった。膨大な熱と爆風が二人を襲う。地面を融解させた一撃に二人の回避は間に合わず、完全に避けることができなかった。
何度も転がり咳込む斎藤が目にしたのは、マグマでも通ったかのように黒く変色している地面。直径十五メートルほどの炭みたいになった地面は高熱により歪んでいる。
「かかっ、死なんかったか。手加減しすぎたか、なにせ全力でやってしまうと国が丸ごと炭になってしまうのでな。あのお方の目的を知る身としては怒られる、というか殺されるのが分かる。手加減せねばいけないというのは面倒なことだ。……む? もう一人はどこへ行った?」
立ち上がろうとしていた斎藤の傍にはグラヴィーがいない。
彼がいるのは不死鳥の真上だ。炎が膨れ上がった時に不死鳥の視界も炎で埋まる。それを利用して自分にかかる重力を全くの無にしてから跳び、不死鳥に悟られることなく背後に回ったのだ。
「〈重拳〉」
グラヴィーは不死鳥の赤い羽を思いっきり殴りつける。
一定の速度で羽ばたいていたのが崩れ、かかる負荷で態勢を崩す。不死鳥は殴られた右羽だけを動かして元に戻ろうとしたが、単純に高さが足りず地面に堕ちる。
「自らの重力を増すことで落下速度を増し、拳の威力も増加させる技……うまくいったか。斎藤! 今だ!」
着地したグラヴィーはすぐに、まだ飛べない不死鳥のもとから斎藤の方へと向かう。今のが合図だと斎藤は悟り、グラヴィーが戻ってきたら覚悟を決めて究極の攻撃魔法を使用する。
「〈獄炎の抱擁〉!」
魔導書なしに斎藤が魔法を発動するのは今回が初めてだ。
補助の役割を持つ魔導書があっても最初は暴走した。だがこれまでにレイ達と修行したり、実戦も僅かながらにあったおかげで魔力制御能力は高い。
「あれ……?」
しかし問題となるのは魔力の消費量だった。
魔導書の補助なしでは消費魔力は三倍以上。斎藤の魔力量は決して多くなく、補助ありきで一発が限度。倒れる心配をしないというのなら二発目も撃てなくはない。
一瞬で自分の中のエネルギーが枯渇する。
顔が青ざめて血色が悪くなるが、全てを注いでもまだ足りず生命力すらも奪っていく。斎藤は自分でも認識できないうちに倒れてしまう。
やっと発動した〈獄炎の抱擁〉は、細胞一片まで焼きつくす黒炎が不死鳥へまっすぐ向かっていく。
「〈紅蓮爆炎波〉!」
死にかけの弱者による予想外の攻撃。不死鳥はまだそんな力が残っていたことに驚愕するも、すぐに向かってくる黒い炎に集中して赤い炎を吐き出す。
黒い炎と赤い炎が激突。
二つの炎は僅かな間拮抗し、赤い炎が相手の炎をのみ込んで斎藤へと向かう。
手加減している状態であるにもかかわらず、不死鳥の炎は究極魔法に打ち勝ったのだ。不死鳥が吐いた炎は再生能力を持ち合わせており、全てを焼き尽くす〈獄炎の抱擁〉に唯一対抗出来る炎であった。
「〈重拳〉!」
赤い炎が届く前、咄嗟にグラヴィーは地面を殴った。
拳が直撃した地面は割れて、大きな破片がいくつも宙に舞う。そしてその破片が〈重力操作〉により一斉に動き出し、二人の目の前に即席であるがコンクリートの壁が作られる。しかしたかがコンクリートでは〈紅蓮爆炎波〉の火力は防げない。一瞬持ちこたえはしたが、すぐに炎が壁を壊して二人をのみ込む。
「く、くそっ……」
防ぐことはできないが、威力を減らすことはできていた。
直撃すれば即死にもかかわらず二人の生命が尽きていないのが証拠である。
ただ、生きてはいるが立つことすらできず、二人は地面に這いつくばっている。そんな二人が動くまで不死鳥が待つわけもなく、トドメを刺そうかと口に炎を溜めていく。
――そんな絶体絶命の時、グラヴィーのすぐ傍に紫色の小瓶が三個置かれる。
誰かが直接置いたわけではない。誰の姿もグラヴィーは認識できず、気がつけば音も立たないで置かれていた。
「なんだ……? 魔力……?」
紫色の小瓶には全て同じ色の液体が入っている。それらからは決して少なくない魔力反応があった。
「まさか、魔力を液体にしたのか……? 誰が置いたか知らんがチャンスだ。見たとこかなりの魔力が補充できるはず。これを斎藤に飲ませれば無理やり魔力器官を拡大し、一時的にさっき以上の魔法を撃てるはず……!」
誰が置いたのか。何が目的なのか。どう作り上げたのか。
全ての疑問を一旦頭の外に追いやったグラヴィーは紫色の小瓶を掴む。
小瓶はコルク栓で塞がれていたが開ける程度の力は残っている。コルク栓をどこかへ飛ばし、グラヴィーは斎藤の元まで這っていく。倒れて動かない斎藤の口に小瓶の中身を注ぎ、喉奥まで入らなかった分の液体が唇から零れる。
「別にお前のためではないからな……。お前が死ねばレイ達が怒りそうだから……それだけだ。不甲斐ないが、後は任せることにしよう……」
コンクリートの地面にいくつものシミを作り、小瓶の中身がなくなった。それと同時にグラヴィーの首が垂れて体の力が失われる。
「任せてください、必ずあの鳥は倒します……僕の魔法で!」
動くこともできていなかった斎藤が立ち上がる。
自分が使える魔力量を超えて回復したおかげで、魔力を作り溜めておく魔力器官の質が一時的に向上する。
託されたということを胸に刻み、斎藤は魔力を高め始めた。
*
二人の少年と不死鳥の戦闘を一人の少女が眺めていた。
電柱の上にバランスを崩さず立ち、腰まである水色の髪を風で揺らす少女――天寺静香は戦闘を繰り広げる者達を見下ろす。
「ふふ、魔力回復薬の効き目はすごいわね。こんなものを量産して何を企んでいるのやら。……それを台無しにすれば、どんな絶望を見せてくれるかしら。中学はメイジ学院、あそこに決めたわ。色々な絶望が見れそうで今から口元が弛んじゃう……!」
魔力の液体が入っていた紫色の小瓶を置いたのは天寺である。
彼女はとある施設内からそれを盗み、実験と勝利のために斎藤達の近くへと瞬間移動させたのだ。
「……まあそれは置いておいて、このままだと進学もクソもないわね。丁度あいつが戦っているようだし、私も加勢しに行ってあげようかしら」
電柱の上にはもう誰もいなくなっていた。




