65.2 復活大賢者唯一の弱点
「圧縮するということは、範囲が狭まった分威力が上がるということだ。彼はもう存在していないだろうね。今頃は光となって消えている。……心配することはない。君もすぐに……死を迎えることになる」
神音が告げた相手は神奈だ。
精霊界で戦闘を見守っていた神奈は、精霊王の協力でこの世界へ戻って来ている。丁度エクエスが風に呑み込まれる直前だ。黙って見ているつもりではなかったのだが、圧倒的な力と技に沈黙しているしかなかった。
「あいつを舐めるな。あれくらいで死ぬような奴じゃない」
「彼は死人だろう?」
「そりゃそうだけどさ」
神音の指摘に神奈は半目になり、肩を落としてそう呟く。
「……随分落ち着いているじゃないか」
今の神奈の精神状態は安定しているので怒りに呑まれず、敗因となった無謀な特攻も仕掛けない。当然心に怒りはあるが、あくまでも冷静さを保っているから普段通りのテンションでいられる。
「君、神谷神奈、今更何をしに戻って来たのかな。どう足掻こうと私には絶対勝てないと分からないのかい? それとも、あの弱者の後を追って転生の間へ行きたいとか? 自殺したいなら勝手に死になよ。わざわざ私の手を煩わせるな」
「……さあな。私にも、自分が何してんのか分かんねえよ」
心の奥深くで悲鳴に似た『戦うな』という叫びが聞こえてくる。
前世の自分の声で『また死ぬぞ』と弱気な言葉が聞こえてくる。
本当は神奈だって戦いたくない。
ただ、必死に戦った速人の想いには応えたいと思った。
自分より弱いはずの男が死を覚悟して戦ったのに、神奈が精霊界に隠れているままでは酷く情けない。神音は確かに強敵だが逃げていい理由にはならない。もし逃げてしまえば速人との絆、ライバルという言葉への裏切りなのではないかと思うのだ。自分でも馬鹿な考えだと分かっているが、ここで逃げたら神谷神奈ですらなくなってしまうようにすら思えた。
「いっそ、あいつを馬鹿にされたことでスーパー地球人にでも覚醒すりゃいいのにな。この世界でも前の世界でも人生上手くいかねえよなあ。順風満帆な人生ってやつを送ってみたかったよ」
「……まあいいさ。君が私に立ち向かう道を選ぶのなら、君という愚者に惨たらしい死を与えよう。精々祈っておくがいい。新たな世界で順風満帆な人生ってやつを送れるように」
会話を引き延ばしてみたが神奈の頭に作戦が浮かぶことはなかった。
何か逆転の手を考えなければエクエスの二の舞になってしまうと考え、様々な策を考えていくが有効なものが一つもない。ヤケクソで〈デッパー〉でも使ってやろうかと思ったが殺されるに決まっている。
魔法のことを考えて一つ使用してみたいものが浮かんだ。
もっともこれは興味本位のようなもので対抗策に繋がるわけではない。
神奈は目前の怪物を見ながら「〈ルカハ〉」と唱える。
神野神音
総 合 2000000
身体能力 380000
魔 力 1620000
興味本位で戦闘力を調べた結果、今まで見てきた中でトップクラスの数値が空中に出現。戦闘力可視化魔法を覚えた時は530だとか、3900だとか低かったのが嘘のようだ。……といっても三桁後半の時点でこの世界では上の方。総合値七桁の神音が異常すぎるだけだ。
「今、戦闘力可視化魔法を使ったね。私はあまり使う機会に恵まれなかったんで今使ってみようかな。確か〈ルカハ〉だったね。……へえ、君は340000だってさ。これ強いの?」
「私が340000、か。それひょっとして身体能力だけの数値じゃない?」
総合戦闘能力値がそれだとあまりに差が開きすぎている。
希望を胸に問いかけてみたが「いや総合戦闘力だよ」と無慈悲な言葉が返された。
戦う意思が早くも折れそうになる差。まさか桁すら違うとは思っていなかった。
今まで密かに調べた相手の戦闘力を思い出してみると絶望度が高まる。
アンナ 総合12320
レイ 総合58000
エクエス 総合353000
破壊の巨人 総合322000
天寺静香 総合16500
黄泉川三子 総合5100
あまりに酷い差に涙が出そうになる。
圧倒的格下、もしくは同格の相手だったから勝ってきたが今回は無理だ。
自分の何倍も強い相手と戦って無事でいられるわけがない。
恐怖に体を震わせ、臆し、弱気になる。
それでも引けない理由があるから神奈の選択肢に逃走はない。
「さあ、私の望む世界を創るために、この世界から消えてもらおうか」
神奈が来ると思って身構えた瞬間もう殴り飛ばされていた。
景色が一瞬で変わっていくなと考えていると、遅れて痛みが発生したため殴られたことにようやく気付く。痛みが体を蝕み、全身に広がっていく。
既に神奈は日本を出たようで下には真っ青な海しかない。
「呑気に考え事かい?」
背後から声が聞こえたので反撃しようと、振り向き様に拳を突き出す。だがそこにはもう神音の姿がなく背中から衝撃が来る。
「遅いね」
「ぐあああっ!?」
神奈は空中で何度も反撃に動くが一切当たらず、逆に攻撃されて自分のダメージは増すばかり。体の隅々が痛みで悲鳴を上げており、何度も意識が飛びかけていた。
自棄になった神奈はその場で回転して回し蹴りを放つと、偶然そこに神音がいて当たる――と思ったら神音は涼しい顔で足の下を潜り抜ける。タイミングは偶然ではあったものの速度はベスト。それでも余裕で避けられたことに驚愕を隠せない。
驚いている神奈の足首は掴まれて、下の方に投げ飛ばされた。
下が海だったことを神奈は思い出す。海に潜って好機を待とうと考えるが予想外の事が起きた。
「がばがっ!? 海じゃ……ない……!」
空中戦を繰り広げている内に凄まじいスピードで移動していたのだ。
気付かなかった神奈は硬い大地に叩きつけられて、肺から空気が全て抜けてしまうような感覚すら覚える。痛いは痛いが体は動く。まだ戦えるぞと自分を勇気付ける。
大地からは土埃が上がっていることからコンクリートの道路ではない。
慌てて周囲を見渡したが当然日本ではなく外国。
言語は日本語ではないため分からない。
黒人が多く、女性が際どい水着のような恰好をして道端で踊っている。サッカーをしている子供も見つけたので、ここがどこなのか予想出来た。あまりにも有名な国だ。地球日本の真反対に位置している国――ブラジルである。
戦闘というか、一方的に痛めつけられている内にそこまでの距離を移動していたことに驚く。途轍もない超速戦闘を繰り広げながら移動すれば、地球一周くらい容易いのかもしれない。
ブラジルの人々に迷惑は掛けられないため飛行魔法〈フライ〉で上昇する。
神音は神奈を投げ飛ばしたことで一時的に見失っている。何もない空中で佇む彼を発見したので背後に回り、何も喋らずに黙って拳を構えて急接近した。
誰かに奇襲するときに「今だ」や「そりゃああ」などと口に出せば位置がバレるに決まっている。神奈は渾身の右拳での一撃を放つが、神音は後ろを向いたまま正確に掴んで防御してみせた。
後ろを向いているはずの彼から神奈は耐え難い息苦しさを感じる。
プレッシャーという圧迫感が全身を圧し潰そうとしていた。
「奇襲か、残念だったね。魔力感知を知らないのかい? 魔力を周囲にばら撒いてセンサーのような役割を果たせる。これは魔力の技術の基礎だ」
「ハハ、そうですか……」
神奈は拳を掴まれたまま、数発の拳と蹴りを入れられてまた吹き飛ばされる。
心はもう折れる寸前。神音の圧倒的実力にぽきっと枝が折れるように折れかかていた。しかし神奈が絶望に呑まれようとしていた時、腕から突然聞こえた声に光が見える。
「諦めるのはまだ早いですよ神奈さん!」
「腕輪……無理だもう、あんな化け物に」
「聞いてください! 勝てる可能性があるんです! 私は今までそれを観察してたんです!」
「……あるのか? 逆転できる可能性が」
腕に付けている希望の光に神奈の折れかかっていた芯が再び真っすぐになり、大木のように太くなっていく。
「はい、これは賭けですが――」
「誰と話をしている?」
腕輪と神奈が吹き飛ばされている最中にひっそり話をしていると、神音の底冷えするような声が聞こえて肝が冷える。
「独り言か? ああ、自分のあまりの愚かさに絶望していたのかな? 素直に死ねばいいんだ、無駄な抵抗など止めてさ」
まだ彼は万能腕輪のことを知らないので存在がバレるわけにはいかない。せっかく希望を見出してくれる相棒の存在を悟られる前に、神奈は「うるさい!」と叫びながら攻撃を仕掛ける。しかもわざと反撃の殴打を喰らって吹き飛び、同時に飛行魔法〈フライ〉を使って全力で加速。これで距離を取り、腕輪と会話する時間を稼ぐ。
「さっきの早く教えてくれ!」
腕輪からもたらされる逆転の一手を聞くために焦燥に駆られながら叫ぶ。
「はい、大賢者神音は弱り始めています」
その言葉は神奈にとって衝撃的であったが心当たりはある。
先程のわざと殴られた時、完全にではないが攻撃が見えた。
神奈の目が慣れただけだと思ったが、神音の動きが遅くなっているのだ。
まだまだ対処出来るスピードではないが良い傾向であることに間違いない。
「おそらくは復活の魔法の影響下にいるからです。蘇生魔法〈死者蘇生〉で復活した生物は魔法の効力が切れれば消えてしまう。それは使用者の魔力とリンクしているからです。つまり魔法を維持することにより黄泉川三子さんの魔力が減少すればするほど、比例して復活者達の戦力が削げるのです……!」
一見無敵にすら思える大賢者の致命的な弱点が告げられる。
真っ向勝負だと勝ち目はないが長期戦になれば勝機が見えるはずだ。問題は彼相手で長期戦に持ち込めるかというところ。今のところ全力を出していないから戦いが続いているが、一度フルパワーで攻撃されれば瞬殺されるに違いない。せめて神奈と同等以上の強さを持つ味方が欲しくなる。
長期戦に持ち込む難易度は高いが弱点が分かっただけでもありがたい。
蘇生魔法〈死者蘇生〉のからくりを全て紐解いた腕輪は優秀だ。いつも肝心な時に役立ったり役立たなかったりする腕輪だが、今回は最高の働きをしてくれた。
「そういうことなのか。ありがとな、相棒」
「え? 今、何て……」
「二度は言わないぞ」
神奈は頬を少し赤く染めて腕輪から視線を逸らす。
「すいません、本当に聞いてなかったんでもう一度お願いします」
「聞いとけよ!?」
「――なるほど君の腕輪か」
そして赤くなった顔が急激に青くなる。
全速力で距離を取っていたはずなのに、振り返ると神音がすぐ傍を飛んでいた。
「邪魔になるなら破壊しなければね」
神奈は神音に腕を掴まれて、腹に魔力弾を放たれた。
瞬間、腕を絶妙なタイミングで離されたことで勢いよく吹き飛ぶ。
吹き飛んでいく最中で最悪な光景が視界に映ってしまう。
神音の手には、神奈が付けていたはずの白黒模様の腕輪が握られていたのだ。何度確認してみても自分の右手首には何もない。現実逃避は出来そうにない。
「え、えーと、私は」
「消えなよ」
「ちょっと待って――」
神音の冷たい視線を浴びせられている腕輪は動揺して言葉がうまく出ていない。
一切の躊躇もなく至近距離から腕輪に魔力弾が撃たれた。
爆発が起きる。神音が腕輪に濃い紫の光を強く放つ魔力弾をぶつけて起きた爆発だ。瞬く間に黒煙が広がっていく。
――黒煙が晴れた後、腕輪は消えていた。
「あ、あ……? 嘘、だろ……?」
神奈は既にない腕輪を求めて手を伸ばす。
「だって……お前は、私の全力でも……壊れない、はずの……」
「君のせいだ」
いつの間にか神音の姿が神奈の目の前にあった。
細い腕が伸びて神奈の頭を鷲掴みにしてきたため「うぐっ!?」と悲鳴を零す。
「君が余計な正義に心を傾けなければ失うことはなかった」
「ちが、う……わるい、のは……お前じゃないか!」
神奈は必死に神音の言葉を否定する。
失ったものが大きく、心が荒む神奈の瞳には小さな透明の雫が浮かんでいる。
「良い悪い、それは誰が決める? 所詮そんなものはヒトの物差しで測られたものに過ぎない。だから私が決めてもいいよね? 君がいま、そう涙を零しそうになっているのは君自身のせいだ。他の誰でもない、力のない君が力のある私に立ち向かったことが……君の罪だ」
「うぅぅあああああああ!?」
頭が徐々に強く掴まれていく。
頭蓋骨が割れてしまいそうな、脳が潰れてしまうと思うような痛み。
そして追加で襲うのは一瞬の浮遊感に背中からの衝撃。
神奈は投げられたのだとすぐに理解する。
投げられた場所には白く冷たい大陸が広がっており、予想外の場所に目を疑う。
「南極?」
投げつけられたことにより氷の大陸は真っ二つに割れる。
神奈はすぐに浮かび上がる……のではなく海に沈む。腕輪が教えてくれた唯一の勝ち目である時間をとにかく稼ぐため、腕輪の言葉と犠牲を無駄にしないために神音を絶対に倒すと決心する。
二度と怒りのままに特攻するようなミスはしない。
激情を抑え込み、思考を冷静に保つ。
腕輪の予想通りなら今も神音の魔力も減少しているはずだ。まずはバトル第二ラウンド開始からどれほど減少したのか確認するため、彼を視界に入れて〈ルカハ〉を唱えた。
神野神音
総 合 1690000
身体能力 380000
魔 力 1310000
本当に魔力が減少しているのを確認して心の希望が強くなる。
戦い始めてから神音が使用しているのは〈フライ〉と魔力弾のみ。
派手な魔法を使わずに魔力が310000も減るなら減少速度はかなり速い。
「……魔法の仕組みに気付いたか。だが無駄だ。この私相手に時間稼ぎなど本当に出来ると思っているのか? 隠れたところで何の意味もない。海に潜ったのが判断ミスだと教えてあげよう。究極魔法〈消滅の光〉!」
神音が神奈のいる方向を見下ろして指を向けた。
指先に純白の光が現れたのを見て神奈は〈フライ〉を利用して水中を移動する。飛行魔法とは言うが、要は体を動かさずに移動出来る便利魔法。空中だろうと水中だろうと使う場所は関係ない。
神音の指先にある光は極太の光線となって海へ降り注いだ。
直撃をなんとか避けた神奈が恐る恐る振り返ると、純白の光線が通った場所からは全てが消えていた。海水も、その下にある地面も、巨大な空洞ができている。攻撃で海水の流れが変化した感じは全くなく、振動すらなく消滅させていた。どう考えても当たったら危険すぎる攻撃である。
(……ってちょっと待て。海に穴が空いたってことはまさか)
満たされたものに変化を起こす方法は全て同じ。
水で満たしたコップで考えると分かりやすい。
最初から満タンに水が注がれたコップから水を掬うと、掬われた部分に残りの水が流れ込む。コップで考えると大したことがないように思えるが今回は規模が違う。
海に巨大な穴が空いたことで周囲の海水が一気に動く。
泳いでいた魚も、止まっていた神奈も巻き込んで消滅した場所へ流れ込む。
(ぬおおおお!? 体が持って行かれるううう!)
「〈消滅の光〉」
(もう二発目撃ってきやがったあああああああ!)
神音にとっては一発目で消せるならよし。消せないなら消滅した空間に海水で引きずり込み、二発目で消す算段。対処する術を持たない者は確実に殺される。
(冷静に、冷静に考えろ。私には防護の加護がある。この激流も環境の内に入るはず、私には通用しないはず。そうだよな腕輪! そうだよなああああ!)
激流に捕らわれないと思った瞬間に体の自由が戻った。
海水の流れも水圧も無視出来るなら、二発目の光線の範囲内からも全速力の〈フライ〉で脱出可能。一発目に続いて二発目も紙一重で回避した神奈は、このまま水中にいても遠距離攻撃で追い詰められていくことを察する。
今度は神音が電撃を放ってきたが防護の加護で神奈には効果なし。電撃を無視して水中から上がった。
感電死した魚が何十匹と水面に浮かんでくる光景は見るに堪えない。一刻も早く誰にも被害がいかない空中へ浮かぼうとした時、神音が距離を詰めてきて真上に投げられた。
隠密も不意打ちも通用しない魔力感知で神奈の位置は常にバレている。海中にいる中で正確に魔法を放ってきたのも、水上に出て行くのが分かったのも全て魔力感知のおかげ。魔力を用いた技術なら神奈にも出来るはずだが、障壁と違ってどうやればいいのかイメージすら湧かない。
「くそっ、あいつは!?」
「上だよ」
上と言われて上を見る神奈は、指を組んで両手を振り下ろすダブルスレッジハンマーで打ち落とされる。額への強烈な一撃に意識が飛びかけたが気合いで耐えた。
海に落ちる前に〈フライ〉で止まろうとするが、勢いが強すぎるため止まれない。衝撃に備えて体を丸める最低限の抵抗しか出来ず落下していく。
そして――空中で誰かに受け止められた。
誰なのかを確認した神奈は微かに笑みを浮かべる。
「よう、やっぱりまだ生きてたか」
「見ていたのか? 生憎と、風を操るのは俺の得意分野でな。風系統の攻撃に殺されるわけにはいかない。それに、どうせまた死ぬならお前と戦って死にたい」
男の灰色の髪が風で揺れ、足からは灰色の竜巻が放射され続けている。
受け止めた男は地球を巡り神奈と戦った宇宙人――エクエスだ。




