61 授与――合理的だからな――
「ほう、驚いたぜ。嬢ちゃんそいつらより全然強いじゃねえか。何でこんなとこにいるんだ? こんな場所で得るものなんてねえだろ」
「そ、そんなことない!」
笑里は近付いて拳王の股を蹴り上げようとした、つまり急所攻撃。
これは狙ってやったわけではなく、ただ蹴りやすい場所に向けて攻撃しただけだ。しかしそれも片手で止められてしまい、ジャイアントスイングされた笑里は投げ飛ばされる。受け身も取れない状態で壁に激突したせいで、壁に大きな亀裂が走る。
「まだまだだなあ、せめて年も力も四倍くらいにはなってくれよ」
「うっく! はあああ!」
笑里はすぐに立ち上がり、拳王に向かって走るが間合いに入る前に蹴り飛ばされる。だがそんな時、父親である風助が拳王に正拳突きを放っていた。綺麗な動作のそれは全くダメージを与えていない。驚愕で彼は目を見開く。
「な、なんて硬さだ。筋肉の壁? まるで大岩を殴っているような気さえした……」
「雑魚が、引っ込んでろ」
拳王が拳を振りかざした瞬間、風助にはその拳がまるで大きいハンマーのように見えていた。当たれば死ぬ、そう思わずにはいられなかった。
幽霊でも死を感じ取った一撃は顔から数センチ外れる。
拳を放つ瞬間、拳王の顔面へと笑里が飛び蹴りを入れたからである。
「嬢ちゃん、そんなに死に急ぎたいか?」
拳王は笑里の足を掴んだら回転して、風助の方へと投げ飛ばした。二人は道場の壁を突き破り、外にある林の中まで吹き飛ぶ。二人が起き上がると、すぐ目の前に拳を振りかざしている拳王が見えた。
攻撃を躱すために移動した笑里だが、風助だけは間に合わず殴り飛ばされてしまう。木々を薙ぎ倒しながら吹き飛ぶ彼の姿は、笑里の視界からはもう見えない。
「お父さんを虐めないで!」
「お父さん、か」
笑里は飛び上がって殴りかかるが、拳王の方がリーチが長くまともに攻撃が当たらない。当たる前に笑里の方が攻撃を受けてしまう。子供と大人の体格差が戦闘の不利有利に繋がっているのだ。
少しして、勢いの乗ったボディーブローを喰らった笑里は地面に片膝をつく。
「惜しいな。あと十年かそこらで、嬢ちゃんは俺と互角くらいにはなれたかもしれねえ。残念だぜ、今殺すのがよお」
「何で……こんなこと。拳王さんの気持ち、分からないよ」
「さっきも言ったが強い奴と戦うため……ではあるんだが、頭の中で変な声が聞こえるんだよ。殺せ殺せってな。鬱陶しいんだが逆らうこともなぜか出来ねえ。不本意だし悪いと思ってるがよ、殺すぜ?」
木々が風で揺れる音が響き渡る。風が止むとその音も無くなる。
音が止まったと同時、拳王が動き出して笑里に拳を振るう。
喰らえば死ぬかもしれないと笑里でも思えた。
迫る殴打がスローモーションに見えて、頭の中では現在まで目にした光景が走馬灯として蘇る。恐怖から思わず目を瞑ってしまう。
(死ぬのは……嫌!)
――しかしいつまで経っても衝撃はやってこない。
恐る恐る目を開けてみると、見知らぬ男性が真正面に立っていた。
若緑の髪色で高身長の男性。彼が拳王の拳をしっかりと受け止めている。
「誰だテメエ……!」
「だ、誰?」
困惑で場の状況に変化がなくなった時、風助が戻って来る。
戻って早々彼の顔が青褪めた。生身の肉体を持ったからこその反応だ。
拳王の殴打を受け止めている男性を見て彼は「最悪だ……」と呟く。
「やれやれ、この俺の霊力を少し持っているくせに情けない」
「なぜここにお前がいる、藤堂零!」
風助が叫んだ名前に笑里は心当たりがない。
どこかで聞いたような気がするが全く思い出せない。
「さて、どうしてくれようか。貴様を殺せばいいのか?」
「待て、お前は俺と同じだろ? 生き返ったんだろ? なら聞こえてくる筈だ、生者を殺せって声が! それに死者同士で争うなって声が聞こえるだろうが!」
その言葉に藤堂は呆れたような態度を取り返答する。
「それはお前が弱いからだ」
「は? 俺が、弱いだと?」
「そうだ、強い者にはそんな声など無意味なんだよ。今回の件では三種類の者がいる。まずこの妙なエネルギーによって強化された操り人形の雑魚。二つ目は貴様の様に中途半端な強さを持っているが頭に響く声に逆らえない雑魚。そして最後は俺様のように自らの意思を通せる強者だ」
藤堂は一本ずつ指を立ててその三種類を話した。
雑魚となじられたことで拳王の顔に青筋が浮かぶ。
「さてお喋りはここまでにして貴様を殺すことにしよう。ああ既に死んでいるんだったか? まあ元に戻るだけだ死――」
藤堂が圧倒的な死の気配をばら撒きながら右手を拳王へ向ける。
雰囲気から攻撃しようとしているのを感じ取った笑里が「待って!」と叫ぶ。
「ね……何だ、邪魔をするな」
ストップをかけたおかげで藤堂は右手を下ろしてくれた。
「私が戦うの」
「は?」
「私が戦うの!」
「貴様では勝てんぞ? 分かっているだろう?」
彼の言う通り、笑里は先程まで全く相手にならなかった。子供扱いされてしまうくらいに実力が離れている。それを承知していながら本人は強者に挑みたいのである。
「フハハ、どうやらその嬢ちゃんは俺とタイマンでやりたいみたいだな」
「先生と上野君、お父さんの仇をとるの!」
「僕は死んでないんだけど……あ、死んでいたのか」
一応元から幽霊なので風助は死んでいるのだが、今は辛うじて生きている。二度目の死を味わっていないという意味では死んでいない。事態は非常にややこしい。
純粋な瞳を笑里が向け続けると、藤堂は溜め息を吐く。
「理解不能だな。好きにしろ」
「誰か知らないけどありがとう」
「だが貴様は勝てない。俺が力を貸してやる。安心しろ、手出しはしない。貴様に俺の霊力を分け与えてやるだけだからな……俺の、全霊力を」
緑色のオーラが流れてきて笑里から不思議と力が湧き出る。
貰えるなら貰っておこうという安易な考えで、力を受け取った笑里は空手の構えをとる。拳王もそれと同時に構えてお互い睨み合いが続く。
「行くよ!」
「来い!」
同時に駆けだした瞬間、大地が抉れる。
笑里が間合いに入ったら拳王が蹴り飛ばそうとしたが、その足に乗っかることで回避。そして彼の足を踏み台にして、顔面に勢いよく膝蹴りを当てた。
「なっ!? グブッ!?」
「はああああああああ!」
それから止まらずに猛攻撃。ラッシュラッシュの超ラッシュ。
防御に徹した拳王は反撃に出ることが出来ず、大の字に倒れて敗北する。
笑里は驚愕していた。いくら藤堂の力を分け与えられようと、精々互角程度だと思っていたのである。蓋を開ければ予想は外れ、覆った実力差で圧勝してしまった。
せっかくの勝利なのに心から喜べず、嬉しさが全く湧いてこない。
「ああすまない、俺様の全霊力を分け与えるのはやりすぎたか? だがこれで自分が雑魚だと気付いただろう。井の中の蛙大海を知らず。少しは世界を知れただろう?」
侮辱でも真実でもある言葉に拳王は静かに涙を流す。
見ているだけで悲しくなる顔の彼は果たして満足だろうか。対等な戦いをしたいと望んでいた彼は、こんな決着で未練なく死ねるのか。その答えなど既に決まっている。実際に勝利した笑里すら悲しさで胸がいっぱいなのだから。
「そんなことない、拳王さんは強かったです! こんな勝ち方全然実力で勝ったなんて思わない! 拳王さんは雑魚じゃない、私よりもずっと強かったもん!」
拳王は微かに笑みを浮かべる。
「……ありがとうな嬢ちゃん。最後に、嬢ちゃんと戦えて良かったよ。俺は満足さ。俺は強い奴を求めていた、対等な奴を求めていた。嬢ちゃんは、俺より強かったよ。実力じゃなくて心の強さが……誰より強かったのさ」
彼の体は徐々に光の粒となって消えていき、やがて完全に消滅した。
決して彼は悪人ではなかったと笑里は思う。何かの影響を受けていただけで、彼本人はずっと強者を求めていただけなのだ。そんな彼に認めてもらえて笑里は嬉しい。
「……藤堂さん、ありがとう……って言いたいけど言いたくない!」
右頬を膨らませた笑里は「ふん!」と顔を背ける。
「恩知らずなガキだ。いったい誰のおかげで勝てたと思っていやがる」
「娘を助けてくれたのには、代わりに僕が礼を言おう。だが、なぜ協力してくれたんだ。全霊力を渡してしまえばお前は消えてしまうのではないのか?」
「協力してやった理由は褒められたものじゃないぞ。俺様はただ、嫌だったのさ。夢を叶えようとしてまた神谷神奈に消されるのがな。もし神谷神奈に消されるくらいなら、奴に協力してやる方がまだ合理的なんだよ」
体が光の粒になっていく藤堂。
彼の消滅を見送った後、笑里はこの事件の原因を探るために紫の塔を目指す。
拳王の様に無理矢理人を襲わせているならば、絶対に止めてみせるという強い意志を持って走り出した。
* * *
隼速人は突如出現した紫の塔に向かい走っていた。
地震に始まり妙な混乱が続いているので、その元凶っぽい塔を目指しているのだ。
走る速度は音速を優に超えており一般人には視認すらできない筈だが――顔目掛けて飛んで来た手裏剣を余裕で躱す。
「あの手裏剣は……。いやまさかな、誰だ!」
「どうやら大分腕を上げたらしいな速人」
「あ、兄貴? また幻覚か?」
召喚の魔導書に召喚されたスプリから受けた技で、速人は一度兄の幻覚を見せられている。今回も幻覚だと疑ってかかるがそれにしては完璧な模倣だった。幻覚も本物と遜色なかったが、目の前にいる兄は異質な雰囲気が現実だと悟らせてくる。
「幻覚? 俺は間違いなく隼輝本人だよ。今この町では死者が蘇っているんだ。そして俺達に命令されているのが塔に近付く者の排除。こんなことはしたくないが頭の中で声がするんだ……殺せ殺せってね。だから速人はこれ以上先に進むな。早く家に帰ってくれ」
「信じられない話だが、そう言うのならそうなんだろう。だが引き返しはしないぞ。兄貴に会って尚更引き返すわけにはいかなくなった。この事態を引き起こしたのがどんなやつかは知らないが、隼の家の者をコケにした罪で極刑だ」
「ダメだ、それ以上進んだら! 俺に家族を殺させる気か!?」
速人は話を止めて一歩踏み出す。同時に輝も足を進めて刀を構える。
二人は初動から最高速に近いスピードで動き出した。
二人は接戦を繰り広げる。速人の刀が輝の首に迫るが防がれて、左足で蹴りを胴体に入れられた。しかしその瞬間、速人の姿が消えて炸裂弾が三個代わりに現れる。それにギョッとする輝だが、腕を体を守るようにクロスさせて爆発を防御。爆発には飲まれたものの最低限のダメージに抑えている。
「貰った!」
速人は輝の背後へ移動して、刀で背中を突き刺す。
「言っただろう、どんな奴かは知らないが極刑だと。兄貴、もう俺はあの時の弱いままじゃない。手裏剣を教えてもらっていたあの時とは違う。もはや俺は兄貴を圧倒できるほどに強くなった」
「確かに成長したな速人……なんていうか、冷たい刃みたいになったな。どうしてそうなったのか見当はつくよ、俺が死んだのが原因だろ? でもなんだろうな、お前からはその中に熱い芯みたいなものが感じられるよ。誰か好きな女の子でもできたか……それとも、ライバルでもできたか!」
刀が突き刺さっている状態でも怯まず、輝は自分の腹から速人がいる方向へ刀を突き刺した。しかしそれを読んでいた速人は串刺しを回避する。
「手応えがないっ、どこ――」
速人の刀が輝の首を切断して飛ばす。
実の家族とはいえ、もう死人だったのだ。躊躇なく殺せた。
「お前なら……」
最後まで言い切ることなく隼輝は光の粒となって消えてしまう。
それに振り返ることなく、速人は真っすぐ塔を目指す。
黒幕への怒りを隠すことなく顔に表しながら、一直線に。
* * *
人が入れるカプセルが大量にあり、広い部屋が特徴的な大きな建物。
ここはフローリア研究所だ。かつて神谷神奈がアンナ・フローリアを倒した場所である。そこにはまだリンナ・フローリアのクローンが数人生き残っており、ひっそりと生活していた。
「大変です!」
大慌てで最奥の部屋へやって来たゼータは、そこにいたベータへと叫ぶ。
「おうどうしたんだよそんなに慌ててさあ? 地震程度で大袈裟だな」
地震ならば珍しくないので騒ぐ必要はない。しかし外に紫の塔が現れ、多くの人間が暴れ始めたのが現状だ。これが普通の地震なら町は何度か滅んでいる。
「ただの地震じゃないですよ! あれは何かの魔法です、そうとしか考えられ――」
「ん? どうした?」
突如驚愕の表情で言葉を詰まらせたゼータは質問する。
「あの奥のカプセルは確か、本物のリンナが入っているんでしたよね?」
「ああ、中身は死体だけどな」
「そうですよね……なら、何でそれが開いているんですか?」
奥のカプセルにはリンナの死体が入っていた。
アンナの手により、ご丁寧に損傷一つなく保存されていた。
それなのにカプセルが開いているというのは異常事態だ。二人はすぐに近くに行ったが中身は空であった。寝かされていたはずの死体が綺麗に消えている。
「え、嘘だろ? 何で中身がないんだ!?」
「泥棒……いや、そんなわけないですよね」
その騒ぎを聞きつけたのかドタバタと足音を立てながら少女十数人がやってきた。
共に暮らすリンナ・フローリアのクローン達だ。まだまだ子供なので大声を出せば、気になってやって来てしまうのは仕方ない。ただ今回は丁度いい。消えた死体を捜すのに人手は必要である。
「どうしたの! 何かあったの!?」
「この中身がなくなってしまったんです! すぐに捜さないと!」
「おい、お前……なに、して……」
ベータが言葉を詰まらせて、目を見開いていた。
十人以上のクローン達もゼータも何が起きたのか確認すると驚愕した。
仲間同士で団結して固い絆があるゼータ達にとって、絶対にありえない光景が目前にあった。狂喜している一人の少女が――クローンの一人を包丁で刺している。
「ずっと見てたよ? 気持ち悪かったの、自分と同じ姿をした偽物がお姉ちゃんと遊んでたり話したりしているのがさ。何だか動けるようになったことだし、ここで貴方達は皆殺しにしちゃいまーす」
狂気的な自分と同じ顔の少女を見て、全員がその少女が何者なのか察する。
有りえないことだと思いつつもそれしか考えられなかった。――本物だ。
ゼータ達はクローンであるため中身が違えど外見はほぼ同じ。だからこそ見分けようがなく、やってきた少女が蘇った本物であったとしても、ゼータ達には見分けられず仲間だと思ってしまったのだ。それこそがこの悲劇の原因。
仲間を一人刺され、動揺している間にベータとガンマが腹部を刺される。
そこでようやく動揺を打ち消せたゼータが動こうとした時、さらに信じられないことが起きる。
「――破壊」
声が聞こえた。この世界全てを憎むような負の感情が込められた声だった。
ゼータは声のした方向に恐る恐る振り向く。
そこには存在してはいけない女性が一人。
ピンク色の髪はゼータ達クローンと同じであるが、容姿はそのまま成長させたかのような女性だ。力が入っていない両腕をぶら下げて、眼球の位置にある白い光球が動き続けている。
「……アンナ」
絶望の表情でゼータは女性の名を呟く。
「あっはっは! お姉ちゃんも生き返ったんだあ! だったらさあ、皆殺しにしようよ! こんな、こんなこんなこんな偽物は生きてたらダメだよねえ!?」
本物であるリンナは精神が崩壊していた。
ずっと見ていたのだ。姉が自分ではないナニカを作り、それと遊んでいる光景を。
ずっと見ていたのだ。姉が自分ではないナニカを殺し、壊れてしまう瞬間を。
ずっと見ていたのだ。姉が破壊の権化と成り果て、一人の少女に殺されたところを。
リンナはずっと見て感じていたのだ。
幽霊となっていたことで、自分を形成する全てが変わってしまうのを。
自分と瓜二つな少女が媚びたような笑みを姉に向けている気持ち悪さを。
現実だと認識したくない。夢だと信じたい。
しかし非情なことにそれは現実だった。
幼い精神はあまりにも呆気なく崩壊し、狂気を宿してしまった。
「破壊」
「やっぱりそう思うよねえ!? 殺しちゃっていいよねえ!? こんな奴らいらないよねえ!?」
やり取り一つ一つを聞いても狂気しか感じない。
かつてアンナに屈服し、従属していたアルファは止まらない汗を流している。
「破壊、破壊、破壊、破壊いいいいいい!」
「こっろっそう、こっろっそう……殺そう」
「ぜ、全員逃げてええええええっぶっ!?」
消えた。そういうようにしかクローン達からは見えなかった。
逃げてと叫んだゼータは殴り飛ばされており、仲間の一人が頭を包丁で刺されている。犯行の瞬間など全く視認できず、現実味がまるでなかった。
リンナがゆっくりと包丁を抜くと赤い雨が周囲に降り注ぐ。
「くっ、〈火炎放射〉……!」
アルファは真っ赤に燃え盛る炎を手のひらから放出し、もうすでに死んでいると分かる仲間ごとリンナを焼き尽くそうとする。
「知ってるよお?」
幼い声はアルファの足元から聞こえた。
「あなたは最初にお姉ちゃんの奴隷になった人でしょ。あっちの二人はお腹を刺したし、あなたもお腹に穴を開けてあげるねえ」
ベータとガンマが刺されたのと同じ場所をアルファも刺されてしまった。
炎が焼いたのは結局仲間のみであり、焼け焦げたのは死体と床だけだ。長女のようなポジションにいるアルファが刺されたことで、他のクローン達はさらに混乱して慌てふためく。
みっともなく走って逃げていくクローン達を、リンナはゆっくりと追いかける。
「破壊」
しかし追いかけた瞬間に拳が迫るのを感じて、リンナは紙一重で躱す。
「ちょっとお? どういうつもりなのお姉ちゃん……ああ、玩具が壊れたからか」
今までアンナがいた場所にリンナが目を向ければ答えは分かった。
腕も足もおかしな方向に曲がって、体中痣だらけのゼータが横たわっている。
「破壊」
「邪魔」
両者が短い言葉を発し、手が動く。
そして驚くほど早く決着する。
「ダメじゃん、あんなに妹可愛がってたのに攻撃なんて……邪魔だよ、ほんとうに」
辛うじて生きているゼータは視界がぐらついて朧気だったが見えた。
アンナの拳がリンナに届く前に、突然その体中に刺されたような傷が出来て血が噴き出したのだ。
「は……か……い!」
だが破壊の使徒になっているアンナは意思なくとも動き、全てを破壊するまで止まらない。たとえ血が失われようとも、本人の意思などない状態であっても終わらない。アンナの体は立つ機能がある以上立ち続け、殴れるのが可能ならば殴り続ける。
もう致命傷どころではない肉体が跳ね、当たればリンナなど即死させるほどの一撃を叩き込もうと駆ける。
「もういらないから死んでいいや」
「か……い……」
どうでもよさそうに切り捨てられ、アンナの手足も根本から斬り落とされた。
ゼータが瞬きしている間に四肢が切断され、動くことが出来なくなったアンナは生命活動を終わらせる。
一連の光景を見て、ゼータは一つの推測を立てた。
リンナが包丁で攻撃する時の動きから身体能力は決して高くない。
高速移動にしても瞬間移動にしても見えなければ結果は同じだが、実は一瞬で移動する方法がもう一つある。同じ系統の固有魔法を持つゼータだからこそ気付けた。
「さてと、お、ま、た、せ! お姉ちゃん殺した奴も許せないけど、その元凶のあなたも許せないからじっくり痛めつけてあげる!」
「うあっ!?」
包丁がいつの間にかゼータの肩に突き刺さっている。
認識できないのは速度ではない――時間だ。リンナの固有魔法は確実に時間関係である。
「じ、かん……を……とめ、てる」
「へえ? 気付いたんだ。この力に気付いたのは死んだ後だったけどね。私の魔法は時間を止めちゃうことみたいなんだよね。つまりあなたって能力的に、私に一番近い作り物なんだと思うよ?」
「な、んと、か……かん、な……さんに……」
知り合いであり英雄的存在である神奈に助けを求める。
神奈ならばなんとかしてくれるだろう。そう思って知らせようとしても、状況は最悪で誰かに知らせるなど不可能。時間停止に気付いても、ゼータ自身が動けない以上どうしようもない。
ゼータが死を覚悟した時――世界が突如灰色に変化した。
自分だけが取り残されるような感覚に陥って混乱する。実際その通りなのか、あれだけ恐ろしかったリンナが完全に停止していた。呼吸すらしている気配がない。
「まさか土壇場で私の力が進化したの……?」
アンナに殴られた傷と、リンナに刺された傷がいつの間にか全て完治している。
元々ゼータ自身の固有魔法を使えば完治出来たのだが、絶望的状況すぎて思考が鈍くなっていたのである。それに使用してもすぐ同等以上の傷を付けられたはずだ。
ありえない状況にゼータが戸惑っている時、足音が聞こえた。
どんどん近付いて来るので誰なのかと思って振り向く。
「――時間停止を確認したから来てみれば、悲惨な状況だね」
歩いてきたのは中性的な男性一人。
銀髪を腰の辺りで結んでいて、純白の着物を着ている。時代錯誤のような雰囲気を纏う彼が何者なのか探るためにゼータは口を開く。
「あ、あなたは?」
「私は時の支配人。とりあえず君の怪我を治しておいたよ。いや、君達全員の傷もね」
「え」
男は何もしていない。何かをする素振りすら見せていない。だというのにその場の全員の傷が無くなっていた。燃えた仲間も五体満足で床に寝ている。
ゼータは理解した。時間を止めたのは自分ではなく、この男だと。
考えてみれば当然だ。時間関係の固有魔法を持っているからといって、巻き戻す力が進化しても時間停止になるわけがない。固有魔法が進化するのかすら分からない。
「さて、悲劇はもう終わりにしなければね」
時の支配人がリンナに指を向けると、彼女のみが灰色の状態から元に戻る。
「あれえ? 何かなこれ? 私が止めたわけじゃないのに」
「君ではなく私が止めた。時間を操ることに関して私に敵う者などいないのさ」
状況を吞み込んだリンナは「へえ」と呟き、包丁を持つ手を前に伸ばす。
「邪魔……死んじゃえ!」
「話し合う気もないのか」
時の支配人が手を翳すとリンナの体に変化が訪れる。
彼女の体はどんどん縮んでいき、最終的には消えてしまったのだ。何が起こったのかゼータには分からなかったので聞いてみると、想像を絶する答えが返ってきた。
「彼女の時を、命を授かる前まで巻き戻した。彼女は世界から存在が消えたんだよ」
あまりに恐ろしい力と結末にゼータは「え……?」としか言葉が出てこない。
「ああ、そういえばそこの女性も危なそうだったな。ついでに消しておくよ、死者であるのは変わらないようだしね」
今度は手を翳さなかったが、アンナの姿がリンナと同じ様に縮んで消えてしまう。
ゼータは底知れぬ恐怖に襲われ、同時に全てが終わったことに安堵する。
時の支配人のおかげで敵と呼べる者はこの場からいなくなった。
味方とはいえ、時の支配人は強すぎる。時間系統の魔法も恐ろしいが真に恐ろしいのは魔力量。ゼータの感覚頼りの計算だと神奈よりも上。敵でないことに心から感謝した。
「さて、私は屋敷に帰る。ああそれと外には出ない方がいい。混乱しているからね」
「あ、はい」
「それじゃあ」
色々と規格外な存在を目にしてゼータは遠い目をし、動き始めた仲間に今起きたことを説明し始める。死者が蘇る異常事態が起きている現在だが、ゼータは時の支配人や神奈なら止められると信じている。
*
時の支配人は空を飛んで自宅へ戻ってから、鋭い目で紫の塔を睨む。
「神音……これが狙いだったのか?」
友人の大賢者を思い浮かべながら自宅に入る。
死者を蘇生させる現象は確実に魔法だ。彼からの頼まれ事もあるため、今回の事件と全く無関係とは思えない。
保管ている死体の様子を見るために時の支配人は屋敷最下層へと向かう。
神奈「え、強すぎない?」
腕輪「神奈さんには効きませんけどね」




