エピソードオブ大賢者5
西洋に建てられているような屋敷。黒茶色のレンガが積み上がった二階建ての家が三軒繋がったような見た目で、家の前に広がる庭には緑が茂っている。
そんな屋敷の一階にある広間で、神音は濃緑色の横長椅子に腰を掛けていた。
家の中を鑑賞していると、手前にある木製テーブルにティーカップが置かれる。
ポッドから花柄の白いティーカップに注がれた濃い赤茶が揺らめき、フルーティーで爽やかな香りが空気中に伝わっていく。そして香ばしく焼けたクッキーが数枚テーブルの上に用意される。
家主の時の支配人が反対側の横長椅子に座った。
神音達はカップの紅茶を一口、音を立てないで静かに口の中に含んで味わう。それから神音が先に「……アールグレイか」と口を開きフレーバーティーであることを当ててみせた。
時の支配人は目を見開いて驚愕の声を上げる。
「まだこちらの方ではほとんど伝わってないんだけど、よく分かったね。フレーバーティーどころか紅茶という名前すら知られていないのに」
「柑橘類で落ち着いた香り、これはベルガモットというミカン科の植物の特徴だ。ある程度紅茶を知っている者ならアールグレイだとすぐに分かる。まあ僕の場合は植物の知識で気付いたけど」
「その通りだよ。慣れていないと思って薄めにしたんだけど、余計なお世話だったかな?」
「いや、これが丁度いい。知っているだけで飲んだことはないんだ。基本あの国では緑茶しかないからね」
神音が住んでいる国では飲料はほとんどが渋い風味の緑茶であり、緑茶以外の飲み物など口にしたことはなかった。だからこそ新鮮な味と香りで少し頬を緩ませる。
クッキーも口にしてほのかな甘さを感じつつ、噛み砕いて胃の中に通す。市販ではクッキーなど見たことがないため貴重な一品だ。紅茶といいクッキーといい、珍しいものを持っている時の支配人が羨ましくなる。
落ち着いた雰囲気の中、再び紅茶を飲んだ時の支配人が口を開く。
「それで……話というのは何かな?」
「うん? そちらも話があるのでは?」
「いや、私はないよ。なんだかそちらが話をしたいように見えたから、話をしようと言ってみただけなんだ」
時の支配人の侮れない洞察力に神音は感心しつつ話を続ける。
「そうか、それじゃあ話を始めるけれど……時の支配人、何で君は相模に協力しているのかな?」
「それが、聞きたいことかい?」
「納得がいかないんだ。君程の人間が、なぜあんな自分の保身や評価のことしか考えていないクズに協力しているのかがね」
相模はクズだ。今は戦争で利用出来るから神音と協力しているが、終われば話は別。いずれ殺害計画を練って殺そうとしてくるだろうことは容易に想像がつく。実際にその時が訪れれば死ぬのは相模の方なのだが。
「そうだね、話しても理解できないかもしれない。それでも聞きたいのかな?」
「当然だよ、君に対する評価を決めるために必要なんだから」
「……何から話したものか。説明するならばやはり私の家系のことからかな」
時の支配人は複雑な表情を見せる。
手元にある紅茶を味と香りを堪能しながら一口飲んだ彼は語る。
「私の家系、御子上の家は分家と本家が存在しており、全員が時間関係の魔法が使える特殊な家系でね。私は分家に生まれたのだけれど、本家含めても過去最高の力を持った鬼才と言われていた」
神音はクッキーを静かに食べながら相模が言っていたことを思い出す。
時間関係の事ならほとんどのことが出来るという力。誇張かとも思っていたのだが大岩の件で納得した。過去最高の鬼才というのも嘘ではないと神音は信じる。
「しかし強大な力は争いを呼ぶのが常だ。私の力は御子上の家系を崩壊させた。時を早めるも遅くするのも、戻すも止めるのも自由。そんな強大すぎる力を求めて本家と分家で争奪戦が起きた。……当時五歳の私が何も理解できずに始まった身内同士の戦いは、数か月で決着がついた。本家も分家も滅びるという形でね」
「君が滅ぼしたのか?」
「違うさ。言っただろう? 当時の私は五歳でなぜ戦っていたのかも、いや、何をしていたのかも理解していなかった。渡せと喚く本家、渡さないと守り抜く分家。二つが滅びたのは衝突した結果だよ。力は本家の方が強いと聞いていたのだけど、意外にも互角で次々と犠牲者が出ていったらしい。最期まで愚かな人達だったよ。家族だったはずなのに、血縁だったはずなのに、身内同士で争い合って命を落とすなんて」
神音は木でできているテーブルの下で拳を握りしめている。
感じていたのは怒りではない、憎しみだ。神音は人間という生命を恨んでいる。
今まで抑えていた強い憎しみがどんどん広がっていく。
「人間は愚かだよ。それは当然のことだ」
「違う、私も人間だからね。人間全員が愚かだという意見に賛同は出来ないかな。……まあそんな風に私の家系は滅びたわけで、残されたのはこの家と財産のみ。私はこれを守るために戦い、この身を削ることを選んだ」
「時間を巻き戻すことも可能なんだろう? なぜやらないんだ? 巻き戻して過去を改変し、全てなかったことにすればいい」
「そんなことはしないさ。あの戦いと、それを行った者達の愚かさを残すために、当時の全てなかったことにするなんてそんなことはしたくないんだ。生憎と親しかった人もいないので、改変したところで束縛される不自由な日々が待っているだけだし」
時の支配人の力はその異名の通り時間の支配だ。過去現在未来、世界の全てを支配できるし、心臓の時間を止めてしまえば永遠の命だって手に入るだろう。全身の時間を止めれば何をされてもノーダメージ。たとえ敵がいたとしても時間を止めて攻撃し続けてしまえば大抵の敵は倒せる。
そんな力に溺れてしまった御子上の家系の者は、今生きていたとしても己の欲のために戦い、結局滅びる可能性が高い。過去を変えて生き返らせたところで徒労だ。
「私はある時、この場所に来た相模という将軍と話をしたことがある。君が持っている魔導書の力こそ求めていたが、他はあまり興味なさげだった。私の力を話してもうここに来ないように伝えると彼は契約を持ち掛けてきた。この場所に自分はもう来ないし他の国に攻めさせはしないが会えたのは何かの縁、困った時には力を貸してほしいとね」
「何だいそれ? 全く意味が分からない。どんな利益があって協力しているんだ」
「私は自分の力を好ましく思っていないし、有事の際以外で人間には使いたくない。だけど、人助けに使えるのなら使いたいと思っている。相模に協力しているのは、私の心の在り方が理由となっているのさ」
人間への憎悪のせいか、神音には何を言っているのか理解出来なかった。
「……よく分からないけど分からないことが分かった。君の理由を理解するのは無理らしい、今日は帰ることにするよ」
「そうかい? 残念だな。君ともう少し話していたかったんだけど」
神音は席を立ち扉に向かうために歩き出すが、ふと立ち止まって「そういえば」と口を開く。
「時の支配人、君……女性かい?」
「……いや、れっきとした男性だよ」
腰まであるサラサラの銀髪に加え、美しい着物を着ていたことで時の支配人はどちらかといえば美しい女性に見えるのだ。
「なら大賢者、君は女性かな?」
「……いや、男性だとも」
対する神音も首元まである艶のある黒髪や、黒い着物を着用しているせいで女性と見間違われることがある。時の支配人と同じく中性的な顔なのも理由の一つである。
「ははは、君がもし女性だったら面白かったのにな」
「それはこちらの台詞だね大賢者。そうだ、最後に一つだけ……不公平だと思わないかな? 私だけ理由を言うなんて」
相模に協力する理由を自分だけが喋らされたのは不公平だと言う時の支配人に対して、神音は答えることなく扉に向かい歩いて行く。扉の前で立ち止まり、置いていきそうになった三冊の魔導書を浮かせて自身の周囲に持ってくると口を開く。
「……魔導書の制御のためだよ」
「それは何のために? さっきも言っただろう。強大な力は争いを呼び寄せる。君はそんな人生を歩みたいのかい?」
「機会があればいずれ話そう。お互い生きているのならばね」
神音はそう返すと扉を開けて家を出た。目的を告げなかったのは告げる理由がないからである。野望のためと知った時、彼は止めてくるに違いない。わざわざ敵を増やすような間抜けな真似はしない。
ただ、気を許せる友人関係になれたとしたら……いつかそうなれたとしたら話せる気がした。




