58.56 ホームレスになってんじゃん後編
捜している人物がこんなところに薄汚れた状態で居たため驚愕した。
才華に何と伝えればいいのだろうか。お宅の父親、ホームレスに交じって生活していましたなどとは言えない。父親の醜態を聞く彼女があまりに可哀想である。
「うむ、人違いだ」
「口癖を若干アレンジしても誤魔化せないですよ!? つうかFFって何!? あなた藤原堂一郎でしょ、イニシャルならFDじゃん!」
「確かにそうだが名前関係なくてね。大好きなゲームから取ったんだよ」
「はい認めたあ! 藤原堂一郎って名前とファイナ○ファンタジー好き認めたあ!」
「……うむ、そうだな」
誤魔化すのも無理なのを悟ったらしく堂一郎は認めてくれた。
別荘に遊びに行った時や運動会などで互いに顔を合わせているし一目瞭然である。彼は神奈経由で才華へ連絡がいくのを恐れたのだろうが、今さら誤魔化されるわけがない。別人かそうでないかくらい判別出来る。
「ちょ、ちょっと待ってくれ神奈ちゃん。この人が……あの藤原家の?」
「そうだよ。まあアンタからしたら少し複雑か」
「……ふ、この倉間繕海を舐めるなよ。恨んだりしていないさ」
繕海が左遷されたのは自業自得だが背後には藤原家の存在があった。
実質、公園へ左遷させるよう仕向けた元凶が目前に居る。短気な繕海のことだから分かった瞬間に発砲するのではと思っていたが杞憂に終わった。反省しているのか、恐れているのか、行動を起こさない理由がどちらなのかは不明だが。
「……ていうか何でホームレスになってんですか?」
「うむ、訂正したまえ。決してホームレスなどではない。ここに居る者達は社会の敗北者だが私は違うのだ。帰る家もあるし仕事もしている。そこの彼と違い、この場に居ても住人達の生活に染められていない」
「何だって? 俺だって影響なんぞ受けた覚えはない。取り消せよ今の言葉ああ!」
すっかり染まっている繕海が怒り、土や埃で汚れた警察服から銃を取り出す。
引き金を引かせるわけにいかないので止めようとしたが……よく見ればダンボール製の銃であった。引き金を引いたところで何も発射されない。
「さっきの爺さんに思いっきり影響受けてんじゃん!」
「……本物は警察署に没収されてしまったんだよ」
「アンタやっぱりクビになってるぞ」
左遷された当時は本当に左遷だったのかもしれないが、いつの間にか退職したことになったのだろう。拳銃を没収されたのが何よりの証拠だ。
「はぁ、今はアンタより堂一郎さんだ。才華に聞きましたよ。パパって呼んでくれないとかいうアホみたいな理由で家出したって」
理由のバカらしさを指摘してみると堂一郎は気まずそうに目を逸らす。
「何を言う! あれくらいの娘からパパと呼ばれたいのがそんなにおかしいかね!? 女子小学生には分からんさ、私のような父親の気持ちなど!」
「……分かりたくないんですけど」
確かに今の神奈は女子小学生だし、前世で恋人一人すらいなかったから想像がつかない。仮に神奈が親になったとしても、極端に酷い呼ばれ方でない限り許容出来る。そもそも女子小学生がお父さんと呼ぶのは決して珍しくない。宝生小学校でも半数程度はそう呼んでいる。
神奈が呆れていると会話が途切れ、外の騒がしさに気付く。
「ん? 大勢の声が聞こえるな」
「しまった、今日は炊き出しの人が来るんだった! 早く行かないと終わっちまう!」
慌てふためく彼はすぐに家を出て走っていった。
「む、今日は炊き出しがある日だったのか。私もお腹が空いているし行くとしよう」
家に帰れば温かい食事を作ってくれる人が居るというのに、堂一郎の中で帰るという選択肢はないらしい。大人の意地も厄介なものである。
強制的に送り届けてもいいがそれだと根本的な解決にならない。
再び家出する可能性が高い以上、しっかり堂一郎の意思で帰らなければいけない。
「家に帰ればいいのに。使用人がご飯くらい作ってくれるでしょ?」
「いや、今さら帰りづらいしな。怒られるの怖いし」
子供ならお腹が減ったり寂しかったりでとっくに帰っている。
堂一郎の言うことは家出した者全員が抱く感情だ。なまじ大人だから後ろめたさが強く、家族が心配していると分かっていても帰れず家出が長引いてしまう。
どうすればいいのか考えるが神奈に良案は思いつかない。
堂一郎は枝製の家から出て――瞬時に帰還した。
顔が青褪めていて、表情から分かる焦りようが尋常ではない。
「どうしました?」
「……さ、才華が居た」
「はい?」
「才華が炊き出しに参加していた。以前格差社会の勉強をしろと言ったからか? むう、参ったな。これでは食事を貰えないぞ」
一瞬、才華もホームレスになったのと勘違いしたが、冷静に考えてボランティア活動の方に参加していたのだと神奈は気付く。
小学生が炊き出しに参加するのは珍しいが彼女らしい行動だ。
「頼む神奈ちゃん、代わりに私の食事を貰ってきてくれないか?」
「……私ホームレスじゃないし」
「そこをなんとか頼む!」
「えぇ……」
非常に面倒な頼み事なので神奈は面倒だと言わんばかりの表情になる。
そもそもこのまま二人を鉢合わせても構わないのだ、才華にはどのみち発見した報告をしなければならない。神奈は頼みを聞く必要もないのである。
次の行動について悩んでいると枝製の家の扉が開かれた。
入って来たのは先程出ていった繕海だ。手にはスープが注がれた容器を持っていた。スープには小さなブロック状にカットされた肉と野菜が入っている。美味しそうなものを見た堂一郎から唾を飲み込む音が聞こえた。
「頼む神奈ちゃん、一生のお願いだ」
「おいおい、何があったんだこりゃ」
「炊き出しに才華が来ているから食事を受け取れないんだとさ」
「ああ、そういえば居たな。俺のこと憶えていたみたいで会釈されたよ」
湯気が出て温かそうな肉野菜スープを繕海が食べ始める。
空腹の人間の前で美味しそうな物を食べるなどもはや拷問だ。
あっという間に完食した繕海は満足そうに「ふう」と言って息を吐く。
「仕方ないな、俺が代わりに取ってきてあげるよ藤原さん」
そう言い出したのは意外なことに繕海だった。
「いいのかね? 君が職を失ったのは……」
「空腹の辛さは分かるつもりだ。俺も経験したからな」
ホームレスの会話が妙にカッコいいと思ってしまったのは秘密である。
「こういうのって一人何回でも貰えるもんなのか?」
「いや、原則として一人一度さ。だから変装する」
繕海は警察服のボタンを外し、神奈の前で堂々と衣服を脱ぎ始めた。
言葉を失った神奈は黙って見ていることしか出来ない。
元警察官……本人は今も警察官のつもりだというのに、普通女子小学生の前で脱ぐだろうか。それが下着までならいいが平然と全裸になった。神奈だからよかったものの、普通の女子小学生なら悲鳴を上げていただろう。
やがて繕海が「これでよし」と言った服装は既視感がある。
彼が着替えたのはダンボール箱だ。胴体と股間をダンボールで隠し、サングラスを掛けている。あまりの不審者スタイルに神奈は絶句した。外に出た瞬間に通報されてもおかしくない。
「さて、行くか。待っていな藤原さん。俺が必ず肉野菜スープを持って来てやるからよ」
妙に頼もしい彼が家を出て……すぐに帰って来た。
「……すまない。正体がバレたうえ怒られた」
逆になぜバレないと思ったのか彼に問い質したい。
胴体をダンボール、目をサングラスで隠しただけで変装と言えるのだろうか。不審者及び変態スタイルではあるが才華には通じない。特殊な力を用いた変装くらいでなければ彼女は誤魔化せないのだ。
「しょうがないな。私が行ってあげますよ」
ここで堂一郎を見捨てると、何かを食べたいあまりゴミ箱などを漁りかねない。そんな友達の父親など神奈は見たくない。面倒だが時間はあまりかからないため重い腰を上げた。
「神奈ちゃん……なぜ」
「ま、このままお腹空いたままじゃ可哀想ですし。任せといてくださいよ。倉間さん、ちょっと貸してほしいものがあるんですけど」
さすがにそのまま受け取りに行ったら不審がられるはずだ。神奈がこんなところに居る時点で才華はおかしいと思うだろう。疑いが疑いを呼び、最終的に堂一郎へ辿り着いてしまう。
……それに炊き出しで食事を受け取るところなど誰にも見られたくない。
仮に知り合いにでも見られたら噂になるし、才華からは温かい視線を送られる。友達の夢咲夜知留から「えっホームレスなの? 私以下だね」なんて言われる可能性すらある。想像しただけで神奈のプライドが傷付く。
つまり神奈だとバレなければいいのだ。
変装ついでに魔法の〈デッパー〉を使用すればさすがの才華も気付けない。
「よし、行くか」
「そんな恰好で行くのかね……?」
まず裸になり、繕海から譲ってもらったダンボールで胴や股間を隠す。サングラスを掛けて、魔法で出っ歯になれば完全に別人。身長や髪型などはそのままだが、どこからどう見てもホームレスの少女だ。
どうせ全裸になるなら〈パンプ・キン・プリンセス〉という魔法を使用する手もあるが止めた。あの魔法は裸でなければ発動出来ない。他人の目には任意で服を着ているように見せられるが裸は裸、非常に恥ずかしいのでダンボールを着た方がマシである。
準備万端で枝製の家を出て行き、炊き出しで配る食事待ちの列に並ぶ。
時間が経ったこともあり列は少数なのですぐ先頭に移動出来た。
「すみませーん、食べ物を貰いたいんですけどー」
念のため裏声まで使用して才華に話しかける。
他の人間が配っている可能性にも賭けていたが別の作業をしている。彼女以外はゴミを纏めて片付け始めていた。見学と実体験が出来るなら彼女も喜んでいるはずだ。
「はい。それではこちらを……ん?」
肉野菜スープを容器に入れようとした才華の手が止まる。
ジッという視線が神奈に刺さる。
「な、何か?」
「……ああいえごめんなさい。友達と似ていたものでつい」
「別人ですよ別人! 同じ顔の人間が世界には三人いるってよく聞くでしょう!?」
「そうですよね。歯が違うし……」
内心焦っていた神奈は〈デッパー〉を使っておいて良かったと安堵した。
先程の繕海の変装も難なく見破ったのだ、変装や裏声だけではバレていた可能性が高い。
肉野菜スープが入れられた容器を神奈は安心して受け取る。
「また学校で会いましょうね、神奈さん」
唐突な揺さぶりで鼓動が激しさを増す。
才華は未だに疑っていたのだ。油断しきっていたところへのカマかけに対し、危うく普段通りに返事をしそうになってしまった。しかし喉元まで出た言葉を呑み込む。
「……か、神奈さん? 知りませんねえ。私の名前は栗松でやんす」
自分で言っておきながら内心で『誰だよ栗松!』とつっこむ。
ギリギリで堪えたものの動揺したせいで語尾が変になったし統一されていない。
「あらそうなの。なら栗松さん、あなたの右手首に付けている腕輪はどこで手に入れたのかしら。実は友達が持っているものとデザインが同じでね。調べてみたら世界のどこを探しても同じ腕輪は見つからなかったのよね。まさにオリジナリティの塊。美しい白黒のシメントリーは唯一無二。作ったのはきっと世界最高峰の職人に違いないわね」
「――いやあそうですかそうですか! そこまで言われると照れますねえ!」
褒め言葉という餌に釣られて腕輪が喋ってしまった。
才華は「あら今の声、どこから聞こえたのかしら」と言ってしたり顔になる。もう完全に正体がバレているだろう、そうでなければ腕輪の話などしてこない。
「……はあ。完敗完敗。神谷神奈で合っているよ」
「やっぱりね。出っ歯だから確信出来なかったし、酷い恰好だから信じたくなかったけどね。裏声を通常の声に脳内変換した結果が神奈さんの声だったし変装もお粗末。せめて腕輪を外してくるべきだったわね」
腕輪を付けたままにする痛恨のミスさえなければ粘れたかもしれないが、初めから才華を騙そうなど不可能だったのだ。彼女の頭の出来が違いすぎるため、何をしても、どんな策を立てても見抜かれてしまう。
「で、なぜ神奈さんがそんな恰好でこんな場所に居るのかしら。もしかして、あの倉間繕海って人に頼まれた? あの人さっき二食目を貰おうとしていたし」
「……あー、はぁ、もう面倒だな。訳を話すから付いて来いよ才華」
見抜かれたからか冷静になった神奈は考えを変えた。
なぜ堂一郎がこの場所に居ると彼女に伝えなかったのか。
なぜ居ることがバレないよう立ち回るのか。
もとから思考がズレていたのだ。今大事なのは藤原親子の生活を元通りにすることであり、会わせないよう奮闘することではない。初めから才華を堂一郎の下へ連れて行くのが最善手であった。
肉野菜スープを飲みながら神奈は才華を枝製の家へと案内する。
扉を開けて中に入ると――ダンボールで胴と股間を隠した堂一郎が居た。
「……え、お父さん、なの?」
「才華? な、なぜだ神奈ちゃん、なぜ才華を連れて来たんだ裏切り者!」
「なぜはこっちの台詞だよ! 何だその恰好は!?」
「君も同じ格好だろう。君が失敗した時を考えて私自身が出て行こうと思ったのだよ。まさか実の父がこんなイカれた恰好をするとは思わないだろうと考えてね」
彼の服装は先程の繕海と同じ物。繕海はといえば神奈がダンボールを借りたからか汚れた警察服姿に戻っている。
繕海を一瞥した才華は「そういうこと」と呟く。
「倉間さんや神奈さんはお父さんの食事を取りに来ていたってわけね」
「……うむ、そうだな」
「家出してホームレスの一員になっていたわけね」
「それは違う」
「いやそこは『うむ、そうだな』だろ」
言い逃れ出来る状態ではない。本人がホームレスだと認めていないので言い逃れも何もないのだが、才華も神奈と同じでホームレスだと思ったらしい。
「心配していたのよ。どうして帰って来ないの?」
「む、それは……」
帰りづらいからだと堂一郎は先程言っていた。
こうして面と面を合わせれば気まずい。衣服と呼べるものがダンボールだけなのもあって尚更気まずい。それでも今、逃げ場がない中で向かい合ったら話をするしかなくなる。愛娘の追及からは逃げられないし、才華は堂一郎が帰ると言うまで引かないはずだ。彼女のことなので父親の本心くらい分かっているだろう。
「もう諦めて家に帰ったらどうだ藤原さん。せっかく娘さんが心配して来てくれたんだ。自分の居場所がここじゃないことくらい分かっているんだろ?」
意外にも説得を始めたのは倉間繕海である。
「……まさか、ホームレスから家に帰れと言われるとはな」
「だから俺は違うと言っているだろ!」
約二年も野宿しているのだから繕海の言葉は説得力がない。しかしそれは自分がホームレスじゃない云々の話。
「……家がある。家族がいる。そんな当たり前を知っているからこそ時折、大切に思う気持ちが鈍ることがある。暫く家に帰っていない俺が言えたことじゃないんだが、藤原さんは家に帰るべきだ。自分の居場所がここじゃないことくらい分かったろう」
彼の言葉は心へのしかかる重みがある。
家に帰れない、失ったホームレスだからこそ重みが増す言葉だ。
「一人ってのは辛いもんだよ。たまに寂しさで胸が痛くなる。そんなの気にしないってやつも気付かないうちに心が悲鳴を上げるもんさ。……なあ藤原さん、もうとっくに後悔したんだろ。後悔の後は何だ? 同じ失敗繰り返さないように行動するもんだろ。もう家出しないように家族と暮らせよ、逃げた自分の居場所に帰ってさ」
繕海の言葉の後で静寂の時が訪れる。
誰も声を発さない。異論がない証拠だ。
三十秒ほど経った後、家出した堂一郎が項垂れているのを見て才華が口を開く。
「お父さん、帰ろう?」
「……うむ、そうだな」
若干眉間にシワを寄せた堂一郎はすぐシワを戻して答える。
顔を合わせづらい気持ちも強いだろうに承諾したのだ。帰りづらさよりも帰りたい気持ちが上回ったからだろう。返事を聞いた神奈達は笑みを浮かべ、才華が彼の傍へと歩み寄る。
「お母さんも心配してたから謝らないとね。……ね、パパ」
頬を少し赤く染めて照れながら告げた最後の一言。
彼女のパパ呼びに愕然とした堂一郎が目を見開く。
「さ、才華?」
「これから人目がなければ、その……たまに言ってあげる」
「うむ、そうだな!」
喜びを露わにした堂一郎は才華と手を繋いで帰って行った。
父親と娘で話す姿を見ていると神奈はたまに羨ましく思う。
前世でも今世でも小学生低学年の時に親を亡くしたからだ。誰かに未練がましいと思われるかもしれないが、もっと話をしたかったと考える日は多い。
「あれが家族さ。やっぱりいいもんだよ。さ、神奈ちゃんも家族の待つ家に帰りな」
繕海の言葉に神奈は俯く。
「家族、か。私には……」
「神奈さんには私がいますよ。私達はもはや家族でしょ?」
腕輪の問いかけに神奈は「ああ」と答え、顔を上げる。
「私達も家に帰ろう」
気を遣ってくれたのか、本心で言っているのかは分からない。
ただ、どちらにせよその言葉は温かい。家に待つ者が居なくても、常に共に居てくれる家族がいると感じさせてくれた。




