58.53 人生にはトラブルがつきもの
三月二十四日。グラヴィーは焦っていた。
元々惑星トルバからやって来たグラヴィーは日本の通貨をあまり所持していない。一緒に暮らしているディストやレイと共に貧乏暮らしを強いられている。家計を支えているのが変装出来る自分だ。……だからこそ、アルバイトに遅刻するのだけは避けたい。
最近ではディストも変装の魔技を覚えたため、近々汗水垂らして働くのが二人になる予定だ。偽の戸籍と履歴書を用意して、周囲を騙しながら働き金銭を得る。他に方法がないのだから例え犯罪でも仕方ない。
「くそっ、寝坊した……! 早くバイト先に向かわないと遅刻だぞ!」
音速の約三倍で走るグラヴィーは最低限の警戒をしていた。
例え曲がり角から誰かが急に走って来ても華麗に躱せるようにだ。車に撥ねられるのなら慰謝料を請求出来るからいいものの、全力一歩手前で走るグラヴィーが人間と衝突すれば相手が死ぬ。その場合、慰謝料を請求されて家計は終わりである。
「よし、この調子なら間に合うぞ……!」
「遅刻遅刻ううう! 急がないとおお!」
十字路の曲がり角でオレンジ髪の少女が飛び出して来た。
グラヴィーは愕然とする。なぜなら彼女の走る速度が常人を遥かに凌駕していたからだ。華麗に躱せる程度に警戒しているのは確かだが、それは相手が時速五十キロメートル以下で走っていた場合のみ。残念ながら彼女レベルのスピードで出て来られると躱しきれない。
結果、なるべく衝撃が行かないようにしたが衝突してしまった。
オレンジ髪の少女は派手に吹き飛び電柱にぶつかる。頑丈らしく出血はしていないが気を失っているようだ。相手の生死を確かめようとしないグラヴィーの頭には慰謝料の言葉だけが行き交っている。
「まずい、まずいぞこれは。……ん? こいつどこかで」
オレンジ髪の少女の顔を見て誰なのかを理解する。
「くそっ、こうなれば、こいつに変装して一日を乗り切るしかない。こいつは夢遊病にでもなったことにすれば万事解決だ。慰謝料請求だけはなんとしても阻止せねば」
幸い彼女の名前も情報も知っている。
グラヴィーからすれば見知った相手だったのは好都合。
今日何をするのかまでは知らないが小学生なのだし授業を受けるだけだろう。彼女の性格に合わせ、一日を乗り切るくらい楽な仕事だ。
* * *
宝生小学校卒業式当日。今日卒業するのは神奈の一学年上、六年生総勢百十二名。
正直なところ神奈は卒業式が面倒臭い。ほとんど顔も知らない生徒が卒業するから何だというのか。知り合いが多ければ涙一筋でも流すのだろうが、生憎と神奈の知り合いは文芸部関連で関わった荻原ララのみなうえ特別親しくもない。……この状況でどう涙を流せというのか。
適当に欠伸して流していた卒業式は終了し、来賓などの人間が退場していく。
残ったのは卒業生と神奈達五年生、教師のみ。
遂に卒業生を送る会が始まるのである。一組から順に出し物を披露するため神奈達が最初だ、気を引き締めてステージ裏へと移動する。
「ねえ神谷さん、演劇……大丈夫かな」
話しかけてきたのは同じクラスの真崎信二だ。
「不安か? まあ、気持ちは分かる。なんせ――」
ステージ裏で演劇の準備をしている一組の生徒達を神奈が眺める。
「欠席者がめっちゃ多いからな」
「まさか本番当日に熱を出しちゃうなんてね……」
そうなのだ、五年一組の人数は現在半分程になってしまっている。それもこれも熱を出したからと欠席した者がいたり、連絡もせず遅刻している者がいるからだ。
総監督兼ナレーションの夢咲夜知留まで休んでしまっている。幸い主役級の人間は来ているものの、このまま平常運転で演劇を終えられるかと思うと厳しい。不安に思うのも仕方ない話であった。
「みんな、霧雨君から連絡あったって!」
「マジ!? 休みの報告じゃねえよな!?」
「遅刻してるくせに連絡遅いっての!」
知らせを持って来た女子生徒のもとに全員が集まる。
「……実は、新しく発明しているものが爆発しちゃったらしくて、病院に緊急搬送されたって。今日は……もう来れないって」
「何やってんだあいつ!?」
特殊な機械を作っているなら怪我する可能性もあるだろう。しかし、なぜよりにもよって今日事故に遭ってしまうのか。せめて明日にしろと神奈は言いたい。
「それでせめてもの償いとして代わりが送られてきたんだけど……」
「代わり?」
「あ、ほら、入って来た」
いったい誰だとステージ裏の入口を見てみれば黒髪の少女が歩いて来た。
……よく見れば少女ではない。肌がやけにテカテカして光沢を放っているし、髪の毛もガッチリ固定されている。目は無機質だし表情もない。……そして、見た目に少し神奈っぽさがある。
「神谷神奈ツッコミ再現ロボットだって」
「私のツッコミ再現ロボット!?」
注目の集まったロボットは右手を横に振る。
「なんでやねーん」
「これ本当に私の再現!? 私こんな感じなの!?」
「爆発事故に遭ってから急いで作ったから再現性は低いって、電話で言っていたよ」
「そりゃあそう……え、あいつ病院行く前にこれ作ったの!? こんなもん作ってる暇があるなら病院行けよ! 体痛いなか頑張ったなあいつ!」
またしても「なんでやねーん」と同じ動きと声でロボットが告げる。
幸い、霧雨の役は七人の小人の一人。台詞なら他の小人役に読んでもらえばいいし、動きもあまりないので演じるレベルは低い。ロボットでも代替品として使えるだろう。……小人役は別に「なんでやねーん」とは言わないが。
「大変だ! 熱井が事故に遭ったって!」
「そっちも!?」
「知らない男子が運んで来てくれたんだけど、演技出来る状態じゃないぞ」
ステージ裏の入口から禿頭の男子を抱えた誰かが入って来た。
灰色のマフラーを巻いて口元を隠した細身の男。あまりに見覚えがありすぎる彼を見て神奈は思わず「ディスト!」と叫ぶ。
「大丈夫か熱井君。……ディスト、何があった?」
「すまない。運動でもしようかとジョギングしていたのだが、急に曲がり角から出て来たこいつとの衝突を避けきれなかった。俺の方は全く問題ないんだがこいつは入院しなければまずい。ただ、どうしても向かってほしい場所があると言われてここに来た」
おそらく熱井も走っていたのだろうが、人間同士の衝突で動けなくなるほどのダメージを負うだろうか。答えはイェスだ。神奈がある程度の速度で走って誰かとぶつかれば、衝突した誰かは死ぬかもしれない。
「……う、頼みが……ある」
熱井がディストへ向けて何とか気力で口を動かす。
「これから、僕達の熱き想いを込めた演劇が……始まる。でも、僕は残念ながら、出れそうにない。……だから、頼む。僕の代わりに……劇に……出場……して、くれ」
ついに力尽きて首がガクッと下がった熱井に対し、周囲にいた生徒達が彼の名前を暑苦しく叫ぶ。場の状況に困惑しているディストは雰囲気に呑まれて「仕方ないか」と、出演を示唆する言葉を呟く。
「俺は何をすればいい。教えろ」
「台本読んで、熱井君の代わりに王子様役を演じてくれ」
「ふむ、まあやってやるか」
先程のロボットと違いディストでは不安だが、空気を読んだ神奈はやめろと言わない。王子様役は準主役と言ってもいいがなるべくフォローするつもりだ。
「……神奈ちゃん神奈ちゃん。ちょっと話があるんだけど」
渡された台本を真剣に読みこむ彼を見守っていると笑里が近寄って来る。
実は彼女の様子も今日はおかしかった。どうもソワソワしているというか、全く落ち着きがないのだ。普段から落ち着きはないが今日はもっと酷い。焦っていると言い換えてもいい。
生徒達から少し離れた場所に神奈と笑里は移動する。
「この流れで神奈ちゃんだけに言っておきたいんだけどね」
「何だよ改まって」
「――私、魔技で変装しているグラヴィーなんだよね」
「はあああああああああああああああああ!?」
衝動的に神奈は叫んでしまった。それほどの衝撃的な事実が明かされたのだ。
霧雨、熱井に続いて笑里も居ないとなれば場は混乱を極める。叫び声に反応して顔を向けて来る生徒達に「ああごめん何でもない」と謝罪して、会話を聞かれないよう小声で話す。
「おい、嘘じゃないよな。……いや、あいつはグラヴィーのこと知らないか」
思い返せば笑里とグラヴィーに面識はないはずだ。
過去、グラヴィーは彼女に変装したことがあるが周囲にバレないようにしていた。彼女本人に危害を加えてはいないのだから顔を見ても分からないはずである。
「実はディストと同じで登校中の秋野笑里と衝突してしまってな。本人はレイの家に置いてきたし、夢遊病ってことにして隠し通すつもりでいたんだが……その、この状況だろう? まさか演劇をやる羽目になるとは想像していなくてだな。すまん、僕が演技をする間、少しばかりフォローしてくれると助かる」
「……はぁ、まあ、正直に言ってくれただけマシか。分かった分かった、くれぐれも他の奴等には悟られるなよ。これ以上欠席者が出たのが知られると全体の士気に関わる」
フォローする対象が増えたことに神奈は歯噛みした。
ディストと違いグラヴィーは物語などに詳しいだろうし、変装中の演技力から見ても代役として文句はない。
「なあお前、白雪姫って知ってる?」
「すまないが童話は読んだことがない。大まかにしかストーリーが分からん。確かあるところに生まれた女が熊と相撲をして――」
「うん全然違う。ああもう始まるまで時間ないから台本読めないじゃん……! ディストも全部は覚えきれないだろうし……」
非常にまずい事態だ。台本すら読まないで何かを台本通り演じられるわけがない。ましてや白雪姫のストーリーを全く知らないとなれば、あまりに無謀な挑戦すぎる。
どうしたものかと神奈が頭を抱えて悩んでいると、近付いて来る足音が二つ。
顔を上げて確認すると歩み寄って来たのは才華と泉であった。
その二人を見た時、天啓のように解決策を閃く。
自分一人でのフォローが限界なら、他の誰かに打ち明けてフォローしてもらえばいいのだ。彼女達は有能なので、自分の演技のついでに他者を助けるなど楽にやってのけるだろう。考えがまとまった神奈は希望に縋るような表情で二人を見つめる。
「神奈ちゃん……」
「神谷神奈……」
「えっ、どうしてちゃん付け? そんでフルネーム呼び?」
才華も泉も神奈のことをそう呼ばない。
名前の呼び方は重要だ。漫画などではよく、変装していた人間が名前の呼び方を間違えて正体がバレるなんてことがある。色々な可能性を想像した神奈は今までの流れを踏まえ、最悪の結論を導き出す。
「ま、まさかお前らまで……」
二人が互いを一瞥し、泉が先にどうぞと言わんばかりに首を曲げた。
ジェスチャーの意味を理解した才華がぎこちない笑顔で宣言する。
「――実は私、ポイップなんだよねえ」
「何で!?」
「い、いや、才華ちゃんが急に腹痛に襲われちゃったからやむなく……。この姿はね、精霊界にいる怪盗の精霊に協力してもらったの」
怪盗の精霊なんて奴が居るのかよ、なんてつっこみは後に回す。
今重要なのはもう一人、泉沙羅が誰の変装なのかだ。神奈には多くの知り合いがいるが他人に完璧に変装出来る人材は少ない。そもそもポイップの時点で予想外であり、もう他に誰も変装出来る者が思い付かないのである。
「――憶えているか分からないが、私は沙羅ではなくプラティナリアだ」
「何で!?」
「彼女の母君が過労で倒れてしまってな。大事な演劇を控えていると分かっていても、娘である彼女自身が看病したかったのだろう。大した役ではないから私でも代役出来ると言われたのだがやはり不安だよ」
プラティナリアのことを神奈は辛うじて憶えている。
惑星プラトンからやって来た、花がのびのび育つように世界中の人間を滅ぼそうとした宇宙人だ。本人は罪悪感を抱いていたので完全な悪人ではない。事件後は泉沙羅の実家のフラワーショップに住み込みで働いている。
母親が熱を出して看病したい泉の気持ちは分かる。
しかしそれならプラティナリアに看病を任せればいいのにとも思ったが、宇宙人は大抵が地球の常識に疎い。トルバ人のように白雪姫すら知らないのだ。彼に任せてもまともに看病出来るかどうか怪しい。
「君はどうやって変装してんの?」
「ポイップといったか。君は他者の力を借りたらしいが私は自前だ。プラトン人は自分の体の色も体型も自由自在に変えられる。色の方は地球で言う保護色のようなものさ」
「お前プラトン人だったのか。まさか地球にプラトン人も来ていたとはな、僕はトルバ人だ。悪い噂ばかり聞いているだろうが個人的に交友を深めたい」
ポイップが「記念に写真撮ろうよ」と告げ、三人は肩を組んでポーズを決めて写真を撮る。自撮り棒まで使ってわざわざ今撮る必要があるだろうか。そんなことをしている暇があるなら少しでも台本の台詞を覚えろと言いたい。
「何で微妙に仲良くなってんだお前ら! てかさ、重大なことはもっと早くに言ってくれよ!」
『それでは皆様お待たせいたしました。今年もやって来ましたこの時間、卒業生を送る会! 司会進行は六年生代表、田沼が行います! さあ五年一組からスタートしてください!』
「どうすんのこれええええええええええ!?」
五年一組は開始前から予想外のピンチに陥った。
体育館内に神奈の絶叫が轟き、少しの間だけ音が繰り返された。




