58.2 日常の裏1
山の麓に建てられた一軒の住宅。
表札がないその家に入った日戸操真は食料が大量に入ったビニール袋を持ちながらリビングへ直行して、野菜や肉などなど栄養バランスを考えて購入した食材を冷蔵庫へ入れていく。
家事は殆ど日戸の担当であるため、本来なら買い出しは同居人の天寺静香や獅子神闘也の役目。……つい最近まではそうだったのだが今は違う。
食材を入れ終わった日戸は、リビングのソファーでいびきをかいて眠っている男に視線を送る。獅子のたてがみのような特徴的な髪型をしている少年、獅子神だ。買い出しにも行かずぐうぐう眠っている。
寝相が悪すぎた彼は床に落ちた。天罰でも当たったのだろう、頭から落ちた彼は一瞬目を覚ましたが再び眠った。まあこれについては稀にあるので大して気にしない。気にすべきはもう一人の同居人、日戸が忠誠を誓う天寺静香だ。
数日前。瞬間移動で帰宅した彼女は部屋に引き篭もってしまったのだ。
その日の洗濯物には広くシミが出来ているショーツが出されていた。何があったのか話すよう頼んでみれば、運動会で深く関わった神谷神奈と偶然出会い、睨まれたせいで尿を漏らしたと言う。それ以来彼女は部屋から一歩も出ていない。……いや、日戸が気付かないだけで入浴くらいはしているだろう。
彼女が引き篭もっている部屋の前に来た日戸は扉をノックする。
「静香さん、只今帰りました」
部屋の中から「そう、ご苦労様」という声が聞こえてくる。
「あの、もう部屋を出ませんか? 食事も前みたいに一緒に食べましょう。今日はいい天気ですし散歩でもどうですか? たまには日光に当たらないと心も暗くなりますし」
「……いや……嫌嫌嫌嫌嫌! 言ったでしょう!? 外にはあの化け物がいる、いつエンカウントするか分かったもんじゃない! 町中でラスボスとエンカウントするなんてクソゲーもいいところだわ!」
何かが投げられて扉に当たった音がした。
ゲームのコントローラか何かだろう。引き篭もってからは暗闇の中でテレビゲームばかりしているのだ。耳を澄ませばたまにゲームの音が聞こえるので間違いない。
「……僕の知っている静香さんはどんな相手にも一歩上を行く人だった。いったい、あの日に何があったんですか? 僕が力になれるなら――」
「あの化け物には関わっちゃダメ! ショーツと命がいくつあっても足りない。周囲の人間は何を思ってあんな奴に近付くのか理解出来ない。……ふ、ふへへ、私はこのままゲームを極めるわ。ねえ聞いて操真、ついに素手で邪神を倒せるようになったのよ。次は光の玉なしで大魔王討伐に挑戦するつもりだから応援よろしく」
「今の静香さんは応援出来ません。僕はドラ○エよりエフ○フ派なんです。僕もこの前出た新作でラスボスを倒しましたよ。魔法なし技なし、初期装備です。静香さんもやってみてください」
何を言っても無駄と悟った日戸は家を出て行く。
ドラゴンク○ストとファ○ナルファンタジーは超人気作であり、どちらか片方のみをプレイしている者も両方プレイしている者もいる。日戸達は前者のタイプであり、片方しかやらない分だけ過去作新作全てを余すことなくプレイした。
「……いや、ゲームについて考えるのは止そう」
ゲームについて考えている場合じゃない。今は同居人についてだ。
天寺静香は日戸操真が惚れ込んでいる人物であり、恩人である。
幼少の頃、固有魔法に目覚めた日戸は人形だけが遊び相手だった。自分で生み出した物も、買ってもらった物も大切な友達と思っている。固有魔法で人形を自由自在に動かす日戸を気味悪がった両親はとある施設に預けた。早い話、捨てられたようなもの。
特別な施設ではなかった。気味悪がる者が多くなっただけだ。
誰も理解者がいない孤独な生活は精神を蝕む。
日々が退屈になり、人形に増々依存する。
そんな時に突如現れたのが天寺であった。彼女は初めて日戸操真という人間全てを理解してくれた存在であり、依存先が変化した。初めて一緒に居たいと思えた相手に付いていって今に至る。
並々ならぬ想いがある日戸は天寺を今のままにしたくない。
元の生き生きとした彼女へと戻ってほしいのだ。絶望なんて似合わないものに溺れず、どんな生き方であれ希望に満ちた生活をしてほしい。そのためには例の化け物と呼ばれた少女が邪魔だ。
「さて、調べた通りならこの場所にいるはずだが」
日戸は誰も近寄らない廃工場にやって来た。
人形を利用した情報収集の結果、とある人物がこの廃工場を新たな拠点にしたと分かったのである。中をよく見てみれば黒いパーカーを着た人間が立っている。
「……お前が快楽殺人鬼か?」
「うーん? そうそうそう、それを知っている君は何者?」
「僕が誰かなんてどうでもいい。お前に一つ頼みたいことがある。宝生小学校に通っている神谷神奈という女を殺してほしい」
振り向いた人間は「僕ちゃんさ、何か勘違いしてないかな?」と言う。
パーカーにジーンズという服装や骨格から男だろう。本来なら顔も性別の判断材料になるのだが今回はならない。男の顔は白塗りであり、鼻には赤く丸い飾りを付けている。俗に言うピエロのような化粧をしていたのだ。メイクが気持ち悪すぎて顔は注視出来ない。
「ポクは殺し屋じゃない、殺しはあくまで趣味だからねえ。……だから、他人の指図は受けない。ポクはポクの殺したい奴を殺すのさ」
「なら力尽くで従わせてやる!」
ズボンのポケットから二体の人形を取り出して投げると、あっという間に人間大のサイズへと変化する。当然戦闘用なので全力。指示を飛ばして人形達に突撃させる。
日戸の人形操作は自由自在に自分の意思で動かせるというわけではない。人形達は命令がなければ動かず、命令に背く行為は出来ない。今も近くの敵を襲えという命令信号を送って襲わせている。
「ぷくくっ、君さ、ポクを弱いとか思っただろ。外見に惑わされてそう思う奴は多いこと多いこと。馬鹿だよねえ、油断したら殺されるってのにさあ」
人形達の持つ槍が男を突き刺す――はずだった。
男に触れた瞬間、槍が前に進まなくなっている。
「ふーん、人形を操る力って感じかな。凡庸な能力だ」
さらにありえないことが起きた。
人形達が命令を無視して、あろうことか主である日戸に刃を向けたのである。動揺しつつも、振るわれた槍を辛うじて躱した日戸は後方へ跳んで距離を取る。
「な、なぜ人形が僕に攻撃を……? そんな命令出してないぞ……」
「出した命令は敵を倒せとかそんなところか? ぷくくっ、いやあ命令違反だねえ」
正直、男を舐めていた自覚はある。
これでも日戸は今まで数多の実力者を見て、自分なら勝てると強気でいた。隼速人に敗北こそしたが強さは変わらない。自分の実力なら大抵の相手が敵足りえないと本気で思っている。
いかに快楽殺人鬼といえども自分には敵わないと、本気で思っていた。
しかし今回は読み違えた。運動会の一件と同じミス、敵の実力を低く見積もってしまったのだ。しかも今回は学校行事と違って命が懸かっている。相手は殺人鬼だ、見逃してくれるような心は持ち合わせていない。
「勝手な真似を……」
日戸が本気で死を覚悟した時――目前に見覚えのある少女が出現した。
廃工場内に吹く冬場の冷たい風で水色の長髪が靡く。見間違えるはずがないその後ろ姿を見て「静香さん?」と思わず呟く。
槍を持った人形二体が彼女に襲い掛かったが魔力弾で破壊された。
日戸の生み出した人形程度が勝てる相手じゃないのはもう分かっている。命令されたことしか出来ないうえ、なぜか敵に支配権を乗っ取られたため、人形を止めるには動けないほど破壊するしかない。正しい判断だ。
「悪いわね操真。あなたのお人形、全部壊しちゃって」
「い、いえ、助けてくれてありがとうございます。でもどうしてこの場所が分かったんですか静香さん。それに、外に出て大丈夫なんですか?」
「……まだ怖いけど、動かなかったら何も始まらないしね。情けない姿を見せるのは今日で終わり。帰ったらみんなでご飯でも食べましょう。次の標的決めを含めた作戦会議もよ」
「立ち直れたんですね静香さん」
日戸は心から主の復活に感動する。
余程時間がなかったのか、着ている服は【ゲーム最高】と文字が書かれたダサいシャツに地味なカーゴパンツだったが。そんなことも気にならないくらい天寺が立ち直ってくれたのが嬉しい。
「あのさあ、さっきから黙って聞いてれば勝手なこと言うじゃんか」
置いてけぼりの男を見て天寺は「え、顔キモ……」と呟く。
「快楽殺人鬼だっけ? あなた、忠告してあげるわ。この町で暫く活動するつもりなら気を付けた方がいいわよ。とってもとっても恐ろしい化け物の逆鱗に触れないようにね」
そう言い残した天寺は日戸の肩を掴む。
次の瞬間には景色が一変しており、自宅の玄関に移動していた。快楽殺人鬼の驚き悔しがる姿が目に浮かぶ。獲物に逃げられるなど、殺し屋にも殺人鬼にもあってはいけない凡ミスである。
クスリと日戸が笑っているとドタバタと慌ただしい足音が近付いてきた。
「おお甘党真相令嬢! やっと部屋から出て来たのか!」
出掛ける前は床で寝ていた獅子神闘也だ。
「甘党でもないし令嬢でもない。私の名前は天寺静香、いい加減間違えるのは止めなさい。すっごく不快な気分になるから」
「分かったってアメンボシール! んなことより飯だ飯! おい日戸さっさと飯作ってくれよ、腹空いたぜ!」
「静香さんの名前を間違えるな。ぶっ殺すぞ」
簡単な名前も覚えられない獅子神に対しての殺意が高まる。
日頃からそうだ、彼と共に暮らすと殺意が天元突破してしまう。殺すなという命令を受けていなければとっくに惨殺している。
遠慮なく放出する殺気を無視した彼は「んじゃ待ってるわ」と告げてリビングへ戻って行く。苛立つ気持ちは抑えられない。今日の昼食は彼の嫌いな野菜炒めにしようと思い、献立を脳内で決めていく。
「操真。私のために動くのはいいけれど、死ぬのは私の前にしなさい。次からは行き先だけでも教えてよね。捜すの大変だからさ」
「……はい。心に留めておきます」
もう日戸の頭に神奈への殺意は欠片も存在していない。
今日の昼食は主の復活を祝い、天寺の好きな料理を作ろうと決めた。




