58.1 腐女子――オススメが自分に合わない時もある――
夢咲の語りを聞き終わった神奈は考え込む。
時の支配人という人物の魂が託した願い。大賢者の野望の阻止。
いつ復活するかも分からない者を止めろとは中々に無理難題だ。
しかも昔、究極の魔導書の持ち主だったとなれば只者ではない。
実際に会わない限り実力は分からないが相当な実力者だろう。今までの生活でとんでもなく強い者達に会っている神奈としては、大賢者も恐ろしく強い可能性も考慮している。
「どう? 神奈さん、強者として思い浮かんだのはあなただけど」
「頭には留めておくよ。今すぐ復活するわけじゃないんだし」
「お願いね。あなたには頼ってばっかりだけど……」
申し訳なさそうな顔で告げる夢咲の気持ちも分かる。しかし、他に頼む相手が居ない以上どうしようもない。
霧雨と斎藤も真剣な顔で頼んでくる。神奈も信頼には応えたいと思う。
「そういえば財宝はどうした? 何か貰ったんだろ」
速人の問いに霧雨が「ああ」と呟く。
「ケチなことに金の腕輪一個だけだったぞ。純金製かと思えば違うし、財宝なんて大層なものじゃなかったな。腕のいい職人が作ったらしいから質屋に入れたら三万円で売れた」
「腕輪……へえ、三万円かあ」
「あの神奈さん、何でこっち見つめているんです?」
「冗談だよ冗談」
「何がですか!?」
ちょっぴり、ほんのちょっぴりだけ万能腕輪の値段が気になった。
家事や魔法にお喋り、なんだかんだ多機能な腕輪だ。腕のいい職人が作ったものよりも余程高く売れるに違いない。数十万、もしかしたら百万単位の値がつく可能性もある。
もちろん売るつもりはない。今や神奈にとって大切な友達なので誰かに譲る、売却するなど絶対にしない。貸し出す程度なら構わないのだが。
「まあみんな、気を取り直して読書に戻ろっか。部活も大事だからね」
夢咲の言葉で全員が読書タイムに戻る。
大賢者についての話も重要だが神奈達は小学生、文芸部だ。今は本を読むなどして日常を過ごすのが大事である。気にしすぎて日々の時間を消耗するのは一番の無駄なのだ。
暫くして速人が読んでいた本をパタンと閉じる。
部長の夢咲が「読み終わったの?」と聞けば彼は「まあな」と答える。
ちゃんと読んだのかと言いたくなる速さだが実際読み終わったのだろう。速読を行えるのは一種の才能だし、早く本を読めるのは良い事だ。
「夢咲、オススメの本はないのか?」
「図書室で荻原先輩に訊けばいいのに……まあいっか。オススメっていうなら私が今読んでいるシリーズを貸すよ。男同士の友情がすっごく丁寧に描写されていて読み応えある恋愛モノよ」
「ほう、中々興味深い。どれ……ど……れ?」
夢咲が鞄から出した一冊の本を速人が受け取り、表情が強張る。
タイトルは【禁じられた恋】と書かれている。問題は表紙だ、男子高校生二人が恍惚とした表情で抱き合う姿が描かれている。本当に描写されているのは友情なのか疑わしくなる絵だ。
パラパラパラと速人がざっと本に目を通す。
気になって神奈も覗いてみたが内容はだいたい理解出来た。この本は描写されているのは男同士の友情ではない、愛情だ。どう見ても内容がボーイズラブだ。
今の時代、世間は同性愛を認める方向に動いている。……とはいえ日本の法律では同性婚は禁止されているし、未だに同性の恋愛を受け付けない者も多い。
明らかに【禁じられた恋】はそれをテーマにして話が進んでいく。
「なあ、もしかしてさ……夢咲さん、BLとか好きなの?」
恐る恐る神奈が訊くと彼女は首を傾げる。
「BL……って何? BLTサンドみたいな感じ?」
「ベーコンとレタスとトマトを入れたサンドイッチじゃない。てかそうか、知らないのか。いやまあまだ小五だしな」
「私は知ってる、よ。BLっていうのはボーイズラブの略で、男性同士の恋愛のことを言うんだよ、ね」
「男性同士の恋愛……って、好きじゃないよ別に!」
泉の解説でようやく理解した夢咲は、実際に想像したのか顔を真っ赤にして立ち上がる。だがそんなことを言われても信じられないのが現状である。
「ほんとか……? じゃあ霧雨と斎藤君でちょっと妄想してみよう。仮にの話だけど、斎藤君が霧雨のこと好きだって告白したらどうだ」
「なんか神谷さん達すごい話してない……?」
「気にしたら負けだぞ斎藤」
二人には申し訳ないが生贄となってもらう。
渋々だが妄想を始めた夢咲。男子二人の恋愛模様の妄想に勤しむ彼女は再び顔が赤くなり、いきなり鼻血がブシュッと飛び出る。
「斎藤君が……霧雨君に……告白……。なんか、尊い感じがする。男同士の愛もバカに出来ない、寧ろ好きかも。法律を超えた愛って素敵だよね」
「やっぱ腐女子じゃん。なあ霧雨、夢咲さんをノーマルラブな性癖に戻す機械を作ってくれ」
鼻血を出したうえ素敵と宣う以上もう言い逃れは出来ない。
夢咲夜知留は腐女子だ。なぜ腐ると言うのかは神奈も知らないが、彼女は疑いようもなく腐っている。
「また知らない言葉。今度はどういう意味?」
「腐っている女子と書いて腐女子だ、よ」
「大変じゃないか! 僕、ちょっと防腐剤買ってくるよ!」
「腐ってるってそういう意味じゃないよ! ほんとに体腐ってたらゾンビじゃん!」
「私は消臭剤を用意する、わ」
「だから体腐って臭かったらゾンビだよな!?」
「よし、なら俺が次世代の防腐剤と消臭剤を発明してやろう!」
「だからいらないんだよそんなの! お前に作ってほしいのは別のもんだって!」
健康な人間に防腐剤と消臭剤を使ってどうするというのか。
ただ前者はともかく、後者は意外と有用かもしれない。
周知されているが夢咲は貧乏だ。彼女の家には風呂があっても光熱費諸々を払っていないため使えない。基本は山に流れる川で水浴びをして、極稀に奮発して銭湯へ行く。水浴びだけでは落ちきらない汚れもあるし臭いもするだろう。現に神奈はたまに妙な臭いを彼女から嗅ぎ取っている。
「腐女子っていうのはBL好きの女性のことを言うんだ、よ」
「なるほど、つまり私が腐女子ということは男同士の恋愛が好き……これが新たな扉を開く感覚ね。自覚すると中々気分がいいじゃない」
「頼むから帰って来い。その新しい扉閉めていいから」
正直なところ、神奈はボーイズラブがあまり好きではない。
同性愛に偏見があるのかと訊かれると否定出来ない。自分が対象にならなければどちらも所詮他人事でスルー出来る……が、それは前世での話。
今世で友達が出来て初めて理解したことがある。
同性の友達が同性愛肯定派だと若干怖いのだ。夢咲が好きと自覚したのはボーイズラブだが同性愛は同性愛、ガールズラブが好きな可能性も十分ありえる。そうなった場合彼女はいずれ神奈に恋愛感情を向けるかもしれない。
自分が受け入れられない以上、友達を傷付けることになる。
その事実が神奈はたまらなく怖かった。
「おい霧雨。頼むから夢咲さんを元に戻してくれよ」
「別に放っておいていいんじゃないか?」
「何でだよ! これからお前らで妄想するかもしれないんだぞ!?」
「……それは嫌だが。どんな性癖だろうと個人の自由だろう。その当人だけのもの、どんな特殊な性癖だろうと他人に否定する権利はないと思うぞ」
「あ……そ……そうだな」
正論に神奈は何も言えなくなる。
たとえ夢咲が腐女子のままでも友達であることに変わりはない。わざわざ自分の思う正常に戻そうなど、まるで自分が絶対に正しいかのような傲慢な考えである。それに気付いた神奈はもう二度と他人の性癖に干渉しないと誓った。




