57.2 勘――結構お似合いよ――
隼家にて偽の恋人のフリをしながら泊った神奈。
翌日の夕方。約束通り、自分に無関係な人のお見舞いのため病院へ行くことになった。病室の前まで来た神奈達はノックして中へ入る。
病室に入ると大きなベッドの上で静かに座っている老婆がいた。
高年齢だからか白髪とシワが目立つが、年相応の至って普通の女性だ。
「お義母さん、体調は問題ありませんか?」
速人の祖母は「冬美さん」と呟くとにこやかに微笑む
「ええ、元気ですよ。毎日すみませんねえ」
「いえいえ、当然のことですから」
「速人と……その子は?」
知らない子供を前にしてもその笑みを絶やさない。
連絡もなかったようなので気になるのは当然。孫だけならともかく、孫と同年齢の子供がもう一人いたら不思議に思うだろう。
「こちら速人の恋人の神奈ちゃんです。速人がね、お義母さんを喜ばそうとして連れてきたんですよ」
「ど、どうも、神谷神奈です」
緊張した口調で神奈が挨拶すると、速人の祖母は大袈裟に驚く素振りを見せる。
「ええ!? 速人に恋人!? あのぶっきらぼうで修行ばかりしていて、恋愛なんか興味ありませんってオーラ放ってた速人がねえ、まるで嘘みたいだよ」
――正解、偽物です。そう口にしたい衝動に駆られる。
「じゃあ私は飲み物を買ってくるので、二人とも少し待っていてね」
冬美が出て行ったので神奈、速人、老婆の三人きり。
偽りのカップルに緊張が奔る。誰も怒らせないために、速人の祖母に嘘がバレるわけにはいかない。恋人を連れて来たのは義母のためだと冬美は思い込んでいるため、嘘と分かれば怒りを抱くはずだ。平穏に終わるためにも今日は嘘を吐き通さなければならない。
「二人とも……嘘なんだろう? 恋人というのは」
速人の祖母はまた優しい笑みを浮かべる。
会って早々大ピンチ。これはもう無理だろと思い、誤魔化す言葉も浮かばない。笑って誤魔化そうとするが出るのは苦笑いだ。
「その反応、やっぱりね。私の勘がそう言っていたよ」
「いや勘かよ! 何で気付かれたかと思ったら勘!? でもまあ……バレちゃしょうがないですね。決して悪気があったわけじゃないんですけど」
「分かっているよ、おおかた冬美さんが勘違いでもしたんだろう」
「それも勘ですか?」
「勘だね」
全て勘だと速人の祖母は言うが、神奈は逆にそれが胡散臭く感じてしまい信じられなかった。自分も勘と言ってきたことがあったが、それは完全な直感じゃない。不確かな証拠を整理して結論を決める……それが神奈にとっての勘。推測とも言う。
「チッ、まさか速攻でバレるとはな……」
「入って来た時、あなた達ぎこちなかったもの。無理をしてるんでしょう? いつものあなた達がどういうものかは知らないけれど、いつも通りに過ごさないと不自然になって、自然な振る舞いなんて出来なくなってしまうわ」
「アハハ、全くその通りですよね」
「いつも通り。……ならここで戦うか」
「ここ病院だから止めろよ!」
腰にある刀を抜刀しようとする速人を大声を出して止める。それに対して速人の祖母が人差し指を口元で立てて「しぃー」と声を出す。病院だからと注意しておきながら、自分は大声を出してしまったことを神奈は反省する。
「……はぁ、バレた以上もういる意味はないな。お前も帰っていいぞ」
溜め息を吐いた速人がそう言い残し、病室の窓から飛び降りた。
普通に入口から出ればいいのにどうして窓から出るのか。彼はたまにそういうことをする……近道とでも思っているのだろうが。
病室で神奈は速人の祖母と二人きり。
気まずいし早く帰りたい気持ちが強い。速人の祖母は嘘だったと口外しなさそうに見えるし、神奈は最低限の挨拶だけして帰ろうと思う。
「あなた達は結構お似合いよ。今回は偽物だったけど、将来本物になってくれると私は嬉しいわ」
「お似合い? それこそ嘘でしょ、あいつと恋人だなんてお断りですよ。だいたい――」
「うっ……! けほっ……!」
「ちょっ!? 大丈夫ですか!?」
速人の祖母が胸の辺りを押さえながら咳込んだので、神奈は心配そうに近寄る。
近くに行くと軽く手で制されて「大丈夫」と言われる。速人の祖母は再び笑みを浮かべようとして……浮かべられなかった。口元が震えてうまく笑みを作れていない。
「余命宣告を受けたの……」
ほとんど唇を動かさずに発された声が神奈に届く。
「知ってます、確かあと七日でしたっけ」
「ええ余命宣告はそうね。でもね、分かるの……私の体はきっとそこまで持たない。せいぜい持ってあと二日、私の命はそこで消えるの」
小さい声だったが、しっかりと聞きとった神奈は絶句する。
「速人は、冷めてるでしょう」
話が変化したことに疑問を持つが黙って耳を傾ける。
「あの子の兄、輝が死んでからあの子は人が変わったわ。明るかった性格が切れる刃物みたいに冷たくなった。……でも今はまた変わり始めたの。今日会ってみて確信したわ、あなたが変えてくれたって」
「……あれで変わってるんですか?」
「ええ、分かりにくいでしょうけど変化している。私はそれが嬉しくてね……だからこそ、あなたにお嫁さんになってほしかったの。これは、私の我が儘だけれどね」
どう返事をしたものか悩むが考えている内に話は続く。
「どうかしら……今は嫌でも、考えておいてね……」
「私は――」
神奈が口を開いた時、冬美が病室の扉を開けて入って来る。
「お待たせしましたお義母さん。はあっ、ここの自動販売機って遠いんですねえ。あら? 速人は?」
ペットボトルを四本抱えて戻って来た彼女のせいで言葉が途切れる。
それからは速人が帰ったことに青筋を立てた冬美を宥めたり、また元気そうに振舞う速人の祖母と会話したりして時間が過ぎていく。
速人の祖母は別れる最後まで、途中から作った笑顔を絶やすことはなかった。
結局答えは伝えられないまま彼女の病室を去り、冬美とも別れる。こうして隼家の事情に巻き込まれた神奈の二日間は終了した。
* * *
神奈が隼家の家族事情に関わってから三日後。
文芸部の扉の前で、神奈は速人とばったりと会った。
壁に寄りかかった彼は窓の外を見ながら口を開く。
「……婆さんは死んだ」
「そうか」
重苦しい雰囲気に包まれて二人は沈黙を作り上げる。
たった一言で神奈は老婆の言葉が嘘でないことを理解した。
余命宣告の日数が間違っていたこともだが、それ以外に……速人の表情が普段よりも少し暗く落ち込んでいるように見えたのである。
「お前との恋人ごっこも母さんに話した」
「え、それって全部話したってこと?」
「ああ、自分が勘違いしたことから始まったと分かって、怒るに怒れなかったようだ。これでもうあんな屈辱を味わうことはない。……お前には迷惑をかけてすまなかったな」
作戦を決めていた時には喧嘩して別れたことにすると言っていた。どんな心境の変化があったのか、速人は全てを話したと言う。
「今日は勝負する気にならん。大人しく本でも読むことにしよう」
速人がまともに部活動に参加するのは珍しい。神奈は目を丸くして驚く。
せっかく参加するつもりになったのだ、ネタバレ女王の餌食にならないことを祈る。初めてネタバレされた時は神奈も相当ショックを受けたものだ。
「ああそうだ、言っておくことがあった」
部室の扉に手をかけた彼は身を翻して告げる。
「最近、この町に殺人鬼がやって来た噂が流れている。裏社会の殺し屋とも違う、正真正銘の殺人鬼。お前達も気を付けることだな」
そう言って一足先に速人は部室へ入っていった。
殺人鬼とは言うが今まで殺し屋とも関わってきたのだ、神奈にとっては怖くも何ともない。ただ、友人達に危害が及ぶか不安なので頭に留めておく。
部室内から賑やかな声が聞こえてきたので神奈も中へと足を踏み入れた。




