57.1 余計――お似合いでしたよ――
話が纏まったので二人が廊下から戻ると、速人の弟妹がわざわざ席を立って近寄ってくる。
「兄ちゃん達何お話してたの?」
「気になるう」
急に二人で出て行ったせいで双子に怪しく思われた。
恋人のフリをすると決めた直後から早くもピンチ、好奇心旺盛な子供というのは今非常に厄介な存在だ。考えてもいい言い訳が思いつかずダラダラと汗を流す。
「兎化、蘭兎、余計な詮索はお止めなさい。速人達は内緒のお話があったんですよ」
「「ちぇー、知りたかったなあ」」
言い訳を言う前に冬美が止めたことで事なきを得る。
「それにしても二人とも緊張してない? 何だか堅いような気がするのだけれど」
しかし止めてくれた彼女の言葉で二人はまたもや窮地に陥る。
当然、先程までは恋人じゃないと証明するつもりであったため演技をしていなかった。これから恋人のフリをするのならラブラブカップルに見せる必要がある。疑われることのない完璧な恋人を演じなければ、疑われて焦るという流れの繰り返しだ。
「えっ、いや全然そんなことないですよ?」
「そうなの? 大人の目の前だからって遠慮せずにイチャイチャしてくれていいのよ? 普段の二人は知らないけど、小学生とはいえもうちょっとラブラブな雰囲気出せると思ったのにねえ」
冬美の感想に二人は「「……え」」と呟き、ビシッと固まってしまう。
怪しんでいるのか、単に見たいだけなのか、彼女がどう思っているのか分からない。だが、どう思っているにせよ行うことは一つ。神奈達は余計な疑いを向けられたくないという一心で、恋人らしい演技を行うと決意する。
「おい速人、口開けろ」
神奈は隣に居る速人へ耳打ちする。
「は? まさかお前、あーん……なんて言うつもりはないだろうな? 俺はそんなことやりたくないぞ。……というか自然に名前を呼ぶな。」
「疑いは晴らさないと不安だろ。名前呼びもした方がいいと思う」
「くっ、屈辱だ……!」
「私もやりたくないっての……!」
神奈は胡瓜の漬物を箸で掴み、速人と向かい合う。
行動に移すと決めたものの恋人の演技は羞恥心が半端ない、顔が熱くなる。今頃神奈の顔は普段より遥かに赤くなっているだろう。同じ気持ちなのか彼の顔は徐々に赤くなっていった。
箸を持つ手が小刻みに震えるが速人の口へ近付けていく。
緊張や羞恥のせいで非常にゆっくりなペースだ。少しして、一刻も早くこの恥ずかしい行為を終わらせたいと思い、箸を持つ手をグッと突き出してしまう。
音速すら遥かに超えた速度で箸を口内に突っ込んだ時は「あ」と思わず声が出た。
速人の顔色は赤から青に染まり、蛙の鳴き声のような声を出す。彼は咽に咽て漬物を食べるどころではなくなった。
やっと回復した彼は「お前えええええ! 殺す気かああああ!?」と怒鳴る。
「ごめん。勢い付けすぎた」
さすがにやりすぎたと反省する神奈だが、速人が同じ漬物をとって構えたことにハッと息を呑む。箸を構えて向き合うのはついさっき起きたことだ。即ち、彼も俗に言う〈あ~ん〉を行うつもりなのだ。
「まさかお前まで……」
「お互いやらなければダメだろう。はあっ!」
「うぐおえっ!?」
今度は神奈の方が音を超える速度で箸を突っ込まれた。
喉を突き破られるとすら思えて、漬物を味わうことなく丸ごと飲み込んでしまう。やられて分かったが箸が喉に侵入してくると吐きそうになる。食事時に吐くのは根性で耐えたが激しく咽る。
「はあって何だよ、明らかにあーんって感じじゃないだろうが!? 気合入れるような行為じゃないだろこれ! 私じゃなかったら死ぬぞ今の!」
神奈は怒りのままに再び漬物を取り速人に向けて突き出す。……が、それは彼の箸で防がれる。互いに睨み合い、稲光のように激しい視線が交差する。
「どうやら決着をつけたいようだな」
「おいおい、後悔するぞ?」
そこから神奈達の戦いは始まった。
嵐のような箸捌きで相手の口目掛けて突き出すも防がれるの繰り返し。
激しい〈あ~ん〉合戦……いや、口に届いていないので〈あ~ん〉ではない。
ただの箸のチャンバラを続けているとパキッっという音がした。
お互いハッとなり自分の箸を見てみると、真っ二つに折れている箸の姿。箸を折るのはマズいと思ったが、さらにマズいことに思い当たった神奈は血の気が引く。
「……こんなことしたらさすがに疑われるんじゃ」
明らかな戦闘行為で作戦が台無しになるのではと焦ったが――
「二人とも仲が良いのねえ」
視線を送った先にいる冬美はニコニコ笑顔で何も問題はなかった。
大丈夫だったことに胸を撫で下ろすと、神奈はまた速人に小声で話しかける。
「おい……さっきの攻防を見てあの感想って正直心配になるんだけど」
「言うな。頼むから現実から逃げさせろ」
それからは何の言い争いもせずに食べる。
箸のチャンバラ合戦のようにボロが出る可能性があったので、余計な喧嘩に発展しないよう食事に集中しなければならない。
和食を食べる機会はあまりない。
自分では作れないし、外食の際も進んで食べないので新鮮だった。特に魚の煮物は柔らかく味噌の味が染みていた。満足して食べ終わった神奈は冬美に礼を言う。
「今日はご馳走様でした、美味しかったです」
「いえいえいいのよ。将来のお嫁さんだもの」
お嫁さんと言われる度に神奈は慣れない気持ちになる。
先程恋人のフリをすると決めたはいいものの、大した理由もなしに他人を騙すのは気分が良くない。嘘は嘘でも誰かを守るためならモヤモヤしないのだが。
「ああそうだ、明日夕方病院に行くんだけど神奈ちゃんも来る?」
「え、あ……行きます」
「じゃあまた明日ね? 親御さんも心配するでしょうし……外は暗いから速人、送っていってあげなさい」
「ああいや、私は今一人暮らしだから親はいなくて……あ」
口にしてしまったことを後悔する神奈だがもう遅い。
「あらそうなの!? それは辛いことを思い出させてごめんなさい。そうだわ、今日はここに泊っていくといいわっ! 神奈ちゃんなら大歓迎よ!」
「あっははは……。よ、よろしくお願いします」
親がいないと言ってしまえばこんな展開になると、口に出した後で読めてしまった。恋人という設定なのでここで断るのもおかしく感じ、神奈は苦笑いしながら泊ることにする。
* * *
小学生ながら恋人として、速人の実家に泊ることになった神奈は現在入浴中だ。
浴槽の湯に浸かりながら神奈はボーっとしている。腕輪を付けたままなのは、日頃から離れたくないとうるさいからだ。出会ってから今まで入浴はいつも一緒である。
木造の浴槽は珍しいなどと思いながら思考を巡らせてみる。
どうしてこうなってしまったのか、これからどうするのかを考えるが考えは纏まらない。お湯にプカプカ浮いている木の桶を眺めていると、脱衣所に人影が現れた。
「神奈ちゃん、湯加減はどうかしらあ?」
「大丈夫でーす、丁度いいですからー」
声から脱衣所にいるのは隼冬美であると分かり、神奈は大きめの声で返答する。
「それじゃあ入っていいかしらあ」
「なんで……いや私は女だし、問題ないのか。いいですよお」
たまに転生前の価値観が出てくるが、神奈自身としては特に女体に興味はない。
そもそも現在の性別が女性であるので基本的は女性に寄ってきている。性に関しての認識もその一つ。同級生の母親と入るのは恥ずかしいが一応問題はない。
「じゃあ、入るわよお?」
「どうぞお」
許可したものの中々冬美は入って来なかった。
あまりに遅いので神奈は目を瞑って風呂を堪能する。
それから少し、誰かが揉めるような声が聞こえてから浴室の扉が開く。
ようやく入って来たかと目を向けるとそこにいたのは――全裸の速人だった。
「ふざけてんじゃねえぞこの変態が!」
生まれたままの姿が目に入ると同時に、神奈はプカプカ浮いていた木の桶を掴んで速人に投げつける。それを彼は顔面に当たる直前で掴み浴槽に投げ返すと、露骨に嫌な顔をして口を開く。
「……仕方ないんだ、これも母さんが言ってきたから……仕方ないんだ」
「入っていいかって自分じゃないのお!?」
「とにかく! 俺も入らせてもらう」
「は? いや出てけよ、死ね」
絶対零度の視線を送る神奈は湯船に顎付近まで浸かってそう返す。
「……お前今ナチュラルに死ねと言ったな。しょうがないんだ、さっきからそう言っているだろう。だいたい何だ? そんな貧相な体でも恥ずかしいのか? 女はよく分からんな」
「はあっ!? 小学生なら普通の体型だろうが! ていうか前隠せよお前!」
「黙れ、俺に指図するな」
「こんな時だけなんで平常運転なわけ?」
二人は言い争いを続けるが、速人が肌寒くなってきたと言ったのがきっかけで、仕方なく神奈は湯船に浸かることを許可する。
背中合わせになって湯船に浸かる神奈の全身は薄い赤に染まっていた。長く浸かっていたからか、異性と裸で接近しているからか、それは自分ですら分かっていない。
「こうしていると、運動会のときを思い出す……」
「うん? ああ、そういえばあの時も背中合わせてたっけ……こんなに恥ずかしくはなかったけど」
運動会の最終種目、ラビリンスシューターにて二人は一時的に背中を合わせた状態で戦っていた。その時は天寺の力に対抗するべく仕方なくやったことだったが、羞恥心など微塵もなかった。
「なんだ? お前が女なのは生物学上だけと思っていたが、意外と乙女なのか?」
「はあ? お前何言ってんだよ。ていうかお前は恥じらいとかないわけ? さっきも丸出しで来やがって……私以外だったらその時点でアウトだぞ」
「ふん、俺は裏社会のエリート、隼家の一員だぞ? いちいち女の裸を前に戸惑っていたら一流にはほど遠い。それにな、お前のように貧相な体型なら誰も興奮せん」
「よし、お前表に出ろ。ぶっ飛ばしてやる」
湯船から出ようと神奈が立ち上がった時、顔がさらに熱くなる。
お互いに背中を預け合っていた状態で神奈だけが立ち上がったために、速人の体が後ろに倒れて後頭部が尻に当たってしまった。
「……なんだこれは。クッションか?」
さらに速人が右手で鷲掴みにしたためもっと熱さを感じる。
自分の尻を揉まれるという、小学生女子として普通体験しないようなことが起こり戸惑う。フリーズしていた神奈だったが正気に戻り、ブワッと魔力を昂らせる。
「どうした? 急に黙り込んで――」
「やっぱお前は今死ね」
「ぐぼあっ!?」
少し魔力が込められた拳で殴ると速人は一撃で気絶し、湯船に全身が浸かっていく。そのままでは本当に死んでしまうので、彼の首を持ち、脱衣所の扉を開けて放り込む。
「……最悪だ、最悪の一日だ」
「ぷぷぷっ! お似合いでしたよ神奈さんと隼さん。ちょっと後で隼さんをあなたってハートマーク入れるみたいに呼んでみてくださいよ」
「お前も死んじまえ!」
揶揄ってくる腕輪を強引に外し、速人と同じように脱衣所へ放り投げる。
「……ああいうのって、ラブコメとかだと……胸だよな」
尻を揉まれるくらいなら胸の方がマシだったかもしれない。そんなことを考えながら神奈はもう一度湯船に浸かる。
入浴で疲労が取れるかと思いきや、余計に増すばかりであった。
入浴時間を終えたら次は就寝。
冬美に案内されたのは少し広めの和室。用意された布団は一つ。
一人で寝るにはかなり広いし普段から使われている部屋ではないだろう。和室の中には布団以外の日用品が置かれていない。速人と同じ部屋で寝ろと言われなくて神奈はホッとする。
「じゃあ神奈ちゃん、ここで速人と寝てちょうだいね」
神奈にまたもや試練がやってきた。
「……えっと、私、一人じゃないと眠れない派なんで」
「恋人なのです、それに婚約者なのです。ならば、将来のためにも今日は一緒に寝た方がいいわ。大丈夫! 避妊具は用意しておきました!」
「何の為!? 私まだ小学生なんですけど!? ……いや、あの隼さん。お風呂の時もですけど余計なことはしないでくださいよっ! 私達なら大丈夫ですから!」
最近の若者は経験が早いというがさすがに早すぎる。
いつか経験するかもしれないが小学生ではやりたくない。避妊具を用意するなら高校生になるまで待ってほしいものだ。いったい冬美の頭で神奈はどこまで先へ進んでいるのだろうか。
「あら、隼さんだなんて他人行儀ね。お義母さんと呼んでいいのよ?」
心の中で神奈は『他人だからね!』と叫ぶ。
強引に決めようとする冬美は出て行き、すぐに戻ったと思えばパジャマに着替えた速人を放り投げてきた。……ついでに白黒の腕輪も投げ込まれたので右腕に付け直す。
「お前の母親、本当にヤバいって……」
「こういう時だけヤバいのは自覚している。それでどうする? 布団は一つだが、密着すれば寝れなくはないか?」
「え、こういう時って男が床で寝るんだろ? お前床な」
「漫画の見すぎだバカめ、現実を甘く見るな」
しばらく言い争っていた結果、結局二人で同じ布団の中に入る。
背中合わせで密着状態。再び緊張が高まった神奈に対し、速人は数秒で寝息を立て始めた。緊張していたのがバカらしくなったので大人しく眠りにつく。
最悪の一日はようやく終わりを告げた。




