47.4 誰かを完璧に理解することは難しい
宝生小学校へ遅刻して登校した神奈と速人は、休み時間になるのを待ってから教室へと入ろうと考えた。入ったら視線が集中して、授業中にもかかわらず教師が説教するから気まずいのだ。それならいっそのこと今やっている授業終了まで待ち、今日受ける授業を一つ減らした方が神奈達にとっては得である。
授業終了を知らせるチャイムが鳴る。
教室から出て来た女教師にたった今登校したことを知らせると、案の定説教が始まったものの短めに終わらせてくれた。遅刻理由は寝坊だと誤魔化したのがよかったのだろう。これで事実を伝えていたら長ったらしい説教を受けていたに違いない。
教室に入った神奈達は自分の席に向かう。
休み時間は生徒達が賑わう時間。授業中という静寂の中で突入するより遥かに入りやすい。机の横にあるフックに鞄をかけてから椅子に座ると、神奈のもとにいつものメンバーが集まって来る。
「神奈さん、今日は来ないんじゃなかったの?」
そう問いかけてきたのは雲固学園へと乗り込む前に電話した才華だ。
彼女は長い黄色の髪の毛先をくるくると弄びながらジト目を向けてくる。
「意外に時間かからなかったっていうか、消化不良っていうか……まあ、競技の練習もあるし行った方がいいだろうなと思ってさ。悪かったよ、理由も説明しないでいきなり学校行かないなんて言ってさ」
「はぁ、それで? いったい何があったのか教えてくれるのよね?」
才華は優秀な少女だ。神奈の誤魔化しが通用する相手ではない。
少し悩んだが隠して気まずくなるのは嫌だと思った結果。今朝の流れをなるべく省かずに語ることにした。特に才華は走莉矢素紺の件に関係しているのだから知っておいた方がいい。
「……つまり、神奈さんは素紺さんが酷い目に遭ったと思って向こうの学園に乗り込み、主犯格と思われる天寺静香と軽い戦闘を行い、挑発に乗って、休戦した後に殴り飛ばした」
「おお凄いね神奈ちゃん! 悪い奴やっつけたんだ!」
隣にいるオレンジ髪の少女、笑里が呑気に喜ぶ。
反対に才華は眉間に指を当てて心底呆れた様子で「頭痛いわ」と呟く。話を聞いていた紫のボリュームある髪がマフラーのように首に巻きついている少女、夢咲夜知留もあまり喜ばず苦笑している。
「凄くないわよ、ある意味凄いかもだけどね。ほんと何してるの神奈さん。百歩譲って向こうの学園に乗り込んで戦ったのはいいわ、でも休戦しようってなってから殴るのはダメでしょう。絶対怒っているわよその相手」
「……かもな。でもあいつが悪いしさあ……つい」
「休戦って意味ちゃんと分かってる?」
さすがに意味くらい神奈だって理解している。ただ天寺への怒りが収まらずどうしようもなかったのだ。今までで一番激怒していたかもしれない。仮にあの少女に何か悲劇の過去があったとしても同情しないし、一生仲良くなれる気がしない。今の彼女は生理的に受け付けないレベルで嫌いなのである。
「ねえ、神奈さんがちょっと戦って倒せなかったって言ったよね。そんなに強かったんだ、その天寺って女の子」
気になったのか夢咲がそんなことを言う。
「……まあ、強かったな」
「レイ君とどっちが強い?」
「強いって言っても具体的な力を把握出来てないんだ。どっちが強いとか、正直今のところは分からない。でもあのスピードだけは今まで会った誰よりも飛び抜けていた」
そう、神奈が驚いたのは考えてみればスピードのみ。
超高速移動が純粋な身体能力にしては攻撃の威力が弱すぎる。あんな速度が素で出せるなら相応に攻撃も強いはずだ、それこそ神奈に致命的なダメージを与えるほどに。そうならなかったということは手加減したのか、速度上昇の固有魔法かの二択だろう。
純粋な身体能力を把握出来ないことにはレイとどちらが強いかも判断出来ない。
トルバ人であるレイの身体能力は高く、魔技と呼ばれる魔力応用技でパワーとスピードを増加させられる彼と比べるなら打撃の威力も欲しいところだ。
「そういえば鉢巻き持って来た? 今日の放課後にどれがいいか決めるからね」
才華の言葉で思い出した神奈は「ああ、あれね」と呟いて鞄の中を漁る。
(……やべえ、手抜きしたの何か言われるかな)
声にすると腕輪が怒るので言わないが神奈の鉢巻きデザイン案は手抜きすぎる。上半分が黒、下半分が白という腕輪そのままのデザイン。黒のマジックペンで上半分を塗っただけ。やる気ゼロなことが誰にでも伝わってしまう。
冷や汗を掻きながら鉢巻きを取り出して「これ」と言って才華に渡す。
内心焦りつつ反応を待っていると才華の手が震え始める。やはり怒られるのかと身構えたもののいつまでも反応が返ってこない。
「あ、あ、笑里と夢咲さんのはどんなデザインなんだ!?」
「私のはこれだよ! 凄いでしょ!」
笑里が懐から取り出して頭に巻いた鉢巻き。気になるデザインは奇妙なもので、線がガタガタで下手糞な握り拳が沢山描かれている。発想は面白いが、これでもかというほど描かれた握り拳は何か嫌だ。言葉に出来ない何かが嫌なのだ。神奈はこれだけは嫌だと思いつつ目を夢咲へと逸らす。
「私のはこれね。ちょっと手抜きになっちゃったけど」
そう言って彼女が懐から取り出したのは真っ白な鉢巻き。
デザインなんてものはない。強いて言うなら真っ白で何も加工されていないのがデザインだろう。本人はちょっとと言ったが明らかにちょっとどころではない手抜き度だ。
「何にもデザインしてないだろそれ。私よりヤバいぞ」
「一応考えてはいたんだけど何も思いつかなくて。でもね、私より下は捜せばいると思うよ? 泉さんから聞いたんだけど、隣のクラスには自分の血で模様を描いた子もいるみたいなの。それに比べれば真っ白なのは清潔感あるし」
「じゃあ元から清潔感あることになるじゃん。……にしても、そっか、それなら私のデザインも底辺じゃなさそうだ。下には下がいるって考えると幾分か楽になれるな」
「――素晴らしい」
突如、才華が呟いた。
まさか先程渡した鉢巻きの感想かと思ったが、はっきり言って芸術センスも高い才華が神奈の手抜きデザインを褒めるとも思えない。困惑した神奈は「は?」と顔を向ける。
「この上下に分かれたシンプルな塗り方。白と黒という、互いに強さを主張し合うデザインには欠かせない二色。まるで光と闇、天国と地獄を表すかのような対比。一見簡素なものに見えてしまうけれど計り知れない奥深さがある。美術展に並んでいてもおかしくないほどに素晴らしい。見る一人一人に違う感想を抱かせることすら出来るこれは一種の芸術品」
「え、何、怖い怖い怖い!」
「やはり私をイメージして塗っただけはありますねえ! さすが私!」
「お前自分でも手抜き的なこと言ってなかったっけ!?」
調子のいいことに腕輪は自慢げに叫ぶ。
その素晴らしいデザインとやらに不満があって、一日中新デザイン案を話し続けていたとは思えない。百八十度意見が変わっている。
「決まりだわ……。今年の運動会、五年一組の鉢巻きデザインはこの、純黒と純白の混沌領域に決定ね」
(よく分かんない変な名前付けられた!)
「反対意見は論破よ論破。私が意地でもこの素晴らしきデザイン案を通してみせる! こんなにいい物を描けるなんて見直したわ神奈さん!」
(何か見直された! てか見損なってたの!?)
どこが琴線に触れたのか神奈達には全く分からない。
誰かを理解した気になっていても、本当は理解しきれていないのかもしれない。その人物の趣味趣向を知っていてもそれはほんの一部かもしれない。本人ですら自分を把握しきれない。神奈は他者を理解する難しさを改めて感じた。




