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【終章完結】神谷神奈と不思議な世界  作者: 彼方
四章 神谷神奈と運動会
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47.3 走莉矢素紺――壊される理不尽――


 走莉矢(はしりや)素紺(すこん)は後悔していた。

 神谷神奈と藤原才華に情報を喋ったことを、悔いていた。今自分の身に起きていることを二人のせいにして。罪悪感を抱きながらも悔いていた。


「えー、みんなちゅうもーく。これより公開処刑を行いまーす」


 教卓に座る天寺が楽し気にそんなことを言う。

 見られている。教室で椅子に座っている全員から、憐れみの視線で。

 上半身が裸であり、膨らみかけの胸を晒しているのは精神的に痛い。もっと痛いのは昨晩、鞭で打たれ続けたせいであちこちにある蚯蚓(みみず)()れだ。それを見られていることが一番の苦痛である。


「走莉矢素紺。彼女は、仲間である僕達を裏切って宝生小学校の生徒に情報を流しました。本人は当初否定していましたが、昨晩の内に自白してくれました。情報漏洩の罪によりこれから彼女へ罰を下します」


 日戸が折り畳まれた紙を広げて読み上げたのは真実。

 宝生小学校の二人と話をした後、素紺は拉致されて問い詰められた。盗聴していたと思われる人形もないのにどうしてバレたのかと思っていると、それが破壊されたからなんて理由であった。


 説明するわけにもいかず誤魔化したものの納得してくれない。やがて鞭打ちが始まり、最初はしらを切っていたものの痛みに耐えきれずに話してしまった。今も上半身にある鞭打ちの痕がヒリヒリと痛む。


「静香さん、この女に与える罰は何になさるんでしょう」


「そうね、実は色々考えていたんだけどパッとしたのがなくてね。とりあえず今日はトイレに行っちゃダメってことにしましょうか。どんなに辛くても、尿でも糞でも関係ない、ちゃーんとみんなに漏らす様を見せつけなさい。あ、パンツとかは穿いたまんまでいいわよ」


 絶望感に打ちひしがれた素紺の目が死んでいく。

 思春期の少女にとって、いや少年にとっても最悪な罰だ。教室にいる全員の前で漏らすなど羞恥で死にそうになる。考えただけでも恐ろしいが言われてしまったなら逆らえない。


 ふと、教室の中心辺りの席に座っている身長低めの女子生徒が目に入る。

 素紺の数少ない友人、霧崎(きりさき)(すずめ)だ。彼女が歯を食いしばりながら俯いて震えている。元々彼女は天寺達に歯向かった罪人であり、罰として調教生活を送ったことがある。今や奴隷の一員、次に歯向かえばどうなるか分かったものじゃない。


 基本的に天寺は学園内の人間を殺さない。

 少し前に二人殺されたがそれは元々学園外の人間らしい。天寺自身が連れて来た者達は容赦なく鉄槌を下される。


 暴れたらダメ、と素紺は雀に目で訴える。

 殺されるわけじゃない、でも歯向かえば雀まで酷い目に遭ってしまう。友人として彼女のことを守りたい一心で視線を向け続けた。分かってくれているのか、雀は天寺達を睨みつけるだけに留まってくれた。


「しかしあれね、トイレ我慢するって言ったって漏らすのに時間かかるし、待っているのも暇よね。そういえば以前あの金持ちから面白いものを譲ってもらったんだけど」


 そう言って天寺がポケットから取り出したのは黄色い錠剤。

 薬だなんて、どう考えても嫌な予感しかしない。下剤などの類であったなら絶対に漏らしてしまう。だが「飲んでみなさいな」と渡されたら飲むしかない。素紺は思いきって黄色い錠剤を飲み込んだ。


「ふふ、飲んだわね。これ、排尿と排便を手助けしてくれるらしいわよ。よかったわね、これで早く席に座れるじゃない。私も鬼じゃないから一度漏らしたら席に戻らせてあげる。トイレは行かせてあげないけど」


 どうしてこうなったのか、なんて考えても無駄だ。

 無駄。無駄。無駄。無駄。現実が理不尽だからだ。

 薬を飲んだ影響か腹痛に襲われる。尿意と便意が強くなる。


 昨日変な希望を抱かなければこんなことになっていない。でもあの時、神谷神奈という少女のことが、理不尽を壊してくれるヒーローのように見えてしまった。彼女が悪いのだ、素紺に小さな希望を抱かせた彼女が全て悪いのだ。


(ああ、もう限界だよ……)


 涙が目に浮かぶ。

 俯いた素紺にはもう時間がない。立ったままだが内股になって必死に我慢しているのに、全く収まってくれず押し寄せる尿意と便意。もう直、必死に閉めた蓋が内部からこじ開けられるのが分かってしまう。


「くっ、ううっ……ふぐっ……」


 涙が溢れ出す。教室の床にシミが出来る。

 我慢なんて何の意味もなかった。涙が、止まらない。

 天寺の楽しそうな笑い声と、床に液体が垂れる音だけが教室に響く。


 もはや素紺の中に生きる理由がない。

 明日で学校を止めてもいい、死んだっていい。友達や両親が悲しんだとしても構わない。こんな最悪な日々を過ごし続けるくらいならいっそ死んだ方が楽に決まっている。


 天寺は素紺が自殺すると思っていないはずだ。そこまでの度胸がないと高を括っているのだろう。もしかすればどうでもいいと思っているのかもしれない。

 自殺すればいじめが公になる可能性がある。そうなれば天寺達に罰が下ることは間違いない。あの少女は素紺に言っていた、逆らった方がいい時もあると。今この瞬間がその時なのだ。


(舌を噛めば死ねるって、テレビで見たっけ……)


 口を閉じたまま自然と舌を突き出して歯を立てる。

 最低な反逆だがこれでいい、素紺にはこれしか出来ない。

 仮に素紺が強ければ天寺の顔面を一発でも殴っていただろうに。


 そんなことを思っていた時、突如ガラスの割れる音がした。

 派手に散らばったガラス片は奇跡的に誰にも当たらない。そこまで計算していたのかは分からないが、四方八方に跳ねた黒髪の少女が一人教室に侵入していた。彼女は素紺を見ると微かに笑みを零すが再び怒りに埋もれていく。


「おい、天寺静香ってのはどいつだ」


 少女の低い声に天寺が「私だけど?」と視線を向ける。


「……この、クズがああああああああああああ!」


 気付けば少女の拳が天寺の顔面にめり込んでいた。

 殴り飛ばされた全ての元凶は廊下の壁に激突して、俯いたまま動かない。素紺にとってそれは夢のような光景だった。

 なぜなら目前に、理不尽を壊すヒーローがいたから。



 * * *



 走莉矢(はしりや)素紺(すこん)の血が付着した制服を自宅の前で拾った神奈は激怒している。腕輪のナビゲーションを受けながら雲固学園へと到着して、件の生徒がいる教室へと窓を蹴破って侵入。そして元凶の顔面へと気持ち強めに拳を叩き込んだ。


 当然手加減はしている。これで顔面を潰したトマトのようにしたら殺人罪だし、さすがに子供を殺すのはなあと良心が働いた結果だ。吸血鬼やアンナなど、もう手遅れなうえ、警察にバレないよう処理出来るのなら容赦していなかっただろう。


 具体的に天寺が何をしていたのか神奈は知らない。

 しかし上半身裸なうえに沢山の蚯蚓腫れがあって痛々しい姿の素紺を見て、無事と言えるかギリギリだがホッとしつつも怒りの炎に薪がくべられる。少し臭いのも気になるが傷痕を見ただけで十分だ。天寺は徹底的に叩き潰さなければ神奈の気は収まらない。


「お、お前、静香さんに何てことをしてくれたんだあああああああああああああああああああああああ!」

「うっさい邪魔」


 根暗そうな緑髪の少年が殴りかかってくるが神奈は受け止める。

 油断していたわけではないが少年の腕力、というか魔力で強化された拳に若干驚かされた。力でいえばグラヴィーを少し上回る程度だ。正直大したことないのだが想像を超える強さだった。とりあえず少年は軽い裏拳で殴り飛ばしておく。


「死んでないだろうが……気絶したか?」


 廊下の壁際に座って俯いたまま動かない天寺を見て疑問に思う。

 手加減しても素早く殴ったからダメージは大きい、顔面が変形してもおかしくない。ただそれは相手が笑里程度の強さだった場合である。感覚的に少なくともあの少年がグラヴィー以上なので、少年を付き従わせる天寺はもっと強いはずだ。先程の顔面パンチで気絶する可能性は低い。


「もう一発くらい殴ってみるか。反応がなければそれでいいし」


 先程と同じで素早く接近し、今度はさらに強く頭部へ打ち込もうとする。

 威力にしてグラヴィーワンパン級、人間大の隕石が粉々になる程度だ。一般人が直撃すれば爆散、笑里に直撃しても腕が吹き飛ぶ程度の……天寺がおそらく生きていられるはずの威力。


 若干不安に思いつつ放った拳が天寺の頭部に到達する直前――彼女の姿が消失した。


「は? 何が……」


 視界の端で窓ガラスに映る自分と、その後ろで逆さになって空中にいる天寺の姿。ハッとして振り向くも頬に裏拳が入って数メートル横に吹き飛んでしまう。靴が床に擦れる音は黒板を爪で引っ掻いたように嫌な音であった。


「どう? 私の超高速移動、驚いたでしょう。目で追えなくて」


「……ああ驚いたね。でもタネが割れていれば驚かねえよ」


 実際に視認出来ないスピードを出されたと思い神奈は焦りを感じる。

 当初、天寺が自分と戦えるなんて思っていなかった。彼女はエクエスや破壊の巨人、春の妖精サクランとは違う。地球人だし、子供だし、人間だ。それがまさかかつての強敵に並ぶなど予想外もいいところである。


 超高速移動が純粋な身体能力か、固有魔法かはどちらでもいい。今理解すべきなのは、天寺が神奈の動体視力では追えない速度で動けるという事実。速やかに対策を練らなければ敗北すらありえてしまう。


 うだうだ考えている暇はない。神奈は再び駆け出そうと右足を踏み込む。


 瞬間、天井から何かが突き出た。

 拳だ。どこからどう見ても人間の拳だ。


 呆然と上を見てしまうがそれは天寺も同じこと。彼女の仕業というわけではないのが分かるがそれなら何者なのか。答えはすぐに、天井が連続で殴られて一部崩れたため判明した。


 獅子のたてがみのような髪型をしている少年が目前に着地する。

 獰猛な笑みと獲物を見定めるような視線が神奈に向けられる。明らかに味方ではないため神奈は「邪魔」と呟きながら殴る。しかし少年は気絶せずにすぐさま殴り返してきた。


「くひゃひゃ、テメエやるなあ! 俺はテメエみてえなやつをずっと待ってたんだぜええ! さあ戦え戦え、ブッ潰れるまで俺とやりあおうぜえええ!」


「ならお望み通りに潰してやるよ」


 タイミングがすこぶる悪い。普段なら気絶程度の威力に手加減するが今は別、少年の登場で苛立ちが加速した神奈は顔面を凹ませる程の威力で殴りかかる。もちろん彼の実力を考慮してだ。遠慮なく全力で殴れば彼どころか校舎が崩壊してしまう。

 そんな怒りの一撃を少年は笑いながら腕一本で受け止める。さすがの神奈も予想外で驚きを隠せない。


「ちっ、余計な真似しやがって……」


 前方の状況を見てから神奈は笑みを零す。

 攻撃を止められた驚きで気付くのが遅れたが少し前から居たらしい。

 天寺の後方に――刀を振りかぶった速人が。


 さらに遅れて気付いた天寺が振り返るがもう遅い。回避行動すら取れないくらいに刀が迫っている。このままなら首を斬られて彼女は死ぬことだろう。……このままなら。


 突如として、天寺の空色の長髪から小型の人形が三体飛び出た。

 三体の人形は玩具のような見た目であり、これまた玩具のような剣を持っている。だがその人形達は速人の一撃を防いで弾き返す。人形達は見た目から判断出来ない強さを秘めていたのである。


「護衛人形、よくやったぞ……」


 弱々しい声と共にやって来たのは先程神奈が殴り飛ばした少年だ。

 根暗そうな緑髪の少年が殴りかかり、速人はそれを後退することで避ける。神奈も一度獅子のような少年から距離を取ることにする。


 これで戦況は天寺と二人の少年が中心におり、神奈と速人が三人を挟み撃ちする状態となった。敵の主戦力と思われる三人が固まっているのは厳しい戦況だ。


「ふふ、どうかしら哀れな侵入者達。ここは一つ、休戦としない?」


「はあ? 休戦だあ? ふざけんな、私がぶん殴ればすぐに終わんだよ」


「ふん、その前に俺が斬る。当然そこの邪魔な二人もだ」


 天寺の提案は論外だ。わざわざ乗る意味がない。


「あらあら、運動会で勝つ自信がないから決着を早めたいのかしらあ?」

「は?」

「あ?」

「惨めに負けるのが怖いから運動会まで待てなかったのよねえ?」


 神奈と速人の目が点になり、すぐに怒りが顔に表れる。


「ふっざけんなよお前、勝つ自信百パーセントだわ!」

「俺が貴様らに負けるなどありえん。万が一、億が一の可能性もない」


 運動会において身体能力の高い二人が敗北を考えるわけがない。そもそも負けず嫌いなので二人は勝利を宣言する。


「だったら、運動会で決着をつければいいじゃない。せっかくの合同運動会よ? 楽しみにしている生徒もいるし、お互い全力で戦いたいじゃない? ま、さ、か、逃、げ、な、い、と、お、も、う、け、ど」


「「上等だ! 運動会で叩き潰してやる!」」


 二人は同時にそう言い放つ。

 わざと煽られているのが分かっていても挑発に乗ってしまう。


「おいおい、俺の戦いを延期させるつもりかよ」


「獅子神、もしここで戦おうとするならあなたの今日の夕飯は抜きね。今日はあなたの大好きなハンバーグだったんだけど、残念ね。私があなたの分も食べてあげるわ」


「……チッ、しょうがねえ。今日は我慢してやる」


 言い出した天寺側の意見も纏まったようだ。本来そちらが先に纏まっていなければいけないはずなのだが。


「おい、タンポンパルナチアだったか?」


 獅子神と呼ばれた少年が神奈に向けて問いかける。

 当然ながら神奈の本名はタンポンなんたらではないし、顔はこちらを向いているが神奈のことではないだろう。なら後ろに誰かいるのかと思い振り向いてみても誰一人いない。念のため教室内を見ても反応した生徒はゼロ。幽霊もいない。……つまり獅子神は単純に神奈の名前を間違えているだけだ。


「……え、あ、私のことか。原型皆無じゃん! 神谷神奈ですけど!?」


「テメエとの決着は今度だ。そんときはたっぷりやり合おうぜ」


「たっぷりはやんないぞ。瞬殺してやる」


 実力は未知数だが獅子神に負けるイメージはない。神奈が今苦戦すると判断しているのは天寺一人のみである。


「ああそうだ天寺、ちょっと私の前に来い」

「……は? 何かしら」

「いいから来いって。ここに来た用事がまだ終わってないんだよ」


 訝しみつつも神奈の前に歩いて来た天寺。

 元々、ここに来た理由は彼女を殴るためだ。最初の一発は綺麗に入ったし達成している。


「これは戦いじゃない、戦う気はないから勘違いすんなよ。さっき殴ったのは私の怒りの分。でもさ、まだ足りないんだわ。理由が一個増えちまったからな。これは走莉矢(はしりや)の分だああああああ!」


 個人的なものではなく、知り合いの少女のための拳が綺麗に右頬に入る。

 天寺は反応せずに殴られて廊下の隅まで吹き飛ぶ。

 この行動は休戦の約束を反故にしたようなものなので、さすがにまずいと理解している。理解したうえで殴り飛ばしたのはそうしなければ気が済まなかったから。


「お、お前! 一度ならず二度までも静香さんを!」


「はいじゃあ今から休戦ってことでよろしくな! 帰るわ!」


 無茶苦茶だと分かっていながらも強引に押し切る。

 先程の休戦を取り消させないために素早く逃走することにしたので、空気を読んだ速人と共に教室の窓へ走って飛び降りた。あの行動に神奈は反省も後悔もしていない。


 その後、宝生小学校へ向かう途中で天寺の「殺していいかしら、あいつ」という恨みの声が聞こえた気がした。それを隣の速人に言うと「気のせいじゃないと思うぞ」と冷静に告げられた。


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