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【終章完結】神谷神奈と不思議な世界  作者: 彼方
三.六章 神谷神奈と精霊界
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44.997 黒幕が意外な奴というのは定番


 精霊王が立っている広場。遊園地並に広いその場所の端で、長い棒に吊るされている精霊が一人。ボロボロの黒いマント一枚を身に着けた灰色の肌の少女。右耳にはハートとスペード、左耳にはクラブとダイヤのイヤリングを装着している。

 そんな彼女、欲の精霊デジザイアの前にやって来た神奈とドラは鋭い目を向ける。


「やっぱりお前だったか。デジザイア、立春のオカリナを返せ」


「そうよそうよ、今すぐ返しなさい」


「だから違うって少し前に言ったばっかだろ!? 何なんだお前ら! 何があって私が犯人だって結論に帰ってきちゃったんだよ!」


 秋国ジコモミヨウへ赴いていた神奈達は色々あったのだ。

 チュリアスという鼠の精霊がダウジングを常日頃から行っており、それを当てにして動いてみれば後に得意ではなかったと判明。試しに示す方角と逆方向へ飛んで行くと、現在いる広場で吊るされているデジザイアの元まで来てしまったというわけである。

 探索が不得意な精霊が向かう逆方向にいたデジザイア。これはもう犯人ではないだろうか、などと飛躍した答えを出した。……まあ悪ふざけに近い。神奈達も本気で疑っているわけではない。


「いいか、お前には前科がある。前科がある奴ってのは信用されにくいもんだ。ここで完全に疑いを晴らしておけば今後に信用度が多少上がると思うぞ」


「ま、まあ言い分は分かるけど……」


「というわけで身体検査を行います。頼むぞドラ、体の隅から隅までよーく検査してくれ。こいつの動きは私が注意しておくから心配するな。もし自殺したい欲とかを引き出されてお前が死んだら私がこいつを殺す」


「やんないよそんなこと!? 出来るけどさ!」


「……出来るのかよ。お前めっちゃ危険だな」


 まさかそこまで出来るとは能力を体験している神奈も思っていなかった。

 ドラに「てゆうか死ぬ前に助けてよ」と言うが神奈には無理なのだ。能力の発動は波動のようなものが広がるタイプであったが、即効性があるうえ、見た目ではどんな欲を引き出すのか分からない。またあの時のように排泄する欲でも引き出さたりでもすれば、神奈はダッシュでこの場から逃走して帰宅するだろう。


「……ま、いいか。それじゃあアタシが身体検査させてもらうわよ」


「おお行ってこい。容赦はするな、場合によってはくすぐるのも許可する」


「くすぐり関係ないだろ!? おい待て、やめろ! 私の傍に近寄るなああああああああああ!」


 ニタアッと笑みを浮かべたドラがじりじりとデジザイアの顔へ近付く。

 鼻先にまでやって来た途端、真下へと急降下して黒いマントの中へ入っていく。ドラはデジザイアの体に触れながら飛行している。


「くひゃっ、あっ、止め……くすぐったいから止めろおおお!」


 身悶えしたいのだろうがデジザイアは縛られて吊るされている。派手な動きなど出来るはずがなく時折奇声を上げながら笑ってしまう。くすぐったいのには弱かったのか涙まで浮かべている。その様子を眺める神奈は何だかスカッとした気がした。


「うーん、ダメね。服の繊維の隙間とかも注意深く見たんだけど」


 マントの中から飛び出て来たドラは「あと臭いし」と付け足す。

 ずっと吊るされているし、人間と構造がほぼ一緒と本人は告げていたので汗や皮脂で汚れているのだろう。日常的に風呂に入らなければ臭くなるのも当然と言える。


「後は帽子くらいか?」

「そうね、帽子の中も一応見ておきましょう」


「……くそっ……君達さあ、いい加減にしろよ本当に」


 息も絶え絶えといった様子で俯きながらデジザイアが呟く。

 知ったことかとでも言うようにドラが萎れた三角帽子の内部へと、額と帽子の隙間から侵入。先端に黒いボンボンが付いているそれの中を自由自在に飛び回る。頭なのでくすぐったさはないが不快さはあるかもしれない。ただ笑ったりしないのでデジザイアの呼吸は整った。


「――あ」


 突如、ドラの驚きに満ちた一声が神奈に聞こえる。


「どうしたドラ?」

「いや、こいつの帽子の繊維に絡まってたのを見つけて……」


 帽子から出て来た彼女は両手で大事そうにオカリナを抱えている。

 デジザイアはうんざりした表情から一変、本当に驚きを隠せない様子で目を見開く。神奈もドラの手にあるピンク色のオカリナを見て目を丸くしていた。


 色や大きさは知らされていない。妖精が使用するのだから相当小さな物だというのは考えれば分かること。今も困惑しているドラの手に持たれているのはどう見てもオカリナだ、それも小さい。ピンクなのも立春という感じだ。立春のオカリナだと見せられれば誰でも納得するような見た目である。


「立春のオカリナよ。間違いないわ、見たことあるもの」


「これは……どういうことだ?」


 神奈は丸くなっていた目を鋭くしてデジザイアを睨む。

 本気で疑っていたつもりはないのに、決定的証拠が出てきた今では悪ふざけの雰囲気もない。冷たい視線を送った瞬間に「ヒッ!?」と情けない声が漏れる。


「な、何だよそれ……? 私は知らないぞ! 本当だ、本当に何も知らない!」


「嘘吐くなよ。じゃあ何で帽子の繊維の間に入っていた? 偶然だって言うのはさすがに無理があるぞ」


「ち、ちちちちがっ! そうだ、私はこんな状態なんだぞ!? とてもじゃないけどこんな状態のまま盗みを働くなんて不可能だ! そうは思わないか!?」


「でもお前には動機があるよな。確か人類が消えた後の世界を見てみたい、だったか? どんくらい先になるか分からないけど目的を達成出来るわけだ。そんな状態のまま放置されているから疑われないと高を括ったな?」


「だから私は犯人じゃないんだって――あ。……まさか、あの時」


 目に見えて焦っていたデジザイアの表情が深刻そうなものへと変わっていく。


「心当たりがあるんだな?」


「あるには……あるけど。本当に私は関係ないぞ! 利用されただけだ!」


「いいから話せ。お前の思い当たることを全部、洗いざらい白状しろ」


 まずは話してもらわなければ何も判断出来ない。

 正直なところ、神奈は真犯人がいるのではないかと疑う気持ちが僅かにある。

 デジザイアは当人が言っていた通り棒に括りつけられて吊るされている状態だ。スノリア監禁事件前なら納得はいくが、それ以降なら盗める確率はほぼゼロだろう。精霊王も一応は監視しているのだし逃げられなかったはずだ。協力者の線もあるので全くの無関係とは断言出来ないが。


「スノリアを監禁していた時、憶えているかい」


 当然神奈はよく憶えている。巻き込まれた形で関わったその事件こそ、目前の忌々しい悪戯小娘との出会いだったのだから。思い出しただけでも腹が立つ。


「あの時、後鉱(ごこう)白正(はくせい)の情報をくれた奴がいたんだ。一人の研究者を唆したから、協力者になればあなたの目的を達成出来るかもって。たぶんそのファーストコンタクトの際に立春のオカリナを帽子に入れられたんだと思う」


 ドラが怒りのままに「誰よそれは!」と叫ぶ。

 デジザイアは怯えた視線を彼女に向けて、神奈へと視線を戻してから告げる。


「――妖精女王サクラン。あいつが私に協力してくれた。メリットが分からなかったけどあの時は深く考えていなかった。でも今なら分かる、私は利用されただけなんだってね」


「嘘を吐くなあああ! サクラン様がそんなこと――」


 同じ妖精として怒るのは当然だろう。しかし神奈は殴りかかろうとしたドラを握って止める。手の中で暴れているが今解放するつもりはない。

 この状況でデジザイアが嘘を吐くメリットなどあるだろうか。サクランに会えば真実は容易に判明する、その場しのぎの嘘など何の解決にもならない。後で戻って来た神奈が殴ることくらいデジザイアは想像出来るはずだ。


「本当に春の妖精がお前の協力者だったんだな?」


「ああそうだよ。奴の目的は私と似ているんだろうさ」


「……分かった、直接確かめに行く。どうせ立春のオカリナを返しに行かないといけないし、ついでみたいなもんだ」


 ドラを握ったまま神奈は妖精界へ向けて飛び立つ。

 飛行中に手元の妖精を解放してやると、鬼のような形相で頬を抓ってくる。彼女はデジザイアが犯人だと決めつけているのだ。自国の女王が犯人だなんて認めたくない気持ちは理解出来る。


「どうして止めたのよ。サクラン様は無実よ」


「会えば分かるさ。……何事もなければいいんだけど」


 真犯人がサクランだというなら自作自演だ。

 何が目的か不明だが不穏で厄介なものなのは間違いない。

 不安を抱えながら神奈は妖精界へと急ぐ。



 * * *



 精霊界の東方に位置する妖精界。

 岩で囲いが作られており、その中には満開の桜の木が多く立っている。陸地を分断する池がいくつかあるのに橋は架かっていない。胡椒のような大きさの妖精達が多くいて宙を舞っている。


 最奥に立っている五十メートル近くある大樹の傍で、一人の妖精が二対四枚の羽で宙に浮いていた。桃色のドレスを着ており、若緑の長髪がそよ風で靡いている。十人中九人は美人だと答えるだろう彼女こそ妖精界の女王、春の妖精サクラン。


「サクラン様あああああ!」


 そこへ金の長髪と小さな体を激しく揺らし、滅茶苦茶な軌道を描いて戻って来た妖精が一人。叫びながらやって来た彼女、ドラに続いて黒髪の少女も舞い降りる。

 四方八方に跳ねた黒髪の少女。現在精霊界に存在するただ一人の人間、神谷神奈の表情は険しい。


「おや、どうしました? 立春のオカリナ探しは諦めて――」


「立春のオカリナが見つかりましたよ! デジザイアの奴が持っていたんです! まったくあいつはどうしようもないです。何はともあれこれですぐ人間界に春を呼べますね!」


 怒涛の勢いだったからかサクランは「え、ええ、そうですね……」と引き気味だ。


「さあ神奈、サクラン様に立春のオカリナを!」


「……分かってる。今返すよ」


 気乗りしないまま神奈は握っていた極小のオカリナを差し出す。

 ピンク色で春っぽさを出しているそれこそが立春のオカリナ。人間が暮らす世界ですぐに春の始まりを告げられる貴重な道具。サクランは僅かに笑みを浮かべてそれを受け取る。


「ありがとうございます。これは何と言うべきか、感謝していますよ。後で探してくれている精霊達に伝えなければいけませんね」


「そうした方がいいでしょうね。じゃあ私はこれで。ほら、ドラも行くぞ。ちょっと案内してほしい場所があるんだ」


「ええー、まあ、どうしてもって言うなら案内してあげなくもないわ! どこへ行く!? アタシ夏国に行きたいなあ!」


 目的は達成した。真の目的は残っているが達成出来るかは相手次第。神奈は鋭い目で春の妖精を観察してから身を翻し、意外とノリノリなドラを連れて歩き出す。

 妖精界は春の国。ジコモミヨウは秋の国。神奈としてもどうせ行くなら夏の国を見て回りたいと思う。冬の国はあのスノリアが治めている、というか放置している場所なので不安が大きい。


 背を向けた二人に対してサクランは「余計なことを……」と呟く。

 顔に浮かんでいた笑みなどもはやない。作り笑いであったのは間違いない。そしてサクランは忌々しそうに立春のオカリナを見つめると、手の中にあるそれを軽い動作で遠くへ投げ捨てる。

 ――彼女の様子をずっと監視していた腕輪は合図となる声を上げた。


「神奈さん!」


 予め決めていた腕輪の合図をきっかけに神奈は全速力で振り返り、池に落ちようとしているオカリナを視界に捉え、飛んで行って池に落ちる直前で手元に収める。


「やっぱりな。警戒しておいて正解ってわけだ」


 サクランは若干憎そうに端正な顔を歪め、ドラは「え、何、どういうこと?」と困惑している。予想よりも早く尻尾を出したので神奈も内心驚きはあるが今は驚いている場合じゃない。決定的と言えるくらいの行動をした春の妖精を睨む。

 気付けばサクランは既に表情を作り笑いへと戻していた。


「ドラ、お前には悪いが真犯人はサクランだ。今こいつは立春のオカリナを投げ捨てた。せっかく見つかったのに、だ。なあそうだろ? スノリア監禁と合わせて今回の騒ぎを起こした張本人はお前なんだろ」


「……何の話ですか? 今のはちょっと、手が滑って」


「弁解は無駄だぞ。全部デジザイアが吐いた」


 それに腕輪が見ていた時点でサクランは詰んでいる。

 デジザイアから話を聞いた後、ドラには内緒で腕輪にサクランの様子を観察するよう頼んでおいた。立春のオカリナを渡して神奈達が立ち去った時、全てが終わって一人になった時が一番気が抜けるだろう。だから何か怪しい動きがないか確かめるために監視させておいたのだ。腕輪なら三百六十度の視界があるので神奈が後ろを向いていようと問題ない。


「ちょっと、あいつが言ったことを信じるの!? あいつの性格とかアンタも知ってるんでしょ!?」


「ドラの言う通り、あなたはおそらく騙されています」


 神奈は「かもな。でも」と言って語る。

 余裕な態度で誰かを欺く、陥れる。デジザイアは悪戯をして制裁されても懲りていない。今さらあの性格などが直るとも思えないし、もっと悲惨な目に遭わない限り過ちを繰り返すだろう。ただ、本気で疑われた時に狼狽えていたがとても演技には見えない。仮に彼女が犯人だとしたらもっと上手くやるという確信があった。


「私はあいつを信じる。今回の事件を引き起こした動機が何かは知らないけど、季節の循環を崩壊させる目的は前の時と同じ。真犯人は同一だと思う。デジザイアの話ではお前が接触して唆したらしいが?」


「ふ、ふふ、そう言っておけば、自分は利用されただけの可哀想な奴だと見てもらえる。小賢しいにも程があります。だいたい、実際に後鉱(ごこう)白正(はくせい)へ協力した証拠はどこにもありません」


「へえ、後鉱白正ねえ。何で名前知ってるのかなあ」


「……精霊王に聞きました。そのような人間がデジザイアの協力を得て、スノリアを監禁していたと」


「まあ筋は通る。ならそれはいい、それよりも気になるのは立春のオカリナがデジザイアの帽子に絡まっていたことだ」


 サクランは笑顔で「偶然でしょう」と言うが果たしてそんな偶然があるのか。

 風で運ばれたにしても二人が近距離にいるのが必須条件。ならサクランはデジザイアになぜ会ったのか。証言通りならば協力の話をするためだが素直に認めはしないだろう。


「秋の精霊、コウヨウが言っていたんだよ。道具は肌身離さず持っているもんなんだって? 大相大事にしているのに帽子の中なんかに偶然入るかね。それに帽子の内側に入ってたってことはデジザイアと接触したってことだろ? いったい何のために?」


「それは偶然って言っていたでしょ! すれ違ったとかそんな感じよ! サクラン様が犯人なわけないじゃない!」


「いいや犯人だね。違うというなら教えてくれ、どうしてデジザイアに会ったのか。まさか道具が勝手に飛んで行きましたなんて言わないよな」


 道具が勝手に動くという話では付喪神(つくもがみ)が当てはまる。

 長く使われ続けた道具には魂が宿ると言われ、そうなったものは自分の意思で動くようになる。尤も本当にそうなら何かしらのアクションはありそうだが。


「あの精霊は悪戯好きだというではないですか。ちょっと懲らしめるために会いに行ったんですよ」


 ドラが「あれ?」と心底不思議そうな声を零す。


「サクラン様って滅多に妖精界の外へは出ないですよね? 最近はずっと大樹の傍にいたような……」


「だ、そうだけど?」


 予想外なことに、神奈としては嬉しい誤算だがドラが援護してくれた。

 もういい加減に言い逃れは厳しい。サクランも観念したようで笑みを消して深いため息を吐く。


「……もう誤魔化すのは無理か。……ドラ、あなたは私を手助けしてくれていたはず。なのに今回は余計なことしかしないし言わない。いったいあなたの存在価値はどこにあるんでしょうね」


 清々しいくらいにサクランの態度が急変する。

 もう先程までの優し気な雰囲気は一切ない。偽っていた分の違和感が消えたからか冷たさが増した。まるで何に対しても興味を示さないような空虚な目をしている。

 明らかに違う自らの主の様子にドラは「サクラン、様?」と戸惑う。


「認めるんだな。今回の騒動は自作自演だってのも」


「ええ、それに後鉱白正なる人間とデジザイアを唆したのも私です。目的はもう分かっているんでしょう?」


「まあな。でも動機が分からない」


 今まで季節を何千何万という年月に亘って管理してきたはずだ。今になって役目を放棄する理由だけは何度考えても分からないままだった。


「簡単です。私はただ――働きたくなかったんだよおおおおお!」


「はあ!? いや、え、そんな理由!? ニートじゃん!」


「うるせえぞまだ労働をしたこともないクソガキが! テメエには分からねえだろうよ……こちとら長い年月働いてんのに褒美もねえ! 一応一国の統治者だから休みもねえ! 知らないからだろうが人間から感謝もされねえ! 人間界で言うところのブラック企業すら生温い悪夢のような労働環境なんだぞ!? それなのにやって当然みたいな空気を他の奴等は出しやがる。イカれてんのか! そんなにやってほしけりゃ土下座して頼み込むくらいの必死さを見せろよ!」


 ドラは再び「サクラン、様?」と驚いている。これは正直神奈と腕輪も驚愕した。

 仕事に関して語っている時だけは妙に目が生き生きとしている。作り笑いをしていたことから本性は隠しているとは思っていたが、まさかここまで外面と内面が違うなど予想外にも程がある。

 肩で息をしたサクランはふううううと深く息を吐き出す。


「……少々タガが外れたようです。ええ、まあ、そんなわけで私は働きたくありません。そこで考えたのです。以前から人間のいない世界を一度見たいと呟いていたデジザイアにスノリアを監禁させればいいと。冬が来なければ春は当然来ません。これが失敗した時の保険として立春のオカリナをデジザイアの帽子に入れました。仮に誰かに見つかっても誰もがデジザイアを疑うでしょう。……なのに、なぜ彼女を信じようとするのか」


 仕事の不満以外のことを語っている時はまた目が暗くなっていた。その様子はまるで仕事に疲れきった会社員だ。

 人間には転職という道があるが精霊にはない。生まれ持った役目、運命というやつである。手段を選ばなければ逃れる方法もあるが他者に多くの迷惑がかかる。


「サクラン様……サクラン様、謝りましょう」


 いつの間にかドラがサクランの傍へ近付いていた。

 潤んだ瞳を不安そうに向けている。主の方は「何をです?」と言って虚無の瞳を向ける。


「役目を放棄しようとしたことです! アタシも一緒に謝ります、頼めばみんなだって一緒に謝ってくれますよ。精霊王様だって許してくれます。だから――」


 言葉を続けようとしたドラの左頬をサクランが叩いて吹き飛ばす。

 吹き飛ぶ小さな妖精を助けるために神奈は高速で移動して、両手で優しく包むようにして止めた。衝撃を殺すために後ろへ下がりながら止めたのでダメージは最小限のはずだ。


「私は悪くない。むしろ被害者の私がなぜ謝らなければいけないのです」


 赤くなった左頬を押さえたドラが涙目でサクランを見つめる。やがて傍にあった立春のオカリナを見せつけながら説得を続ける。


「アタシは尊敬しているんです! サクラン様だけじゃない。スノリア様、コウヨウ様、サニライズ様。四人は自分にしか出来ない役目を持って生まれ、それに誇りを持って堂々としていたから。何の役目もないアタシなんかよりよっぽど凄い方々だってずっと……。お願いします。どうか、どうか元のサクラン様に戻って……!」


「嫌です。……かつては私もこの仕事に誇りを持ち、真面目に役目を全うしていました。しかし次第に誇りは薄れていき面倒になっていった。あなたが尊敬していたのはまだやる気に満ちていた私です。もう戻ることなんてありません。……私は気付いたのです。世の中の歯車を回すのはやりたい者だけでいい。働きたい者だけが働けばいい。それだけでみんな幸せ。そうは思いませんか?」


「確かに」

「神奈さん!?」

「あ、いや、いかんね。その考えはいかん」


 一瞬サクラン側の主張に賛同してしまったがすぐに考え直す。

 神奈も働きたくない気持ちは理解出来る。やりがいがない、自分の好きじゃない仕事はなるべくやりたくないものだ。同時にやらなければいけない仕事があるのも理解している。サクランの仕事もその一つのはずだ。どんな状況でだって神奈ならやり遂げようとはする、決して逃げ出すような真似はしない。


「ドラ、説得はもういい。とりあえずあいつのニート精神を叩き直す。お前は立春のオカリナを持って離れてくれ」


「でも……ううん、分かった。あんまり痛くしないであげてよ?」


「それはちょっと保証しかねる」


 立春のオカリナを持ったままドラは神奈の手から飛び立つ。

 本当なら説得で終わってくれれば楽だった。応じてくれないならもう神奈の取れる選択は一つしかない。得意であり、全てを解決しそうな案――力尽くである。


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