44.994 妖精界
多種多様な色が絶え間なく変わっていく綺麗な空。ボロボロの瓦礫が繋がっている道は常時小さな欠片が真下へ落ちていく。空中には虹色の球体が大小問わず無数漂う。そんな世界――精霊界にやって来た神奈は、同行者であるポイップとスノリアと共に精霊王に謁見していた。
広場に立つ青い肌の巨漢。まあ身長が高すぎて神奈達からは両足しか見えないが、以前見た限りでは無精髭の生えた強面だった。手に大剣を持っているがこれも刃しか見えない。
「よくぞ来てくれた、小さな人間よ」
「事情はだいたい聞いてます。消えた道具を捜せばいいんですよね」
精霊王の言葉に神奈は答える。
ここへ来た目的は一つ。春の精霊が所持している道具、今すぐ春を告げるために必要なそれを見つけることだ。もしそれがなければ春を始めるのに一年かかるという。既に三月初頭、あまりうかうかしていられない状況だ。一年も冬が続けば夢咲夜知留が凍死するかもしれない。
「ふむ、大まかには知っているようだな。仕事のない暇な精霊のほとんどで探しているが未だ見つからぬ。あやつは盗まれたと証言しているので盗人も捜索しているのだが、そちらも成果は乏しい。詳細は妖精界にいる春の妖精、サクランに聞いてほしい」
「……ん? いやちょっと待った。妖精界……って何?」
いきなり知らない単語が出てきたので神奈は困惑する。
言葉通りなら想像出来なくもない。しかし妖精界はこことまた別の世界、異世界ということになるはずだ。二種類の世界丸ごとが探索範囲だというのなら予想以上に大変だろう。人間一人の助力なんて微々たるものにしかならない。
「説明を受けていなかったか。妖精界、それはこの精霊界の遥か東方に位置する空間のことだ。小さな体を持つ妖精が多数暮らしている」
神奈が聞いてみたところ、どうやら精霊界には東西南北に一つずつ国があるらしい。
南方にある夏の国。西方にある秋の国。北方にある冬の国。そして東方にある件の妖精界。
なぜ一つだけ妖精界などという大袈裟な名前なのかといえば、そこに住む者達が抗議してきたから。
自分達は妖精だ、ならこの地は妖精の世界。即ち妖精界だと。
余談だが、スノリアは冬の国を治めている統治者だという。冬の時期以外は外出する自由奔放すぎる統治者のようだ。本人は自慢げに語っており、全く反省の色を見せる素振りがないが。
「妖精って……精霊と何か違うの?」
当然の疑問を投げかけると、右手首の腕輪が出しゃばるように解説する。
「古くから伝わる話だと、実体を持っているかいないかの違いだけですね。まあそれも過去に力を得た精霊が体を持ったことで、運よく姿を見た人間に区別されただけですし。今じゃほとんどの精霊が体を作れるので区別する必要性は皆無です」
「つまりあいつらも精霊なのよ。一つ補足すると、あいつらは妖精を美化してるのよねえ。ちっさい体だけど可憐で美しいのが妖精だって、バッカみたい。確かに人間の世界じゃそんな風に伝わってるらしいけどお、自分達が小さいコンプレックスを誤魔化してるだけなのよお」
ようするに妖精は自称、結局は精霊。妖精界も精霊界。
何はともあれ異世界に転移して捜せと言われなくてよかったと神奈は思う。
「では人間よ、頼んだぞ。余はここから動けぬのでな」
「ま、あんまり期待しないでくださいよ」
人手、いやこの場合は精霊手だろうか。捜索の数は充分足りている。
先程も思ったことだが神奈自身の助力など微々たるもの。適当に探している間に誰かが見つけてしまうかもしれない。誰でもいいから早く見つけてくれと祈り、神奈は早速東方へと飛んで行った。
* * *
精霊界の東方に位置する場所、妖精界。
季節は関係ないのか満開の桜の木が多く立っている。岩で囲いが作られており、最奥にある大樹は五十メートル近くあると思われる。囲いの中では池がいくつか存在して、陸地が繋がっていないのに橋が架かっていない。飛べない人間にとって不親切な場所だ。
「うわ、橋ないじゃん。まあ飛べるからいいけど」
ただ神奈はジャンプして水場を跳び越えられるので関係ない。
その気になれば宇宙へ出る一歩手前まで跳べるのだ。小さな池程度越えられるのは当然だろう。軽々とジャンプで陸地を飛び移っていたが急に立ち止まる。
「……ここ、本当に妖精界ってところなのか? 妖精でも精霊でもどっちでもいいけど、誰もいないじゃん。建物すらないし。誰も暮らしてないだろこんな場所」
妖精界は国という扱いらしい。普通なら家などの建物が建っているのが普通なのに、神奈が見渡せる限り見事なまでに何もなかった。
もし違う場所なら、やっぱり案内してもらうべきだったと内心思う。
実はポイップやスノリアとは別行動を取っており、二人には他の場所で捜索に当たってもらっている。なぜといえば、妖精界の方角も聞いていたから案内してくれなくても大丈夫という、謎の自信でいっぱいだったからにすぎない。
「いえ、そうでもないようです。さっきから周りにいますよ」
案内役がいないので話し相手は右手首にある白黒の腕輪のみ。
腕輪がそんなことを言うのでもう一度周囲を見渡したものの、やはり何も見つからない。存在しているのは枯れ木ばかりだ。あとは空中を浮遊している黒胡椒みたいな黒点くらいだろうか。
「魔力を少しだけ目に集めてみてください、きっと見えます」
「ほんとかあ? ……あ、見えた」
普段から魔力を全身に流している神奈は常人より遥かに身体機能が優秀だ。意識してさらに集めれば数倍にもなる。強化された視力でよく見てみると黒胡椒みたいな点が人型になっていた。蝶のような羽が生えていて、華奢な肉体を持つ少女の姿だ。
これが妖精だろう。何やら怒鳴っているように見えるが声は聞こえない。
「想像よりめちゃくちゃ小っちゃいな。口とかに入ってなきゃいいけど」
「とりあえず聴力も強化した方がいいですよ。ずっと何か言ってますし」
「おっそうだな」
先程姿が見えづらかったように、強化しなければ声も聞こえないらしい。
言われた通りに耳に魔力を集めて聴力を強化してみると、いきなり怒声が襲い掛かって来た。
「――バーカバーカバーカバーカバーカバーカバーカバーカバーカ!」
怒声……というか語彙力のない罵倒である。
粒のような大きさの少女は金髪を揺らしながら必死に叫んでいる。
「何、いつまで言ってんだお前。バカバカうるせえよ」
「うるさいって何よ、気付かない方が悪いんでしょ!? バーカバーカバーカバーカバ……カ……え? あ、よ、ようやく気付いてくれたの? アタシ、見えてる?」
「見えてる見えてる。悪かったな、妖精ってのが想像以上に小さくて見えなかったんだよ。今ならよく見えるから安心してくれ」
ようやく罵倒を止めたと思えば目を丸くして驚き、ウルウルと瞳を潤ませて涙を溜め込むと鼻水を啜る。
「うえええええええん! よがっだ、よがっだよおおおおお! アタシ、何度も話しかけてるのにアンタ何にも答えてくれなくて、無視じで、もうアタシの存在が消えちゃっだのがど思ったよおおおおお!」
「怒ったり驚いたり泣いたり、色々忙しい奴だな」
確かに神奈は悪気はなかったが結果的に無視してしまった。それで怒るだけならともかく、まさか泣かれるなど想定外である。しかも号泣。全力で泣き喚いた少女は「はっ」と声を零して硬直し、あたふたと手足を動かし始める。
「ち、違うから! 勘違いしないでよね!? 泣いちゃったのは無視されて寂しかったとかじゃないんだから! あ、あれよ、涙は血液だって言うじゃない。たまには血を見てみたかったのよ!」
「涙が……血? てか言ってること怖いな」
後で腕輪が説明してくれたが涙が血液というのは事実であった。
血液から血球を取り除いた液体が涙なのである。学校でも習った記憶がないので神奈の知る雑学が一つ増えた。
色々忙しく動いていたので疲れたのか金髪の少女は肩で息をする。
一応初めて出会えた妖精だ、神奈は話を訊くために落ち着くまで待った。
「それで? アンタ人間よね、妖精界に何の用よ」
「春の妖精ってやつに会いたいんだよ。道具を失くしちゃったんだろ? それで私も探すの頼まれてやって来たの」
「人間が? ふーん、アンタ、見かけによらず凄い奴なのね。精霊は人間にあまり関わらないようにしてるって聞いたわよ。頼まれるってことはそれだけ信頼されてる証じゃない」
精霊が人間に関わらないようにしているのは嘘じゃない。
ポイップやスノリアなんて例外ばかり見てきたせいで神奈は疑問に思うが、少なくとも他の精霊はあまり関わらないスタンスでいる。ただ、もう存在を知ってしまった神奈には遠慮していないようだが。
「アンタ名前は? アタシはドラ。案内はアタシがしてあげる」
「神谷神奈だ、よろしくな」
「カミヤカンナ? ふーん、へんてこな名前ね」
「人間の、日本人の名前なんてこんなもんだよ」
精霊からすれば変だし逆も然り。神奈からすれば精霊界もおかしなものばかりである。異文化なのだから互いに変だと思うところは必ず出て来る。互いの非常識をどれだけ擦り合わせて妥協するのか決めるのが異文化コミュニケーション、関わるにあたって重要な部分だろう。
神奈はドラに妖精界を案内してもらった。
どうやら妖精と自称している小さな精霊達は家を持たないらしい。基本的に建物も作らず、自然と触れ合いながら生活している。これは精霊全般にもいえる、この世界には誰かが住む用の建物が一切存在していない。人間からすれば信じられないことである。
建物がないなら案内する場所などほとんどない。妖精達のたまり場となっている場所だったり、絶景スポットだったりだ。……なお、絶景は妖精から見ての話で神奈にはありふれた風景に見えた。
「ほら、あそこにいるのが春の妖精、妖精女王サクラン様。妖精界の頂点に君臨するお方。忠告しておくけど無礼のないようにね。仮に何か粗相をして死刑になってもアタシは庇わないから」
桜の大樹の傍まで来た神奈は立ち止まり、ドラが指を向けた方向を見やる。
一人の女性が二対の羽で空を飛んでいた。桃色のドレスを着た彼女はドラと同じくスレンダー体型。彼女の若緑の長髪が風で靡く。
さて、無礼のないようにと言われたが神奈はどうするべきか。今までも偉い立場の人間には持てる限りの礼を尽くしてきたつもりだ。いつも通りに口を動かせばいい。
「オッス、オラ神奈。よろしくな」
「なーにを言っておるかこのアホンダラアアアアァ!」
ドラの小さな拳が神奈の頬にめり込む。痛みはほとんどない。
「私言ったよね!? 無礼働くなってちゃんと言ったわよね!?」
「……いや、悪い。たまにはボケにも手を出したくなって」
「しっらないわよそんなこと! アンタ殺されるわよ!? いい、サクラン様直属の護衛はめっちゃくちゃ強いの。無礼な奴は塵にされても文句言えないんだから!」
必死に叫ぶドラ。ただ、神奈がいくら周囲を見渡してもそれらしき妖精の姿はない。
女王の護衛がいるなら強いのは本当だろう。さっき拳を受けて分かったが妖精というのは見た目に反して怪力らしい。黒胡椒のような大きさのくせに笑里と同等かそれ以上の力を有している。
「護衛ねえ、そんなのどこにもいないけど」
「あ、あれ? あのサクラン様、護衛の方々は」
「有給よ。ドラ、そっちの人間は神谷神奈でいいの?」
問われたドラはこくこくと頷いて肯定する。
因みにこの時、妖精にも有給システムがあるのかと神奈は感心していた。休む権利を是非とも学生に与えてほしいとも思っていた。
「あの無駄に大きい王様から聞いているわ。道具を探すの手伝ってくれるんだって」
「はいそうです。詳細はあなたから聞いてくれと言われたんですけど」
「詳細、といっても説明することはあまりないのよ。立春のオカリナが盗まれたのは知っているんでしょう? 伝えるべきことは犯人が灰色の肌をしていたことくらいかしら」
灰色と聞いて真っ先に思いつくのは欲の精霊デジザイア。
少し前にもスノリアの監禁をしたりなどやっているので第一容疑者だが、さすがに短期間で二度も問題を起こすのは考えづらい。まあ懲りていないのならまた叩きのめすだけだ。相手の能力が分かっている以上、以前のような苦戦はしないだろうし犯人であってくれた方がむしろありがたい。
「ま、後で会いに行ってみるか」
「何よ、心当たりでもあんの?」
不思議そうにドラが問いかけて来たので神奈は正直に答える。
「デジザイアって知ってるか? あいつだよ」
悪戯小娘は有名だったようでドラは「あいつかー」と眉を顰めて呟く。
話を聞いてみればあの悪戯小娘は未だに精霊王のいる広場で捕まっているらしい。未だに拘束されているのかと思う神奈だが二つの世界は時間の流れが違う。精霊界ではまだ冬の一件から数日しか経っていない。
大した情報が得られなかったので神奈は一先ずデジザイアへ会うことにした。
ドラ「妖精はみんなそこらの精霊より力が強いんだからね。もちろんアタシは下っ端中の下っ端みたいなもんだから弱い方だけどさ」
神奈「ほーん。こんなにちっこいのに力強いなんて変だなあ」
腕輪「神奈さん、あなたも人のこと言えます?」




