44.97 研究所の見学
伊神第十三研究所の門に一人の少女がやって来た。
四方八方に跳ねた黒髪。パーカーにズボンと男っぽい服装で、白黒の腕輪を右手首に付けている少女は入口近くにいる警備員に話しかける。
「あの、すみません」
警備員の男は相手が子供だからか余裕の表情だ。
黒髪の少女、神谷神奈がここにやって来た目的はただ一つ。研究職に興味があり、この伊神第十三研究所に将来は就職したいから――なんて理由ではない。
現在、地球は人類滅亡の危機に瀕している。冬の精霊スノリアが拉致されているせいで冬が訪れず、このままでは四季の循環が壊れてなんやかんやで人類が住めない環境になってしまうのだ。そのスノリアが伊神第十三研究所に監禁されているという情報をポイップから得ている。
仮にも有名な研究所であるため正面突破は愚策。子供だからといって不法侵入は怒られるし警察には目を付けられたくない。つまり神奈が侵入するには正当な理由で入らなければならない。
「私、こう見えてもすごい研究に興味があって。お願いします! この有名な研究所の中を見学させてくれないでしょうか!」
正当な理由で真っ先に思いついたのがそれだった。
当の本人は興味があるわけもなく全くの出鱈目なのだが、警備員には当然分からない。こうして子供の純粋な願いで侵入作戦は完璧。
「ごめんね、事前にアポ取ってくれないと入れない決まりなんだ」
「デスヨネー」
――なわけがなく普通に見学は拒否される。
何となく分かっていたので神奈はさっさと撤退した。もう同じ手は通じないし、使ったところで怪しまれるのがオチ。実際に許可が貰えれば話は別だが今すぐは不可能だろう。
一度家に帰ってから別の方法を考えることにしたものの何も良い案が出ない。数時間悩んでいるうちに正午になったのでカップ麺を食べ、定番でもあるシーフード味に舌鼓を打った後で思いつく。
「……才華に頼るか。最近頼りすぎな気もするけど」
「それだけ万能ってことですよねえ、藤原家が」
「ああそうだな、少なくともお前よりは万能だと思うよ」
藤原家といえば日本有数の大企業を経営している大金持ちであり、総理大臣と親密な間柄なんて噂も存在しているほど規格外な一家。財力、情報力においてあの一家ほど頼れるものはない。そんな藤原家の長女に神奈は電話をかける。
現在が冬期休暇とはいえ藤原家の一員である以上才華も多忙だろう。正直出てくれるか不安だがそれは的中して一度目は出なかった。しかし、二回三回と掛け直してみれば繋がった。本来なら時間を改めて掛け直すのだが神奈も神奈で余裕がない。
四季の循環が壊れて人類が住めない環境になるまで猶予はある。問題なのはこの事件に巻き込まれたことで、宝生小学校から冬期休暇に出された宿題に手をつけられないことだ。以前も色々あって夏季休暇の宿題を忘れたことがあったがこっぴどく怒られた。もう忘れて怒られないためにも、せめて新年になるまでには事件を解決したいのだ。
現在は十二月二十七日。甘く見積もっても宿題には一日か二日以上かかるので、解決までの道のりを最短ルートで駆けなければならない。
『はい、才華です。何か用かしら』
スマホからよく知る声が聞こえてきたので神奈はすぐ口を動かす。
「用事がなきゃ掛けちゃダメか?」
『ふふ、構わないわ。五分くらいなら雑談に付き合えるわよ』
「悪いが雑談をしている暇はない。ちょっと頼みたいことがあるんだ」
『……何だ、やっぱり用事があるんじゃない。しかも結構困ってるわね』
少しガッカリした声音で才華は言う。まるで用事がない状態で電話してほしいようだったので、今度神奈も暇さえあれば雑談するために電話しようと思う。
「伊神第十三研究所って分かるか? 中に入りたいんだけど」
『知っているわ。歴史の教科書にすら載る伊神宴が作った研究施設。何、神奈さんってば霧雨君みたいに研究に興味が出たのかしら。あそこはアポイントを取れば見学出来るけど……今からだと一か月は待つわね』
一か月は長い、冬期休暇が終わってしまう。
待っている間に宿題を終わらせればいいかとも思うが、神奈としては人類の危機を優先したい気持ちがある。もちろん一か月で環境が激変するわけではないだろうが解決は早い方がいい。
「長い。出来れば今年中に入りたいんだけど何か方法ないかな」
『今年って……あと五日しかないじゃない。もしかしなくてもそれで藤原家の力を借りようとしたのね。確かに藤原家の権力やら何やらで強引に見学させることは出来るけど、そういったことをすると反発も大きくてね。今回はちょっと力を貸せないかもしれないわ』
権力を無暗に振りかざせば反発する勢力も出て来る。無理を言っているのは自分だと自覚しているので神奈は協力を諦める。しかし当てが外れた以上、今回他に頼れる人材は思い当たらない。神奈は残念そうに「そうか」と呟く。
「なら仕方ない、別の方法を考えてみるよ」
『ごめんなさい。ただ、こっちも調べてみるから落ち込まないで』
「ありがとう、あんまり無茶はしなくていいからな。それじゃ」
通話は切れた。ついでに頼れる人材もネタ切れした。
藤原家に頼れない以上どうすればいいのか。再び神奈は頭を回し始めるが数時間経っても一向に思いつかない。頭を悩ませていると才華から無料トークアプリ、レインでメッセージが送られてきた。神奈は「ん、才華からか」と呟いて画面を操作する。
レインのトーク画面には文章と一枚の画像。
【さっきの件、色々と調べてみたわ。どうやら見学する際の人数は最大二十人までらしくて、誰かと一緒に行くことが出来れば入れると思う。下に入手した名簿の画像を貼っておいたから見ておいて。タイミングよく私達の知り合いも見学するみたいよ】
メッセージを読んでから急いで画像を見つめる。
名簿には百人近い名前が記されていたが、その中で知っている名前が一つ。
霧雨和樹。同じ文芸部で親しい友人の名前がそこにあった。
【サンキュー。この恩は忘れない】
笑みを浮かべてメッセージを送ってから、神奈は霧雨にも電話を掛ける。
内容はもちろん伊神第十三研究所の見学に同行させてほしいというもの。なぜ知っているのかと当然の反応も返されたが、霧雨には色々と事情を説明しておいた。思えば別に隠す理由もないし彼の頭脳は役に立つ。
こうして神奈は堂々と伊神第十三研究所へ向かえることになった。
* * *
伊神第十三研究所の門前で二人の少年少女が立っている。
黒髪の少女、神谷神奈は研究所内部に監禁されているという冬の精霊スノリアを救助するため、隣に居る少年に同行を許可してもらった。頭にゴーグルを装着している白衣姿の彼、霧雨和樹は純粋に見学しようと考えていたらしいが、神奈が事情を話せば協力を惜しまないと答えてくれている。
現在二人は見学担当者を待っている間、情報整理を軽く行っていた。
「しかし……あの後鉱先生が精霊を監禁か。人というのは本当に何を考えているのか分からないな。その人物を知っているようで、自身が知っているのは外郭だけでしかない。心の内側なんて他人じゃ知ることは出来ないということか」
「霧雨は後鉱って人を知ってるのか? つか誰だそれ」
門の横に立っている警備員がいるので二人は小声で話す。
「後鉱白正。自然についての研究者だ。彼が新発見したことは早々に学会で発表されて広まり、研究者の中で自然関連の研究者といえば彼、なんて言われるくらい業界ではそこそこ有名な人さ。ジャンルは違えど俺も今までの論文は全て読んだし尊敬している」
「あー、お前が部室で見せてきた論文のやつか。ふーん、そんなに有名なら順風満帆だっただろうに、なーんで精霊に手なんか出しちゃうかね。好奇心ってやつにしても監禁はやりすぎだろうに」
「そこが俺も引っかかるな。……誰か裏で糸を引いているんじゃないのか?」
黒幕がいる可能性はある。神奈は今名前を知ったというくらい後鉱白正のことを何も知らない。誰かに付け込まれていいように操られている可能性だって否定出来ない。もちろん好奇心からの暴走とも考えられる。神奈の中で研究者とは目的の為に手段を選ばず、かなり暴走しやすいヤバい奴等という印象になっていた……漫画などの見すぎである。
「分からんけど、とりあえずスノリアって奴を助けないとな」
「ああ、精霊という存在も一度見てみたいし協力しよう。ところで精霊に死はあるのか? もしよければ一部でも解剖しておきたいんだが」
「許可出すと思うか? 色々アウトだろ」
精霊にも生死はある。そもそも助けた相手を解剖するのもどうなのだろうか。監禁された挙句、助けられた相手に解剖されるスノリアが可哀想だ。
最低限の情報を整理した神奈達の前にある門がキイイという音を立てて開く。
屋根が丸みを帯びた白く大きな建物の入口が開き、中から白衣を着た坊主頭の男が出て来る。サングラスをかけている坊主を見ているとあまり研究者には見えない。正直コスプレしたヤクザと間違われてもおかしくない。
「おう、君達が見学者か? 俺はここの所長の大谷だ」
開いた門にまで歩いて来た大谷が自己紹介してくるので、神奈達も自らの名を名乗って会釈する。礼儀正しい態度に気をよくしたのか大谷は若干笑みを浮かべた。
「小学生なのは驚いたが礼儀正しいじゃないか。冷やかしや遊び半分ってわけじゃなさそうだ。着いて来な、俺がこの伊神第十三研究所の全てを見せてやる」
「「はい、よろしくお願いします」」
二人揃ってそう言えば大谷が施設へと歩き出したので付いていく。
建物内は研究施設ということもあって清潔。白い壁にはシミ一つない。通路を歩いていくうちに何個かの扉を見かけたが案内はされなかった。扉に名前の書かれた紙が貼ってあることから個室なのだろう、おそらく徹夜などをして泊っていく用の。
最初に案内された部屋はかなりの大部屋。
部屋の中心には円状の筒が存在感強めに置いてあり、その他にも研究機材だろう機械がずらっと壁際に並んでいる。数人の白衣を着た男女が紙に何かを書いていたり、機械に表示されているデータを見ていたりしている。
「ここは俺の研究室だ。君達には難しいかもしれないがエネルギーについての研究をしていてな。新たなエネルギーを作れないかと日々試行錯誤の毎日さ」
「エネルギーって……火力とか電力、みたいな?」
「そうそう、そんなもんだ。近年エネルギーの残量が問題になっていてね。枯渇する前に何か別のエネルギーを作ったり発見しないといけないってわけさ」
「あの円柱のようなものは?」
「エネルギーを内部に溜め込み、増幅して、実際に使用可能なものかどうか確かめるための機械だね。興味あっても触っちゃダメだよ? あれめっちゃ高いから。確か軽く億は超えていたっけ」
神奈は愕然として「億……」と呟く。
小学生にとってはあまり縁のない単位である。だが隣の霧雨はそう思わなかったらしく、誰にも聞こえないような小声で「ふむ、それなら買えなくはないか……?」と呟いていた。一応隣なので耳のいい神奈は聞こえて戦慄する。
もう見せるのは十分と思ったのか、大谷が「それじゃあ次へ行こう」と言って部屋を出たので神奈達も続く。そしてさっき通った通路を歩こうとして――疑問が浮かんだため神奈が声を上げた。
「あの大谷さん、こっちの奥の道は?」
神奈が気になったのは部屋を出て左に続く通路。
まだそちらに部屋があるから通路もあるのだろう。道だけで行き止まりなんて設計ミスはさすがにないはずだ。
「ああ、そっちは地下シェルターへ続く階段があるんだよ。残念だけど見せることは出来ないな。まあ使ったことはないし、何かあるとしてもせいぜい非常食とかが置いてあるくらいだから、見たとしてもつまらないと思うよ」
「なるほど、地下シェルターね。教えてくれてありがとうございます」
研究で発生した事故、もしくは災害、戦争で避難するためのものだろう。大谷の言う通り特に見ても面白くないので神奈はスルーすることにする。
再び歩き出して案内されたのは何らかの実験室。銅線の間で電気が発生していたり、瓶の中で炎が燃えていたり、真空になる部屋があったり色々なものが存在した。実験室の数は多く、全てではないが見ているだけで三十分以上は経っていた。
「あー、次はどこへ案内しようかなあ」
大谷が呟いていると、顎に手を当てている霧雨が神奈の方を一瞥した。
何か言いたいことがあるのかと神奈が問う前に、彼は大谷へと声を掛ける。
「すまない大谷さん。こいつがトイレに行きたいらしく、どこにあるのか教えてくれないだろうか。場所さえ分かれば一人で行けるから案内は必要ないんだが」
「は? いや、別に行きたくない――」
「行きたいんだよな?」
特に尿意もないため勝手を言った霧雨に文句を言おうとした神奈だが、有無を言わさない彼の真意を理解したのは数秒後。彼はこのままトイレに行かせるフリをして神奈を離脱させるつもりなのだ。あまり長時間いないと不自然だが何とでも言い訳出来る。
凝視してくる霧雨が声を出さずに口を動かして「裏を読め」と告げた気がした。スノリアを捜索する時間を作ってくれたと気付いた神奈は「あ、ああ」と間抜けな声を零す。
「トイレなら入口側の通路にあるよ。案内しようか」
「分かりました。ほら、行け神谷」
「悪いな、感謝する」
全力ではないが走った神奈はすぐにその場から消える。
猛スピードで離れていったのを見て手を伸ばした大谷は呟く。
「ああ、案内したかったのに」
「さすがにトイレは見学したくないですかね」
トイレは研究所だろうが学校だろうが自宅だろうが同じだ。洋式便器、いやもしかしたら和式かもしれないがその程度の違いしかない。そんな場所に神奈は向かって――いない。
行きたいなど真っ赤な嘘だ。全てはスノリアが監禁されている場所を突き止める時間を得るためであり、当然トイレは通り過ぎる。
「あそこ、個室……後鉱白正だっけ。後鉱後鉱っと」
監禁に関わっているのはおそらく後鉱白正。精霊に関する論文をネットで発表していたのだから無関係であるはずがない。次に監禁しやすい場所はどこか。これは誰にも見つからない、つまり自分だけの部屋、個室である可能性が高い。
扉に貼ってある名前の書かれた紙を見ていくと【後鉱白正】と貼ってある扉を見つける。神奈は周りに人がいないか確認した後、何の躊躇もなく赤の他人の部屋の扉を勢いよく開ける。
「いない。ここじゃないのか?」
白正の部屋には机と椅子、休むためのベッド、精霊などのファンタジーな存在について書かれた本がぎっしり入っている本棚、床に散らばった書類が存在していた。冬の精霊スノリアの容姿を聞かされていないがここにいないことは確かだ。
当てが外れた神奈に、右手首にある白黒の腕輪が話しかける。
「神奈さん、個室にいないならおそらくあそこです。ほら、説明されていたじゃないですか。この伊神第十三研究所内にある人が普段は立ち寄らない場所を」
「普段は立ち寄らない……。そうか、地下シェルターか!」
「ええ、そもそも個室では誰かに見られる可能性が全くないわけではありません。地下シェルターも同様でしょうが可能性は個室より低いと思われます」
腕輪の助言を聞いてからすぐ神奈は走り出す。
先程見た大谷の研究室前を曲がり、通路を走っていると階段が視界に入る。走るよりスムーズに行くために飛行魔法〈フライ〉を唱えて飛び下りる。あっという間に全ての階段を下りきった神奈は床に着地して、目前にある扉を静かに開けた。
左右に開いた扉から見えた地下シェルター内は大谷が告げていた通り、非常食の入った段ボールなどが山積みになっている広い空間だった。しかしそこで異質なのが奥に置かれている大きな鳥籠。中に誰も入れられていないそれはもはやただのインテリアである。
「どうなってるんだ? もう誰かが助けた後だったとか?」
誰もいない空間で神奈は呆然と呟く。
「あああああ! おいっしいいいいいいいいいい!」
静寂だった場所に歓喜の叫びが響き渡る。
同時、非常食の入っていた段ボールの一つから勢いよく、白い着物を着た女性が空中へと飛び上がった。白に近い青色の長髪を揺らしながら、右頬を片手で押さえ、幸福の表情で登場した彼女はどう見ても異質。あまりに唐突だったので神奈は声を出すことすら忘れて目を見開いた。
小さな音を立てて着地した女性の周囲にはキラキラした粒が舞っている。さながらダイアモンドダスト。余程嬉しいのか体を上下に揺らす度、豊満な胸部も上下に揺れる。そんな彼女が何かを咀嚼していることに神奈が気付いたのはすぐだった。
白い着物を着ている女性は入口に立つ神奈を認識する。
咀嚼していた何かを飲み込むと、彼女は可愛らしくコテンと首を倒す。
「誰?」
「お前が誰だああああああああああああああ!」
神奈「ほんっと才華が万能すぎてさ、最近才華の話ばっかりじゃん」
腕輪「気付いてしまったのですか。ちなみにまだ才華さん関連の話が用意されているんですよ。これはもう主人公交代した方がいい気がしますね」
神奈「……藤原才華と不思議な日常。……なんか、面白いかも」




