44.94 けじめ
藤原家の門前で、一人のスーツ姿の男と藤原才華が対面している。
こうなった発端は才華の一言だった。
『今や涼介は藤原家の一員。けじめをつけましょう』
妖怪と判明した涼介が己の過去を語り、静聴していた才華がにっこりとした表情でそんなことを言ったのだ。笑っているのは顔だけで妙に怖く感じたのは神奈の気のせいではない。
以前の飼い主、現在才華の目前にいるスーツ姿の男は聞く限りかなり酷いことをしていた。涼介の元は二本あった尻尾を一本切断し、喋ることを許さず、自身に逆らうことすら良しとしない。従順なペットを演じさせられたのである。
「今日はお越し頂きありがとうございます、墓餠さん」
「いえいえ、こちらこそ。俺のペットを見つけてくれたと聞いています。さっそく引き取りたいのですがどこにいるのでしょうか」
「もう少しでやって来ると思うので少々お待ちを」
涼介の新旧飼い主が対面している様子を神奈と厄狐は少し離れた場所、電柱に隠れて窺っている。手に持っている鋭利な鋏へと視線を落とした神奈は思わずため息を零す。
「しっかし……マジでやるのかね、あのえげつない作戦」
「あの男が反省の色を見せなければ、だろ? まあ反省とは無縁ってタイプだなあれは。十中八九お前が実行することになるだろうさ」
鋏から藤原家へ視線を戻すと、神奈の視界には歩いて来る涼介の姿が映る。彼の手足は若干震えており、表情からは怯えが垣間見えている。
涼介を目視したのは神奈達だけではない。以前の飼い主、墓持も歩く黒猫の姿を捉えていた。発見したのが嬉しかったのか手を振りながら足を進める。
「あ、出てきた! おーい、会いたかったぞ!」
足を前に進めた墓持を才華が「待ってください」と、それ以上の進行を拒絶するように手で制す。事情を聞かされた才華としては墓持にあまり行動させたくなかったのだ。
「せっかくの再会なのに邪魔をしないでほしいのですが?」
「このまま門を潜れば侵入者として処理されます。もちろんこの世に何の未練もないのであれば入っていただいて結構ですが」
何を言っているんだと墓持がもう一度庭をよく観察すると、茂みからメイド達が立ちあがってマシンガンで狙いを定めていた。現代日本ではありえない光景に墓持は「ええ……?」と困惑して後退った。
恐ろしさを感じさせる庭を歩いて涼介が門から出て来た。彼は才華を盾にでもするように足元で丸まっている。
「どうしたんだ? ほら、俺だよ俺。感動の再会なのにそんなところにいないでこっちにおいでよ。また沢山可愛がってやるからさあ」
外面だけはいい笑顔を墓持は浮かべている。幼いながら様々な汚い大人と対面していた才華は、その笑顔の裏にあるどす黒い感情に当然気付いていた。遠くで見ている神奈も「何か嫌な感じするな」と呟きを零す。
「まさか忘れちゃったのか? 飼い主のことを忘れるなんて酷いな」
「……忘れるわけ……ない」
「うん? 今、どこかから声が聞こえなかったか」
「忘れるわけないだろ!」
涼介が叫んだことに誰も動じない。普通なら墓持は驚いてもおかしくないのに、猫から発された声を聞いて変化したのは表情のみ。先程までの笑みが嘘のように感情が一気に抜け落ちていた。
「……やっぱりお前か。俺は前に喋るなと言ったはずなんだが」
「それがあなたの本性ですか、墓持さん」
「本性だなんて、まるで悪いみたいじゃないか。俺はただそこの猫を助けようとしただけさ。妖怪なんて珍しい奴、どこぞの実験施設に連れて行かれてホルマリン漬けにされるのがオチ。だったら初めから妖怪だってバレないよう教育してやっていたんだよ」
驚くべきことに墓持には一切の悪意がない。まさに純然たる邪悪というべきか、悪を悪と認識していない。普通は躊躇しそうな行為も彼は平然とやってのけるだろう。
「だから尻尾を斬ったんですか? 妖怪だって痛みがあるんですよ?」
「イカレ科学者の実験台にされるよりマシだと思うけどね」
「罪悪感を抱いたりはしないんですね」
「そりゃあね、俺は何も悪いことをしていないから」
墓持の人間性を把握した才華は、足元に居る涼介を抱きかかえてから距離を取る。何が起きてもいいよう決して墓持から目を離さずに後退る。
「涼介、この人のことをどう思う? 私は、嫌いかな」
「大っ嫌いだよ! こんな奴とは二度と会いたくなかったんだ!」
「は、何だって? もう一回言ってみ――」
驚きからか目が泳いだ墓持が才華へ向けて一歩踏み出した瞬間、整えていた前髪がばっさりと刃物で切られたように地面へ落ちた。
「え、は? 何で……髪が……?」
「あなたは会社で営業部にいるんですよね。尻尾みたいに肉体への痛みはないけれど、整えた髪を切られたら精神的な痛みがあるんじゃないですか」
「ま、まさか君が……!」
常識的に考えて前髪がいきなりばっさりと切れて落ちるなんてありえない。墓持は真っ先に目の前にいる才華を疑ったわけだが、残念なことに実行犯は電柱に隠れていた神奈であった。
事前に考えた才華の作戦、というか罰である。尻尾を切ったことなどを反省しないようならば、いっそのこと墓持の何かも切ってしまおうという思いきったもの。何を切るかについては多くの意見が出された。涼介が男性器を切ってほしいなんて言ったがさすがにやりすぎなので却下されている。採用されたのは才華の案の髪の毛だ。
髪の毛を切るだけで罰なのか、それじゃスキンヘッドとかは常時罰ゲーム状態ではないのか。当然そんな疑問も出たのだが散髪は決して軽くない。髪型というのは一人一人の個性である。自分の髪型には多少の愛着があるだろうし、ましてや墓持は営業職なので髪を整えている。拘りあるものを切られるのは酷く落ち込むものだ。才華が言った通り肉体への苦痛はないが精神にダメージを与えられる。
「あなたが反省すればこんな結末にはならなかったのに……残念です」
肝心の散髪方法は単純明快。神奈が視認出来ないスピードで飛んで鋏で切るだけである。実に単純だが単純ゆえに防ぐ手立てはない。
今も前髪に続いて右側の髪をばっさりと切って地面に落とした。
「ち、違う、勘違いだ! 俺は悪くない!」
左側の髪が三連続で切られてはらはらと宙を舞う。
「何で、何で俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ!? 妖怪なんて気色悪い、俺は普通のペットが欲しかっただけなのに! 妥協して飼ってやったじゃないか!」
前後左右に加えて上。髪の毛は切られ続けて見るに堪えない髪型になった。一部は極端に短く、逆に長いところもあり、切られすぎて頭皮がもろに露出しているところさえある。神奈に余裕があったので眉毛も点線のように剃られている。一周回ってお洒落なんてこともありえない。
「くそ……くそっ! くっそおおおおおおおおお!」
逆上した墓持は才華へ襲い掛かるが、襲う相手が悪かった。
文武両道の彼女が習っている格闘技は様々であり、全てで優秀な成績を収めている。まさに才能の塊。そんな彼女へ手を伸ばしたところで華麗な一本背負いが決まるだけである。才華は抱きかかえていた涼介を真上に投げてから背負い投げで墓持を投げ飛ばして、その前に投げた涼介を見事キャッチして再び抱きしめる。
投げられた墓持は衝撃で「がはっ!?」と空気を吐き出して気絶した。
「あなたみたいな人はペットを飼う資格がないわ。まずは痛みを経験して、相手を思いやる気持ちを持たないとね」
たとえ妖怪だとしてもペットなら八つ当たりはいけない。墓持は涼介に対して通常の猫と同じ扱いをして、自由に生活させるべきだったのだ。
後日。連絡を受けた動物愛護団体が訴えて、墓持は警察に逮捕された。
今回の章、完成はまだかかるので気長にお待ちください。




