44.85 お菓子の町
自分の住む宝生町がお菓子になっている。
現状を一言で表すとこうなる。神奈自身まだこれが夢じゃないかと疑っているし、こうなった意味も犯人の目的も見当がつかない。
家の外に出た神奈は敷地から出て――すぐに妙なものを見つけた。
「ん? あれ、これ、隼?」
家の目の前といっていいくらいの距離にクッキーが置いてある。ただしそれは隼速人の形をしている奇妙なものだ。実物大スケールのフィギュアとなんら変わらない。あまりの完成度に神奈は感心してペタペタと触る。
「よく出来てるなあ。服も再現されてるし、顔も今にも動きそうだし……うわあ、耳とかやばくない? こんなのどうやって作るんだよ。ていうか何を思って作るんだよ、怖いよ、隼の大ファンとかいるの?」
アニメや漫画のキャラクターなら理解出来るし、現実世界でもまあ辛うじてアイドルくらいならこういった実物大スケールの像も作られる。しかし目前にあるのは隼速人、小学生の殺し屋の大ファンなど人生が心配になるほど頭がおかしいだろう。
「……あの神奈さん、それ多分本物ですよ」
「ああ分かってる分かってる。本物だよ、ここまでするガチファンがいるとは思わなかった。これを作った奴は本物のバカだ」
「いやそうじゃなくて隼さん本人です。彼も家みたいにお菓子にされちゃったんですよ、ここまでリアルな像を作成する大ファンがいるわけないじゃないですか」
――パキッという音が耳に入る。
何かが割れたような音だ。一番近くで割れそうなものといえば一つしかない、当然――隼クッキー像。
人間がお菓子にされたと語る腕輪に視線を向けている間も、神奈は隼クッキー像を触り続けていた。意外と触り心地が良かったのと、珍しさに心惹かれたというのが理由である。
音が聞こえた瞬間。神奈は目を限界まで見開いて、ギギギとぎこちない動きで隼クッキー像へと視線を戻す。そこには素晴らしい出来だった……というか本人だったクッキー像と、自分の左手が持っているクッキー像の一部。――神奈の左手にあったのは人間の耳の形をしたクッキーであった。
左手に持っている綺麗にとれてしまった耳を注視する神奈は「え?」だの「あれ?」だの「あっるうええ?」だのと言うだけで上手く言葉を出せない。
先程腕輪は目前の隼クッキー像が本物の隼速人だと言っていた。つまり、今とれてしまった耳は本物の速人の耳であり、もしクッキーじゃなければとんでもない絵面になることだけは確かだ。
ようやく事態を呑み込めた神奈は天を仰いで膝から崩れ落ちる。
「お、おう……オーマイゴッド……」
「うわあああああああ! 神奈さんが隼さんの耳をもぎ取ったあああ!」
「い、いやわざとじゃ……でもごめんなさい。私が耳を取りました」
「わざとじゃないからって許される問題じゃないですよこれ! どうするんですか!? この後お菓子から元の姿に戻ったとして、隼さんの片耳は千切れたままなんですよ!? しかも意識がないでしょうから戻った瞬間に耳が千切れた痛みが襲うんです、可哀想!」
「あわわわ、マジどうしよう。何とかしてくっつけないと……」
完全にお菓子化しているので意識もないだろう。仮にまだ意識があったら神奈に対して激怒していること間違いなし、戻った瞬間に斬りかかられること間違いなしだ。
神奈はとりあえず耳をくっつけるために行動を開始する。
ただどうすればくっつくか分からずまずは強引に押し付けてみた。するとどうだろう、力を入れて押し付けたことで速人の耳は――真っ二つに割れた。
「ああああああああああああああああああ! 割れた、割れちゃったああああああああああああ! 嘘、ちょっまっ、割れたああああああああああ!」
「力で押してくっつけるとかそれは無理でしょう!? せめて接着剤とかそういったものが間にないとくっつきませんって!」
「ならどうして止めなかった……ん? あ、そうだよ接着剤だ! 確か家に木工用ボンドがあったからそれ使おう!」
「人間の耳をボンドで付けるって常軌を逸してますよね」
大慌てで家に戻った神奈は木工用ボンドを持って来た。
当然ながら容器もお菓子化していた。黄色い容器はレモングミになっており、ぐにぐにと柔らかい触感が癖になる。蓋は固めのクッキーだったので開けられない。まあそこは蓋を砕くことで強引な開け方を披露して解決する。
容器を傾ければ白くてドロッとした液体が出て来た。
ボンドの色は大抵白い。中身は無事だったかと喜んだ神奈は早速耳部分に塗り、念のため隼クッキー像の欠けた部分にも塗り、ゆっくりと慎重に耳を戻していく。
冷静に考えれば接着剤等で付けた場合、耳の中に接着剤が残って大変なことになると気付きそうなものだが、この時の神奈は冷静さを欠いていたため全く気付かない。
「まず耳を戻して……戻して……もど……して……くっつかないし!」
「うーん神奈さん、もしかしてなんですけどやっぱりそれ中身もお菓子なのでは? ちょっと舐めてみてくださいよ」
「え、ええぇ……ボンドだよ?」
「大丈夫ですって、今は違うと思いますし。それに仮に粘着力ゴミすぎるボンドだったとしてもちょっと舐めるくらいで死にません。お腹も壊れません」
ほんの僅か舐めるくらいなら死なないし、腹も壊れないだろう。だが問題なのはボンドを舐めるという行為そのもの。凄まじい抵抗感があるのは誰でも一緒なはずだ。
じっくりとボンドに入っている白い液体を見つめる。ドロッとしていて、とてもお菓子には見えないそれを口に含むなど神奈も嫌すぎる。ただ、確かめなければ先へ進めないのも事実。葛藤して頭を悩ませてから神奈は勇気を振り絞った。容器に指を入れて液体を絡ませ、軽く出した舌に指ごと液体を付ける。
「……ん? ……あ、甘い」
舌から脳へと駆け抜けた甘味。
口に含むのは抵抗があった白い液体は砂糖のように甘い。神奈の中でそれはスイーツに使われることの多いものと一致する。
「生クリームかなこれは」
「あー、そういう感じのもあるんですね。てっきり溶けたホワイトチョコかと」
「確かに生クリームなのは意外……じゃねえええええええ!」
「意外じゃないんですか? 予想していたとはさすが神奈さん」
「ちっげーよ! こんなんじゃそりゃ耳がくっつかないでしょうよ!? どうすりゃいいんだよこの耳 !」
当然だが生クリームで物体同士はくっつかない。ボンドがクリームになっているなら他の接着剤もダメだろう。諦めるわけにはいかないが詰んだも同然であった。
「……ふむ、こうなれば仕方ありません。魔法を使いましょう。丁度物体同士をくっつける効果の魔法があるんですよ」
「えっ、そんな便利な魔法があるのか? どうせ欠点だらけなんだろ?」
「魔法の名前は〈クッツキン〉、イメージはまあなんかくっくつ感じで。そしてお察しの通り欠点があります。〈クッツキン〉は対象を視界に映るランダムな物体にくっつけるものでして」
「なるほどクソ魔法か、だが他に手段はない。使わせてもらうぞ〈クッツキン〉!」
そこから地獄が始まった。
この〈クッツキン〉という魔法、ランダムという割に嫌がらせレベルでくっつけたい場所にいかない。道路だったり、ブロック塀だったりに耳が接着するホラーな光景が生まれる。
視界の中にある物体にくっつくという魔法の特性を活かすため、神奈は隼クッキー像へと顔面を近付ける。視界に映るのを隼クッキー像のみにして、他の生物は視界からシャットアウト。これで確実に隼クッキー像にくっついて元通りになる……はずであった。
ここで忘れてはならないのが〈クッツキン〉の欠点。視界に映る物体にランダムでくっつく、つまり隼クッキー像のどこにくっつくか分からない。
地獄からはそう簡単に抜け出せない。
耳が元の位置に戻るのは奇跡レベルの確率だ。何度魔法を行使してもくっつくのは脳天、腕、脚、胴体などで全く元に戻らない。
ひたすら〈クッツキン〉を使用して三時間。
耳が元の位置に戻るまでに使用した回数は十万以上。
漲っていた魔力量の九割九分を消費して、ようやく神奈の地獄は終わりを告げた。
もしも隼速人に意識があったら。
神奈「うわやっば、割れた? 割れたああああ!」
速人(こいつ……殺すっ!)




