44.84 パッキーレイン
十月三十日。ハロウィン前日。
さてさてハロウィンといえば子供にとって一番、いや二番、いや三番目くらいに楽しみにしているだろうイベントだ。一番はクリスマスで満場一致。二番はなんやかんやで別のイベント。そうして結局三番手となるのがハロウィンの宿命。……などと勝手なことを思っている神奈は現在小学校の校庭を歩いている。もう授業が終わったので友達二人と帰っている途中だ。
「ねえ二人共、明日、分かってるよね?」
笑里に問われた神奈と才華は「ハロウィン?」と返す。
「うん、私達は明日、全てを懸ける」
「大袈裟な。ちょっと大人にお菓子貰うだけだろ」
ハロウィンといえば子供が他所の家に殴り込み、お菓子くれないと悪戯するぞなどと脅してお菓子を貰うイベントである。大人は仮装したりパーティーしたりで色々別方向で楽しめる日だ。
「甘いよ神奈ちゃん。年々子供の仮装や脅しのクオリティーが上がってて、十分なクオリティーじゃなかったらお菓子は貰えない……って才華ちゃんが言ってたもん」
本当かと目で訴えれば才華が頷く。
「何に対しても人は貪欲なの。高度な仮装をして訪問すれば、次はもっと高度なものを要求される。クオリティーという言葉に限界はないってことね。つまり私達も最低限の仮装をしなければ……」
「お菓子は貰えないってことか」
まあ何も神奈はお菓子が欲しいわけではない。こうして友達である彼女達と過ごせる時間が欲しいのだ。どんな結果になっても神奈にとってはどうでもいい。
「笑里さんには仮装の案を考えてもらったのよ。そういえばまだ聞いてなかったわね、どんな仮装をするのか今訊いてもいいかしら」
自信あり気に「いいよ」と言って笑里が鞄から取り出したのはトイレットペーパー。現れた道具に不安しかないため才華の表情が曇る。
「トイレットペーパーを全身に巻いてー、ミイラに変身するのっ!」
「ペーパーミイラとか雑すぎない!?」
トイレットペーパーを巻けば確かにミイラに見えなくもない。だがそんな小学生が秒で考えつくような案を自信あり気に出してくるとは思わなかった。……いや実際笑里は小学生なのだが。神奈も才華ももっとレベルの高い案を期待していたのだ。
「ちょっとそれは……簡単だけど、三人揃ってペーパーミイラは大人を舐めているとしか思えないわ。申し訳ないけど却下ね」
「ま、待って待って! まだもう一つあるから!」
慌てた笑里がトイレットペーパーを鞄に仕舞う。
「ドラキュラだよドラキュラ! かっこいいし!」
確かにドラキュラは純粋にかっこいいし、仮装の定番といえるくらいの人気を誇る。人気すぎて霞むだろうが他人よりクオリティーを高くすればいいだけの話。
「まあいいけれど、衣装は用意してあるの?」
今から衣装を作成するとなると仮装が何であれ大変だ。先程のトイレットペーパーを巻くだけのミイラとかなら手間もかからないがレベルが低すぎる。ドラキュラの場合は色々なパーツがあるので相当な手間がかかる、今から作成するのは厳しい。
「作ってないよ……ミイラになると思ってたから」
「どんだけ自信あったんだよ」
「だってだって! 今まで見たことないから斬新だと思ったんだもん! 誰もトイレットペーパーなんて使ってないじゃん!」
「そりゃ使わんだろ。巻いてミイラとか手抜きにも程があるし」
実際にトイレットペーパーを全身に巻いた少女三人が訪れたらどうだろうか。そんなもので仮装したつもりかと蔑みの目を向けられ、周囲からも手を抜きすぎだろと見下されることだろう。お菓子は当然貰えない。
「じゃあ神奈ちゃんには何か案があるの!? さっきから酷いこと言うけどさ、私以上の案が出せるってことだよね!」
神奈は「そう怒んなよ」と宥めて考え込む。
手間もかからず、クオリティーも高くなるハロウィンの仮装とは何かあるのか。前世の経験が全く活かされないのはいつものことだがこういう時は自分を恨む。どうして仮装をしなかったのか、どうして仮装を極めなかったのかと。
「……もういっそ、仮装しなくていいんじゃないの?」
「ダメよ。宝生町では仮装しないとお菓子貰えないんだから」
初耳だがこの町ではハロウィンの日、仮装していなければお菓子が貰えないらしい。まさかそんな誰にも得がないルールがあるとは神奈も思わなかった。去年のハロウィンは何の疑問も抱かず才華の薦めで仮装していた。……そう、才華だ。去年は彼女が用意したのだから今年も頼めばいいのだと神奈は気付く。
「じゃあ才華が何か用意してくれよ。今から案出して衣装作るとかムリゲーすぎんだろ。あの家のことだから何かしら仮装衣装はあるんだろ?」
「……それしかないかもね。いいわ、今年も二人の分を見繕っておく」
「うわー、人にあれだけ言って才華ちゃんに頼むんだ。人頼みしか出来ないのに私のこと馬鹿にするんだ。最低だよ神奈ちゃん! 誰かを頼るのは自分でどうしようもなくなった時でしょ!」
「はいはいどうもすいませんでした」
人のことを言えるのか怪しいが言い返さずに謝っておく。
上手いこと笑里を流していると、神奈の視界に縦に細長い何かが高速で落下して来た。気付けば暗い雲が上空にいくつか現れている。
「ん、雨か?」
雨を嫌いな人間は多いだろう。神奈もその一人だ。
嫌な顔をしながら上空に浮かぶ黒雲を眺めていると異変に気付く。
黒雲から落下してくるのは雨ではない。それは水ではなく、液体ですらなく、完全に個体として地上に降って来ている。
「……パッキー?」
棒だ。細長い棒が空から降り、地面に落ちては折れていく。
よく見てみれば神奈もよく知っているパッキーという大人気のお菓子だった。
ドイツ発祥のプレッツェル菓子の一種であり、棒状のプレッツェルにチョコレートを塗ったものが日本で売られているパッキーだ。チョコレートがないバージョンのポリッツなんてものもある。どちらも共に大人気商品、たまに食べるので見間違えることはない。
不思議なことにこの日、宝生町ではパッキーの雨が夜遅くまで降っていた。
* * *
十月三十一日。朝、神奈はいつもの様に腕輪に起こされた。
毎日同じ「神奈さん起きてくださーい」で起こしてくれる目覚まし腕輪なわけだ。なんと便利なことか。
ベッドから寝ぼけた状態で上体を起こし、床へ足を付けて立ち上がる。いつもならこの後に一階へ降りて顔を洗い、着替えて、トイレに行くわけだがこの日は違った。
立ち上がった瞬間――神奈の体重に耐えきれなかった床が抜けたのだ。
当然だが今までこんなことはなかった。立っただけで床が抜けるなど夢咲家くらいなものである。完全に油断していた神奈は「ぎゃああああああああ!」と情けない悲鳴を上げて落下していく。
一階の床まで落ちて着地、出来るかと思いきや一階の床すら抜けてしまう。腰辺りまで埋まってしまった神奈は死んだ表情で真上を眺める。
見上げれば人間一人が入れる穴が空いている。ベッドの重さに耐えているくせに人間の重さに耐えられないとは何事か。まさかベッドより重いとでもいうのか、穴の空いた天井を睨んでから脱出した。どうやら普通に立つだけなら一階の床は抜けないらしい。
「うがああああああ! 隼、隼だろ出て来いこらあ!」
「いや神奈さん、何でもかんでも隼さんのせいにするのはどうかと思いますよ。さすがに彼も他人の家に落とし穴を作るなんてしないでしょう」
「だってこんなのおかしいだろ! 明らかに人の手加わってるだろこれ! 床が抜けるほど私が重いとでも!?」
「まあ何者かの仕業なのは確かですよね。家がこんな有様ですし」
「そりゃそう……ん? あれ、ここ私の家だよな……?」
怒っていた神奈は家の異常に気が付いて困惑の方が強くなる。
穴が空いた時点でだいぶ異常だが今目の前に広がる光景はそれ以上だ。見覚えあるはずの白い壁がどこにもなく代わりにあるのがクリーム色の壁。家具は原型こそ保っているが妙に丸かったり可愛らしくなっている。
「いったい何だ、この壁の色――」
歩いて近付いた神奈は壁に手を当て、壁の一部と一緒に外へ倒れていく。
いきなり倒れる壁に驚いて「おおおおおおおおお!?」と叫びながら神奈も倒れた。ほんの少ししか力を入れていないにもかかわらず壁が一部崩れるなどあまりにおかしい。
「さっきから何なんだよおおおもおおおおおおおお! 夢なら早く覚めろよおおおおおおおおおおおおお!」
朝起きたばかりなのに床が抜け、壁まで倒れるとは誰も想定出来ない。寝起きで予想外なことばかり起きることに我慢の限界を迎え、神奈は倒れた壁の上でゴロゴロと左右に転がり回る。クリーム色の壁には亀裂が入って終いには真っ二つに割れた。亀裂から芝生に落ちた神奈は真顔で起き上がる。
「芝生が……」
「どうしたんです? 家の庭は芝生だったじゃないですか」
「いやこれ……違う、柔らかすぎる」
芝生は柔らかい、だがそれ以上に柔らかいのが今神奈が触れている何か。緑色のそれは草のように見えて触ればプルプルと震えている。
「あーこれグミですね。なんか前に売ってた草グミってお菓子ですよ」
「芝生がグミ……? じゃあもしかしてこの壁も……」
クリーム色の壁に手を添えて少し力を入れればパキッと音を立てて割れる。芝生がグミだというのなら、この妙に脆い壁も何か別物である可能性が高い。そしてその正体に神奈は何となくであるが予想を立てられた。
「……ウエハースかなあ、壁」
「もしかしたら家全体がお菓子になってしまったのかもしれませんよ」
「とりあえず確認しておくけど……」
確認の結果、神奈が住む家は全てお菓子になっていた。
一階の床はクッキー、二階の床は壁と同じくウエハース。家具はほとんどクッキーやチョコレート。ちなみに朝まで寝ていたベッドはホワイトチョコでそこそこ頑丈であった。お菓子の家になっていることに落ち込んだ神奈はリビングで膝を抱えて座り込む。
「もうやだ、意味分からん」
「まさか衣服も全滅とは思いませんでしたね。パイ生地だったから迂闊に着ることすら出来ませんし、たぶん触ったら変形したり破けるでしょうし」
「私、一生パジャマのままなの……?」
着替えがないのだからパジャマのままなのだろう。逆に今来ているパジャマがパイ生地になっていたらもうアウトだったので、そこだけは誰に対してでもないが感謝するべきかもしれない。
「ねえ私何か悪いことした? 前世ではさ、そりゃ酷いことしたって自覚はあるんだよ。でもさ、今世では友達も作れたし、大事にしようって思ってるのにこの仕打ちはないよね。神様って案外残酷なんだな、恨むぞ爺さん」
「いや別にあの人の仕業ってわけじゃ……。どっちかっていうとあれですよね、お菓子の家ってあの話ですよ。ほら、ヘンゼルとグレーテル」
「あー、あったなそんなん。どんな話だっけ?」
腕輪が語ったヘンゼルとグレーテルという童話にもお菓子の家が出てくる。
あるところに母親を亡くして父親と三人暮らしの兄妹がいた。父親は仕事で多忙だったため、家庭のために新しい母親を迎える。しかし義理の母親は貧しかった暮らしに耐えられないうえ、兄妹のことも嫌悪していた。あまりに嫌いだったからか森に置き去りにされた兄妹は、来る時に道へ落としていた小石を辿って家に帰ることが出来た。当然この次も置き去りにされた兄妹だが次はパンくずを落として戻ろうとしたが、鳥に食べられて帰れない状態に陥る。森を彷徨い続けていた兄妹の前に現れたものこそがお菓子の家だ。
屋根はケーキ、壁はクッキー、窓はキャンディーと美味しそうな家。空腹状態でそんなものを見つけた兄妹は当然齧りつき、お菓子の家を食べ進める。すると中からお婆さんが出て来て、事情を話せば親切なことに住まわせてくれた。これだけならまだいい話だが暮らしているうちに人食い魔女だと判明し、自分達を食べようとしていることにも気付く。その後、人食い魔女をオーブンで焼き殺してから兄弟は白鳥に乗って実家に帰った……という内容の童話。
始めから終わりまで聞かされた神奈は「ああそんな感じだったな」と頷き、確かにお菓子の家が出て来ることも分かった。
「でもああいう童話って結構えげつないよな。魔女をオーブンで焼き殺すって何食って生活してたらそんなこと思いつくんだよ」
「描写は詳しく書かれてませんけどね。で、現状の話に戻りますけど、つまり犯人は神奈さんを太らせて食べようとしているってことでいいですよね? 絶対にお菓子食べちゃダメですよ?」
「言われなくても食べんわ。元が家なんだぞ、腹壊しそうだろ」
仮に家を食べたらどうなるか、考えなくても分かるだろう。
コンクリートを食べたら、家電製品を食べたら、タンスやベッドなどを食べたら当然腹を壊す。いくら頑丈な歯と顎で噛み砕いても不味いうえ腹痛に襲われる。頑丈な胃を持っていれば大丈夫かもしれないがさすがの神奈もそれらは食べられない。
美味しそうなお菓子を無料で貰ったとして「実はコンクリートで作ったんですよー」なんて言われた日には、配っていた人間を殴り飛ばしてもおかしくない。いや、きっとそのお菓子を配布する係の口へ強引にねじ込むだろう。
「うーん、そうだ。神奈さん神奈さん、一度外に出てみたらどうです? もしかしたら犯人の手がかりがあるかもしれませんよ」
「まあ、このままここに居てもしょうがないか」
家をお菓子にした犯人を捜すべく、神奈はクッキーになった玄関を開けて外に出る。先程も外に出ていたが気付かなかった光景が視界に映る。
先程はまだ庭だったし、目前のことで精一杯だったので気付かないのも無理ない。だがあまりに非常識な光景を目にして、どうしてさっき分からなかったのか、いやそもそもこれが本当に現実なのか目を疑ってしまう。
――その日、宝生町はほぼ全てが神奈の家同様にお菓子と化していた。
ポッキー → パッキー
いやなんかそのまま使うことに不安があるんですよね。




