44.82 避難訓練に大事なおかしも
夏休み明け、九月一日は誰が決めたか防災の日。
九月一日から始まる一週間は主に防災対策が行われるらしい。宝生小学校もまた、その日に防災訓練が行われようとしていた。
「はーいみんな、今日は何の日か分かるかなあ?」
四年一組の担任である女教師が教室で生徒達へ問いかける。
窓際の席に座っている女生徒、神谷神奈はその答えを知っている。ただ、四方八方に跳ねた黒髪の彼女は分かっていても面倒だから答えない。
そこで一人、ピンと姿勢よく手を伸ばして「はい!」と返事する女生徒がいた。オレンジ髪で活発そうな彼女、秋野笑里は笑顔で答える。
「夏休み明けの二学期初日です!」
だが元気に解答されたものは全くの見当はずれであった。
「うーん、それはそうなんだけどね。残念はずれ」
「あっ、始業式をやった日です!」
「同じなんだよねえそれは……確かにさっきやったけど違います。他に誰か分かる人いないかなあ?」
女教師が生徒達の顔を一人一人見ていると「はい!」と元気な声が響く。
手を挙げたのは炎のような逆立った赤髪の男子生徒。いかにも熱血といった雰囲気の彼、熱井心悟は立ち上がって拳を胸にドンと当てる。
「魂を燃やす日です! 新学期初日を祝い、二学期も熱き血と魂を燃やす。これこそが今日全員が行うべきことです!」
「かなーり違うかなあ。あと席は立たなくていいから座りましょう」
元気すぎるのも問題だ。渋々といった様子で腰を下ろした熱井や、二度も間違えた笑里にもう期待は出来ない。
この質問は正解者が出るまで続くだろう。答えが予想出来ている神奈は面倒で手すら挙げないが、まだ大本命が答えを告げていない。
「はい、先生。私が答えてもいいでしょうか」
「才華ちゃん! はいどうぞどうぞ、もう正解しちゃってください!」
黄色のゆるふわパーマの彼女、藤原才華が手を挙げた。そう、彼女こそが神奈や女教師の大本命。通称、才ペディア。あらゆる知識を蓄えている彼女なら必ず正解を導いてくれるはずだと誰もが信じている。
「九月一日はキウイの日です。私は朝、キウイを食べてきました」
「えっ!? 九月一日ってキウイの日なんですか!?」
正直神奈も知らないので女教師共々驚いて目を丸くしている。
才華がその後に語ったのはキウイの日の詳細。キウイは語呂合わせにすると数字で表せて、それこそが九と一。つまり日付は語呂合わせで決まったらしい。キウイフルーツの消費を目的としていて、別名元気フルーツとも呼ばれるキウイを食べて健康を維持してほしい願いがあるという。
「いやちょっと先生も知らなかったんですけど……勉強になりました。……っていやそうではなく! 実はキウイの日でもないんです! なかなか正解が出ないですね、正解は防災の日ですよー。今日は避難訓練を学校全体で行いまーす」
「ああそっちでしたか。すみません、てっきりキウイかと」
「キウイはもういいですから! 今は避難訓練です! まあ……みんなも初日から避難訓練は大変だと思うので、今日は避難に重要なことをおさらいするだけです。本格的な訓練は明日やりますからね」
確かに避難訓練は誰にとっても面倒なことだ。実際に訓練の内容が役立つか、そもそも大規模な地震や火事に遭遇するかも分からない。しかしやっておけばやっていない人間よりも心構えが出来るだろう。
「まずは火事からの避難です。例えば、四年二組の教室で火災が発生した場合、みなさんはどうしますかあ? 熱井君答えられるかな?」
四年二組は一組の教室を出て右側に位置する。つまりこの場合、右に火があるため左側にある階段を使って避難するのがベスト。火事が酷すぎて焼け崩れない限り問題ない。
「はい! まずは火を根性で消しに行きます!」
(根性じゃ火は消えないだろ。消火器持って行けよ)
しかし熱井の解答はあまりに無鉄砲なものであった。
彼はどうやら消火器という便利な道具すら使わず、息を吹きかけるなどの方法で消火しようとしていたらしい。いくら根性があっても、バースデーケーキの蝋燭ではないのだから消えるわけがない。
「うーん、火を消しに行くのは偉いんだけど根本的にずれてるねえ。そう簡単に消えなかったら逃げるしかないんじゃないかな」
「いいえ! 心頭滅却すれば火もまた涼し。時間がかかっても根性さえあればどんな火でも消してみせます!」
(不思議と焼け死ぬ未来が見えない……いややっぱり死ぬだろ)
確かに【心頭滅却すれば火もまた涼し】なんて言葉はある。
熱くないと思えば火の中でも熱くないという自己暗示のようなものだ。あくまで暗示なので実際は体が熱で悲鳴を上げることだろう。
「速人君、速人君はどうするかな?」
(うわ、人選間違えたな先生)
次に使命されたのは腕を組んでいる黒髪の少年、隼速人。
殺し屋をやっている隼家の次男であり、エリートの殺し屋だと本人は宣言している。神奈にいつも手裏剣を投げるし、刀で斬りかかるし、手榴弾を投げつけるはで全く常識のない男である。
「ふん、廊下に出るより窓から飛び降りた方が手っ取り早い。俺のように飛び降りても平気な奴は窓、臆病者は左の階段から脱出すればいい」
(何い!? まさかの私と同じ常識的な考えだと!?)
「うーんと、窓から飛び降りるのは危ないので止めましょうね。速人君はもうちょっと常識を身につけた方がいいです。でも左の怪談から下りる、これは合っています。火災が起きている二組は右側の教室なので左から逃げましょう」
(……え? それ同じ考えだった私も常識がないってことじゃ)
なお、常識があると思い込んでいる神奈も一般的な思考からずれている。つい先程も速人と同じ考えであったため、チッと舌打ちして目を逸らす彼と同レベルであった。
「次は地震の対処法でーす。おっきな地震が起きたらどうするか、笑里ちゃんは分かるかな?」
地震の対策は日本で必須と言えるだろう。
毎日とまではいかないが週に一度は必ず起きるレベル。日本のあちこちが揺れまくっているので避難の心得を持っているだけでも違う。
「自分も一緒に揺れてみる! そうすれば上手く相殺出来るかも!」
思わず神奈は「アホ……」と呟いて顔に手を当てる。
いや、想定はしていたが、想定していてもそれを遥かに超える答えが出された。常識があるのかないのかはっきりしてほしいのは笑里以外もだがこれは酷い。知能がマイナス方面へ向かっているのか、それともただ知識がないのか。さすが小学校のテスト全教科十点台はレベルが違う。
「アホ……あ、いえ、残念だけど違うんだなあ。神奈ちゃんは分かる?」
「まあ、普通に机の下に隠れる……で合ってますよね」
「はい大正解! みんなも地震で揺れたら机の下に隠れるようにお願いね」
正直他の生徒の答えも聞きたかったが神奈は真面目に話を進めておく。
ここで間違えてもいいが教師の心が砕ける可能性がある。別に神奈自身が優等生というつもりはないが、あまりに酷い解答が続けば指導する側の頭がおかしくなってしまう。場合によってはこんなクラス嫌だと叫び出ていくかもしれない。
「さーて次で最後。みんなは避難する時に大事な〈おかしも〉って知ってるかな? これは避難する時絶対守らないとみんなを危なくしちゃうの」
避難の〈おかしも〉は地域によって異なる曖昧な決まり事である。
押さない。駆けない。静かにする。戻らない。この四つの頭文字を取って〈おかしも〉の完成だ。地域によっては〈おかし〉だったり〈おかしもち〉だったり色々あるし、意味が異なることさえある。
この決まり事について知っていると一番に挙手したのは笑里であった。
「先生、私知ってます!」
「……あ、うーん。はい、笑里ちゃんどうぞ」
先程の地震の答えが尾を引いているため女教師のテンションは低い。
そして案の定、笑里は正解に掠りもしない解答を言い放った。
「ポテイトチップスとかオイCスティックのことですよね!」
「お菓子じゃないんだよー。〈おかしも〉は、守るべきことの頭文字を繋げたものなの。それを踏まえてもう一度考えてみてねー」
「……お菓子、菓子、しっかり、持って行く」
「お菓子から離れてほしかったかなあ。他に分かる人は手を挙げてみてー」
もうお菓子のことしか頭にないらしい。彼女がまた考え始めるが女教師は待たずに他の生徒へ解答を促した。
しかしクラスの不安要素は笑里だけではない。前の問いから根性だの何だのとしか答えていない熱井が手を挙げて、必死な顔で自分なりの〈おかしも〉を叫ぶ。
「おい! 関節外れても骨が折れても! 死にはしない! 猛ダッシュで逃げるんだ!」
「そこまでいくと先生は走ってほしくないなあ」
関節や骨がどうにかなっているならもう救助対象だ。そんな人間に自力で避難しろと言えるわけがない。
自分から挙手する者はダメかもと思った女教師がパターンを変える。
先程のように指名すればいいのだ。才華……は最終兵器として保留しておき、火事の質問の際に多少常識外れな部分はあれどいい線をいっていた速人を指名する。
「速人君、速人君なら分かるよね!」
「お前、関係ないって面してるが、死ぬぞ? もうすぐ」
「怖すぎる! もう一回言うけどみんなが守らなくちゃいけないことだからね!? 本当に考えて挙手すること!」
考えて発言しろと言われたものの、その後も様々な意見が出された。
結局指名でもダメだったので女教師は挙手した生徒を次々答えさせたのに、解答は全てふざけていると思えるものばかり。正直頭がおかしくなりそうであった。
「おい貴様、火事如きでこの俺が、死ぬと思っていたのか? モリモリ元気に決まっているだろう?」
「おーい、関係ないって顔してる人、死にそうな人がいたら助けるべきだよ。もう行っちゃったか」
「オクラ、カイワレ、真剣に育てる、モヤシも」
「オニオン! 柿! 鮭! モヤシは美味しい!」
「踊れ。火事の中で、振動の中で、猛烈な自己表現をしろ」
「ストップストップ! みんな本当に考えているんだよね!? さっきから一ミリも合ってないんだけど大丈夫!?」
あまりに酷い答えが来るもので女教師も限界だった。ちなみにオクラだのカイワレだの言っているのは夢咲夜知留であり、食べ物オンリーなのが笑里である。本当に考えたのか疑わしい。
もう考えるまでもないだろう。このクラスは、四年一組の生徒は全員馬鹿なのだ。優等生でも発言しなかった才華は辛うじてそのカテゴリから外れたがそれ以外は馬鹿だ。女教師はもうそう思うことでしか正気を保っていられない。自分の指導が悪いわけではなく、指導しても治らない馬鹿なのだ。馬鹿は死んでも治らないというがまさにそれだ。
そんなことを思っていた女教師に「あー」という才華の声が届く。気まずそうな顔で軽く手を挙げている彼女に希望を見出した女教師は反応する。
「すみません先生、ちょっと言っておかないといけないことがあります」
どうやら話に関係ないことのようだが女教師は一応耳を傾ける。
「実は先生が来る前、事前に今日何かをやると分かっていた男子生徒がみんなに言いました。初日だし、先生を楽しませるために質問があったらわざと変な答えを返そう……ということを」
「何だあぁ、良かったですよおおぉ。てっきり私の教え子全員アホすぎるのかと思っていたんですけど違ったんですね……! さっきの笑里ちゃん達の答えも真面目じゃなかったってことなんだよね……!」
明かされればなんてことはない。生徒達のただの悪ふざけだったのだ。
教室に着いてすぐ寝ていた神奈は全く知らなかったがそういうことかと納得する。女教師も教育に対する自信を取り戻したようで、生徒達をアホだと思った自分を殴りたい衝動に駆られる。なぜ自分は信じてあげなかったのかと反省し、今日一番の笑顔で言葉を紡ぐ。
「え? せんせーい、私はふざけるのよくないと思って真剣に答えました!」
そう言い放ったのは笑里である。女教師の顔から笑みが苦いものになる。
「…………え? …………あの、もう一回言ってくれないかな?」
「己なりに! 考えて! 真剣に! 問答しました!」
神奈は密かに問答の使い方があっているのか気になったが、女教師から見ればそれはどうでもいい話。重要なのは解答がわざとふざけたものではなかったという一点。苦笑いすら浮かべられない。
「……そっかああああ」
表情の抜け落ちた女教師はゾンビのような足取りで教室を出て行く。
その日、彼女は二度と教室に現れなかったので、下校時刻になったら生徒達は自主的に帰宅する。
女教師は当日に校長へと異動願を提出したが受理してもらえなかった。その事実を噂で聞いた一組の生徒達はもっと勉学に励もうと強く思った。
最近、章タイトルでいいものが思いつかない……。
投稿する時、もう諦めて「神谷神奈とハロウィン」とかでいいかなとも思ってしまっていた。実際に文芸部なんて正直なタイトルもあるので違和感はないはず……でも、そのままはそのままでちょっとダサい気がしてくる。




