44.78 予想はあくまで予想
何かが起きたと全員が理解した。
大きな爆発音が別荘内の全員に聞こえたのだ。
「何!? 爆発!?」
「この音の方角、距離、山からだぞ!」
リビングにいた者達が窓へと駆け寄って山を見やる。
山からはどす黒いオーラが立ち昇っていた。明らかに普通ではない現象に思い当たる節は一つしかない。丁度、厄狐の封印されている祠がある場所なのだから原因は厄狐。しかも封印から解き放たれたと見ていい。
「おい藤原父! 復活まで時間がかかるんじゃなかったのか!? あれはどう見ても話に聞いた厄狐とやらの仕業だろう!」
非常事態に霧雨が焦って叫ぶが藤原堂一郎にも予想外であった。つまり返す言葉は一つしかない。
「……うむ、そうだな」
とりあえず受け答えが出来る魔法の言葉。これでどうにか場を繋ぎ、いつも他の答えを必死に考えているのだ。……とはいえこの事態に対する言い訳など思いつかない。何せ素人目線でだいたい今日中には復活するだろうな程度の憶測でものを言ってしまったのだから。
「や、やばいよみんな……この感じられるエネルギー量」
斎藤が足をガクガクと震わせながら告げる。
「うん、私も分かる。すっごいおっきい力を感じるもん」
「まったく、どうしていつもいつもこんな怪物が出てくるのよ……」
小刻みに震えて不安そうな表情を浮かべる笑里と夢咲も同意する。
こういった事態に必要なのはいつもヒーローのような強者。彼ら彼女らの周りでは一番強いのは友人の少女、神谷神奈なのだが間が悪いことに今は藤原家へ向かったばかり。資料を見つけて戻って来るまでかなり時間がかかるだろう。
「……藤原父、提案する。全員が外へ出るべきだ」
「うむ、そうだな」
「こういう時は話が分かるな。おい全員で外に出るぞ! もしこの別荘が攻撃でもされれば崩落して生き埋めになる!」
「そういうことだったのか! それなら使用人に伝えてこよう!」
「分かっていなかったのか!?」
驚愕する霧雨をよそに堂一郎は別荘内の使用人達の元へと走って行く。
驚いている場合じゃないと気付いた霧雨は夢咲と共に別荘入口へと走る。どうやら他の面子は荷物整理に多少の時間がかかっているようでまだ来ないようだった。
二人が玄関に到着した時、このタイミングでチャイムが鳴り響く。
「こんな夜更けに……誰だ?」
「もしかして神奈さん達が気付いて戻って来たとか……」
厄狐が復活してからすぐに来客というのもおかしな話である。神奈達が帰ったというのならわざわざチャイムを鳴らす必要があるとは思えない。彼女達なら勝手に入ってくればいいのだから。
若干警戒を強める霧雨が扉を開けるのを躊躇していると、悪い方向を考えていない夢咲が「はーい、今開けまーす」と躊躇せず扉を開ける。
「あ、夜分遅くにすみません。自分、通りすがりの霊能力者なんですが、何やらとんでもない邪気を感じたので近場の住人に話を聞かせてもらおうと思いまして」
「全然関係ないじゃないか! しかも藤原父が呼んだ奴でもなさそうだし!」
扉の前にいたのは筋骨逞しい体格の男。
頭には白いバンダナ。衣服は毛皮のベスト、毛皮の腰巻き。霊能力者というよりは山で暮らしている修行者のような服装であった。
通りすがりと言っていることから堂一郎が呼び出した霊能力者ではない。本当に運が悪いことに偶々近くを歩いていただけの部外者だろう。
「あの、私達もこれから逃げるところなんです。あなたも逃げた方がいいですよ。その邪気とやらの発生源は山に封印されていた妖怪なので」
「何だって!? いやしかし危険だ、自分も同行しましょう」
プロの霊能力者が仲間に加わった。ファンファーレでも鳴り響きそうな展開だが生憎とそんな状況ではない。
先に別荘から出た霧雨と夢咲、元から外にいた部外者の霊能力者。三人へ合流するかのように別荘から続々と笑里達が駆け足で脱出して来た。
「よし、一先ず俺達は脱出できたな」
「使用人達にも逃げるよう伝えておいた。色々と荷物があるようでまだ中にいるが――」
堂一郎が心配そうに別荘を眺めていた時、山の一部が爆発を起こす。
粉塵が空高く舞い上がり、飛び上がったどす黒いオーラを纏う何かが迫って来て――別荘へと突撃した。
何者かの体当たりの直撃を受けた別荘は内部から爆発したように崩れ、その別荘より大きな元凶の下敷きになってしまう。
崩壊した別荘の上に座っている元凶の姿は恐怖を駆り立てる。
外見はとても巨大な狐だが体の色や模様は禍々しい。赤い瞳は鋭い眼光を放っており、尻尾は十本も存在していた。
「で、でっかい狐さん……!」
「あれが厄狐……! 山に封印されていた、妖怪……!」
笑里と夢咲、そして通りすがりの霊能力者は戦慄する。
「何という邪気だ。首を突っ込むんじゃなかった……」
あまりの情けなさに霧雨は「アンタ何しに来たんだ!?」と思わず叫ぶ。
彼らとは違い、厄狐のエネルギー量以外で戦慄している者もいる。堂一郎や斎藤は潰れた別荘の中にいただろう藤原家使用人達のことを考えていた。
「ば、バカな……使用人達がまだ中に……」
「そんなっ、メイドさんや執事さんみんな優しかったのに。こんなあっさり死んじゃうなんて……」
「大半は助からないだろうな。くそっ、俺の判断がもっと早ければ」
「……いや。藤原家の使用人だ、きっとまだ生きている」
藤原家の使用人は全員が最低ラインの戦闘力、拳銃を持った成人男性一人を軽く制圧出来る実力を持っている。こんな事態になっても生存しているはずだと信じている。
それから厄狐と霧雨達の場が膠着状態に陥った中、底知れぬ重圧に耐えきれなくなった者が一人叫び出した。
「も、もう嫌だ! こんなところに居られるかあ!」
恐怖で叫んで逃げ出したのは霊能力者の男。
やはり情けない姿に内心呆れつつ霧雨は「おい!」と呼び止めるが構わず砂浜を走り続ける。だが厄狐の尻尾の一本が男へ伸びて、鞭のようにしならせた尻尾が男の脳天へと叩きつけられる。その衝撃に「ぐぎゃぶえっ!?」と悲鳴を上げた男の首から下が強制的に砂へ埋まってしまった。
「し、死んでないよねあの人……っていうか誰あれ」
「通りすがりの霊能力者だそうだ。頭が若干動いているから辛うじて生きてはいるだろうが……」
本当に何をしに来たんだと霧雨は頭から血を流す男を見つめる。
そんなことより、初めて明確に人間へと攻撃が飛んで来てしまったという方が問題だ。邪悪なオーラを纏う姿から察してはいたがやはり人間を襲う者であったのだ。このまま戦うことになれば全滅待ったなしである。
「感じるぞ、お前、藤原の人間だな?」
喋った。その事実に全員が驚愕した。
厄狐は藤原家に恨みがあるのか堂一郎を睨んで問いかける。
冷や汗を垂らした堂一郎は「うむ、そうだな」といつも通りの返答をした。
「春雨の子孫か。こうして対面したが運の尽き。お前達藤原は皆殺しだ、恨むならお前達の先祖を恨め」
「うむ、そうだな」
冷や汗を垂らした堂一郎はいつも通りの返答をした。
「……なぜそれしか言わない?」
「うむ、そうだな」
冷や汗を垂らした堂一郎はいつも通りの返答をした。
「――死ね」
痺れを切らした厄狐はさらに視線を鋭くして尻尾を伸ばす。
おちょくられているとでも思ったのだろう。重低音で放たれたシンプルな一言はまさに心情の全てを表している。
振るわれた巨大な一本の尻尾は鞭のようにしなって堂一郎へと向かう。
殺意を秘めた一撃に何もしなければそのまま叩き込まれてお陀仏。だが咄嗟に動けた笑里と斎藤が堂一郎の前へ飛び出て、しなる尻尾の一撃を受け止めようと両手を前に突き出す。
笑里には霊力があるし、斎藤には魔力がある。自覚のないことだが二人のエネルギー量はエリートクラスであり、並大抵の攻撃は軽々受けとめられる。……並大抵ならばであるが。
「ぐうっわああああああああああああ!?」
「がっはっ!?」
残念ながら厄狐の攻撃は並大抵に入らない。
多少押さえ込んだものの、二人は吹き飛ばされて堂一郎の両脇を通り抜けて砂浜を転がる。気絶したようで立つ気配は微塵もなかった。
(マズい、非常にマズい。俺の頭脳が結果を導き出してしまっている)
神奈が危険を察してくれたらすぐ戻って来るだろうが、来ないということはこの騒ぎを察知出来ない距離にいるということ。現場にいる人員であの厄狐に対処するのは、笑里や斎藤が手も足も出ない時点でまず無理。霧雨自身も今日は遊びのつもりだったので所持している発明品は最低限。パワードスーツなしの夢咲や堂一郎は戦力にならない。逃げても先の霊能力者のように攻撃されて死にかけるため不可能。
(打てる手がない。詰んでいる。俺達はここで……)
死。その文字が頭を過ぎった瞬間、夢咲の声が届く。
「――霧雨君、電話貸して」
一言で希望が復活する。絶望的な状況に光が差す。
「は? いや、なぜ……そうか! 神谷に連絡を!」
「それも考えたけど電話するのは別の人。神奈さん達には万が一を考慮して厄狐のことを調べてほしいから」
「だがあんな怪物と戦える人間なんて他に心当たりは……」
スマホを操作しながら答えていた夢咲は誰かに電話を掛けだした。
霧雨の知人で神奈以外に厄狐と戦える人物などいただろうか。部活仲間の隼速人ならなんとか勝てるかもしれない。しかしこれからこの場所に来るのには時間がかかるだろうし、彼が来る前に全滅してしまう。やはり神奈に電話した方がいいのではないかと思い、提案しようと口を開きかけた時に電話が繋がる。
「あ、グラヴィー君? 緊急だから話を聞いてくれない?」
『……何だ?』
繋がった先に居る人物の名前は全く霧雨が知らないものだった。
「今とんでもない怪物が目前にいるから助けて。場所は藤原家の別荘、レイ君に訊けば分かるからお願い。神奈さんがいないからピンチなの」
『そこなら僕も知っている、以前勝手に特訓場所として使わせてもらったからな。……だが生憎、僕はバイト終わりで疲れているから行けない』
「ちょっ嘘でしょ!? 私達本好き仲間じゃない!」
『早とちりするな。寝ぼけてたからスピーカーにしていたようでな……もう僕より強い奴がそっちへ向かった』
「あなたより強い人って……き、切られた」
誰だろうと関係ない。行けないと言われて電話を切られたのだから。夜空同様に暗い状況は何一つ変わらない。
「どうやら希望は潰えたようだな。俺達はもうここで」
夢咲が電話している間も厄狐の尻尾は堂一郎を狙い続けていた。
勘が鋭いのか堂一郎は走り回ることで紙一重で躱し続けている。しかしそれもそう長く続くはずがない。今まで一本だけだった尻尾での攻撃が十本を束ねてのものになり、破壊力が圧倒的に増したそれは紙一重で躱そうものなら余波でも死にかけるだろう。
束ねられた十本の尻尾が堂一郎へ振り下ろされようとして――真横から飛来した赤紫の光によって攻撃が中断される。
「――流星脚」
尻尾が解けて一本ずつに戻り、厄狐の眼光が夢咲の前方へと向けられた。
所々スパークを起こしている赤紫の光がそこへ着陸した。光が霧散したその場に現れるのは一人の少年。赤紫で後ろだけが逆立っている髪型の彼、レイはやや笑みを浮かべて拳を構える。
「死にはしないさ。僕が君達を死なせない、この命に代えても!」
流星の如き頼もしい助っ人が現場に参上した。
* * *
厄狐が霧雨達の前に現れる少し前。
藤原家へ飛んで向かっていた神奈、泉、才華の三人は早くも到着した。
豪華で大きな西洋風の屋敷の庭へ着地した神奈は「よし、着いた」と呟きながら、二人の手を離す。腕輪の結界のおかげで遠慮なくスピードを出せたので相当な時間短縮になったはずである。
「行きましょう、あまり時間は残されていないはずだわ」
「そうだ、ね。隅々まで見たいところだけ、ど」
「今度遊びに来たらゆっくり見て回ればいいだろ。さあ資料を探すぞ」
設置されている電灯のおかげで照らされている道を走る。
走り出した神奈達だが、まだこの時は藤原家のセキュリティを甘く見積もっていた。いや才華だけは自分の家なので覚悟をしていたのかもしれない。だから彼女だけが右から迫る弾丸に気付いて「避けて!」と声を上げた。
才華の掛け声のおかげで神奈はなんとか音速の弾を避ける。しかし泉は躱しきれずにこめかみへ直撃したので軽く吹き飛ぶ。
「泉さんが死んだあ!?」
「いえ死んでません。まだ私が作った結界が残っていたようです」
結界があったとはいえ泉は頭部への衝撃で気絶してしまったようだ。
銃弾だったのは確認済み。いったい誰が撃ったのかと右を向いてみれば、そこにはロングスカートタイプのメイド服を着用している使用人が拳銃を向けていた。
「侵入者です! 近場の使用人は集合せよ!」
彼女が高い声を上げると、庭の茂みから「はっ!」という掛け声と共に使用人達が姿を現す。新たに一人、また一人と順番に現れた彼女達もロングスカートタイプのメイド服姿であり、唯一違うのは所持している武器がマシンガンだということだろう。
「ちょっ、いやおいおいおいおいおい! 武装メイド多すぎだろ!?」
「言ったでしょう神奈さん。藤原家のセキュリティは万全だって」
「過剰防衛だろこんなの! どこの家に銃向けてくるメイドがいるの!? しかも最初すっごい容赦なく撃ってきたよね!?」
「安心して。……みんな私よ! 藤原才華よ!」
大声で主であることを知らせることで使用人達の表情が曇る。
さすがに家の人間にマシンガンをぶっ放してきたりはしないだろう。当然、それを真実だと受け入れてくれればの話だが。
「才華様……? いえ、才華様は現在別荘におられるはず。帰る連絡もされていませんので偽物でしょう。全員放て!」
「何も安心出来ねええええ!」
真剣な表情に戻った使用人達は躊躇なくマシンガンを放ってきた。
慌てた神奈は才華の前に躍り出て、飛来する弾丸を当たりそうなものだけ全てキャッチする。取っては捨ててを繰り返すことでなんとかマシンガンの嵐を防ぐ。
「ちょっ、これ才華! マジモン才華! 殺しかけてるのマジ才華! ほんと死なないか心配じゃないか!」
合計で十以上のマシンガンの一斉射撃。才華が喰らえば蜂の巣どころか原型を留めないほど肉体が破損するだろう。信じていないとはいえあまりに酷い仕打ちである。
神奈単体ならどうということはないが今は才華と泉がいる。殺させないために弾丸キャッチアンドリリースを続けているが、二人が違う場所にいるため想像以上に大変な作業だ。そう長くは持たないため焦りで額に汗が滲む。
「仕方ないわね、緊急コード〈1192481441〉!」
「その数字は……全員止めっ! この方は本物の才華様です!」
何やら意味不明な数字の羅列を才華が口にすると、耳にした拳銃持ちの使用人が叫んで他の使用人を制止する。ようやく攻撃が止まった頃、神奈の足元には山ほどある弾丸が転がっていた。
「才華様、申し訳ありません。まさか連絡なしでこんなに早くお帰りになられるとは思わず」
「こちらの不手際よ気にしないで。それより今は時間がないの、至急私と友人が家に入ることを他の使用人に伝達しておいて。用があるのは資料室だから関係する区域にいる人だけでいいわ」
頭を下げた使用人達は「かしこまりました」と告げて、各々が無線機を取り出して誰かに連絡し始めた。これが同級生の、しかも小学生の実家での光景など神奈は信じたくない。
「さあ今度こそ行きましょう。これで襲われる心配はもうないから」
とにもかくにも安全に先へ進めるようになったのは確かだ。
もう絶対に不法侵入なんてしないと強く誓い、神奈はタイミングよく目覚めた泉を担いで才華と共に走り出す。




