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第一章⑤ 女湯での語らい(前)


「……んん」


 重い瞼を何とか持ち上げる。ちょっと気を抜くとまたすぐに落ちてしまいそうだった。

 倦怠感を纏いながら壁時計に目をやる。私が部屋に入ったのが十五時過ぎで、今が十七時半前なのでおよそ二時間眠っていたことになる。思ったより疲れてたのね……。


 夕餉にはまだ早い。それでも城の従者に頼めば何かしらの料理を振る舞ってくれるはずだが、王国であることを鑑みて遠慮することにした。多分姉上たちなら躊躇いなく呼び立てただろうけど、私にはちょっと無理だ。性に合ってない。

 いつの間にか運ばれていた自身の手荷物を一瞥し、私はふらっと部屋の外へと出た。もう何度か出歩いたことのある城内。だけどいつも心が跳ねて散歩したくなる。


 陽光を積極的に取り入れるために窓が多い構造になっており、時折そよ風が頬を撫でる。そのおかげで薄暗くなりがちな城内はランプなしでも明るさを保っている。


 当たり前のことだが帝国とは何もかもが違う。

 ただ堅牢さだけを重視した帝国の王城とは違い、芸術――美の側面を遺した王国のそれ。

 冬の寒風のように冷え冷えとする帝国城内と、春の日差しのように穏やかな王国城内。


 ……ああ、ここでの転寝はさぞ気持ち良いだろうな。


 そんなことをつらつらと考えながら私は人通りのない廊下を歩く。慣れない場所に人気がないと何だか心細く感じられる。

 多分一国の王女が訪問してきたがために、いつも以上に気合の入った夕餉の支度をしているのだろう。今日はちょっとした晩餐会を催すらしいしその準備もあるはずだ。


 とはいってもその時刻まで充分に余裕を残している。ドレスを着付けるにはまだ早すぎる。かといって手伝いに名乗り出るわけにもいかない。帝国の代表としての威厳を保たねば。もう半分くらい憎きエロス王によって剥ぎ取られている気がするけれど。


「……あ、そうだ」


 今のうちに湯浴みを済ませておこうかな。これも普段より少し早いけど、その分ゆっくりと湯船に浸かれると考えよう。それに今ならきっと誰もいないから一人で入れるしね!

 エロイッサム王国ではお風呂文化がどこよりも進んでいて、この王城の地下にも温泉施設があることで有名だ。ただ身を清めるだけでなく肩こりや腰痛に効果的な効能があるらしい。以前ここを訪れた際に入りそびれたので、今回こそはと狙っていたのだ。


 ちょうどよく通りがかった召使に「湯浴みをしてくる」と告げる。これだけで教育の行き届いた者は即座に手ぬぐいなどを用意してくれるのである。呼びかけた召使も例に漏れず、私の発言の意図を瞬時に読み取り頭を下げて去っていった。あるいは魔法を駆使して乾かすことのできる者を呼んでくるのかもしれない。どちらにせよ私にはその準備と素養がないから頼るしかない。


 階段を下りていくにつれ、微かにだが湿度が増していくのを感じていた。それとともにやはり期待も膨らんでいく。ドキがムネムネしてきました!

 階段を下りてすぐに『男湯』『女湯』と書かれた石版を発見する。ついでに女湯の出入り口の傍に『王の出入りを固く禁ず』と書かれた張り紙がされている。何をやらかしたか、容易に想像が付いてしまう……。


 地下フロアの大半――男女合わせて――を占めているその入浴施設には、当然それに見合うだけの規模を持つ脱衣所が存在している。ここは貴族、王族だけでなく召使たちにも開放されているためか、大量の棚が並ぶだけで個室などの配慮は見当たらなかった。市井の銭湯ではこのスタイルが当たり前と耳にしているが、本当だろうか。

 私はそこでドレスを脱いで畳み、用意されている簡易結界用の札を棚の枠に貼り付けた。解呪できるのはお札に魔力を注いだ当人のみ。それでも多少の心得がある者であれば数分足らずで破られるだろうが、王城内にそのような不届き者がいるとは思えない。結界も念のためなのだろう。


 一糸纏わぬ姿になり、いざ浴室へ! ガラス戸を開けて中へと入る。


「――――」


 刹那、私は思いかけず言葉を失った。


 何十人でも入れそうなほど広い浴槽に、獅子を模した石膏像から源泉が止めどなく溢れている。湯の上には鮮やかな色の薔薇が数多く浮かび、その香りを嗅ぐと心が安らぐようだった。

 見事、というほかない。帝国内のどこを探そうともこれほどの名湯は存在するまい。けれど私が言葉を失ったのはもっと別のところにある。


 ――天女が一人、湯殿に舞い降りていた。


 無論それは天女ではない。私がそうと見間違えただけだ。しかしそっと手を肩に置き、美しい背中のラインに金色の長髪が流れるその立ち姿は、あたかも一枚の名画のようであったのだ。

 そこで私の存在を悟ったのか、彼女がこちらをくるりと振り返った。


 気高さを湛えた蒼き双眸に射抜かれて、自然と心臓が跳ね上がった。驚きというよりは、見惚れてしまったことによる鼓動。

 彼女の名はペレネ=ブリュンヒルド。エロイッサム随一の騎士であり、全騎士団の長を務める者。そして最も有名なものとして『竜殺し』の逸話がある。


「貴女は――――」


 彼女の瞳がやや驚いた風に開く。しかし即座に微笑みを浮かべて、


「こちらにいらしたのですか、セレスティア王女様。申してくだされば専用の湯殿をご用意致しましたところ……ああ、いえ。別に貴女を追い返そうなどとは思っておりませんが」


 常に毅然とした『騎士』としてのペレネさんしか目にしたことがなかったから、言い淀む姿がとても新鮮に映る。こういうところはまだ年相応といった感じだ。確かまだ二十代前半と聞く。

 ともあれチャンスだ! ペレネさんと私はほぼ同年代。何より騎士団長と王女、身分の釣り合いはかなり取れている。できればこの機会にお近づきになっておきたい……!


 そういうわけで気を利かせて浴室から退去しようとする彼女を呼び止め、


「そ、そうだ! よろしければペレネ騎士団長様、お背中の流し合いというものをしませんか? 私、一度やってみたかったのです」

「は……! し、しかし私なぞ、生まれてこの方剣ばかり握ってきた女で、およそ淑女に備わるべき力加減をとんと知りません。もしも御身の柔肌を傷付けてしまっては、我が王への面目が立ちません……!」

「まあまあ、そう仰らずに。実を言うと私、貴女の英雄譚を是非とも拝聴したいと考えておりましたの!」


 懸命に食い下がる私。逃がしてなるものか! 目指せボッチ脱出、コミュ障克服!

 こんな感じでぐいぐい押した結果、何とかペレネさんを押し留めることができた。まず私が彼女に背中を流してくれる。柔らかな毛で作られたブラシが、おっかなびっくり私の肌を撫でる。


「ど、どうでしょうか……、優しくできていますでしょうか……?」

「あ、うん。適度な力加減で大変気持ちいいです」


 それはよかった、とペレネさんは一定速度でブラシを上下させる。

 自身の身体が綺麗になっていく感覚にのぼせたような気分になりながら、私は斜め上を見つめて呟いた。


「はあ~、こんなに広いお風呂だというのに、私たち二人で独占というのも悪い気がしますね」

「まったくです。今日は偶然にも調練が早めに終わりまして、まだ日の高いうちからこうして入浴することができました。といっても部下の大半は男性なので、こちら側の湯殿は空いていますが。城の従者たちは皆最後に入りますし、この時間帯は閑散としています」

「ひょっとしてお一人で入りたかったのですか?」

「いえそんな! 今こうしていること自体が、何物にも代えがたい名誉であると思っております!」


 そのお世辞を受け取り、私は次なる話題を模索する。自分から引き留めておいてなんだが、何か喋ってないと落ち着かない。ボッチには沈黙が何より痛いって誰かが言ってた。



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