第一章② 王女にはコミュ力がない
「はあ……もういいですよ。それで何であなたが案内役を務めているんですか? 仮にも一国の王でしょう」
「仮じゃなくて正真正銘キングなんだが……。ごほん。それについては既に回答し終えたはずだ。キミの来訪を心待ちにしていたがために、いつの間にか執務を放り出して迎えに行ってしまったと」
「はいはいそういうのいいですから」
「ホントなんだけど……」
もう演技は必要ないというのに、何故継続して王子様キャラを気取っているのか。甘いセリフも変態が言うと台無しだ。
「それで? 今日から私が宿泊する部屋はどこかしら?」
「もちろん俺のへ」
「あなたの部屋、だなんて笑えないジョーク、口に出した途端お仕置きしますよ?」
「俺の部屋だっ!」
「こいつ言い切りやがった!?」
せっかく先手を打ってその先の言葉を封じたと思ったが、見積もりがとことん甘かったようだ。エロス王はさあ! と尻をこちらに向けている。お尻ぺんぺんしてくれ、と言外に告げているつもりなのだろう。
さすがに手で触れたくないので、代わりにハイヒールでお尻を蹴り飛ばしてやる。ヒールが刺さってそれなりに痛いはずだけど、「おおふ」とエロス王は何故か満たされた風な表情になった。
エクスタシーを感じているこいつの相手をしていては話が遅々として進まない。なので私は軽く手を叩いて、ある人物の名前をどこへでもなく呼んだ。
「ツバキさん。近くに控えているのでしょう、出てきてくださらないかしら?」
次の瞬間、深緑の装束に身を包んだ小柄な女性が目の前に降りてきた。私は元々知ってりうとはいえ、頭巾を被っているため一目で性別を見分けることは難しいだろう。
ツバキさんはエロス王直属の護衛で、諜報、暗殺、工作なんでもござれの『忍び』でもある。王国と比べると帝国は『忍び』の育成で後れを取っているのが現状だ。
彼女は片膝と片手を床に着け、顎を僅かに引いて傾聴の姿勢を取る。
「エロス王に代わり城内の案内をお願いするわ。ひとまず事前に決まっていたであろう、私に宛がわれた部屋までお願い」
「はっ。それでは主の寝室までご案内致します」
「えそれ本当だったの!?」
てっきりいつものセンスのないジョークだと思ってたのだけれど……。またこの王は私の想像を超えてきたか。
「あるいはマケオン法務大臣殿が別途用意なされた部屋がありますが……」
「そこにしてちょうだい是非そうしましょう」
「……、」
私の前で平伏していて、さらに俯き加減のせいで彼女の表情を読み取ることは叶わなかったが、それでも何となくツバキさんから不満そうな感情が微かに感じ取れた気がした。
彼女は一度主に目をやったものの、当のエロス王は依然として恍惚に耽っているため、判断を仰ぐことはできなかったようだ。いつまでやってんだこいつ……。
結局ツバキさんは自分の判断で動くことに決め、私を部屋まで案内してくれる。
「……」
「……」
驚くほど会話がなーい!
いや他国の王女と護衛では身分が違うから、友人みたいな感じで気さくに接してほしいとは言えない。王族であることをひけらかすつもりは断じてないけど、相手方は本能的に姿勢を正してしまうものだ。
だけどツバキさんはエロイッサム王国の女性の中で、触れ合える数少ない女性だからなあ。できれば仲良くなっておきたい。肩を組み合う仲は無理だとしても、恋バナできるくらいの関係になりたい!
「あ、あのツバキさん? エロス王の元で務めてどのくらいになるのですか?」
大丈夫。落ち着け私。帝国じゃほとんど身内としか接してこなかった私でも、頑張れば友達の一人や二人できるはず! 姉上から学んだ友達の作り方を今こそ実践すべし!
レッスン①:二人で話すときはお互いの共通項を話題に挙げよ。
共通項といっても私はまだ全然ツバキさんのことを知らないし、どんな化粧品使ってるの? なんて聞けないし……。業腹だがここはエロス王を出汁に使うしかない。多分私、初めてあいつに感謝した気がするわ。
ツバキさんは私の前方を歩きながら答えた。
「……十五の頃からなので、およそ三年になります」
「へ、へぇ~。随分とお若いんですね」
「セレスティア王女殿の美貌と比較すればさして誇れることではありませぬ」
「お、お上手ね~。オホホ」
「……」
「……」
前言撤回。エロス王まっったく役に立たないわ! 全然盛り上がらないじゃない人望足りてないんじゃない?
れれれ冷静になろう。王族たる者優雅たれ。私はふっと姉上の教えを振り返る。
レッスン②:会話とは風の如し。臨機応変に対応せよ。
なんかもう投げやりになってる!? 臨機応変って言葉は思考停止した押し付けにほかならないと思います。
ひょっとして私、びっくりするほどコミュ力がない? いやいやいや、でもエロス王とは会って数分でフランク(物理)な間柄になったし……。まあそれはあいつがパンツの色を聞いてきたせいだけど。
そのまま会話もなく、いつの間にか目的地へと辿り着いていた。
「ここが滞在中のお部屋になります。荷物はのちに女中に運ぶよう命じておきます。またお呼びがけいただければいつでも別の従者が駆けつけます故、どうか御寛ぎくださいませ」
「あ、はい。感謝いたしますわ」
では、とツバキさんは瞬きのうちにどこかへ消え去ってしまった。忍者凄い。
せっかく仲良くなる好機だったのに、人生うまく回らないものだ。はあ、とため息を漏らしながら部屋へと入る。
ワンルームながら一人には広すぎるほどの客間には、高品質のベッドや化粧台などが並べられ、貴重な通信石まで完備されていた。至れり尽くせりである。
長い距離を歩いたせいかどっと疲れが押し寄せてくる。私は誰も見ていない気の緩みから、ベッドへ大胆に身体を投げ出した。
「ふう……」
天井に拵えられた植物の模様を漠然と見つめる。考えることも放り投げて無の境地へと至る。
――思えば私は、これまで友人を作ろうと能動的に動いたことはほとんどなかった。
正確に言うのならその必要がなかったのである。王女という立場上、周囲には常に人で溢れていたし、懇意な間柄になろうと近寄ってくる者は後を絶たなかった。
私の世話をしてくれる従者たちも、二回りくらい年上の方ばかりで友人とは言い難い。第一従者たちが僅かでもフランクに接してくるなど有り得まい。
だから自然と私が話す相手は王族――兄弟たちが主となった。
多少の礼節は必要だが、血の繋がりがあるから適度に力を抜いて接することができる。特に姉上とは毎日言葉を交わしたものだ。
……それはつまり、エロイッサム王国に来てしまえば私の周囲には誰もいないということであった。
粗相があってはならないと、帝国の従者たちよりも堅苦しい雰囲気でお世話をされ、話しかけてくるのは貴族の男たちばかり。当然その背景には打算が見え隠れしている。
同年代で同性の人はまるで話しかけてこない。かといって身内としかまともに話してこなかった私には、積極的に声をかける度胸がない。帝国を代表する一人としてみっともない姿を見られるわけにはいかないと、つい気を張ってしまうのだ。
……いや。そう言えば一人、例外がいた。
私はフッとその人物を虚空に思い描く。
エロス王。変態でデリカシーがなくて威厳の欠片もない王様。アレがトップで国がまとまっているのだから驚かされる。
それでも彼だけが、今の私に対し対等な立場から接してくれる唯一の人だった。
王様と王女。文字通り対等な立場だがそういうことが言いたいのではない。本来あるべき礼節を取っ払い、あたかも市街に溢れる友人関係であるかのような態度で接してくるのだ。
憧れていたような温かさはなくとも。
相手が最低最悪の変態だったとしても。
――まあ、少しぐらいはこの国での支えになっているとは思う。
「あいつがもう少しだけまともだったらなあ……」
そうすれば彼は私にとっての王子様に相違なかっただろうに。
私は睡魔に襲われて瞼を閉じた。しかし一度思い描いたエロス王の姿は網膜にこびりついて、なかなか消えてくれそうにはなかった。