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第三章⑧ 世界はちょっとだけ善意に満ちている。

 二階まで下りて長い廊下を二人並んで歩く。エロス王はグッと大きく伸びをした。


「それにしてもスゴイデス王は噂通り凄い迫力だったな。事前に厠に行ってて良かったわ」

「あれでビビってたのね……。見掛けだけじゃなくて、少しでも粗相を働けば誰だって打ち首よ」

「王様ってのはそういうもんだろう。身内に優しく、他には厳しくってな」


 身内に優しく、か。父は別れ際、「結婚おめでとう」と言ってくれた。断じて望んだ結婚ではないにせよ、私のことを少しでも想ってくれていたことがどうしようもなく嬉しかった。


 王国で私は一人寂しく死ぬものだと思っていた。

 帝国で彼は私を護ろうとして死ぬかもしれないと思っていた。

 けれど蓋を開けてみれば、今こうして二人並んで生きている。数日前にはとても想像できなかった未来だ。


「また物思いに耽った顔をしてるな」

「またって……。そんなにしてた?」

「ああ。三日前からずっとな」

「あら大変。せっかくの美人が台無しね」

「自分で言うのか……」

「貴方だって自分のことをイケメンとか言うじゃない」

「事実だからな」

「私もそうよ」


 顔を見合わせてクスッと笑い合う。

 これまで人の悪意に触れることが多くて、自分の存在意義にまで思考を巡らせていたから大方そのせいだろう。王国を我が物にしたいという悪しき欲。それに翻弄されたから。


 再び階段を下りている最中、エロス王は私だけではなく自分自身を含めた全ての人に言い聞かせるようにして言った。



「……世界には当然善意も悪意もあって、ペレネみたいに真面目な奴もいれば俺みたいにおちゃらけた奴もいる。だけどその関係は決してゼロサムなんかじゃない。――――世界はちょっとだけ、善意に満ちているんだよ」

「……うん、実感したなぁ」



 善意と悪意を足し算すれば、ちょっとだけ善意が上回っている。それは理想論のような気もしたけれど……私は反論せずに受け入れた。だってそっちの方が素敵だから。

 エロス王はどうも人の心を読み取る力に長けているようだ。以前にも同じようなことがあったし。それなのに何故デリカシーのないことばかり言うのか、甚だ疑問である。


 私は確かに多くの悪意に触れたけど――それと同じくらい、善意にも触れていたんだ。他の人よりちょっとだけ悪意に敏感で、善意には鈍感だっただけで。

 ちらり、とその善意を注いでいてくれた隣の人を見やる。


 ……うん。やっぱり好みじゃないかな! 私が羨む白馬の王子様タイプの面立ちではない。けれど――他にはない不思議な安心感を与えてくれる。

 不意にエロス王と視線がぶつかる。どうやら横顔を見ていたのがバレたらしく、彼はニヤニヤとおどけるような笑みを浮かべる。


「お? なんだなんだ? そんなにあつーい視線を注いできて。もしかして、俺様のカッコ良さを再確認して惚れ直したか?」


 は、とそのセリフを鼻で笑ってやる私。


「ご冗談を。前にも言ったでしょ? 私、基本的に貴方のこと嫌いだから」

「うぐ……。こんなパーフェクトマンを前にして、いったいどこに不満があるというのか!」

「まず下ネタが多い。気の合う人なら笑ってくれるだろうけど、九割以上はドン引きするでしょうね。ついでにデリカシーもないし。生理中の女性に『生理か?』って直接聞くの、逆効果だから。あとは――――」

「うわあぁああっ!? その辺にしてくれ! もう聞きたくなーい!」


 耳を塞ぎ挙げ連ねる欠点から心をガードするエロス王。自覚なかったのか……。

 本当はそれと同じくらい良い所もあると言う予定だったが、今言ったところで届かないだろう。それに恥ずかしいしね。だから私は耳を塞ぐ手を強引に引き剥がして、耳元でそっと囁く。


「貴方のことは嫌いだけれど――――大嫌いじゃ、ないわ」


 エロス王が顔色を窺うように見つめてくる。そして、


「それやっぱり嫌いってことなんじゃないかーっ! 俺は好きって言葉以外聞かないようにしているんだっ!」

「度量せまっ!?」


 私なりの最大限の賛辞のつもりだったが、どうやら真意までは見透かしてくれなかったらしい。ちょっと遠回し過ぎたかー……。

 重たい鉄扉を越えて、眩い光の差す外へと出る。反射的に手で視界を遮ろうとするが、止めた。いつもは煩わしいとさえ思っていた日光が、今はとてつもなく愛おしい。


 少し進んだ先で、ツバキさんが何食わぬ顔で馬車の前で佇んでいた。

 私が見納めするような気持ちで宮殿を見上げていると、エロス王が一歩前へと出て言った。


「お前は俺がスゴイデス王に殺されるかも、と危惧してたんだろうが、俺はまったくそんなことは思わなかったぞ」


 これまでで一番楽観的な発言に、私は「何故?」と問いかける。

 そしてやはり、彼はケロリと言ってのけるのだ。


「――そりゃあお前のような娘の父親なんだ。娘を手に掛けるような悪人であるはずがないさ」

「……! ふんっ。貴方はいつもそうやって、何だって分かった風に言うのね」

「おう、何でも知ってるぞ。たとえばお前のスリーサイズは――――」

「そこまで知らなくていいからっ! ていうか、どうやって知った!?」

「そりゃあれよ。仕立て屋の口をちょいと割らせたらイチコロよ」


 こうもくだらない権力乱用を間近で見ると、もう何も言えない。私の中の株を一気に落としたわ……。

 やはりどこまでいっても彼は彼のままなのだと、どこか安堵した気持ちを抱いていた。



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