第三章⑦ 歩き始めた王女
その答えを聞いた父は再び玉座に腰を下ろした。ふん、とほんの少し口角を吊り上げて、
「とても世辞には聞こえんな。その我を以前退けたことのある貴殿に言われたところで、な」
「はは、あれを私一人の手柄とするのはあまりに荷が勝った評価となりましょう。有用な部下や地形に恵まれたこその結果であります」
うむ、と父が頷き、両膝を叩いて応える。
「あいわかった。不穏分子摘発の件、このスゴイデス八世が見事果たしてみせよう」
それに対し私とエロス王が頭を下げ感謝の意を示す。
これで一件落着! と安堵した矢先、父と目が合った。
「……エロス王よ。少しばかりセレスティアと言葉を交わしたいのだが、よいか?」
「ご随意に。私は席を外しますので、どうぞ親子のご歓談をお楽しみください」
去る間際、エロス王がウィンクしてきた。「しっかりやれよ?」とでも伝えたかったのだろう。……余計なお世話よ。
彼が謁見の間を後にしてから、父が段差を降りて歩み寄ってくる。私と同じ高さに立ち、ゆっくりと話し始めた。
「……ふん。我が押し付けたこととはいえ、あやつの妻になるのはさぞ骨が折れることだろうというのが我の見立てだが、お前はどうだ?」
「…………、」
骨が折れるというのは激しく同意するが、私と父とでは視点が違う。私は長い間彼を見てきたのだから。
確かに有能であることは認めるが、それ以上にうつけな性格が悪目立ちしている。彼の悪評を尋ねて回るには一晩では到底足りないだろう。しかし誰もが自慢するように悪評を語っていたように思う。
私が王国で直接見聞きした内容をそのまま話したら、父はどういう反応をするだろうか? いつものように気難しい顔をして、「そうか」と流すのだろうか。
不思議なことにエロス王のことを思い出すと、彼の周りにいる臣下たちの顔も思い浮かぶ。固い忠誠を捧げていたペレネさん、主以上の感情を抱いているようにも見えたツバキさんのこと……。
回想は十秒にも満たなかったはずだが、その間に私の答えは決まっていた。
「……まず、情緒が若干不安定です。破天荒な振る舞いを見せることもあれば、臣下から諫められることもしばしば。それでいて先刻のような威風堂々とした姿を見せることも。無論かの王は我らが皇帝に居並ぶはずもなく、率直に言って欠点も多い人物ではありますが――――」
皇帝を前にして虚言は許されない。たとえ吐いたのが実子であれ処罰される事実に変わりはない。だから私は見たままの真実を口にするしかないのだ。
言葉を短く切り、僅かにタメを作る。
「――――誇りがあります。勇気も、思慮も備えています。何より……その人望は我らが皇帝に並び立つほどかと」
人物評を述べ終えた私を、父がその眼力を以て見極めてくる。
息の詰まる時間が続き……ふ、と父が鼻から小さく息を吐いた。
「珍しいな。控えめなお前がそこまであの男に言葉を費やすのは……。これまでならばたったの一言で評価を終えるというのに」
「無能であれば、先の戦に敗れた際我らが皇帝は自らを恥じ自死していたことでしょう。ただの有能に後れを取るほど、皇帝陛下は能無しではありません」
我ながら肩入れし過ぎているという自負がある。これまで私があまり人物評価に言葉を尽くさなかったのは、その者のことをよく知らなかったから。しかし私はエロス王のことをよく知っている。……だから正確に伝えるとなると、このような長台詞になってしまう。それだけの話。
なぜか父は目を閉じ、私の肩に手を置いた。
「……もしも帝国が再び王国に攻め入ったとすれば、お前はどうする?」
「王国に嫁入りする身ではあれ、私の魂は常に帝国にあります。その帝国の命となれば、いかような任務にも応えましょう」
父とこれだけ会話したのは随分久しぶりな気がする。ちょっぴり嬉しかったために、つい饒舌になってしまう。
「帝国の力を以てすれば、どのような国であれ落とすことは可能でしょう。とはいえ相手が王国であれば、帝国は一〇を失うことになります。一を得るために一〇を失う選択をするほど、愚かな皇帝のはずもありませんが」
「…………」
形はどうあれ私はもっと話していたかったが、当の父はさっと身を翻し玉座へ戻ってしまった。しょんぼり……。
父は背中を向けながらぶっきらぼうな感じで言う。
「……結婚、するとなれば、もう本格的に居をあちらへ移す、ということだな。お前の荷物は後日送っておこう……」
「はい」
「それから、王国と一戦交えようなどというのは、単なる冗談だ。少なくとも、我が健在の間は、お前の身が危ぶまれるようなことは、ない」
「はい」
「それから、お前自身が言ったように、お前はどこにあろうと帝国人だ。何かあったらすぐに言って来い!」
「はい」
「それから……――――」
玉座の手前まで辿り着いたというのに、父は一向に座る様子を見せずに背中を向けた状態のまま立っている。あと気のせいかもしれないけど、若干声色が震えているような……?
言い淀んでいた父は顔に手を当て、声を絞り出すようにして言った。
「――……結婚、おめでとう。セレスティア…………っ!」
「――――はいっ!」
不器用な祝福を受けて、私は跳ねるように謁見の間を飛び出した。
ここに来るまでずっと重かった足取りは羽が生えたかのように軽く、息切れによる胸の痛みが心地良い。私を祝福してくれる人がいて、危険を押してまで守ってくれる人がいた。……鳥籠の外はこんなにも気持ち良いところなのか。
廊下を少し行った先の階段付近でエロス王が目を瞑り壁に寄り掛かった状態で待ってくれていた。
「……ん。もういいのか? 話したいこと、いっぱいあったんじゃないのか?」
「いいの。父は忙しい方だし、その気になればいつだって話せるんだから」
それに父は私の結婚を祝福してくれた。今はそれだけで胸がいっぱいになっている。これ以上はちょっと無理だ。
エロス王と肩を並べてゆっくり階段を下りる。彼の方が私の歩調に合わせてくれているのだ。
「それにしても、宣戦布告とか言い出したときはどうなるかと思ったわ……」
「あん? そこまで変か? 父親にとったら娘さんをいただくなんて、宣戦布告に等しいもんだろ」
「それ以前に言い方に問題があると思うのだけれど……」
だいたいその父から「政略結婚してこい」って言われたのが始まりなのに。
「……」
王国の陽の光を積極的に取り入れた王城とは違い、光の漏れる隙間の少ない帝国宮殿はどこか寒々しい。王国に行く前はこの無機質さがちょっと苦手だったけど、今は不思議とそうじゃない。
最初は嫌な部分が多かった移住だったけれど、王国で人の温かさに触れることができて、最後まで信じ抜いてくれる人と出会えて、本当に良かったと思える。
そしてそれらを教えてくれたのは他ならぬ――――
私は努めて彼の方を見ないようにしながら、ポツリと呟いた。
「…………がと」
「はいはい」
気恥ずかしさからあえて聞こえない程度の声量でいったつもりが、エロス王にはばっちり拾われていたらしい。適当にあしらわれた。今度はそれが別の意味で恥ずかしくなった。
だから今度は、はっきりと。
「今回は……助けてくれて、ありがとうっ」
「何で二回も言ったし」
「一回目で終わらせるのは決まりが悪かったの!」
というかこういうのって最初の感謝を聞き逃すのが当たり前なんじゃないの? 当初思い描いていた白馬の王子様キャラと言い、こいつは私の期待を裏切るのに定評がある。
……あるいは、こんな感じの人でむしろ良かったのかもしれない。
そりゃあ白馬の王子様だったらたちまち私の心を溶かしてくれただろうけど……、強引に鎖を引きちぎるような真似はしなかっただろうから。これで良かったんだ。
一歩、二歩と自分の足で歩いていく。
何てことのない動作だけど、今の私には初めてのような感覚がした。




