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第三章③ 奴隷と王様


 ――セレスティア王女殿に、あえて言わなかったことが二つある。


 一つ目は、つい言いかけてしまった先刻のこと。エロス王は王女殿のことをしっかり想ってくれている証拠。主殿から口止めされていたのについ口走ってしまいそうになった。いかぬいかぬ。

 私は最近よく王女殿と話をするようになった。媚びを売ろうと思ったわけでも、何となく波長が合うような気がしたわけでもない。どちらかと言えば彼女は苦手な人種だ。


 故に本来なら任務以外で歩み寄るはずがなかった私に、ある日主殿はこう命じ……頼み込んだのだ。


『どうかセレスティアの良き友人になってやってくれないか? ああ見えて彼女は寂しがり屋だ、心の許せる友が一人くらいいた方がいい』


 任務ではなく、お願い。しかし私が主殿のそれらを断ることは絶対にない。死ねと言われたら死ぬし、皇帝暗殺を命じられたのであれば、いかなる手段を用いてでも果たしてみせるだけの気概がある。

 このことを口止めされた理由は言うまでもない。「あいつが可哀想だから友達になってやってくれ」と受け取られ、逆に相手を傷つけかねないからだ。


 一見簡単なミッションのようだが、私は今までのどのミッションよりも苦心したかもしれない。実のところ私も友達を作った経験がないのだ。

 他の忍びたちとはあまり顔を合わせる機会がないし、使用人たちからは優しく接せられることは多いが、どちらかと言えば娘に対する慈愛が窺える。思い描く友人関係ではないだろう。


 ――――そしてもう一つの隠し事が、エロス王との出会いについてである。


 私は以前王女殿に奴隷時代のことを簡潔に話したことがある。その際あえてぼかした場面があるのだ。目上の方に嘘偽りを述べることは原則許されないが、語らない分には認められる。


 もう五年も前の話だというのに今でもよく思い出すほど……私にとってそれは唯一無二の宝物だ。


 奴隷時代の日々はまさに生き地獄そのものであった。

 借金のせいで両親に売られ、やがて王国へと運ばれた私はとある悪徳領主に飼われることになり、まず手始めに右腕を切り落とされた。そのときの執行者の瞳には何一つ感情らしいものが浮かんでいなかったのを強く記憶している。


 そして満足な治療を受けられぬまま、私は不衛生極まる奴隷たちの居住区へと捨てられた。他のように労働を強制されることはなく、ただそこで苦痛に耐え、のたうち回るだけの生活が続いた。

 痛みのあまり一日中泣き続け、やがて喉が潰れ、それでもなお魂が泣き叫んでいた。


 同類たちも気の毒そうに眺めるだけで、助けてくれる者などついぞ現れなかった。

 されど人間とは恐ろしいもので、筆舌に尽くしがたい激痛にも慣れてしまい、私は抜け殻のように地面に倒れ伏していた。それでも身体はとうに限界を迎えており、免疫力の低下による高熱や血液不足などで死ぬ間際にあるのが自分でも分かった。


 ようやく苦痛から解放される、といったところまで来て、ある日私の元に気まぐれでやって来た悪徳領主がこう呟いた。


「そろそろこの玩具も現界か……。では、もうひと頑張りしてもらおうか」


 そう言って、まもなく絶命しようとしていた私の左脚をその男は自ら寸断したのだ。

 最期に悲鳴を上げさせることで、他の奴隷たちに恐怖を刻み付けようとしていたのか。あるいは悪徳領主の嗜虐性が顔を覗かせたのか。討たれた今となっては分からない。

 それを境に私の意識は闇の中へと深く落ちていった。片腕に加え左脚まで落とされたのだ、迅速な治療なくしては一日の終わりを迎えることもままならなかっただろう。


 生死の境を彷徨った私が次に目を覚ましたのは、王立の診療所であった。どうやら左脚を落とされたその日のうちに王国軍が踏み込み、私は間一髪のところで保護されたらしい。

 熱により朦朧とした意識の中で、私は一人の気配を察知していた。


「誰……?」

「王様だよ。この国で一番偉い人だ」


 私より少しばかり歳上の人間は自らをそう名乗った。そう……まだ即位して間もなかったエロス王その人だ。

 今となっては恥ずべきことだが、当時の私はエロス王に対しひどい言葉を浴びせかけた。「私が地獄の苦しみを味わっている間に、王様は何不自由なく生きてきたんだ」とか、「何で今まで助けにこなかったのか」とか、色々。それに対し主殿は「すまない」と、一つ一つ丁寧に頭を下げるだけだった。


 最後まで私の罵倒を受け止めたところで、エロス王は一つの問いかけをした。


「これからキミはどうしたい?」

「……、もう、さっさと死んで楽になりたい」


 心に渦巻く感情を素直に吐露する私。手足を失い、まともに生きることもできない以上、生きていても光を見いだせないと感じていたのだ。

 何よりこのときの私は疲れ切っていた。もっと言えば助けてほしくなんかなかった。あのまま死んでいれば……と思っていた。


 そんな短絡的な答えにエロス王は諭すような優しい声音で返した。


「それはね、それ以外に他の選択肢が与えられていないからだよ。だから僕はキミが望むのであれば、代わりの手足を用意しよう」

「代わりの……?」

「うん。帝国製の義肢なんだけどね。通常の生体と何ら変わらない動作ができるんだ。……当然、扱うにはそれなりの努力と苦痛が伴うけどね」


 今まで散々苦しんできたというのにまだ苦しめと言うのか。考えるに値しない選択肢だ。

 それにこれ以上生きたとして何になる? 生きていてよかった、と思える日が本当に来るとはどうしても思えない。マイナスの方へと性根が傾いてしまっている。


 そんな私を見通したようにして、エロス王は私の頭をポンと撫でてくれた。



「……人生というのはお酒みたいなものでね。子どもの頃はどうしようもなく苦いが――いつしかその苦みがクセになる。せめてお酒が飲める歳まで生きてみないか?」



 その瞬間、私は何となく察した。声音から、匂いから、雰囲気から。この王様もまた、辛い少年時代を送ってきたのだと。

 私はその手を取り今もこうして生きている。お酒を嗜むことのできる年齢ではないけれど、エロス王に仕えるようになってから幸せを感じるようになった。


 義肢を使ったリハビリは辛く、さらに忍びとしての訓練は過酷を極めた。運動能力が衰えていた私には特に。それでもエロス王直々に私の道を応援してくれたから何とか頑張ることができた。


 ――何故このことを王女殿に隠したか。

 主殿は世間ではうつけ者として知られている。しかし私の前では誠実でいることが多く、特に病室の件ではその片鱗をまるで窺わせなかった。

 元奴隷の身であった私相手でも、主殿は見下さず真摯に対応してくれた。あの眼差しを、声を私は生涯忘れることはないだろう。


 そしてそんな主殿の一面を知るのが私だけというのなら、一生独り占めしていたい。あのときの真摯なエロス王を知るのは私だけでいい。

 だからこれはセレスティア王女殿はおろか、他の誰にも言っていない私だけの秘密だ。

 大事な、大事な――――墓まで持っていく予定の、私だけの秘密。


 死に物狂いで手に入れた今の立場でも満足しているが、欲を言えばより特別な――男女の関係になりたい。恋だの愛だのに注釈を付けるまでもなく、私は主殿のことを愛している。

 話し合いたい。見つめ合いたい。触れ合いたい。……叶うはずがないと知りながらも求めずにはいられない。


 元奴隷の私と釣り合うはずがない。

 欠損のある身体の私に欲情してくれるはずがない。

 そう分かっているのに――いつもいつも勘違いをしてしまう。主殿が優しくしてくれるから。それが分け隔てのないものだと知っていたとしても。


 だから私はセレスティア王女殿が憎い。

 私にはない高貴な身分も魅力的な身体も持っていて、主殿から気にかけてもらっているのに、それらに自覚がないのがとても恨めしい。


 だから私はセレスティア王女殿が苦手だ。

 ……だけど王女殿はこんな私のために涙を流してくれた良い人で。憎くても苦手でも嫌いになることができない。嫌いになれたらいっそどれだけ気楽だっただろうか。


 ふと窓から外を眺めてみる。いつの間にか雨が上がり、雲が疎らとなって、月明かりが蒼く世界を照らしていた。



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