第三章② 囚われの姫君(後)
ともあれせっかくの来客だ。私は用意されたティーセットを用いてお茶を淹れようとするが、それに先んじてツバキさんが動いた。
「王女殿、ここは私めにお任せください! メイド長直伝のお茶汲み術、とくとご覧あれ!」
気合を入れて臨むツバキさん。このときばかりは年相応に見える。暗殺者を仕留める際の彼女は、大人でもゾッとするような冷たい眼をしていたから、なおさらそう映った。
彼女はテキパキとプロメイドさながらの動きでお茶の用意をしていく。確かエロス王に対しよくお茶を淹れていると聞いた覚えがある。彼お墨付きの味と言ってもいいだろう。
エロス王、か……。ふとしたことで彼のことを脳裏に思い浮かべてしまう。
彼もまた、私が御身に害を為そうとしたと考えているのだろうか。
あれだけ毎日最低なことを言ってきて、私が嫌な顔をしても一向に止めなかった彼。よくもまあこれで反乱が起きないな、と家臣たちの懐の広さには感心させられたこともある。
お気楽な姿しか見せたことのない彼も、自分の命が脅かされているとなれば怖気付くのか。……当然か。死は絶対的なものだ。想像しただけで恐ろしくなるのだから避けないわけがない。
「……エロス王は、」
ぽつり、と無意識のうちに声が出てしまっていた。
「エロス王は、今何を為されていますか?」
それは私的に『私のことを疑ってるの?』という意図を含んでいた。ツバキさんのお茶を淹れる手が一瞬止まったような気がした。
彼女は私の座る机の上に出来上がったばかり紅茶をそっと置いた。彼女自身の分は用意されていない。『私のような下賤な輩が王女様と同席など、とても』と断られた過去があるからだ。無理強いするのは何事も良くない。
今回も諦めてまず紅茶の香りを楽しんでいると、ツバキさんが言葉を挟んできた。
「我が主殿は常にご多忙の身ではありますが、最近は特に顕著です」
「それはやはり、私のせいで?」
「……言葉を選ばなければ、相違なく」
努めて理路整然と告げた彼女に対して、私は半ば動揺を表面化させてしまったことだろう。色々覚悟してきたと思っていたが、改めて口にされると辛い。……もはやこの国に私の味方がいないのだと思うと。
エロス王が現在忙しくしているのは、私を事件の首謀者と睨んでいるから。直接的には言われなかったものの、今の私には何となく察することができた。
知らず知らずのうちにエロス王を頼みの綱としていた私の心は、濁流に呑み込まれたかの如く胸が苦しみに悶える。
次に溢れ出てきたのは――自嘲。窮地のときにこそその人の真価が問われる、と父から聞かされたことがある。だとしたら孤立無援の今の状況は、いかに自身がくだらない存在かを饒舌に語っていた。
帝国に帰りさえすれば、断じてこのような扱いを受けることはなかっただろう。
……つまりそれは、帝国外での私には価値がないと認めているに等しい。
それを承知していたからこそ改善しようと私なりに動いてきたが、それも無駄に終わったようだ。
「は、はは」
乾いた笑みが漏れる。それが自分のものだと気付くのに些か時間を要した。
ツバキさんは気を利かせて労わりの言葉をかけてくれる。
「現状に気を悪くされたというのなら主殿に代わりお詫び申し上げまする。王女様のお気持ちが少しでも和らぐというのであれば、いかようなる玩具にもなりましょう」
「……気が違えたとしてもそんなこと、できるはずがないでしょう……」
「失礼申しました。王女殿の御心の広さ、失念しておりました……」
「構いません、別に……。このような事態に陥ったのも、私の気の緩みが原因の一つでもあります。常に注意を払っていれば避けたかもしれない事態です」
そうだ……私は所詮、帝国から王国へと差し出された生贄に過ぎないのだ。大人しくエロス王の言いなりになっておくだけで務めを果たせたものを、無闇に足掻こうとするから最悪な事態を招いたんだ。
爽やかな香りを放つ紅茶だが今はとても飲む気になれない。熱いカップをソーサーへと戻すと、ツバキさんは直立不動になって言った。
「――――今は何を信ずるべきか、定まっていないのかもしれませぬ。ですがどうか、我が主殿のことだけは信じ続けてほしく存じ上げます」
「……信じる、とは?」
ここで「分かった」と素直に言えない辺り、相当精神が参っているんだろうなぁ。
ともすればエロス王への侮辱――信じていないと取られかねない――と判断される恐れのある問いだったが、ツバキさんはそれをスルーして答えてくれた。
「――――エロス王は断じて、貴女を見捨てるような振る舞いはしません。どうか、どうかそのことだけは信じてほしいのです」
「……無理よ、そんなの」
ついに決壊した私の心から本音が溢れ出てくる。もはや押し留めることすら叶わない、恥ずべき感情の奔流。
「だって! ここにはいざというとき私を守ってくれる味方が誰もいない! 所詮私は帝国人、貴方たちとは決して相容れることのない存在……。もし帝国と戦争が始まれば真っ先に処分されてしまう……!」
王国に嫁ぐ話を父から持ちかけられた際にも、実を言うと断りたかった。何をされるか分からない籠の中の鳥になんてなりたくなかった。
けれどそんな私情で皇帝からの勅命を断るわけにはいかない。ましてや他の姉妹たちに嫌な役目を押し付けることはしたくなかったのだ。
私は立ち上がり全身を使って激情を露わにする。
「けどやっぱり駄目……! この先ずっと鎖に繋げられたままの生活なんて耐えられない! ペレネさんもツバキさんも他の人も、エロス王と私を天秤にかけたら絶対に彼を選ぶ。近くにいるけど振り向いてもらえないなんて、そんなの……耐えられない」
どうしてあんなに破天荒な人が大勢の人に愛されて、こんなにも真面目な私は愛されないんだろう?
自分にないものへの嫉妬と、不出来さへの悲嘆。
自分と他者とを比べたところで無意味なのは承知しているのに、こうもむざむざと突き付けられては両目に焼き付けざるを得ない。――私と彼の差を。
第二王子と第二王女。生まれにそう差はない。王としての矜持が彼を成長させたのか、一方で私は王女として持て囃されてきただけ。「スゴイデス八世によろしく」なんて、耳にタコができるくらい聞いてきた。
ツバキさんは私の慟哭に黙って耳を傾けていた。吸い込まれるような黒い瞳は真っ直ぐに私を捉えている。
やがて言葉が途切れたのを確認し、彼女は顔を覆っていた頭巾を外して口を開く。
「……確かに。私が忠誠を誓うのはエロス王ただ一人。後にも先にもありませぬ。火急の際にお二方のどちらかを選べと言うのであれば、私は躊躇なく主殿をこの身に代えても守ります」
やっぱり、と口の中で言い漏らす。
それに対してツバキさんは「しかし」と言葉を繋げた。
「――――その場合主殿が『セレスティア王女も守れ』と命じることでしょう。そうなれば王女殿も身命を賭してお守り致しまする」
一瞬まるで子供の理想論を聞かされているような気持ちになった。一刻の猶予もない状況にもかかわらず、両方助けるなどと……現実の過酷さを知らない幼稚な発想だと。
「……二兎を追うことで王に危機が迫るとしても?」
「それが我が主殿の命であれば」
意地悪な問いかけだと思っていたが即答される。妄信的な忠義ではなくて、自らの能力に裏付けされた確固たる自負。
元は奴隷であったはずのツバキさん。劣悪以下の幼少期に加え片手足までも失っている。彼女のスタートラインはマイナスと言っていいはずだ。なのに彼女は血の滲むような努力と引き換えに、今の地位と実力を手に入れた。
結局のところ、私には努力が足りていなかったわけだ。それを立場だの性格だのと言い訳を重ねて、遠ざけて、羨んだ。
喉を酷使したせいか、痛みのせいで声が上手く出せないでいると、ツバキさんはちょっとだけ悔しそうに唇を噛んだ。
「それに……王女殿が思うよりもエロス王は、貴女のことを想ってくれておりまする」
それはどういう? と問い返したかったが、掠れてしまい言葉にならなかった。その間に彼女は踵を返して扉付近まで下がった。
「それではこれにて失礼致しまする。……今回淹れた紅茶には、喉に良い成分が含まれていると聞きます。お大事になさってください」
そう言い残して彼女は足早に部屋を後にした。ぽつーん。
いったい何を言いたかったのだろう……? ツバキさんの反応から推測するに、多分言っちゃいけないことなんだろうけど。
もやもやした気分になった私の傍らで紅茶が湯気を立てていた。




