第三章 囚われの姫君(前)
外では雨が降っている。
決して人の生命を脅かす豪雨ではなく、むしろ生活水の一部となるのだから市民からすれば『恵みの雨』と捉えているに違いない。
それでも防雨対策もせずに外へと出れば当然身体が濡れ、たちまち鬱陶しいものへと変わってしまう。何よりこうして窓を打ち付ける滴を眺めているだけで何となく沈んだ気持ちになるのがどうしようもなく嫌だ。
ここ数日――エロス王襲撃事件の日から、私は外出をまるでしていない。王城内を歩くことはあっても市街へと出で居ない。滞在中あらゆる場所を訪問してきた私とは思えぬ怠惰さである。
何も襲われるのが怖くて出歩けないのではない。当初の予定なら今はこの国の歴史を学んでいたはずだった。それを唐突にキャンセルしてまで、私はこの王城に留まっている。
――――そう。私は出歩かないではなく、出歩けないのだ。
その理由も襲撃事件と密に関わっている。言葉を濁さずに言うなら、現在私はエロス六世の命を狙った首謀者だという嫌疑を掛けられているのだ。
直接誰かしらから言われたわけでなくとも、城の中に充満する嫌な空気を感じ取れば容易に察しが付く。たとえば私には王国側から二人の護衛が常時付いている。名目上は『セレスティア王女の身の安全を確保するため』だが、実際は『またエロス王の命を狙わせないため、またはその証拠をうっかり漏らさないか監視するため』であろう。この城のどこへ行くにも護衛たちが付いて回る。
それが徐々に煩わしく思えてきて、つい五日前から必要最低限のことは除いて私は宛がわれた私室へと籠ることにしたのだ。さすがに部屋の中に入ってまで監視することはできない。奇しくもこの部屋が唯一自分の気を休める場所となっていた。
事件以前は足繁く、懲りもせず私の元を訪れてくれていたエロス王ともすっかり顔を合わせなくなっていた。当たり前か、容疑者と標的をみすみす引き合わせるはずがない。
それを理解していてもなお、あの女好きで変態の王様ならお構いなしで接してくれるのでは、という一抹の期待があったのも確かである。
裏切られたとは思わないけれど、どこか落胆する気持ちがあった。
そもそも彼がいくら私の元を訪れようとしても、さすがに周りの家臣たちが止めに入るだろう。理屈は分かっている。
だからこれは私が勝手に期待して、勝手に裏切られたと感じているだけってお話。エロス王は一向に悪くない。しいて悪いのを挙げるならそれは心の弱い私に違いない。
「…………」
窓にそっと触れた指先がひんやりと冷たい感覚に蝕まれる。
――今回の一件、私が何故嫌疑を掛けられたのか。冷静に考えればすぐに考えが付く。
まず第一に暗殺者たちをいかに城内へと手引きしたのか。エロイッサム城は行き来する者に対するチェックはかなり厳しい。それでも手間を掛ければ一人や二人忍び込ませることはできるかもしれない。
しかしもっと簡単な手段として、内部の者が手引きするというものがある。特に私の場合、帝国から度々使者が送られることがある。対立したくない王国側は当然厳しいチェックがしづらくなる。つまり私はその立場を利用し他よりも暗殺者を招き入れやすい立場にあったのだ。
襲撃の際、私は即座にそのことを把握できた。この後自分は暗殺未遂の嫌疑を掛けられてしまうかもしれない、と。体温が急激に失われ、身体の感覚があやふやになったのを覚えている。
先述でエロイッサム王国は帝国と対立したくない、としたがそれは帝国も同じこと。一度痛い目を見たことのある帝国からしても、攻め落とすのが困難な王国とはなるべく衝突したくないのが本音だった。そのために私はエロス王と結婚させられることになったのだから。
しかし万が一私がエロス王を暗殺しようとした、という沙汰が下れば、最悪全面戦争に発展するかもしれない。そうなると私は父に……帝国に迷惑をかけたことになる。
そして両軍の兵士が衝突し合い、多くの血が流れることになる。……私を火種にして。
「……っ」
いかに私が濡れ衣であると説いたところで、それを証明する手段はどこにもない。あるいは王国側にとっては犯人が誰なのかは一切関係なく、『帝国はエロス六世を暗殺するために第二王女をけしかけた』という大義名分のもと、戦争を始めてしまう心づもりの可能性だってある。
このように思考はずんずん落ち込み、やがてそれは被害妄想の類へと変わる。
エロス王があの日私を茶会に誘ったのは、暗殺未遂の容疑を私に掛けさせるためだったのではないか。――今日までフランクに接してきたのも、その機会を狙っていただけなのでは?
平生の私なら一顧だに値しないと切り捨てていただろうが、今の私はそれができないくらいどうしようもなく弱ってしまっていた。
「――――セレスティア王女殿、失礼しても構いませぬか?」
そんな折、一人の訪問者がやってきた。コンコンと扉をノックする声の主が誰なのか、セレスティアにはすぐに分かった。
「ええ、どうぞお入りになって。……ツバキさん」
少し訛りの入った口調に、まだ変声期を抜けていないような高い声。今回の訪問でグッと距離を縮めることができた、エロス王直属の近衛である。
彼女は畏まった振る舞いのまま入ってくる。単に偽装が得意なのか、敵意などは感じられなかった。少し緊張していて、言葉の選択に苦労するいつも通りのツバキさんだ。
「……ええと、本日はお日柄も良く」
ふふ、とつい笑みが零れてしまう。随分と久しぶりのような気がした。
「今は御覧の通り雨模様ですし、何もそこまで固くならなくてもいいのよ?」
「はっ、仰せの通りに!」
まあ言っただけで柔らかい対応ができるのなら苦労はしないか。今の返答自体に固さが見られる。




