第二章 ツバキの傷(前)
私は今、よく分からない状況に身を置いている。
「セレスティア王女殿、帝国にも優れた忍び部隊があると聞き及びましたが、それは真なのでしょうか?」
午後のティータイムを満喫していると、出し抜けにツバキさんが話しかけに現れたのだ。今回登城したとき以来の会話で、よもや彼女の方から話しかけられるとは思ってもみなかったのが驚いた最大の要因である。
会話内容はいかにも女子らしい流行りのファッションや香油など――ではなくて、一風変わったことばかりであった。たとえば今のように軍事のことについて問われたりと、主に帝国関連のことが多い。私が話しやすいようにするための配慮の面もあるのかもしれない。
当然機密に関わる部分は避けて話題を振ってくれるため、こちらもいちいち話の腰を折らずに済んでいる。見事なコミュ力だ……。話していいことと悪いことを瞬時に嗅ぎ分けている。地頭が良いタイプなんだろう。
「忍び……いるにはいるのですが、王国のそれとはやはり練度が比べものになりませんね。今までも諜報部隊自体はあったのですが、あまり上手く稼働していなくて……」
『忍び』とはスパイと違い戦闘能力にも優れた存在である。スパイもそれなりの訓練を受けているものの、この大陸では主に諜報に特化しているのが現状だった。忍びはそれに加え、敵地での要人暗殺や国民の扇動、兵站の破壊から主君の影武者までこなせる多芸者のことを指す。『戦場で輝くのは戦士だが、有利な戦場を作るのが忍びだ』とは、エロス六世の言である。
帝国でも忍びの育成が急務ではあるが、その点に関しては王国には遠く及んでいない。元の戦力差で圧倒してきた帝国にとってはそもそも情報収集の意味が薄かったのだが、エロイッサム王国に敗れてから諜報の重要性が見直されつつある。
「しかし帝国兵は勇敢にして、不屈。大陸の誉れであるから見習うように、とペレネ騎士団長殿が戒めていました」
こうして即座に相手を持ち上げ直すのも上手な会話術の一つだ。おだてられて不快になる人間はいない。私も似たような訓練を受けているが、人から情報を抜くのにも長けた忍びには及ばないかもしれない。
何か用事があるのかと思っていたが、切り出そうとする気配すらない。ただ単に私との親交を深めに来たのか……? だとしたら嬉しいのだけれど、何だか違和感が蟠りのように残った。
それにしても私が腰かけている一方で、ツバキさんはずっとそのすぐ傍で起立している。使用人であれば自然なことと割り切れるものの、身分の差はあれど話し相手の彼女が立ちっぱなしというのはどうにも落ち着かない。
「あの……よろしければ、どうぞ私の前方の席へお座りになってくださいな」
「いえ。こうして口を利けるだけでも幸福であるにもかかわらず、王女殿の御前で身体を休める姿など見せられませぬ」
別にそんなこと気にしないのに……。と言ったところで、ツバキさんは頑として座らないに違いない。エロイッサム王国の風土が関係しているのか、生真面目な国民が多いように感じられる。ペレネさん然り、ツバキさん然り。まあ君主たるエロス王を除いてだけど!
あれなのかな、反面教師ってやつ。『エロス六世みたいな変態になっちゃいけません』って教育が広まっているのだろうか。子どもに読み聞かせる伝承みたいだ。悪い子の元には悪魔が来る、みたいな。それだと男子の元には現れないことになって不平等か。
ひとまずツバキさんの説得を諦めて、新たに淹れ直した紅茶で喉を潤すことにした。カップを持ち上げ、くっと唇へと近づけていく。
――――刹那。
「きゃあっ!?」
不意にカップの取っ手部分が外れ、本体が床へと落下してしまった。それだけならまだしも、反応良くツバキさんが受け止めようとしたものの取り損ね、熱い液体が彼女の差し出した右手を激しく濡らした。
ぱりん、とカップの割れる音がすると同時に、私は彼女の右腕を掴んだ。
「ごっ、ごめんなさいツバキさん! 紅茶が掛かってしまったようだけど……ああ、急がないと火傷の痕が残っちゃう……!」
【治癒】で完全に直せるのは軽い傷口だけで、酷い刺し傷であれば塞ぎ切ることはできない。火傷も程度によっては一生の傷となる恐れがあるのだ。
しかし私に【治癒】の素養はない。急いで誰かを呼ばないと……! 女性にとって肌は宝物。それが傷ついたとなれば冗談でなく今後の将来を左右することに繋がりかねない。
慌てて助けを呼びに行こうとするのを、他ならぬツバキさん自身によって止められてしまう。
「取り乱さずとも心配いりませぬ、王女殿」
「大丈夫なはずがないでしょう……!? いくら長袖の上からとはいえ、あれだけ熱湯を被ったら火傷の一つや二つ……! それにガラス片だって」
それでも繰り返し「大丈夫」と言う彼女は、手袋を外し長袖を肘口まで捲り、その全貌を露わにした。
――――そこには本来の生体パーツが皆無で、代わりに無機質な機械で補われていた。
見るからに精巧な造りの義手は多少濡れており、微かに紅茶の香りが漂っていた。ツバキさんの右腕はどうやら丸々機械仕掛けのようだった。
想像だにしないことを目の当たりにして、口をパクパクとさせることしかできない私。一方で彼女はそっと左手で右肩を触って、何かを振り返るようにして言った。
「……本来遠方の地で暗躍する忍びでありながら、エロス王に仕えているのはこういう事情があったからです。右腕だけでなく左脚も義足である私には、重要な素養でもある色仕掛けが使えない。四肢の半分を欠損した女子なぞ、気味が悪くて抱けたものではありませぬから」
「…………、」
自嘲気味に薄く笑った彼女の表情は、淡々と語った言葉とは裏腹に深い影を落としていた。
私は思ってもみない出来事が立て続けに起こったことで一時的に思考がショートしてしまっていたが、何とか元の機能を取り戻せてきた。さらに軽く息を整えてから、私はツバキさんに語りかけた。
「――――そうだったの……。私が言うと反感を覚えるかもしれないけれど、苦労なされてきたのね」
月並みではあるが、私は端的にそう述べた。
王族として何の苦痛もなく育ってきた私には、ツバキさんに対して同情をかけることはできない。ただ単に「かわいそう」という感情が宿っていた。
かわいそうという感情は相手を下に見ているからこそ、と捻くれた価値観を持つ者もいるが、誰だって右腕左脚を失った彼女を見れば少なからず憐憫の情を抱くだろう。それを押し殺して接することの方がよほど失礼だと思う。他者が劣っている面を補ってこその人間だろうに。




