第一章⑨ 義姉として義弟に掛ける願い
我が王とこうして言葉を交わしていると、つい思考を過去へと遡らせてしまう。
十年以上前、私は第二王子だったヘラクレス=オブ=エロス――現エロス六世のお世話係のようなことをしていた。お家柄歴代王に仕えることを主としていたブリュンヒルド家に生まれた者として、ごくごく当たり前のことである。
世話係と言っても、有り体に言えば話し役として傍に置かれていたのだと思う。事実私は身の回りの家事をすることなく、時には下品な話に付き合わされ、時には城内での遊び相手にもなった。
当時から奔放であったヘラクレスの相手は気苦労が多く、セクハラまがいの発言がしょっちゅうだった。とはいえまさか第二王子に手を上げるわけにもいかないため、引き攣った笑みで誤魔化したものだ。
そんな困った彼にも可愛い一面もある。私のことを「ペレ姉」と呼び、雷雨の際には厠まで連れて行ってと駄々をこねられたこともあったか。いずれも微笑ましい記憶となっている。
ヘラクレスはとかく才覚に恵まれ、勉学や剣術はもちろんのこと乗馬や弓術の心得もある。数多い王族の中でもずば抜けて優秀であった。
……そんな彼に焦りを覚えたのだろう、十六になった第一王子が謀反を起こしたことがあった。順当に行けば長男である第一王子が次期国王の椅子に座るはずだったが、実力で大きく勝るヘラクレスを危険視するようになったのだ。
クーデターの結果、先代エロス五世は死去し首謀者の第一王子たちは鎮圧され、皆等しく首を落とされることとなった。
こうして思わぬ形で即位したヘラクレス――エロス六世は、瞬く間に自身の力を世に知らしめた。
子どものために学校を建て、大人たちには職を与え、国の平和のために近隣諸国との親交に努めた。エロス六世として初めての親征となったクレメンスの戦いは今でも民衆の語り草となっている。
私も騎士学校を主席で卒業し早々に部隊を任されることとなった。即位して以来なかなか会う機会に恵まれなかった私は戦いの前に、久方ぶりに王への謁見が叶った。
――――あのときの衝撃を、私は生涯忘れることはないだろう。
いかなる状況下でもユーモアを忘れず、決して笑顔を絶やさなかったはずの彼は、知らぬ間に笑わなくなってしまったからだ。
厳密には笑うことはある。けれどそれは幼少期の屈託のなさには到底及ばず、常に翳りを帯びるようになっていた。
玉座についてから、ヘラクレス=オブ=エロスは笑わなくなった。
王としての責務に重圧を感じているのか。それとも慕っていた兄の処刑を命じたことを未だに悔いているのか……、戦うことしかできない私には分からない。
大人になったと言えば聞こえはいい。けれどあの快活な笑顔がなくなったことを寂しいと感じるのは、あるいは私の我儘なのかもしれない。
そもそも我が王の御心を推し量ろうなど無礼にもほどがあろう。
原因が分からない限り疑問の解消は難しい。時間が解決してくれるのを願うばかりである。それとも正室を作れば多少気も安らぐのだろうか。
いずれにせよこの件に関して私から力になれることは少ない。
だからせめて、この身が朽ちるまで王の傍で仕えていよう。
王が本当の笑顔を取り戻したとき、その表情を向ける相手が私でなくても全然構わない。それは私の領分ではない。王にとって生涯を捧げる相手にこそ相応しい役目だ。
私が為すべきはその者とエロス王を身命を賭して守り抜くこと。
そして私が――エロイッサム王国騎士団長としてではなく、かつて義姉として仕えた義弟に掛ける何よりの願いだ。




