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7、夜のとばりをおろすのは②


「すごく良いじゃないか。これにしよう、多分これが一番似合うと思う」


 カミルはユリアと一緒に覗いていた鏡から顔を上げて、改めて紫と黄色のガラス細工の髪飾りを実際につけた印象を確認してから、近くに控えていた女性店員に購入の意思を伝えた。このままで結構です、と先に頼んであった妹の分の髪飾りを受け取り、ユリアの手を引いて外へ出た。紫と黄色の配色が綺麗な髪飾りは、我ながら落ち着いた雰囲気のユリアに似合っていると思う。


「え、お会計はどうするんですか?」

「店が軍の経理部に問い合わせて、給料から差し引く仕組みなんだよ。いちいち現金を持ち歩かなくて済むから手間が省けて楽だろう」


 最近できた仕組みなんだ、とユリアに解説すると、彼女は一本とられたとばかりに納得のいかない表情だ。髪飾りを選んでいる時の様子からして試しにつけてみただけ、と上手に逃げようとしているのは目に見えていたので、今回はこちらの作戦勝ちだ。



 カミルの把握していたユリア、というのは母親の帰りを健気に待つ小さな女の子だった。それが少し見ない間に外で働き始めた影響なのか、言動が大人びた上に見た目もすっかり女性らしくなってしまって、嬉しい事なのにどこか寂しような、不思議な気分だった。


「一日付き合ってもらったお礼だよ。昨日、食事を御馳走しようかと思っていたんだけど、逆に食べさせてもらって悪いなって」

「……じゃ、じゃあカミルさんは、何か欲しい物ないんですか? なんでも買って差し上げますけど」


 そう、昨日お土産のリンゴを渡してささっと帰る予定が、時間に余裕があるとはいえ長引いてしまっている。ユリアはこんな高価そうな物、とまだ困ったような表情のままだった。




 





「処分しても、問題ない物、か」


 二階のカミルの自室は、流石に十年近く留守にしていただけの事はあって、とっておこうと思えるような物はほとんどない。落書きや読み書きの練習に使った紙の束や、長続きしなかった日記帳、もう使わない古い玩具などは処分の対象として仕分けて行く。


 見た目が綺麗な石が大量に出て来て、どうしてこんな物をとっておこうと思ったのやら、と半ば呆れつつも、作業は順調だった。



「あなたの部屋なんだけど、もし、アレックス達に子供が生まれたらその部屋を子供用に改装しようと思っているから、手が空いている時で良いから、片づけて欲しいのよ」


 昨夜、ようやく迎えたまとまった休暇を使って帰省すると、母親のアリサから、この家の大まかな将来設計の事を説明された。カミルの認識している子供部屋は元々、妹のルーチェの居室になったはずだが、彼女はまだこの家で何年かは過ごすのだから、と母親は言う。父親からではない辺り、まだ正式な計画ではない事は察せられたが、しかしそう遠くないうちに本決まりになって、カミルにも伝えられるであろうとは予測できた。


 作業の手は本棚へ向かった。軍の学校に入る事が決まった時に、大叔父さん買ってくれるって言ったよね、という約束を半ば無理やり履行させて、買ってもらった児童書のシリーズである。そういう経緯で手に入れた割には、読む事ができたのは遠くの学校へ入学した事で二十あるうち、三巻の途中までだった。


 中に何も挟まっていない事を確認するため、ほぼ新品の本を一冊ずつ開いた。学校の同期の笑い話に、親から受け取った紙幣を挟んだまま別の人間に貸してしまい紛失、という話を思い出したのだ。購入したのはもう十年以上前の話だが、ずっと本棚に仕舞われていたおかげで日焼け等の劣化がほとんどない。


 無意識に動かしていた手が止まったのは、最終巻のエピローグ直前に何かが挟まっていたからである。綴じてあったのは黄色の押し花で、栞代わりのようだ。本を傷めない配慮なのか、薄いハンカチに挟むようにして一緒に閉じ込めてあった。


 押し花自体は古い物なのか、色あせている。乾燥した茎の部分をそっと摘んで観察すると、それでも家の裏手の木立に、春になると咲く花である事は思い出した。子供の頃は足元に咲いているのをなるべく踏まないよう、静かな木立の奥へ進んだのだ。


 兄と一緒に、父が休みの時はその手を引いて、春と夏は虫を探し回り、秋は木の実を集め、冬は誰もまだ足をつけていない新雪を目当てに、そこへ遊びに行ったのだ。ユリアというエイレム一家が預かっていた女の子が元気のない時に引っ張って行った時もあり、また妹のルーチェが降りられない高さまで木に登ってしまった時には仕方なく助けに行った事まで、いろんな出来事が糸を手繰り寄せるような感覚でよみがえった。


 それから黄色、と頭の中に残っていた習慣を思い出した。虹の七色のうちを一日の中に探し出すと、次の日は幸福が訪れるという。虹を見つけた場合はそれで達成、とは子供のおまじないだ。ここにある本は誰でも読んでいい、と宣言はしてある。兄だろうかとも思ったが、こんな繊細な事はやるわけがない。そうなるとルーチェかユリア、もしくはカミルの知らない誰かだろう。


 

そんな事を考えながら、採集の意図を思い出せなかった綺麗な小石は裏庭へ撒き、燃やせそうな物をカミルが庭で火にくべていると、母親のアリサが顔を顰めながらやって来た。


 カミルの記憶にある母親というのは、なるべく人と会わずに刺繍だけやっていれたら幸せ、という性格だったのに、いつの間にか本家の奥様から慈善事業の一部を任される立場になったらしい。父も領地の平役人に過ぎなかったのを、真面目に勤め続けた成果が認められて、今は幾つかの街の領主代行を務めているとの事だ。


「整理をしてってお願いしただけで、片っ端から燃やせなんて言ってないでしょう。風下のお宅から苦情でも来たらどうしてくれるの」


 自分の部屋と庭先を何度か往復している弟を見た兄とその妻はカミルから経緯を聞いて、まだ気が早い、とやんわりアリサを諫めたようだ。少し前に、家の中からそんな声が聞こえていた。

 

 しかしカミルの今までの経験上、さっさと手をつけるべきだろうという母親の判断の方がおそらくは正しい。下の息子はいつ帰って来るのかわからない、というのが本人を含めた一家に共通の認識である。先ほどの児童書のシリーズは、母がよく行く刺繍の会が寄付を重ねている孤児院に寄付して来て、と忙しい。


「大叔父さんに買ってもらった奴はどうしたの。あの本」

「子供が喜んで、奪い合いしながら読んでいたよ」

 

 孤児院にあったのはボロボロになった第一巻のみであって、子供達に大喜びされたのだ。丁寧に扱って、という院長先生の指示が飛んで、いそいそと一人一人の手に渡っていった。本も、その方が嬉しいに違いない。


「……本だったら、子供が生まれたら、そのうち読むかもしれないじゃないの」

「だって、本が好きとは限らないだろうし。……ルーチェなんて、木登り以外に興味ある?」

「……まあ、それは」


 妹が大人しくしていない気性である事は、母親も認めるところであるらしい。在籍しているお嬢様学校から、適度に影響を受けられると良いと思う。最近来た手紙には、窓には牢屋のような鉄格子が嵌っている、と大袈裟な嘆きが書かれていた。


「煙は大丈夫、朝のうちに事情を説明して回ったから。どこも頼んだ通りに、洗濯は早めに終わらせたみたい。あと、お菓子もくれた」


 カミル君たら立派になって、と長く留守にしていたにも関わらず、近所に住んでいた次男坊を覚えていてくれた人も意外と多かった。出世は、とか良いとこのお嬢さん紹介してもらえた? とどの人も無邪気に尋ねてきた。


「それでねカミル。もう一つ、お願いがあるんだけど」

「今度は何?」

「……イサベルと、それからユリアに会って来て欲しいの、お願いできる? 最近、ちっとも顔を見せてくれなくて。元気なら良いのよ」


 仕事先に戻るついでに寄ってね、と人使いの荒い母親である。口実はリンゴのおすそわけね、と付け足された。兄のアレックスとその妻のモニカによると、あの小さかったユリアは母親のイサベルと一緒に、今は王都近くの街に住んでいるらしい。服飾店で、接客や経理作業等をこなしているそうだ。


 あの大人しかったユリアが、と勝手に兄のような心地でいる身としては、長い長い時間の流れを突き付けられたような気分になった。


「まあ、顔を見せないって言っても、あなたほどじゃあないしねえ。とにかくよろしくね」


 はいはい、とカミルは生返事をして、予定より滞在を早く切り上げて、ユリアのところへ向かったのである。








「何か、お礼させて下さい、何でもいいから」

「じゃあ、宿でワインでも飲もうかな」


 ユリアが歩きながら横で辛抱強く説得した結果、カミルは通りに視線を走らせて、酒屋の看板を指差した。職業柄、身に着ける物の値段や品質には敏感である。髪飾りはおそらく高価な品である事は店の他の商品からも十分察せられた。それをぽん、ともらってしまって、カミルが何を考えているのか、よくわからない。


 二人で入った先はお酒を扱う店としては珍しく、飲む場所が併設されていないので静かだった。少しだけ購入できますか、とカミルが店員の若い女性に話しかける。彼が選んだのはユリアの知らない産地の物だが、仕事場の知り合いが以前、勧めてくれたのだと教えてくれた。


 本当はこういう売り方はしないんですけど、と言いつつも女性の店員はいそいそと店の奥から小さな小瓶をとってきて、樽の中身を移してくれた。栓をした小さなワインボトルを手に、彼は妙に機嫌が良い。


ユリアはどうかと訊かれたが、自分もイサベルも特別な理由でもない限りは飲まないので、遠慮した。


 外へ出ると先ほどの、雨に降られるのではないかという懸念は結局杞憂に終わったくらい、気持ちのいい夕映えの空だった。カフェでのんびりしたのと、髪飾りを探し回っているうちに、かなり時間が経っていたようだ。ユリアが知っているおまじないのうち、藍色や青、オレンジの色を一度に集められるくらい、綺麗な空だった。



「そろそろお別れかな、今日は付き合ってくれてありがとう、ユリア」

「こちらこそ、こんな素敵な物を頂いてしまって」


 宿は、細工物のお店と同じように、軍の関係者は割引の効く宿を見つけてあるらしい。使える特典は徹底的に使う心積もりのようだ。軍としてもその方が都合が良いんだよ、とカミルは笑っている。


「今度、会う時に必ず相応のお礼はしますので」

「いいよ、ユリアが稼いだお金は自分で使えば」


 カミルには敵わないだろうが、ユリアだって働いて、大部分は貯金だとしてもそれなりに額面はある。


「だったら」

「個人的には、最高のお金の使い方だと思うけどな」


 それはカミルさんにも言えるはず、と反論するのを予想してか、先手を打つようにしみじみと呟いた。


「そりゃあ、その相手がエイレムのおじ様とかおば様とか、カミルさんの恋人に贈るなら最高の使い方でもおかしくはないですよ」

「ユリアは……もうほとんど、家族の一部みたいな感じだったから。帰省した時は大抵、いてくれたし。買いたかったから買ったんだよ。もうその話はそれで終わり」


 ね、と視線を向けられると、ユリアも頷くしかなかった。それから、と小さい子を諭すような口調で、カミルは先を続けた。


「さっき……、コーヒー飲みながらユリアが『今は結婚は考えてない』って言っていたのも、少なくともイサベルさんには伝えておいた方が良いと思う。ちゃんとした考えがあるようだから、尚更。後になって、しまった、って後悔しなくても良いように」

「……まるでしまった、って思っているような言い方ですね」

 

 ユリアが探りを入れたのに深い意味はなかったが、カミルが珍しく口を噤んだ。

 

「……カミルさん?」

「……誰にも言わない?」

「言いませんよ」

「じゃあ、ユリアには特別に。母さんにも父さんにも、兄さんにも黙っててね。僕の、大失敗した話。家族のみんなは、僕に良い学校に行って良い職業に就いて欲しかったみたいだけど」


 カミルが大失敗、と言ってもあまりぴんと来ない。いつも話を聞くのは難しい軍の学校をそれなりに楽しんで、ユリアのような居候にも気を遣って構ってくれた、いつだって尊敬できる存在だったからだ。いつものように冗談なのかとも思ったが、しばらく目を泳がせたカミルの口調はどこか苦々しい。


「僕は大人になったら、父さんの仕事を手伝うのが夢だった。あの学校だって、父さんと母さんが親戚の奴らに馬鹿にされているのが悔しかっただけで、こんなに家に帰って来られない生活になるなんてもし、知っていたら」


 カミルが口にした夢、というのはあまりに平凡で、ありふれた目標だった。ユリアの記憶の中で、カミルは学校をとても楽しい場所だと説明していたのに、真面目な顔で行きたくなかった、と続けるので、言葉を失う。


「心配するだろうから言わなかったけど。でもそんな事を思っているうちに、家はもう帰る場所じゃなくなった。兄さんも結婚してこれから家族構成も変わるだろうし、自分の部屋も片づけて本も全部寄付したから。まあ、次男なんてそんなものだって、わかっていたけど」


 ユリアが何も言い返せないのとは対照的に、カミルは今まで口を噤んで来た事を吐き出せて清々した、とばかりに肩を竦めた。大失敗だろう、と彼は笑ったが、表情を見る限り、愉快だとは露程にも思っていない事は明らかだった。


 いつの間にか、二人はもう母娘が住んでいるパン屋の前まで来てしまっていた。あら、とたまたま外に出ていたらしいイサベルが二人を迎えて、おかえりなさいと微笑んだ。


「今日は遅くなったから、宿でもう一泊してから帰ります。ユリアもイサベルさんも、お元気で」

 

 ユリアは何度も、学校へ戻って行く彼の背中を見送っているのに、記憶にある限りは初めて、カミルの口からまたね、と付け足される事はなかった。









「どうだった? あら、何だか可愛い物つけちゃって……」


 買ってもらったばかりの髪飾りを早速見つけたイサベルは嬉しそうな声を上げ、しかし神妙な顔で黙りこくっている娘を前に口を噤んだ。


「違うの、大丈夫。私は何でもない」


 カミルが自嘲気味に言い放った言葉が、まだぐるぐると回っている。もう帰る場所ではない、とまで言い切った彼の苦い表情が、頭から離れなかった。何故ならカミルが一人で家の外にいる間に、ユリアは当のエイレム一家に気を遣ってもらって、寂しい思いをしなくて済んでいたのだ。


「……お母さん」


 近くで心配そうな顔で様子を窺っている母親を、ユリアは捕まえた。もうそんな齢じゃないだろう、と笑われたとしても、子供の頃に自由にできなかった反動なのか、たまに意味もなく抱き着きたくなる。同じくらいになった背丈を確認しながら、その向こうの窓の外を見た。これから少しずつ日が長くなるとはいえ、まだまだ寒い時期なので外はもう暗くなりつつあった。けれど、まだ完全に日が暗くなったわけではない。


 あれが夜のとばり、と学校に通っていた頃のカミルが教えてくれた時は、どんな気持ちだったのだろう。一人で家族を離れて寂しくないの、と聞いた事もあったはずだ。


 とばりとは、と幼いユリアがカミルに尋ねた時、明りを隠す黒い幕の事だと教えてくれた。


「じゃあ、とばりの向こう側は明るい空って事なの? 曇りの日も雨の日も、雲の上は晴れているって、この間教えてくれたでしょう?」


 その子供故の問いかけに、カミルはそうだよ、と笑って頷いたのである。何がそうだよ、だ。さっきの髪飾りの支払いに関しても一杯くわされて、いつだってカミルに翻弄されてばかりである事に、段々と腹立たしくなって来た。


「お母さん、ありがとう」


 ユリアはイサベルを離すと、自分の部屋に駆け込んで、目当ての物を引っ張り出してまた元の部屋まで戻る。娘の一挙一動を見守っている母に、ユリアはカミルに会いに行くからついて来て欲しい、とお願いをした。

 

 どうしてもカミルに言いたい事があるから、とお願いすると、母親は笑って頷いてくれた。


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