4、楽しいお出かけ②
「到着まで何をしようか。一応、カードは持って来ているけど。ルーチェはしりとりの方がいいかな?」
カミルの提案に最年少のルーチェが頷いたので、馬車の中ではしりとりとカード遊びを同時に進めようという事になった。罰ゲームは一人で歌を一曲、と決められる。
隣に座ったエイレム一家の末娘が袖を引っ張って、一緒に歌ってね、と頼まれたのでユリアも頷いた。仮にユリアが負けた時も仲間になってくれるそうなので、これで一人独唱、という事態は避けられる。
「……私も歌ってあげる。ユリアの時もね」
「本当? モニカさん優しい」
モニカは顔の赤みが引いたようで、年少であるルーチェとユリアに対し、良いお姉さんと言っても差し支えない優しい顔を見せた。アレックスとカミルに対峙するため、女の子三人での同盟が結成された。
昨日、作戦を立てるにあたってカミルが知りたがっていたのは、モニカとアレックスがどういう距離感で接しているのかという事だった。そもそも、少なくともユリアが見ている前ではあまり喋っていない、という事を伝えると、やれやれと言わんばかりに肩を竦めていた。
「……る、ルビー。それでさ、とりあえず学校の寮に同室者は四人いて……」
アレックスが弟に『最近調子はどうなのか』と、話を振っている。ひたすら無言でカードゲーム、というのも気が引けるらしい。カミルは基本的に話好きなのか、兄からカードを引き、しりとりの合間に学校の様子を教えてくれた。
カミルがユリアはカミルの手札の、一枚だけ上にずらされている札を取るか取らないかで悩みつつ、彼の話に耳を傾けた。えい、と引き抜いてみると、とりあえずジョーカーではない。
「ビロウド。あ、どは少し難しいかな?」
「ど? 難しい。ユリアったら……。どんぐり!」
「りす」
「ストール」
カミルがユリアに回し、その次にルーチェでモニカでアレックスという順番で、しりとりとババ抜きが進行していく。アリサに教えてもらった色の名前はび、で始まってど、で終わっているので少し難しかったかと思いきや、秋に家の裏で拾い集めた木の実の覚えていたらしい。
カミルの話によると、学校では朝は六時に全員起床で点呼がはじまり、朝食時には鞭を持った教員が生徒たちの席の周りを巡回して、無駄話を耳聡く見つけて指導を行う。カミルはそれを出し抜くにあたり、個性的な友人達と共謀して席順から細工を施し、という壮大でロクでもない計画の話は面白かった。
カードの方の順番が回って来ると、またしてもカミルの手札は一枚だけ上にずらされている。ユリアが素直にその札を引くと、今度は本当にジョーカーだったので、手札を一度バラバラに混ぜなければならなかった。
「……ついにジョーカーが動き出したようだな」
「よし、もう一回兄さんまで戻して一曲歌ってもらおうよ」
そんな感じで歌ったり聞いたり、いつもはすました顔のアレックスも時折口元を緩めて、どうやら笑い出すのを我慢しているらしい。その向かい側に座ったモニカが、その珍しい様子をじっと眺めては、誰かと目が合うと慌てて手札に視線を戻す作業に追われていた。
しりとりの方は流石に三周目になると、薄々アレックスの作戦がわかってきて、カミル以外はくすくすと笑いながら続ける。
「瑠璃色。……何でよりによって『る』ばっかり回すんだよ。大人げないな」
「お前の語彙力を鍛えてやっているんだ」
むすっとしたアレックスが軽口を叩いている。よくそんなに、『る』で終わる単語の引き出しの多さに思わず感心しつつ、意地でも降参しない兄弟の争いが続いた。いつもは落ち着いた雰囲気のアレックスが、弟にささやかな意地悪を試みている光景は新鮮だった。
「そう、偶然ですよ」
「ほら、モニカもこう言っている」
モニカは自分の婚約者のフォローをした。支持を得たアレックスが珍しく屈託なく笑ったので、カミルが意味深にへえ、と呟いた。馬車の揺れが、という言い訳とともに兄に足を踏まれつつも、カミルも久しぶりの帰省で楽しそうだった。
一時間ほどで到着すると、くじを引きます、とカミルが宣言した。三人と二人に分かれるよ、と布袋から、チェスの駒を引き出すように、三人の女の子達に指示を出した。子守り役のカミルとアレックスは当然別れるとして、という説明を聞く。随分用意が良いんじゃないかという指摘がモニカから入るのではないかとユリアは危惧したが、彼女は意を決したように袋の中から白の駒を取り出した。
組み分けは長兄アレックスと妹のルーチェの二人、そしてカミルがユリアとモニカの三人連れで、午後の一時半に昼食まで済ませて再び集合という事になった。私もあっちが良かった、と名残惜しそうなルーチェを見送り、三人は往来の隅に固まって今後の相談をする。時折、カミルの整った容姿が気になるのか、視線を投げかける女性がちらほらいた。
「さて、何しようか。観劇でも大道芸の見物でも。女の子二人はどうしたい?」
「ユリアは?」
モニカはどうするのかと思ったが、ユリアの希望を優先してくれるらしい。馬車の中が賑やかだったせいか、いつもよりずっと話しやすい雰囲気だった。
「私が決めてもいいなら、公園に行きたい。春になったら、庭園迷路が完成するって聞いていて」
二人が頷いたので、街の中心にある公園へと歩き出す。迷子にならないように、と三人はカミルを真ん中にして手を繋いだ。途中で母親のイサベルの勤めている商会の建物や、街のシンボルの時計塔を遠目に見ながらの道のりである。
ほどなく到着した広い公園は日傘を差した女性達や、ユリア達と同年代か少し年下の子供達が走り回って遊んでいる。お目当ての一画にはカミルの肩の高さ程度の生垣が整備され、巨大な迷路が形成されている。
前は遊具があったそうだが、古くなっていたので思い切って取り壊し、代わりにこの土地を治める貴族の専属庭師だった男性を中心に子供達の遊び場を、と数年かかって造成が進められていた。今の領主夫人が先頭に立ち、カミルの父も関わっていたり、モニカの実家が出資をしていたり、と意外と身近な存在だった。
「……今の領主様の奥様は熱心だね」
「そうそう。刺繍の会の立ち上げも関わっているし、お母さんの仕事も紹介してもらっているの。足向けて寝られないんだって、よく言ってる」
女性が働くというのは大変だそうで、まず職種が限られるらしい。家庭教師が一般的だが希望者が多く、仕事を得るにはコネが必要とかで、十分な収入を得るのは難しいのだ。イサベルから相談されたアリサが、当主夫人に相談を持ち掛けると、領主お抱えの商会から仕事を回してくれたのだ。ユリアも刺繍の会で何度かお会いした事があるのだが、肩書に似合わず気さくな女性だった。
「イサベルさんが上手に仕事をしてくれたら、こっちも他の女性の悩みに答えてあげられるから。私も応援しているの」
そう言って、ユリアの事まで心配してくれているのである。
迷路の入り口にやって来ると、ユリアとモニカが手を繋いで並んで歩ける程の幅があった。今は完成記念に、迷路の中のクイズに正解すると、出口で景品がもらえるらしい。しばらく歩くと分かれ道で、とりあえず片方の道をしばらく進むと行き止まりには看板があって、クイズのヒントらしい文字が書かれていた。
『N、固い』
「固い? 骨とか壁とか?」
「……まだ考える段階じゃないな」
「N、と他の文字を集めると答えになるって事なのかな」
ユリアはぱっと頭に浮かんだ事を呟いてみたが、確かにカミルやモニカの言う通りなので、忘れないようにしながら引き返した。カミルの高さからはある程度迷路の構造が見えているはずだが、おしゃべりに興じながら二人の後ろを付いて歩くだけで、行先は任せてくれている。分かれ道ごと、どちらを選べば良いのか手がかりがあるわけでもなく、完全に道をしらみつぶしにするしかないようだ。全体の広さからして、これはかなりの長期戦になりそうである。
『A、みんな違う』
「どういう事だ?」
「更にわかんなくなっちゃった」
今度は罰ゲームではなく、知っている歌をモニカと一緒に自然に口ずさんだりしながら、迷路の先へ進んむ。その先ではどうやら迷子らしい、ルーチェよりも小さな女の子をカミルが拾って、抱っこしながらの行程になった。
生垣は春の新しい、淡い色の葉っぱが陽に透けて綺麗だった。カミルの母親であるアリサが言うには身近でこれだ、と思った景色を刺繍の図案に取り入れるそうなので、ユリアもこの眺めを覚えて置く事にした。刺繍で小さな迷路を作る事ができたら、案外面白いかもしれない。
いつもはルーチェと手を繋いで歩くのを、今はモニカと一緒にあっち、こっちと歩いている。昨日までは少し苦手、と思っていたのに自分でも不思議だった。カミルの抱えていた迷子は途中で父親らしき、他にも子供を抱えた男性がほっとしたような表情で回収した。
『Y、綺麗』
「……きれいと言えばさっきのヒント、もしかしたらお花みたいに、色んな種類があるって事なのかも」
「あ、なるほど」
どこへ行っても同じ生垣の風景なので途中で何度か道がわからなくなり、身体も何度も向きを変えているので立ち止まったりを繰り返しつつ、どうにか前に進んで行く。好きな本の話、食べ物の話、と知らない話がたくさんあって、モニカとは話が尽きる事もなく楽しかった。
モニカは花を見るのを育てるのも好きで、自分の植木鉢を幾つも世話しているらしい。エイレム家の玄関先に、花壇を作りたいのだと話をしてくれた。次に来る時には、ユリアにも世話のしやすい苗を分けると約束してくれた。
『C、五文字』
「あ、わかった」
「え、今ので?」
「多分、ユリアもモニカも好きな物だと思う」
カミルは途中で既に答えに見当がついたらしく、二人にも仄めかすような事を言ってくれた。
途中ですれ違った小さな男の子二人が、この先には何にもないよ、等と言って逆の方向に走り去っていった。中にはもう三周目、とえらく張り切っている姉弟が頑張って、と言いながら三人を追い抜いて行った。背の高いカミルには他の参加者の姿が見えているらしく、時折どこかに手を振っているのが見えた。
『D、食べ物』
その看板を見つけた後で角を曲がると、ついに突き当りに迷路の出口が見つかった。モニカの顔を窺うと、自信たっぷりに頷いたので、三人はそのままゴールへ向かう。
「キャンディ!」
出口で待っていた係の男性にせーの、で答えると、ニコニコしながら一つずつ飴玉をくれた。
「いちご!」
「ぶどう!」
「レモン!」
手に入れた飴玉は透き通っていて、まるで宝石を手に入れたような気分だった。モニカに虹の色を見つけるおまじないの話をしながら、三人は少し離れた場所で包み紙を剥がし、ハイタッチを決めてから公園を後にした。歩き回ってお腹空いたね、と早めのお昼ご飯を食べる事になった。
公園の傍にあるお洒落なレストランへ入り、ここも混みあう時間帯を避けたおかげで待つ事なく食事にありついた。ユリアは母親のイサベルと何度か来た事のあるお店で、三人ともユリアの薦めた違うメニューを頼んだので最初に一口ずつ切り分けて交換する。
デザートまで完食し、約束の時間よりいくらか早めに集合場所に辿り着いた。ちょうど時計塔の前でやっている楽器の演奏に耳を傾けて、アレックスとルーチェが戻って来るのを待つ。
やがて、人混みの中から、見慣れた二人が歩いて来るのが見えた。ルーチェは兄に抱き抱えられ、屋台で買ったらしいクリームを挟んだパンをまだ食べている。アレックスはどこも混んでいて、とやや疲れたような声である。
「じゃあ午後の……」
「組み分けはいいよ、もう。……モニカ」
アレックスは、口を開きかけたカミルに食事中の妹を押し付ける。それから今日初めて、ちゃんと自分の婚約者に向き直った。あのさ、といつもの仏頂面とも違った顔で、一度言葉を切った。
それから口にしたのは一緒に来て、とモニカに対する短い誘い文句である。普段は決して口にしない人間がさりげない風を装って口にしたので、残りの三人は慌てて不自然な咳ばらいをしなければならなかった。
「カミルさんのおかげでね、楽しく過ごせたし、今度からは仲良しになると思う」
「……僕は何もしてないよ。まあ、兄さんにはよく言っておいたからさ」
ユリアは人ごみの中に消えて行った二人を見送りながら隣にいる、貴重なお休みをユリアのために使ってくれたカミルにお礼を言った。母親に書く手紙の内容もできて、モニカと花を育てる約束もしたので、これからが楽しみである。それから、ルーチェは午後に何をしたいの、と先ほどカミルやモニカが年少者の意見を採用してくれたのを真似した。それを聞いてなのか、カミルが感心したように目を細めたのが横目に見えた。
「ルーチェは木登りがしたいな。広くて緑の公園があるって、お父さんが言ってた」
しかし、ルーチェの希望はいつもよりずっとお洒落な恰好でのお出かけなのに、いつも通りの回答だったので却下となった。