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2、華やかなガーデンパーティの隅で②


「……どうしてカップケーキばかりなの?」

「だって、美味しそうだったから」


 カミルが調達して来たお皿の上は、生地の上に白やピンクの生クリーム、きらきらしたアラザンや淡い色のチョコレートが飾られたカップケーキが乗っている。いかにも、女性の集まりで喜ばれそうな見た目をしていた。


 カミルは何食わぬ顔で母親のアリサとその友人、イサベルからお礼の言葉をもらった。それから噴水を挟んだ反対側の縁に話の邪魔にならないように腰かける。その向こう側が今日は何の話をするつもりで集まったのかわからないが、わざわざ人目を避けるような真似をしている二人の邪魔をしようとは思わなかった。


 そっと様子を窺うも、あの幼い子供を抱いた女性が、誰かから陰口を叩かれるような人とは思えない。もし彼女がガーデンパーティの会場へ戻った場合、あの短く切った髪ではどうしても目立ってしまうだろうな、と心配になる。


 それから、彼女の娘だと紹介されたユリアは母親の膝からは降りたものの、ここは一体どこなんだと言わんばかりに、まだきょろきょろしている。ちょうどいい、とカミルはその様子をじっと観察し始めた。


 

 半年ほど前、カミルには初めて妹ができた。兄でも姉でも弟でもないのは、とても重要な事らしい。それに伴って父親より、この子は女の子であるからして、大切に丁寧に扱わなければならないというお達しが、アレックスとカミルの腕白兄弟にもたらされた。


「……兄さん、父さんはどうしてそんなわかり切った事をわざわざ言ったと思う?」


 兄弟はベビーベッドの両側から、柵を掴んで中の赤ん坊を覗き込んだ。小さな妹は時々手足を動かして、隙間から覗きこんでいる兄達に興味津々の様子だ。


「妹が僕らの英才教育によって、素敵な淑女に育ったら困るじゃないか。いいか、カミル。あれは弟じゃないぞ、妹だからな」


 こんな風に、兄のアレックスにまで言われる始末である。間違った接し方を避けるためにも、とりあえず一般的な女児がどのような生態を持っているのかを知っておく必要があった。


 妹はようやくこの間首が座ったばかりなので、そのうちこうやって大きくなるのかな、と観察を始めた。ユリアは母親似のようで、イサベルの落ち着いた色合いの深緑の瞳と、それから髪の毛の色も受け継いでいた。カミルと兄もお母さんにそっくり、と言われる事はあるが、その比ではないように思う。


 あれこれと小さな子供の事を考えていると、ユリアが噴水に沿って歩き始めた。足取りは大人のように滑らかではなく、前後左右にふらつきが大きいせいか、どこか危なっかしい。噴水の縁に捕まればいいのに、と思っていると、どうやらこちらを目指して歩いて来ている事が判明した。


「こんにちは、ここはおかし屋さんですか?」


 ユリアはカミルの目の前までやって来た。まだ喋れないと勝手に思っていたが、多少舌足らずながらもちゃんと意味が通じる。幼い子供特有の、一点の曇りもない瞳がカミルを見上げた。その目の深い緑を、カミルは自分でも不思議なほど、綺麗だと思った。春のお庭に溢れているような眩しい色ではないのに、一体どうしてなのかわからないが、少しも目を逸らせない。


 実際はお菓子を独り占めしてちまちまと口に運んでいるだけの現場だが、彼女の目にはきっと、お洒落なお菓子店の屋根や看板、商品の詰まったガラスケースまで見えているらしかった。


「……こんにちは、いらっしゃいませ。エイレムのお菓子屋さんだよ。好きなのを、どれでもどうぞ」


 意識してゆっくり喋ると、彼女はお皿に残っていたクッキーをしばらく物色して、淡い水色のアイシングクッキーが気に入ったらしい。向こうにはカップケーキしか渡さなかったので、彼女はこちらの方が好きなお菓子なのかもしれない。


「三つ下さい」 

「はい、ちょうどお預かり致します」


 カミルは、ユリアの柔らかい手のひらに乗っている見えない硬貨を受け取り、数えるフリの動作を付け加えた。幼いながらも、お金のやり取りの仕組みを既に理解しているようだ。彼女は上機嫌で、クッキーを母親達の元へ持ち帰ろうとした。しかし両手が塞がっているせいか、途中でよろよろと転びそうになった。


「おうちまでお送りしますよ」


 それをひょい、とカミルは後ろから支えて、抱っこして噴水の反対側まで運んだ。意外と重量があるのと、それからぽかぽかと温かい。新たな発見をしながら到着すると、買ったの、と彼女が嬉しそうに報告した。


 そして驚くべき事に、自分一人で食べ始めるのではなく、アリサとイサベルに一つずつ手渡した。ユリアの小さな頭の中に、既に気遣いという概念が芽生えているらしい。優しい子、とアリサも笑みを浮かべながら受け取っている。


 見た目の幼さに騙されてはいけないな、とカミルは観察の結果を頭の中にまとめた。お互いの分までとっておいてやろうという優しさは、エイレム兄弟には存在しない。その場にいない、もしくは簡単に奪われるような隙を見せる方が悪い。それが暗黙の了解になっている。


 カミルは家庭教師の先生からの授業を頑張っているであろう兄に、お土産のお菓子をいくつか進呈する事にした。自分の場所に戻って、母が刺繍してくれたテントウムシのついているハンカチを出して、持って帰るのに支障のなさそうなお菓子を幾つか包む。割れないようにそっとポケットにしまったところで、噴水の向こうのイサベルから声を掛けられた。

 

「……カミル君、ありがとう。今度は私が飲み物をもらって来るわね。ジュースでいいかしら」

「いいよ、カミルに行かせれば……」

「うん、僕が……」

「何回も往復させたら申し訳ないでしょう。……ユリア、ちゃんといい子で待っているのよ?」


 ここで一人にしないで、と幼子が駄々を捏ねてくれたら、というカミルの期待は外れ、小さなユリアは母親の言葉に素直に頷いている。向こうのあの嫌な感じの女性達とイサベルが鉢合わせするとなると、すごく不穏な予感しかしない。


 カミルが咄嗟に思い出したのは、こういう場合は派手な動きで相手を引きつけろ、という兄の教えである。この手法の成功率は高いが、代わりに母親の機嫌が急降下するという負の側面も大きい。しかし、とにかく緊急事態である。


「はいはいはい! カミル、側転やります! ついでに飲み物もとってきます!」


 カミルは我ながら素晴らしいスタートダッシュを決めて、女性三人の前にざざざ、と滑り込む。何故、と聞かれると上手に言い訳できないので、何もかも勢いで誤魔化すしかない。狙いは通り、イサベルは目を白黒させている。母親の顔は怖いので見る気にはならなかった。 


「そんな事できるの?」

「ちょっと、カミル!」

「連続後ろ宙返りも得意です!」

「まあ!」









「……どうして、あのお兄ちゃんはぐるぐる回っているの?」


 アリサは自分の、天使のように愛らしい息子が宣言通り、止める間もなく無駄な回転をしながら去って行くのを呆然と見送りながら、盛大に頭を抱える羽目に陥った。不思議そうな表情で見送るユリアに、イサベルは何がおかしいのか笑いが止まらず、受け答えをするどころではない。


「おばさんにもちょっとわからないわ……」


 アリサも、幼い子供のもっともな疑問にお手上げである。イサベルは笑いを堪える限界を迎えたようで、噴水の縁を掴んでぜいぜいと荒く息をついていた。華奢な背中を、ユリアの小さな手がせっせと労わっている。 


「……よくあれで合格したわよ。面接でグルグルでも披露したのかしらね」


 結局、カミルは一時間ちょっとしか大人しくしていなかった。もう兄になるのだからと言い聞かせてはいるが、効果は芳しくない。外見は奇跡のように愛くるしいが、中身はその辺のやんちゃ坊主を十人連れて来て、無理矢理一人の中に押し込んだかのように、毎日毎日ロクな事をしない。外遊びの後はポケットを全てひっくり返す検査を抜きにして、家の中には入れられなかった。アリサに許せるのはテントウムシが限界である。



 しかし、そんな手のかかるカミルを、そのうち全寮制の学校へやらなければならない。有望な子供を小さいうちから、軍や政府の幹部候補として育てるべく、集団生活をさせるのだそうだ。費用は全て国が出してくれるそうなので、入学者への期待の高さが窺える。そこへ入れば将来安泰、出世街道をひたすら突き進むのだと専らの噂で、どうにか自分の子供をそこへねじ込もうと、毎年熾烈な争いが繰り広げられていた。


 倍率が倍率なのでアリサは受けさせる気はなかった。しかし、次男以下は早めに経歴に箔をつけさせるべき、という親戚内の無責任な意見に、珍しく寡黙な夫が同調したのである。詳しく話をしてみると、ご高説を垂れる親戚達とは意見が違うらしい。早めに商売か軍人あたりで生活していける道筋をつけてやる必要があるから、と言い出したのだ。自分があまり手やお金をかけてもらえなかったから、と諭されると、落ちて恥をかくだけじゃないかとは言いにくかった。



「試験? なんか、変な問題ばっかりだったよ」


 試験後のカミルの感想からしてまず無理だろうな、というアリサの予想は見事に外れた。しばらくして届いたまさかの合格通知に、夫は小躍りせんばかりの勢いで喜んでくれたが、その他の面々は愕然とした表情を隠せていなかった。余程気に入らなかったのか、最近は集まりにも今まで以上に呼ばれない。喜ばしい限りである。これでもし御本家の三男坊も合格していなければ、辞退しなさいと言い出したに違いない。


 その代わりに、今度はそこの奥様とお茶をしなければならないのが胃痛の種ではある。



 アリサは噴水の向こうに、昔と変わらない校舎を見つめた。かつて自分がこの学校へ来た時は、性格の合わない両親から離れられる事を喜んだ。しかし、自分が見送る側になってみると、こんなに寂しい事もない。そして果たして先生方は、この可愛らしい腕白坊主を講義一コマ分の時間、大人しく机に座らせる事ができるのだろうか。


 成長を喜ぶよりも、一体どんな大人になるのだろうかと不安な気持ちばかりが膨らんでいく。平凡な子供だったアリサに、カミルという子供の可能性や未来の事は想像のしようがない。わかっている事と言えば、この年齢で連続後ろ宙返りを習得した男児はおらず、逆立ち歩きがせいぜいであって、そういう点からすると、将来有望な面もあると言えなくもないのかもしれない。



「……ちょっと元気出たわ、ありがとう。可愛らしい息子さんね、アリサに似て」

「私は回転の練習のために跳ね回って家中の寝台を潰した挙句、勢い余って窓の外へ飛び出て行くような真似をした覚えはありません」


 二階の部屋だったら落ちて大怪我、窓が閉まっていればガラスを破壊して大怪我だっただろうに、幸いにも一階の窓は開けてあった。飛び出して着地を決めた息子はお母さん今の見てた? と嬉しそうな顔をしながら駆け寄って来たのを、今でも鮮明に思い出せる。やはり、窓に鉄格子をつけるべきだったかもしれない。


 楽しそう、とイサベルは無責任に笑う。その横にいる母娘でそっくりな彼女の娘はカミルとはどう見ても正反対なタイプなので、羨ましい限りである。そして小さな頃の彼女にそっくりなので、きっと手がかからない良い子でもあるだろう。



 イサベルとは正確には、この学園に所属していた時期は同じではない。彼女の方が歳が若かったが、子供の頃は実家の屋敷が近かったので、よく遊ぶ仲だった。二人でもくもくと刺繍をしていた時間が、今でも懐かしい。


 アリサが結婚して家を出た後、ある時に慌ただしく、イサベルの父親が遠くからわざわざ尋ねて来た事があった。娘がこちらに来ていないだろうか、と切羽詰まった様子だったが、その頃のアリサはちょうどカミルがお腹にいて外出を控えており、何も知らないのを悟るとすぐにいなくなった。彼女の家が急に娘の嫁ぎ先を変更(・・)したのも、それによって見込んだ融資をイサベルが失踪した事で逃し、かなりの資産を手放したと知ったのは、ずっと後の事である。


 貴族社会から姿を消したイサベルからは、どうにか予定通り二人(・・)でやっているという内容の手紙が定期的に届いてはいた。それが、少し前から働きたいと話の端々に言葉が並ぶようになり、この場で会う約束を久しぶりに取り付ける事ができた。



「ああいう男の子、羨ましいな。頼りがいがありそうじゃない?」

「……実際に、家に置いてみてから言って」


 おかげで家中のベッドがギシギシとうるさく仕方がない。


「でも、楽しいんでしょう?」

「ま、まあね」

「ユリアには、自分の納得した人生を歩んで欲しいの、いえ、……そうさせる。あの人と約束したもの」


 そこへちょうど視界の端に、ジュースの瓶と人数分のグラスを抱えたカミルが戻ったのを捉えた。来た、と足元のユリアが嬉しそうに駆け寄って行く。少々危なっかしい足取りだが、転ぶよりカミルが捕まえて支える方が先だった。グラスとジュース瓶の載ったお盆を片手に、ユリアと手をつないで戻って来た。


「私、あの人に散々言ったの。もうお嬢さんじゃないからそんなに贅沢はできないって。でも、これ以上苦労を掛けられないって、よく喧嘩になったっけ。連れて行って、って頼み込んだのは私の方だったのに」


 彼女の、短く切り揃えられた髪を見る限り、相手はもうイサベルの傍にはいないのだ。出奔した経緯からも、実家が頼れる状況でもないだろう。

  


「ねえ、ユリアもぐるぐるやりたい」


 アリサがあれこれと、イサベルにどういった方法で手を貸してやれるだろうかと悩んでいる間に、子供達二人が協力し、四つのグラスに飲み物を注いだ。ユリアが積極的にお手伝いしたので、少しばかり量にばらつきがあるのはご愛嬌である。一仕事終えて満足げな女の子は二人の母親を振り返って、それからカミルにきらきらと裏表のない、羨望の眼差しを向けた。


「そう? よし、じゃあ前……」


 基本の前回り、と言いかけたカミルは軽く咳ばらいをした。母親からの冷たい視線に気が付いたのだろう。代わりに自然な動作で小さな彼女の手を取って、カミルはユリアの正面に回る。三拍子、と優しく小さな手をとった。こっちの足から、と簡単な打ち合わせが始まる。


「僕に合わせて動いてみて、とりあえず右から……。そう、そう……ユリアは上手だね」


 しばらくして、アリサが聞いた事のないような行儀の良い優しい声で、カミルはユリアをダンスに誘った。家にやって来る、長男アレックスの行儀作法の先生のダンスを参考にしているのか、割と上手にステップを踏んだ。慣れてきたらいちにのさん、でユリアをくるりと回せば、それらしい動きになる。



 二人がリズムをとるための掛け声の他には、遠くで人の話し声が微かに、そして後ろの噴水の音だけが聞こえる中、ユリアは楽しそうにくるりとまた回った。その姿はアリサの記憶にある数少ない、楽しそうなイサベルの姿と重なる。隣の彼女もまた、子供達の動きをじっと見つめていた。


「いち、にの、さん」


 ユリアは要領を覚えたらしく、自ら回転するタイミングを主張し始めた。小さな女の子の相手なんて絶対できないだろう、と思っていたアリサは予想を見事に裏切られて、面白くない。最初からそうしてよ、と呆れてしまう。ようやく、息子が持って来た飲み物へと口をつけた。

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