1、華やかなガーデンパーティの隅で①
「……余計な事は言わなくて良いし、しなくたって良いの。カミルはただ、お行儀良くしていれば大丈夫だからね?」
「はい、お母さん」
素晴らしいお返事、とアリサが息子のカミルを褒めてくれた。毎日毎日、母親を喜ばせるか困らせるかで言えば圧倒的後者の、エイレム一家の次男坊である。それが、受け答えをしっかりするだけでこうして頭を撫でてくれるのだから、こんなに得な事はないな、と思った。
今日は母親のアリサに連れられて、彼女がかつて在籍していた女子寄宿舎学校の集まりに一緒に出掛ける事となった。母親と同じ金色のきらきらした髪を鏡の前で乳母のマルチナに整えてもらい、よそ行きの服を着せられる。アリサも昔、お世話になったという乳母もまた自らの仕事の出来栄えを確認しつつ、天使のように愛らしいですよ、とカミルを褒めてくれた。
「ねえ、じゃあ中身はどう?」
喜々として尋ねるとマルチナは目を逸らし、妹の様子を見て来ますよ、と言ってそそくさといなくなった。カミルがちらりと母親の様子を窺うと、髪型と髪飾りがまだ決まっていないらしく化粧台の前でうんうん唸っている。この様子では、まだまだ時間がかかる事が予想された。しかし、これだけ綺麗に用意を整えてくれたとなると、今から外へ行ってひと遊び、というわけにもいかない。
本日のエイレム一家は、領主の元で働いている父は外せない仕事があると朝から出かけており、一つ上の兄は家庭教師が来るので本日は留守番、そして妹はまだ赤ん坊。本当はカミルも、父の仕事の見学に行くのを楽しみにしていたのだ。近くの村に橋を作る手配に忙しくしていたのがようやく完成して、今日が正式なお披露目の予定だった。
しかし一家の主は、女性一人で集まりに行かせるのを心配したらしい。
「カミル、母さんを頼む」
「えっ」
「はい、お父さん」
母親は一人で出かけようと支度をしていたので、とても動揺していた。カミルは仕事の見学に行けないのは確かに残念だった。しかし父親に髪をくしゃっとやられて、任された仕事を全うしようと、朝から張り切っているところである。結局、アリサが身支度を整えるまでの間、大叔父に買ってもらった児童書のシリーズを読み進める事にした。
カミルは一旦自分の部屋に戻って、枕の上に放置していた、昨夜読み終わった最初の一冊目を棚に戻して二巻めを取り出した。表紙を開いた見返しの部分が、綺麗なえんじ色である。
「これは赤色でいいよね」
カミルが父から教えてもらったおまじないに、虹を構成する七つの色を一日のうちに見つけると、次の日は何かしらの幸運が訪れるというのがあった。昨日は朝食のリンゴが赤色だったが、同じ対象を連続では使えない決まりだ。他にも、虹を見つけたら一発成功とか、綺麗な夕焼け朝焼けもポイントが高い。とりあえず今日の赤色はこれで決まり、とカミルはその先を読み進めた。何せ、二十冊もあるシリーズなので、まだまだ先は長い。
「母さんは、今日は何をしに行くんだって?」
しばらくしてカミルが顔を上げると、目の前には兄のアレックスが立っていた。自分とそっくりな金色の髪と青い目の、今日は置いて行かれる事が確定しているので少々機嫌が悪そうである。
「学生時代の友達に会うんだって」
「……母さん、そういうの嫌いだってわかりきっているじゃないか」
母親は端くれとはいえ一応貴族階級の女性ではあるが、社交的な性格ではない。家で趣味の刺繍をしている時間が一番好きなのだ。その事実を、アリサは子供達には悟られないように気を遣っているが、親戚の集まりが近づくと緊張しているのか口数が少なく、こちらの呼びかけにもあまり反応しなくなるので、楽しいと思っていない事は明白である。
「……学生の頃は、良い友達がたくさんいたかもしれない」
「どうだかな。まあ、上手にやれよ」
わかった、とカミルは応じる。お父さんにも頼まれているんだと説明を付け加えた。上手に、というのはそれとなく母親をよろしく、という意味合いもある。弟の言葉に頷いた兄は家庭教師の課題の確認をしてくるからと自分の部屋へ戻って行ったので、カミルは読書を再開した。
本の中で、街を騒がせていた盗賊団の正体が、自分の生き別れの兄だったという衝撃の展開に突入したところで、準備の整った母親がやって来た。さあ出発、とカミルは馬車へ詰め込まれる。本を家の外には持ち出さないという約束があるので、続きは家に帰ってからのお楽しみだ。
「ほら見て、カミル。私はこの学校にとてもお世話になったのよ。今日は卒業された方達の集まりで……」
馬車に揺られて一時間ほどで、郊外にある広い四角い建物の前へ到着した。アリサはこの学校で一般教養や作法等を学び、卒業後に参加した夜会で父に見初められ、現在に至る。子供の頃に決められた結婚相手でもいない限り、この国の裕福な女性達の多くはそうやって大人になっていくのが一般的らしい。
背の高い鉄製の門扉は解放されて、主に上流階級であろう上品な装いの女性達が次々と中へ入って行った。年齢は卒業したばかりと思われる若い女性から、杖をついて歩く老婆までおり、学校の長い歴史を感じさせた。どの女性もみんな、お洒落な服装でやって来ている。あちこち探検したい気持ちを抑えて、カミルは母親の後に続いた。
赤いレンガ造りの校舎は三階建てで、庭の芝生もきちんと整備されている。レンガはおまじないのうちのオレンジ、芝生は緑、とカミルはおまじないの色を見つけるのも忘れない。
ただ、窓には逃走防止のためか鉄格子が嵌め込まれ、どこか息苦しそうな感じもした。そう言えば前に少々悪さをした後、母親にカミルの部屋の窓にもつけてやろうかと脅された事がある。あの台詞はここから来ているんだろう、と一つ納得がいった。
「感想はどう?」
「……素敵な学び舎だったのですね、お母さん」
あの牢屋みたいな鉄格子がすごく気になる、と内心では思いつつも、見たままを口にして、外出を台無しにするのはもったいない。カミルはしたり顔で耳障りの良い言葉を選んだが、母親は流石にお見通しの様子だ。行儀良くね、と何度目かの念押しが繰り返された。
「アリサ、会いたかったわ! ちっとも顔を出さないんだもの」
「ええ、久しぶりね」
アリサが明るく愛想よく、しかし家族にはお見通しのやや固い声で応じている。カミルの父親は貴族の分家の下っ端の出身で、あまり立場の強い方ではない。本家から任されている領地の運営と維持管理業務の補助に熱心であるので、どうしても欠席できない集まり以外に、わざわざ時間を割いて出掛けていく事は少なかった。
しかしそれでも、どうしても行かなければならない会合は存在する。エイレムの兄弟も、その親戚の集まりという名目へ連れて行かれる機会はそこそこ多い。アリサはこの頃、妹がお腹にいたので付き合いは更に控えられていたせいか、次々と声を掛けられていく。
良く晴れた空の下のガーデンパーティは盛況だ。カミルは挨拶の合間に、あちこちのテーブルに用意されたお菓子から、合間に自分の好きそうな物を選別した。後でまとめて確保する予定である。カミルも母親の隣で、同じようなお行儀の良い笑みを浮かべてニコニコしていた。そうやって黙って立っている分には、とても可愛らしい男の子だ、とどの女性も褒めてくれた。
「……そちらは息子さんかしら? とってもお利口そうね」
「そうなの、もうすぐ王立の学校に通わせる予定で」
「えっ!? ……今年も倍率すごかったのに、優秀なのね」
「そうなの、誰に似たのかしらね」
今の今まで可愛い可愛いと連呼していた女性が一転、信じられない、と言った風にカミルの顔を覗き込んで来たり、気まずそうにその場を後にしたりと、素直に祝福の言葉を口にする人の方が少ない。その中の数名に関しては、離れて行く様子を確認した母親がこっそりと安堵のため息をつくのも、カミルは見逃さなかった。
その点も概ね、親戚の集まりと同じような空気だ。頭上で飛び交う社交辞令を、カミルは父と兄との約束通り、付き人のように母親にくっついてやり過ごした。じりじりと、アリサは何を考えているのか、会話や挨拶に応じながら、少しずつ輪の中心から遠ざかって行く。カミルはその邪魔をしないよう引き続き、大人しくしていた。
「カミル、こっちこっち。……ああ、イサベル。久しぶりね」
「……アリサと、……カミル君だったかしら」
二人はついにパーティの会場から離れ、校舎の裏手へのさり気ない移動に成功した。
母親が今までとは明らかに違う、心の底から嬉しそうな声を発した。校舎の裏手には小さな白い噴水があるだけで、集まりの会場とは打って変わった静かな空気だった。噴水の縁に座って、小さな子供を抱いた女性が一人で休んでいる。女性にしては珍しい短く切り揃えられた鳶色の髪と、たとえるなら深い森の奥のような暗緑色の瞳が、ゆっくりと親子を見比べる。
大人しそうな印象のイサベルもまた、ぱっと花開いたような笑みを浮かべて、立ち上がった。
「ユリアも、挨拶して?」
イサベルは抱いていた子供に促した。紹介された女の子はしかし、きょろきょろと周囲をしばらく見まわした後で、再び母親の胸に顔を埋めてしまった。
「……ごめんなさいね、まだ眠いみたい」
「……大人しそうで羨ましいわ。この子なんて、一時だってじっとしていてくれないのよ。ちょっとカミル、あっちでお菓子もらって来て頂戴」
しみじみと息子を見ながら呟く母親の様子からして、どうやら今日の外出の目的は、この女性に会う事のようだった。今日は大人しくしているのに、と思いつつもカミルは言われるがまま三人を置いてガーデンパーティの会場へと戻り、自分用と母親達用に大きめの皿を二つ手に取った。何が好きかを聞くのを忘れてしまったので、なるべく多くの種類を少しずつ選ぶようにするしかない。
「あら僕、かわいい子ね。このお菓子はいかがかしら?」
「ありがとうございます!」
こんな調子であちこちで声をかけられ、カミルのお皿はすぐにいっぱいになる。色んな種類のクッキー、チョコレート、カットフルーツ、と女性の集まりなためか甘いものが目白押しだ。
「ねえ、聞いた? イサベルの話」
そこへ、先ほど聞いたばかりの名前が聞こえて、カミルの耳が反応した。
「ええ、今日来てるのかしらね? 何も知らない風で、ちょっと話をしてみようかしら」
「良いわね、それ。駆け落ちの悲惨な結末について、何て答えるか見ものじゃない?」
アリサが挨拶している中にはいなかった三人の女性は、何やらはしゃいでる様子だ。ただ、もし自分の母親がこんな顔で誰かの噂をしていたら、しばらく嫌いになりそうな位に底意地が悪そうな顔である。
きっと関わらないのが賢明だろう。そう判断したカミルはささっと、彼女達の前にあった美味しそうなカップケーキがたくさん乗ったお皿と、まだ空だった母親用のお皿とを入れ替えた。
「あ、あら? お菓子が一つもないんだけど」
背後の不思議そうな声を聞きながら、お菓子を調達を終えたカミルは母親の待つ校舎の裏へ戻った。