*4* 欠点で講習かよ。
クリス達に前回の課題を言い渡されてから一週間。
今日は学園を卒業して働き出してから初めての提出日だ。
これが国の行政に携わる重要人物を二人も集めてやることじゃあないことくらい、流石のオレも理解はしている。だが理解してはいても職場に色恋事を相談出来るような気心の知れた連中がいない以上、これは必要な恥だ。
そう自分に言い聞かせてこの一週間、助言に従って毎日アリスのことを考え続けた思いの丈を書いた紙を、目の前に座る講師陣のような顔で待つ幼なじみ二人に提出する。
「一週間前に出した“相手の好きなところを書き出す”という単純極まる課題の答えが“全部”の一言だけとは……。予測していた通りとはいえ不出来な生徒を持った家庭教師の気分ですよ。ここまで来れば呆れを通り越して、何やら一種の愛おしさすら感じます」
その一週間分のオレの苦労を書き殴った紙を見たクリスは、眉間にくっきりと深い皺を刻んでそう言いやがった。
まぁ確かに勢いに任せて紙一面にそう書いたのは拙かったか? でも思い付く言葉がそれ以外になかったんだから仕方がねぇだろ。それに、だ。
“今の表情のどこらへんに愛おしい部分があるんだ? こんなのが家庭教師ならその時点で生徒の心が折れる音がしそうだろうが。いや、そもそもそんな風に思われても気色悪いだけだからこっちから願い下げだぞ”
思わずそんな言葉がせり上がってきたものの、ここでまた言い返せば拗れるのは目に見えているから、ひとまず口には出さないけどな。
「クリス。俺の意見も似たようなものだが、ここはまず白紙回答でなかったことを褒めてやるべきじゃないか?」
クリスの言葉に横から助け船のつもりなのか、それともオレへの更なる追い打ちなのか分からない発言をアルバートが挟むが、これはこれで地味に打撃を感じる。
騎士団の模擬試合で例えるなら、槍で突かれるか鈍器で殴打されるかだが、心情的な痛みとしては“どっちも痛ぇよ”くらいの違いでしかない。そういうやせ我慢が出来るほどオレは忍耐強くねぇ。
「何ですかその平民の通う学校の“答案に名前だけでも書き込めば五点”みたいな地域限定の発想は。彼等は農作業や牧畜業に従事しているせいで、学びにかけられる時間が少ないからそれで良いんです。ですが彼等に仕事の指示を出す側の立場にいる人間がそれでは示しが付きませんよ」
けどやっぱり黙っていようが文句を言おうが、この口の悪い講師陣は留まるところを知らなさそうだ。だったらここは文句を言った方がまだマシだろうと結論付けて、オレは早速口を開いた。
「なぁ……それよりいつになったらアリスを家に帰してくれるんだ? ロングから“私達がまだ嫁入り前の娘を外泊させる親だとお思いか!?”って催促っつうか、オレへの突き上げが凄いんだぞ?」
これはこの場の空気から逃げる為の話題のすり替えでも何でもない事実だ。どういう経緯でそうなったのか知らねぇが、アリスは仕事が休みだった三日前から、アルバートとメリッサ嬢の新居である王城の一角を訪ねたままロング夫妻の待つ家に帰っていないらしい。
一応メリッサ嬢の世話をしている人間からロング家に、
“メリッサ様と久々の女子会で盛り上がっちゃったから、もう少しこっちにいるね。二人とも心配しないで”
というようなアリスからの言付けがあったらしいから、家出という感じではねぇんだろうな。仕事場の方にも店主にその旨を書いた手紙を出したようだったし。
ただその間は当然オレも一度も会えていない訳だが、こっちにしてみれば“何でロングはそれをオレに言ってくるんだ?”とは思う。オレの屋敷に外泊させてる訳じゃねぇんだぞ?
――――と、
「あぁ、それなんだが――俺とメリッサは兄上夫婦の代理で、隣国の王室で行われる王女の誕生パーティーに出席することが決まっていてな。しかしまだ久し振りの再会で話足りないというから、メリッサがパーティーから戻ったら本格的な“女子会”とやらを開けるようにと思って、昨日からイザベラ嬢を招いている」
「――おいおい、そりゃまた……随分急な話だな。お前がメリッサ嬢に甘いのは知ってるがよぉ、そのためにわざわざ呼んだのか? 去年の感じだと今の季節はあっちの辺境領は忙しいはずだろ?」
いきなりアルバートの口からオレの聞いていねぇ話が上がったことで、思わず不機嫌な声が出た。いくら頭の悪いオレにも分かる。あの辺境領に手紙を出してすでにこちらへイザベラ嬢が到着しているのは、不自然な根回しの良さだ。
手紙を出してこちらに出向いてくる早さから、王家が私用に使う特急郵便を用いたに違いねぇ。それに相手はあのイザベラ嬢だ。女子会と言うからには夫であるダリウスを招いてはいねぇだろう。
それに学園にいた時からの振る舞いを考えれば、イザベラ嬢が自分で望んで単体で行動するとは考え難い。誰の目から見ても、あの二人からは二個一の印象しか受けなかった。
まさか三日前の時点で何かあったのか? メリッサ嬢はアルバートについて隣国のパーティーに出かけるというし、イザベラ嬢はこの短期間で出張ってきたことを考えたら健康面に心配はない。
だとしたら、何かあるとすれば急にロングの家から王城の友人を訪ねたアリスだけだ。オレの知らないところで、仕事熱心なアリスが仕事を休んでまで学友の元に走るようなことがアリスの身に起こったのか?
しかもアルバートの横に座っていたクリスに目をやれば、クリスはオレの苛立ちを込めた視線に軽く肩を竦める仕草をしただけだ。その反応でこの情報を知らなかったのはこの三人の中でオレだけだったということが分かる。
「クリス、お前もそういうことならもっと早く教えろよ。それを知ってたらオレもロング夫婦も心配しないで済んだだろうが。報告、連絡、相談は基本だとお前が昔オレに言ったんじゃねぇのか?」
ただでさえここ数日アリスの姿を見られなかったせいで苛ついていたんだ。それをこんな時でも勢いに任せて怒鳴らなかったことを自分で褒めてやりたいところだが――。
「はぁ……凄んだところで無駄ですよ? それにボク達はハロルドに野生の勘を働かせろと言っているのではありません」
むしろ珍しくオレよりも苛立ちを露わにしているクリスが、こめかみの辺りを頻りに指先で叩いている。……この動作が出る時のクリスは相当気が立っている時だ。
顔色こそいつも通り涼しいもんだが、これは内心で察しの悪いオレにかなり苛立っている証拠だろう。クリスの隣に座っているアルバートに視線を投げると、顔をしかめて頷かれた。
神経質で切れ者なクリスは、ガキの頃からオレ達の中でも怒らせると最もしつこく根に持ち続ける。ただしそれで別に何かを仕掛けてくるようなことはしねぇ。
こちらが手を貸して欲しい時や、助言がなければ失敗する場面で“無視を決め込む”だけだ。それも“ここぞ”という一回きり。次回からは何事もなかったかのように接してくるから、オレみたいに察しの悪い奴は何度だってこの怒らせ方をして、その度に酷い目に遭う。
「しかもこんな“覚悟”も“理由”も分からない紙切れを提出するような生徒では、いくら優秀な講師陣であるボク達でもお手上げです。そういういう訳ですので、ハロルド。キミにはこれから新しい講師を付けましょう」
やけに抑揚のない声でそう告げる、この怒らせると面倒な幼なじみを前にオレは最悪に嫌な予感しかしねぇ。そして次の瞬間、その予感は的中する。
「血気盛んな貴男にはイザベラ嬢に変わって“忙しい辺境領の働き手”として、これからエッフェンヒルド領に向かってもらいます。そうですね……大体二週間くらい滞在させてもらうと良いでしょう。そこで少しダリウスから実地訓練がてら“覚悟”と“理由”の見つけ方でも教わってきなさい」
「はぁ? ちょっと待てよ。その間の騎士団でのオレの仕事はどうなるんだ? いくら何でも細かい説明もなしに横暴すぎるだろう」
一瞬少しばかり冷静さを取り戻してそう訊ねたんだが――……これが良くなかった。オレに口答えをする余地を与えてしまったことを感知したクリスが、ここから怒涛の攻勢に転じたのだ。
「良いですかハロルド。こう言っては何ですが、通常、外交的な衝突もない
平和な日常生活で一番余るのは騎士団員です。城下の治安を守る程度に割く人員は貴男を除いても充分足りています」
「うぐ……!」
「加えて、ハロルドほどの武力は街の治安維持程度には全く必要がありません。むしろ軽犯罪を犯した人間を捕らえるのに人死にが出ますよ。必要な人材がいるとすれば、下から上がってくる書類を整理出来る上級の騎士団員ですが……ハロルドには無理でしょう?」
「ぐあっ!?」
「お父上から聞きましたよ? この間は預かった書類を他の書記の机に置いて訓練場に逃げたとか。書類整理も次期騎士団長になる貴男には必要な技能のはずですが、それすら現状こなせていない。もう一度言いますよ? 平和なこの現状でハロルドが毎日こなさなければならない仕事は書類整理です」
「ぐうぅぅぅ――!」
言葉のナイフとはよく言ったもので、クリスの言葉の投擲ナイフの一つ一つが、的確にオレの急所を狙って来る。ざっくり刺さった場所に更に突き立てて行くものだから質の悪さが尋常じゃねぇ……!
思わず攻撃に堪えかねて顔面を覆ったまま机に突っ伏すが、突っ伏す直前に見たアルバートは、そんなオレとクリスのやり取りを半眼のまま眺めているだけだ。
この話し合いの当初とは違い、余計な口を挟んでこない。むしろお前は今こそ黙ってねぇで助けろよ!!
と、完璧に言葉をなくして机に突っ伏すという逃げの構えになっていたオレの耳に「クリスもうその辺で良いだろう。あまり追い詰めては辺境領に送るまでに使い物にならなくなるぞ」というアルバートの声が届く。
このっ……お前はお前で何なんだよ一体? 可愛い妻の為に長年連んできた幼なじみを辺境領の働き手として売り飛ばす気か?
そんな疑心暗鬼に取り憑かれかけたオレの耳に、クリスの吐く細く長い溜息が聞こえた。苛立ちを抑えようと努める時のクリスの溜息には昔から特徴があって、歯を食いしばった状態で息を吐き出すせいで蛇の威嚇音じみた音になる。
やべぇ……オレはまた知らない間にかなり怒らせかけていたみたいだな。
「先方は急なこちらの来訪理由を詮索するつもりはないそうです。むしろどちらかと言えば喜んでいましたよ。“これからの季節に向けての作業は、イザベラに手伝わせるのが可哀想な重労働が多いので、助かります”とのことでした。まぁ……普段から有り余っているその体力を存分に役立てて来なさい」
今度はさっきまでよりも幾分抑揚のある声で不穏な内容を告げるクリスの顔を見ようと、顔を覆っていた両手を除けて机から頭を上げた。
そんなオレを見たクリスが「まだ何か?」と片眉を釣り上げたので、慌てて首を横に振る。しかしやはり告げられた内容が不穏過ぎる気がしたので、オレは許されそうな範囲で探りを入れてみることにした。
「いや何つうか……今のだとダリウスの中でのオレは“アイツならどう扱ったって平気だろう”的な匂いを感じたんだが?」
ひっそりと視線を逸らすアルバートを目端に捉えつつ、頬をひきつらせるオレに向かってクリスが言い放った言葉が、ダリウス・エッフェンヒルドという人間の認識不足だったオレに不安を植え付ける。
「ふふ、異常者というのは本人が無自覚であることも往々にしてあるのですよ。以前からボク達よりもダリウスと“仲の良い”アルバートになら分かりますよね?」
――そう意味深に笑ったクリスの隣でさっきまでのオレと同じようにうなだれるアルバートを目にしたオレは、この身柄の交換期間が少しでも早く終わることを願って止まない気分になる。