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大好きな婚約者◆ギフトボックス版◆  作者: ナユタ
◆レイチェルとクリス◆

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28/33

*6* 初レポートの重み。



 午前中に仕上げた書類を受け取りに来た文官達と入れ替わりで、大きな封筒を手にしたハロルドが執務室に入って来る。その姿にふと執務机に置いた卓上カレンダーに視線をやれば、封筒の中身に大体の予想がつく。


 すると恐らく文官の後に入室しようとしていた侍女が、ハロルドの後ろから困った様子で執務室内に視線を彷徨わせている。入室のタイミングを逸してしまったのは明らかで、ハロルドはすでに会話を始める体勢だ。


 ボクが入口に立つ侍女に「三人分のお茶と軽食を頼めますか?」と指示を出すと、彼女はあからさまにホッとした表情を浮かべて立ち去った。隣で机の上を整理していたアルバートが小さく噴き出したところを見るに、気が付いていたにも関わらずこちらの出方を見ていたようだ。相変わらず“いい性格”をしていますね。


 そんなボク達の水面下でのやり取りに気付く様子もなく「さっきこれをクリスに渡してくれって預かったぜ。大方レイチェルからの手紙じゃないか? それにしちゃあ随分と分厚いが……勉強と友達作りだけでも大変だろうに、頑張ってるみてぇだな」と豪快な笑みを浮かべるハロルド。


 こちらはアルバートの三分の一でも構わないから、人の機微に気付くということを覚えたらどうかとは思うものの、そんな幼馴染みが二人いても面倒だなと、すぐにその考えを打ち消した。


 呆れつつも頷き返しながら「手紙ではなく学園で何があったかのレポートなんですが……そうはいっても日記のようなものでしょう」と言って受け取る。ずしりと手首にくる封筒の重さに、一瞬だけ苦笑が漏れた。


 しかし隣で机の片付けを終えたアルバートから「ああ、全くだ。こんな面倒なことをさせる婚約者に対して良くやっている。返事を書く時はあまり厳しいことを書いてやるなよ?」と、ひねくれていた昔の面影のない意見が飛んできた。


 娘が出来たことで……というよりも、この二人を見ていると家庭を築くということが、人間性をここまで穏やかなものに変えるのかと感心してしまう。彼等に学生時分の己の姿を見せてやりたいものだ。


 封蝋にアルバートからもらったペーパーナイフを滑らせて、中身を傷付けないように取り出すと、思った通り、びっしりと文字を書き込まれた紙の束が現れた。自分で出した課題とはいえ、まさか一回目でこの分量になるとは少々考えていなかったですね……。


 昼休みの軽い読み物として楽しむには、今の今まで文字を眺め続けていた目には厳しい。これは今日屋敷に持ち帰って読む方が無難だろう。しかしそう結論付けて再び封筒に分厚いレポートを片付けようとしたところで、何故か両隣からそれを阻まれた。


「おい、それでレイチェルからの初レポートには何て書いてあるんだよ?」


「あの大人しいレイチェルが、一月の間にこれだけ伝えたいことがあったのか。感慨深いな。ほら、早く目を通してやれ」


 この幼馴染み達は長い付き合いであるのに、未だにこうして何を考えているのか理解出来ないことが稀にある。普通に考えてこれは婚約者のボクが一人で読むべきものだろうに……。


「はあ……何なんですか、二人して。田舎の孫からの手紙を楽しみにする好々爺でもあるまいに」


「「せめて兄か従兄にしろ」」


 こういったどうでも良いところで見事な同調率を見せるところは、昔から少しも変わらない。幼い頃はこれで何度も怪我をするような無謀な遊びに付き合わされたものだ。しかし残念ながら、今となっても少しも良い思い出ではない。


「ああもう、どちらでも構いませんよ。それよりもレイチェルからボクに届いたレポートを、どうして一緒に読む気でいるんですか?」


「「(オレ)達が兄か従兄のような存在だからだが?」」


「……それこそおかしな話でしょう。貴方達二人はどう転ぼうがレイチェルとは他人ですから。しかも仮に妹だったとして、どこの世界に婚約者に宛てて書いた手紙を横から覗き込む兄や従兄がいるんです? 普通に考えて嫌われますよ。今からそんな風では、将来年頃になった娘さん達に煙たがられるのが目に見えていますね」


 けれどそんな至極当然のボクの発言に、胸を押さえて痛ましい表情をする二人を見ていると、何だかここで見せないという措置を取るのも馬鹿らしく思えてくる。あののんびりしたレイチェルのことだ。きっと見られても困るようなことは書いていないだろう。


 そう楽観的、もしくは心のどこかでほんの少しレイチェルを侮った感覚を抱いて、封筒からレポートの束を取り出し、幼馴染みの二人が見守る中で机の上に広げ、最初の挨拶文の数行をザッと読み流す。


 しかしこと書類仕事は苦手なはずなのに、不穏なものは野生の勘ともいえる鋭さで発見するハロルドが「ん? ちょっとオマエ等、ここ読んでみろ」と促した先にある一文に目を止める。


 指し示されたそれは、一枚目の中程より少し下にあり、直前までの編入したばかりの不安や学園内での生活についての内容に触れていたのに、年頃の娘らしく急な話題の飛躍を見せてこう綴られていた。



“そうですわ、聞いて下さいませクリス様! あの日クリス様が仰って下さったように、わたくしにも初めて同年代のお友達が出来ましたの!! そのお二人から聞かせてもらうお話の内容がとても面白くて、毎日が新鮮な驚きに満ちておりますわ!”



 ――と、そこまでは構わない。初めて同年代の友人が出来た娘らしく内容的には何もないが、それでも本人の意に添わぬ形で勧めた経緯もあり、楽しく過ごせているようで安心した。


 しかし、問題はその先だ。


 ハロルドにしては珍しくこちらの空気を読んで、無言のまま指先がなぞっていくのだが……その心遣いも虚しく、ボクは頭痛を感じることになる。隣ではアルバートが「レイチェルらしいといえば、らしいな」と苦笑した。確かにアルバートが言う通り実にレイチェルらしい。


 ハロルドの浅黒い指先の下にある名前が最近急成長株の貿易商で、その稼いだ金で爵位を買った男爵だとか、そういう人間を嫌い距離を取る貴族が多い学園内で、外部との接触をほとんど持っていなかったレイチェルがそのことを知らなかったことも。


 いつもは頼りになるメイドの彼女も、こと新進気鋭の成り上がり者の話までは耳に入れていなかったに違いない。何より恐らく知っていたところであまり身分に頓着しないレイチェルのことだ。きっとどの道すぐに友人関係を結んでいたのだろうとは思う。けれど――。


「学園での初めての友人があの悪名名高いヴァルナ家とは……拙い相手に目をつけられましたね、レイチェル」


 ここ数年で頭角を表したヴァルナ家は、他の商人達の猟場を法に触れるか触れないかという、ギリギリの方法で掠めとっていくことで有名な家だ。初めの内は共同出資者として名を連ねていたはずが、ふと気付けばいつの間にか全部の利権をもぎ取られる。


 そういった手口は使い古されているものの、ことヴァルナ家は海を渡って来た新参者な上に、まだ手の内が分かり切っていないという厄介な相手だ。加えてレイチェルの実家であるコンラッド伯爵家は代々貿易が盛んな家。


 ヴァルナ家の当主が学園に通わせている自分の子供を釣り餌に、ガードの甘いレイチェルから家の話を聞き出すことで、次の獲物にコンラッド伯爵の猟場を狙ったとしても何らおかしくない。


 純粋に誰にも相手にされなかったヴァルナ家の子供が、ただ学友欲しさに近付いたのなら構わない。だがもしも、レイチェルを害そうとして近付いて来たのなら――……あの子はその悪意に堪えられるだろうか?


 考えただけで頭の痛くなる内容に深く溜息をついたボクの肩を、両隣から二人が叩く。


 しかしその瞳に同情や心配の色はなく、ボクはともかくとして、レイチェルに対して薄情だと感じていると、二人はニヤリと唇を釣り上げて「いきなり溜息とは、らしくもなく弱気じゃねぇか」「そうだぞ。いつものお前なら相手の出方を待ってから着実に潰す方面で動くだろう?」と。


 そう心強いと思えばいいのか、何かしら引っかかるものを感じれば良いのか微妙なところではあるものの、お陰でひとまずこの後に取るべき選択は決まった。


「ふふ、確かに二人の言う通りボクらしくありませんでしたね。それでは忙しい時にすみませんが、アルバート。明日は一日有給休暇を取らせて頂いてもよろしいですか?」


「ああ、当然だ。一日くらいお前の顔を見ないで済む方が、意外と仕事も捗るかもしれんしな?」


「そーそー。コイツが話し相手がいなくて寂しがらねぇように、オレも顔を出すから二日くらいいなくても大丈夫だぜ?」


「ハロルド……有り難い申し出ですが、それは流石に遠慮しておきますよ。翌日ボクの席が書類で埋もれていそうですから」


 らしくもない焦燥感を軽口で誤魔化すボクの発言に、常なら一切当てに出来ない幼馴染み二人は「「安心しろ。危なくなったら相手が誰であろうが、どうとでもしてやる」」と。珍しく心強い言葉をくれた。

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