*2* 君は小さな婚約者。
お待たせしました。
今回はクリス視点でお送りします(*´ω`*)
「へえ……クリス様ともあろう方が、プレゼントを渡す女性の趣味を考慮せずに、ご自分の趣味を優先させるだなんて意外ですね」
レイチェルの誕生日を二ヶ月後に控え、エッフェンヒルド夫妻を訪ねて辺境領を訪ねた際にふとした流れでそういった会話になった。
すると普段はぼんやりと人当たりの良い笑みを浮かべるボクの仕事相手は、そう言って少々意地の悪い笑みを浮かべる。
彼と彼の奥方が手がけている事業に出資する傍ら、商品にする直前の品物の最終チェックを担っていた。強かで鳴らしたイザベラ嬢とは違い、周囲からはただのお人好しだと思われているダリウスは、その実、人間を観察する能力に長けた一面を持ち合わせている。
「ふふ、そうですか? ボクの婚約者であるレイチェルは、君も知っての通りまだ幼い。社交の場でボクとの釣り合いを取ろうとすれば、彼女の好みに合わせていては浮いてしまいますよ」
食わせ物なダリウス相手にそう返事をしながら、新種だという杏色のバラの花弁を指先でなぞった。ピンと張りを持った花弁は、指の腹で擦ればそれだけで香気をより強くする。
王都で前回売り出したポプリも女性に人気が出た。今回のバラも香り、艶共に前回と遜色ない出来だ。
「――ほう、これも良い香りですね。このバラも新しく出荷する商品に加えるのですか?」
魔法石を活用して造られた温室内で咲き誇るバラに、目の前でニコニコと表面上は穏やかな笑みを浮かべる彼が、どれだけ手を入れているかが分かる。王都の屋敷にいる園丁に勝るとも劣らない。
しかし彼は今度は軽くはにかんだように「それはまだ品種改良をして二年目ですから、まだとても市場に出せる物では」と言った。
「これで開発途中、ですか。ボクには充分美しく見えますが、何が出荷の水準に達していないのか訊いても?」
バラの香りが移った指先を離してそう問えばダリウスは小さく頷き、腰に提げていた鋏で杏色のバラを一本だけ切る。大輪のバラはそれでも自重に負けることなくシャンと首を伸ばし、輝くばかりの花弁を見せつけた。
「このバラは香りは良いのですが色が安定しない。今日くらいの気温であれば鮮やかな杏色なのですが、高温の日が続くと杏色から赤に変色してしまう。前回と同様にポプリとして出荷するのであれば構いませんが、これは生花のままの販売を考えておりますので」
説明を受ける間に丁寧に棘を取り除いたバラを差し出されたので、それを受け取りクルリと回して全体の色艶を確認する。
「成程、そういうことですか。君の完璧主義も相変わらずなかなかの物ですね。確かにこれだけ形の良い物であれば、生花で売り出したとしても人気が出るでしょう。品種改良したものはどれくらいで売り物になるのですか?」
「そうですね……商品として安定するまでは十年ほど欲しいところですが、この花であれば経過観察を入れても後五年ほどです。それで花色が安定しないのであれば、そういう特性があるのだと考えた方が妥当だ。自然に僕達人間が敵う物ではありませんからね」
如何にも彼らしい言い分にこちらが苦笑すれば、ダリウスも眼鏡をかけ直しながら同じように笑う。自分の納得出来ない物は出資者の意見があったとしても市場に出さない。それがこの厄介な仕事相手の常だった。
「でしたら五年で仕上げて下さい。それと出来ればこのバラに名前を付ける権利をもらっても?」
「勿論ですよダングドール様。出資者の要求に応えるのも生産者の務めですから」
「それは助かりますね。何せボクの仕事と来たら、いつ失脚するか分からないものですから。貴男の造る花達が、いつか失脚したボクの役に立ってくれることを願っていますよ」
そうおどけたように彼と言葉を交わし、バラの香りを楽しむことにしたボクの耳に、ダリウスの名を呼ぶイザベラ嬢の声が届いた。この温室にいることは屋敷の人間に伝えてあったので、程なくバラの木々の間からイザベラ嬢と二人の息子であるヴェルナー・エッフェンヒルドが姿を現す。
「お茶の準備が出来たから呼びに来ましたわ、ダリウス。本日はクリス様もご一緒なさるのかしら?」
学園を卒業してからも相変わらずのイザベラ嬢に「出来ればそうさせて頂けると嬉しいですね」と言えば、そんな母親の足許でこちらを見上げていたヴェルナーが「クリスさま」とボクを指差して微笑んだ。
「やあ、こんにちはヴェルナー。また少し背が伸びたようですね?」
しゃがんで視線を合わせれば、ヴェルナーはイザベラ嬢のスカートを握りしめたまま、嬉しそうに頷く。そんな息子の姿を見て「もう二歳と三ヶ月ですもの。まだまだ大きくなりますわよ」と、こちらへの態度を軟化させたイザベラ嬢が微笑む。
見た目こそイザベラ嬢とそっくりなこの子供は、中身は父親であるダリウスにそっくりという奇跡の配合をしているのだから、性別が男児であったことは非常に喜ばしい。
女児であれば将来色々な面で危険な目に遭ったことだろう。しかも中身が父親似であるということは、将来なかなか良い領主になれそうだ。
そんなことを考えたところで思わず「ヴェルナーに兄弟がいれば、ハロルドかアルバートの心労も減ったでしょうにね」と口にしたところ、イザベラ嬢からは「寝言は寝室で仰ったらいかが?」と返され、ダリウスからは「勝手に僕達の子を中央に置こうとしないで下さい」と呆れられる。
「おや、ボクも冗談で言ったつもりはないのですが――。特にマリアンネは顔も中身もメリッサ嬢に似ていますからね。今から将来の婚約者探しで揉めそうなんです。城では父親のアルバートが浮き名を流しすぎた天罰だと言われていますよ」
ヴェルナーと同じ頃に産まれたマリアンネは、見た目も中身も実に整っているせいで将来を期待される反面、父親のアルバートが“嫁に出さない”と今から言うほどの溺愛ぶりを見せている。溺愛している妻に似ているのだから、当然なのだろう。
ハロルドにしても似たようなもので、そんな幼馴染み二人の変化を傍で見せられるこちらとしては、家族サービスの前に書類の提出をするように言いたいところである。
そのことで少しだけ愚痴のようなものを零せば、二人は「家族がいるとそうなりますよ」「特に子供の小さい時は仕方がありませんわね」と苦笑しつつもどこか同情的な声音になった。
けれどその後招かれたお茶の席で、ダリウスからレイチェルの誕生日のプレゼントの話を聞いたイザベラ嬢は、膝の上で子猫のように丸くなって眠る息子を愛おしげに撫でながら一言。
「男性の女性に対する一方的な好みの押し付けは見苦しいですわね?」
――と、嘲るように顎を持ち上げて言い放った。
***
ふと二ヶ月前にエッフェンヒルド夫妻と交わした遣り取りを思い出す。それもこれも、たった今目の前で俯きながら、ボクが差し出したクッキーを咀嚼している小さな婚約者への悪戯心がそうさせたのだろう。
あの二人とのお茶の後、何となくすでに用意してあった贈り物をそのまま渡す気にはなれず、仕事の合間に城を抜け出して城下の雑貨店を巡り、新たに買い求めたものを贈った自分に驚きもした。
しかし何よりも驚いたのは、礼を述べに訪れたレイチェルの表情だ。今まで贈った物の礼を述べに来る時の表情は、少しでも大人びたふりをする為のものであったのだろう。
その証拠に今回訪れたレイチェルは、戸惑いの中に数年前までは良く見せた……ここしばらくは見ていなかった年頃らしい表情をしていた。
チラチラとこちらを気にしている気配は感じるのに、顔を上げようとしないその耳許に「贈り物は気に入りましたか?」と囁きかければ、レイチェルは頬を染めて何度も頷く。
そんな姿に苦笑しながら、レイチェルが焼いてきたローストしすぎた胡桃のような堅さのクッキーを口にする。ハロルドのように一気に噛み砕くことが出来ないものの、一噛みするごとに跳ねる小さな肩を見ていたらあまり酷なことも言えない。
長く口内に留まる分だけ、味わい深く感じる気がしなくもないと自身に言い聞かせながら噛み砕くクッキーからは、素朴で優しい味がした。




