*4* 意外な一面も良いな。
エスコートの為に差し出した手に、常のように腕を組もうと手を伸ばしたメリッサの指先に自分の指先を絡める。所謂恋人繋ぎの状態になった手をしばし驚いた表情で見つめていたメリッサの頬が、徐々に赤く染まるのを見た俺の胸が温かいものに満たされた。
そのまま騒がしい広場から少し離れた場所まで移動することにした。しかし歩いている最中、メリッサは無意識に俺の一歩後ろに下がって歩こうとするので、その都度絡めた指に力を込めて隣に引き寄せる。
そうすることでメリッサの赤く染まる頬を見るのも、絡めた指にはめたお互いの指輪同士が擦れ合う感触も悪くない。今日のメリッサは頭の天辺から爪先までまるで知らない女性だ。
たまにこっそりと付けてある護衛からの報告で、定期的にお忍びをしていることは知っていたが、その内容までは踏み込んで訊いたことはない。護衛からの報告で上がってくる情報だけで、メリッサを知った気になるのが嫌だからだ。
――昔の俺ならそれで満足した。王家の恥になる行いをメリッサがするはずがないという甘えと押し付け。それがメリッサを傷付けることだと知っていたのに。だからせめて、これからは間違えないでおこう。
大通りの一角に出たところで道の端に寄り、メリッサを人通りから隠すように店舗の壁際に連れて行く。壁に背中を預ける形で立つメリッサと向き合う。
「メリッサは今日どこか行きたい場所はあるか? どこでも良いぞ」
「えっと……どこでも良い、の?」
辿々しい口調で俺を見上げてオウム返しをするメリッサに頷き返すと、メリッサはいつもはキリリとした表情を和らげ、少し俯いたまま考え込む。
一週間前にクリスに提出した紙は結局その場で破り捨てた。クリスもそれに対して気分を害した様子もなかったし、あいつにしては珍しく『そうですね……ノープランというのもたまには刺激的かもしれませんよ』と屈託のない表情で笑った。
情けないことに今の俺はメリッサの好む物を知らなさすぎる。今日待ち合わせ場所で佇むメリッサの姿を見た瞬間、幼い頃の少女とは違うのだと実感した。
きっとあの頃に好きだった物の何倍も多くの物を好み、そして嫌いになっているはずだ。
例えばメリッサは隠していたようだが、昔はフリルの多い物を好んでいた。きつい顔立ちのメリッサは自分には似合わないとよく口にしていたが、俺はそのたびにそんなことはないと言ったのに。
ただこれはまだ好きなのではないかと踏んでいる。だから今日は新しく好きになった物を探さないと駄目だろう。
嫌いになった物はたぶん虫全般だろうと予測している。昔は蝶の模様をじっくり眺めて綺麗だとはしゃいでいたのに、少し前に見た時はフラフラ飛び回る蝶から逃げ回っていたからな……。
恐らく昔は羽根の美しさに目を奪われていたせいで、胴体の部分にまで目がいっていなかったのだろう。
けれどこうして間近で見つめていれば、幼い頃と変わらないところもやはりある。同じ目の前で頭を悩ませているメリッサの表情は、昔“どちらの手に当たりが入っているか”という単純な遊びの時に見せたそれと同じだ。
大人の女性の美しさの中に、あどけなく可愛い子供の部分が顔を覗かせる。こうして見ると力の抜けた眉間と真剣な瞳の対照的なところが良い。
俺を待っている間、ショーウィンドウに姿を映して髪型やスカートの翻り方を確認している姿に、他の男達の視線が集中していることにも気付いていない鈍感なところも心配だが、うっかり十五分も眺めてしまうくらいに可愛かった。
コインを投げ込む時に護衛に注意を受けていた内容も何となくだが分かる。メリッサは賢いはずなのに時々どこまでも世間知らずなのだ。あの場面だと大方金額で注意を受けたのだろうか?
そんなことを考えながらじっとメリッサの言葉を待つ間に、周囲にいる護衛達に向かい“もう護衛は必要ない”と目配せをして指示を出す。一番近くにいた護衛が頷き、俺の指示を他の護衛へと伝達していく。
そのことにも気付かずに「好きな場所……本屋さんは一人でも良いし……」とブツブツ言っているメリッサを微笑ましく感じながらも、このままでは日が暮れそうだ。
休暇と言ってもそうそう予定通りにはいかないところを、今日の仕事を全部クリスに押し付けて無理やり取った休暇だけに、それは非常に困る。あいつの怒りは長くて蛇のように執念深いからな……。
そこで俺はメリッサの髪をさっきのように一束すくい上げて「特にないようであれば、俺が息抜きに出かける場所に案内するが、どうだろう?」と提案してみた。
するとメリッサは可愛らしくはにかんで「アルの息抜き場所に行ってみたいわ」と弾んだ声を出す。そこまで大した場所を出歩いている訳ではないが、こうも期待されるからには絶対にまだメリッサが体験したことのないことをさせてやりたい。
そんな風に一瞬顔を覗かせる対抗意識は、メリッサが学園生活で得た中で最も価値のある“友人達”のせいだろう。彼女達のお陰で俺は多少まともさを取り戻し、メリッサは前向きさを得た。感謝をしてはいるが、夫としてこれ以上負けてばかりはいられない。
「それでは決まりだな。俺も歩く速度には気をつけるが、疲れたら変な遠慮はせずにちゃんと言うんだぞ?」
そう釘を刺せば素直に頷くメリッサに思わず苦笑してしまうと同時に、ほんの少しの悪戯心が芽生える。まだ日は真上で、ここは人通りのある場所なので節度は大事だ。……――でもしたい。
俺はメリッサの身体を挟み込むように壁の両側に手をついて身を屈め、その唇の横ギリギリに口付ける。そうすることで髪と同じくらい赤くなったメリッサが愛しくて堪らない。
――人目があるのに寝所よりも自制の効かない感情を持て余しながらも、俺とメリッサの初デートが幕を開ける。
***
「おー、久し振りだなアル! そっちの美人なお嬢ちゃんは彼女か?」
「あら、アルじゃないかい。あんた最近ちっとも見ないから、ここらの皆で心配してたんだよ?」
「ついに女に刺されて死んだのかと思ってたぜ色男!」
「あ、アル兄ちゃん! 今回のお姉ちゃんは優しそうな美人さんだね~!」
お金を持った人間向けの商店が立ち並ぶ大通りからほんの少し下町に入っただけで、方々から好き勝手な言葉が飛んでくる。そのたびに俺はその声の主達に合った返事を投げ返しながら、驚いた様子のメリッサを連れて歩く。
道幅は狭くて整備の不充分な裏通りはやや埃っぽい。ここの連中の遠慮のない言葉は親しみの裏返しだが、慣れないうちは喧嘩をしているように聞こえたものだ。
しかしメリッサも幾度か話しかけられるうちに相槌を打つ要領が分かったのか、時折返事をしたり微笑んで会釈を返すものだから、
「まぁ~……こんな良い子そうな娘さんをどこで誑かして来たんだい?」
「浮気して泣かせるんじゃないよ!」
「アル兄ちゃんと別れたらぼくのお嫁さんになって~?」
「馬鹿、ガキが色気付いてるんじゃねぇよ。お嬢さん、オレはアルの野郎と違って一途だぜ?」
……などと好き勝手さに磨きがかかった。その言葉の一つ一つに「誑かしてない!」「浮気も……二度としない!」「別れたりしないから他を探せ!」「ふざけるな! もう俺の妻だ!」と怒鳴り返しながら、途中からは小走りになって商店の間をすり抜ける。
メリッサも懸命に足を動かしてついて来るから、段々と走る速度が上がっていく。俺がこの道に入る前にメリッサにかけた言葉の舌の根も乾かないうちに無理をさせてしまったと気付いたのは、ぎっちりと軒を連ねていた商店街を抜けた後だ。
ようやく声が追いかけて来なくなったことに安心して振り返ると、そこにはメリッサは蒼白い顔をして息も絶え絶えに喘いでいた。メリッサのような箱入り令嬢を駆け足とはいえ、結構な距離を走らせてしまった罪は大きい。
大慌てで繋いでいた手を離して横抱きに抱き上げると、メリッサは驚いたのか「ひゃ!? アル、わたしまだ、大、丈夫、で、だから下ろして!」と暴れたが、さっくり無視を決め込んでそのまま目的地までの道を急ぐ。
もっと詳しく言えば“目的地の一つ”であり、出来れば最後に見せて驚かせたかった場所なのだが、こうなってはそうも言っていられない。
人目を恥ずかしがって胸元にしがみつくメリッサを相手に、不謹慎だと思いつつも心拍数が跳ね上がった。メリッサにしてみればただ無理やり抱き上げているだけなのに、頼られているのだと勘違いしそうになる。
こちらが血相を変えて足早に通りを歩いていても、この辺りの人間は顔見知りと見れば声をかけ、困っていそうだと感じれば何かにつけて世話を焼こうとするものだから、目的地に着くまでに俺に抱えられたメリッサの両手には“お見舞い品”の山が出来ていた。
大通りの広場から二十五分、下町の商店街からさらに十分。目の前に表れたのは古い半地下を含めて三階建ての細長いアパートだ。俺はそのアパートの三階部分のドアの前で一度メリッサを下ろして、古くて建て付けの悪いドアの鍵を開けた。
どういうことかと緊張で固まっているメリッサの両手からお見舞い品を受け取り、取り敢えず室内に入るように促す。メリッサは礼儀正しく「お邪魔します」と声をかけて中に入った。
部屋の中は古いものの清潔に保ってあるつもりだが、メリッサは見るもの全てが物珍しいとばかりにキョロキョロと室内を見回している。古い調度品は家主の老婦人の趣味で統一されている為、そこまでチグハグな印象は受けないだろうが、城内の自宅と比べれば物置以下の広さだ。
二人で立てば一杯になる玄関から、居間兼台所の部屋にある日当たりの良い窓辺に、引き寄せられるように歩を進めるメリッサを見つめて苦笑してしまう。というのも、キラキラと目を輝かせる横顔にさっきまでの疲労感はどこにもなかったからだ。
俺はそれから遅れて部屋に入り、花柄のカーテンがかかった窓辺に向かうメリッサを見つめながらお見舞い品を小さな食卓の上に置く。メリッサはそのままソッと花柄のカーテンを開いて「素敵……」と呟いた。
メリッサのその言葉と表情に、俺は不意に泣き出したい気持ちになる。
「ここはもしや、アルバート様の秘密基地なのですか?」
興奮を含んだ声のメリッサは、愛称呼びも忘れて楽しげな微笑みを浮かべて振り返るが――……振り返った先の俺を見て目を見開く。
「ど、どうなさったのですかアルバート様? もしや今のわたくしの発言にご気分を害され――、」
そう血相を変えて駆け寄ってきたメリッサを、そのまま腕の中に抱き締める。いきなり抱き上げられたり、抱き締められたりと、今日のメリッサは不運としか言いようがないが仕方がないと諦めて欲しい。
「秘密基地か……メリッサの意外な想像力に完敗だな」
ここはかつて色んな物事から、婚約者だったメリッサから逃げ出したくて、誰も俺の顔も身分も知らない下町にこの古いアパートを借りただけだ。
だからここの本来の役割はただ無責任で弱い自分がが逃げ出すだけの避難場所……だった。今日までは。
メリッサをここに連れてきて、汚い部屋だと言われたら、今日を限りに逃げるのを止めて次の契約更新をせずに引き払おうと思っていたのに。
「なぁ、メリッサは秘密基地を持つ夫は駄目だと思うか?」
興味半分、怖さ半分で訊ねた俺の問に、メリッサは腕の中でパッと表情を輝かせて言った。
「わたくしもご一緒させて下さるなら、大歓迎ですわ。実はこういう内緒の場所を持つことに、わたくしもちょっとだけ憧れておりましたの」
可愛いメリッサのその一言で、単純な俺はまだしばらくは更新し続けようと心に決める。




