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猥雑なイシュタリア語が周囲を飛び交っていた。

盗賊や乞食。職人なども、意思伝達に自分たち独自の隠語や隠喩、身振り手振りを含めた秘密言語を用いて会話することがある。

焚火を囲んで猥雑に輪を為しているのは盗賊と乞食ばかり。

いずれも早口で聞き取り辛く隠語も含まれた彼らの言葉は、意味すら分からない。

粥を食べた後のセレナは、焚火の傍でしばらく呆けていたが、やがて立ち上がり、下手糞に鼻歌歌いながら歩きだした。


赤銅色の大地に、擦り切れた毛皮や薄い布に棒切れを組み合わせた粗末な天幕が点在している。

流民や娼婦が暮らす天幕の隣をふらふらした足取りで進みつつ、当て所なくセレナは河原を散歩した。

生来整った容貌も土埃に塗れ、擦り切れた襤褸を纏い、杖を持って猫背で歩くセレナの姿は、性別も年齢も不詳な幾らでもいる物乞いそのもので、好色なならず者でもちょっかい出そうとは思わなかった。

陽気さと虚無が雑然と入り混じった猥雑な公界アジールの背景に、違和感なく人影の一つとして埋もれている。


乞食言葉は、いまだに分からん。歩きながら、つらつらと埒もない思索に耽溺する。

盗賊言葉も大概だが、右手の親指を曲げて左手の人差し指と中指で挟む動作は、言葉に出さずに(盗もう)だな。で、その時話題に出していた家を狙おうという会話なんだろうな。

盗賊たちがらしい会話したその後に、町の金持ちに盗みの被害が出たことが何度かあって、そのたびに、哀れな乞食や無宿人が吊るされていたのを覚えている。


でもねえ、乞食言葉。誰かに教えてもらわないと覚えられない。

けどねえ、やっぱり代償が必要だろうな。

もしかしたら、土地ごとに異なるかもしれない。としたら、せっかく覚えても無駄になる。

故郷の織物ギルドの秘密言葉がそうだったから、乞食や盗賊言葉も多少は違うんじゃないかな。

そこら辺の事情は、中央諸国とイシュタリアでも変わらないだろう。

地元独自の言葉を覚えて、他所に行ったら通じなかったら、酷いし。

覚えても、それほど意味がないかな。そんなに頭もよろしくない。


地元の乞食は、組合もあるし、免許もある。

色々と役得のある町中は、地元の乞食の縄張りだ。


掌に掬った川水で口を漱いだ後は、五、六歩離れた地面の枯れ草に吐き捨て、背筋を逸らして天を仰いだ。

ふう、乞食でも定住している奴らが豊かなんだ。乞食にも階層があるとは。そんなん普通に過ごしていたら一生知らなかっただろう。奇妙なことに感心しつつ、汚れた袖で口元を塗った。

武装した乞食や流れ者の集団が町や村に流れ込むなんて話も、それほど珍しくない世情であった。

貧困層やよそ者はそれだけ警戒されてる。

怪しげなよそ者は、それだけで吊るし首にされることもあるし、誰もそれを咎めない。

世の中に、食い詰めている人間がそれだけ多いのだろうと何となく思い当たる。


王侯貴族は飽くことなく争い続けている。

秘境から溢れて暴走する魔獣の群れ。一体で村や町を滅ぼす魔物や怪物。

亜人との終わりが見えない戦いと、各地に割拠する無法者の城砦。

遺棄された町や村々や都市の下水道には、不死や鼠人が巣食い、哀れな犠牲者を喰らっている。

混沌の教団や魔の崇拝者も、人体を蝕む疾病のように社会に広がっていた。

暗黒の恐怖から人の世を守る筈の退魔の狩人や神殿騎士たちも、患者を治すよりは患部を疑わしい部位ごと焼き払うことに熱心なように見える。


……混沌や魔物を崇めたら、見逃してくれるのか。救ってくれるのだろうか。

瞬間。ふと頭をかすめた考えに氷を当てられたように背筋を冷やし、セレナは歯を食いしばった。

今、なにを考えた?

自分の目で混沌を目の当たりにしておきながら……私は馬鹿か。あんなものを

痛みを感じた左目の黒い眼帯を掌で押さえながら地面に蹲っていると、布越しに熱を持った何かがずくずくと不気味に脈動するのを感じ取れた。


肉体に巣食った混沌が暴れているのか。それとも自分の肉体が脆弱な魂に憤怒を向けたのか。

私は……私だけは、ずっと混沌を憎めると思っていたのに。なんて、弱い。

大きく息を吸う。と冷や汗が引いて、少しだけ布の下の鈍痛が和らいでいくような気がした。


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