影の世界
乞食と見紛うような汚い襤褸服では、イゼルダの町に入ることは許されない。
町を守る衛兵に尻を蹴り飛ばされるか、もっと酷いことになる。
なので、取引する時はいつも河原に向かった。
幾つかの天幕やら仮説の小屋が立ち並び、橋の下には垂れ布が揺れている。
裕福な市民や職人が姿を見せることはなく、衛兵も犯罪捜査などを除いては滅多に立ち入りはしないが、しかし、其処は、町の裏側。イゼルダのもう一つの顔だった。
放浪者や浮浪者、罪人や乞食など追放者と貧民の世界であり、比較的に貧しい庶民や旅人がわずかばかりの貨幣を持って、盗品や安い食べ物と引き換えるために訪れる場所でもあった。
そうした下層民の世界にも秩序は存在している。
盗賊やすりの元締めである盗賊の王は別格として、傭兵や冒険者、武装した無宿者の集団など、やはり武力を持つ者は橋の下でも一角の力を持つ人種とされている。
町で歓迎されない彼らは、野宿しやすい場所や安くて量のある食べ物を求めて、河原に滞在することも多い。
次いで、旅慣れた芸人や旅人、托鉢修道士に放浪の職人。旅慣れた者には手練も少なからずおり、あるいは一芸を持ち、大抵は情報通だった。
土地から土地へと流れる彼らは、情報を求めて、或いは旧知の人間と出会うため、河原を訪れることも少なくない。
対して、社会的に地位の低い流浪民や娼婦は、繋がり次第で重んじられもするし、軽んじられもする。
貧しい巡礼や浮浪者、廃兵などは、おそらく元居た土地でそうであったように、このもう一つの世界でも尊重されることは少ない。食い詰めた農民や罪人などもここに含まれるが、それでも何らかの職能や暴力の技能を持つものは、一目置かれることが多い。
地元の乞食は意外と地位が高い。縄張りを持ち、噂話を耳にし、人間関係を熟知している彼らは、時に盗賊とも深いつながりを持っている。
対して、放浪の乞食は、誰が死のうとも気にしない。捨てられた老人や不具、病人、外国人の逃亡奴隷など、地元民ではなく他所者、特に力のない弱者は、橋の下でも最下層に位置していた。
セレナは、かつて農場の娘だった。しかし、今ではよそ者の乞食娘でしかない。
ここでは織物や刺繍の腕も、家鴨たちの体調を見て世話をした経験も、何の役にも立たない。
かつて生まれ育った土地では、家族がいて、隣人がいた。
家があり、家畜を持ち、恐らくは将来結ばれるであろう幼馴染と、気の置けない友人たちに囲まれていた。
両親に祖母、姉や妹。生まれたばかりの弟がいて……しかし、セレナは異国の影の世界で最下層の存在だ。
近くの森で食べられそうな木の実をいくらか拾い集め、ベリーの類を採取してから、橋の下を訪れる。
町へは入れない。見張る浮浪者に集めた団栗を椀に一杯手渡して、代わりに河原で燃え盛る焚火を使わせてもらい、粥をもらう。
一日二食。少ないときは二日で三食。それでも何とか生きている。
のんびり食べてると孤児にかっぱらわれることもあるので、何も考えず熱い粥を掻き込んで、口元を袖で拭う。ようやく人心地がついて周囲を見回せば、盗賊や傭兵、娼婦に巡礼、乞食坊主といったお馴染みの連中が怪しげな儲け話や自慢話に興じている。
これが今のセレナの生きる世界だった。