塔の王
天は昏く、大地は色と形を失い、音のない無限の言葉が死にながら生まれている。
蜘蛛の巣のように薄いヴェールが溶けて気体と空想が入り混じり……
鋼纏う屈強の兵士が、ぺちゃくちゃと脈絡のない言葉を喋っていた。
口から垂れ流れた涎と、大小便が大理石の床を汚している。
が、誰も気にした様子はない。もはや、王城も無人であった。
混沌が迫りつつある。混沌の軍勢が。
人々は逃げた。兵も貴族も王族も逃げた。
都を捨てる気にならぬ老人たち。
ただの強大な敵であれば、絶望して自裁する者もいようが、しかし、混沌に大地が飲まれては安らかに死ぬことも出来ぬ。故に逃げる。絶望から逃れること敵わず、逃げ出していく。
アウナンの王城は、迫る混沌を前にして無人と化していた。
繁栄を誇った王城の主を探して、セレナは早足に歩き回った。
王は逃げたかもしれない。早く逃げねば、間に合わぬかもしれない。
しかし、いるのだ。城の一番高い塔に。男が独り佇んで、迫る混沌を睨みつけている。
その光景を、たまたま、近くの丘よりセレナは目にしていた。
故に留まった。たまたま、目にした光景の、それが王とも限らぬ。
切り捨てられるかもしれぬ。また、言葉が届かぬかもしれぬ。
が、彼女は霊感に打たれたまま、無人となった王城に入り込んで今、王の姿を探していた。
気まぐれ。酔狂もここに極まった。
なにをしてるのだろう。私は。
自嘲ぎみに呟いて、広大な大理石の回廊の左右を見回して、セレナは徒を進める。
時間がない。大地が震えつつある。
魔の者共よりも、暗黒の力よりも、闇の領域より、不死の呪いよりも恐ろしいと言われる、混沌が迫っている。混沌は、この地を飲み込むだろう。
三重の城壁など何の意味も持たない。
逃げるべきだ。間に合わなくなる。約束した訳でもない。
そもそも、あの老人とて狂人かもしれぬ。今なら、間に合うかもしれない。
走っても、難民もろともに飲み込まれるかもしれぬが、混沌が王都をゆっくりと食らうかもしれぬ。
怯える体、人差し指を噛んで震えを止めた。
事ここに至っては、間に合わぬ。いや、逃げれば間に合うかもしれぬが言葉を届けよう。
無価値で終わるかもしれぬ。だが、構わない。いいとも。死んでやろう。
最悪、飲み込まれても、最後まで抗ってやろう。
永劫に死ぬことも出来ず、肉体が粉微塵にされたよりも苦しいらしい。
それがどうした。どれほどであっても、為すべきことをすればいい。
今は、これが私の為すべきことだ、と。
塔の階段を上り切った乞食の娘は、振り返った壮年の男に言葉を告げた。
ロードの剣を探せ。イシュトリアの地にそれは眠る。