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セレナは、理不尽が嫌いだった。それは多分、先祖代々受け継がれてきた家風であった。

独立独歩の豪農である一族は、何世紀もの間、如何なる権力にも服さず、代わりに己が身は己で守ってきた。

生まれ育った農場からほど近い平野部が混沌との決戦場となった時、法の軍勢に加わるべく、そうした独立領主や郷士豪族たちも、また数知れぬ程に集まってきていた。

防壁に囲まれた農場と近隣に住む小作人たちを、オークや盗賊の略奪から守る為の小さな戦とは訳が違う。

馳せ参じたるは、列国の諸王と名だたる勇士、そして数多の精兵たち。色とりどりの旗指物が涼やかな風に靡き、角笛の音が軍勢の頭上に鳴り響き、中央諸国に集結した法の軍勢は、しかし、荒れ狂う混沌の渦を前にあっさりと瓦解した。


七色の濁流に飲み込まれた瞬間、首脳部だった諸王と幕僚たちは、存在もろとも消失した。

前衛部隊は、漆黒の球体に引きずり込まれるように飲み込まれた。

傭兵たちは、影と実像が入れ替わった。

工兵と巨大投石機が空へと落ちていった。

屈強のドワーフたちが液体になって地面に散らばった。

エルフたちは、色を失って透明に薄れて消えていった。

生きたままガラスとなった僧兵たちが空間を震わせる悲鳴を放っていた。

騎馬隊が植物になって蠢いている。その傍らでは、高貴な騎士たちが肉片と化して死ぬことも出来ずに無数の口で泣き叫んだ。

竜殺しの勇者が体中から吸血茨に変化した体毛で周囲を食い散らかし、自分も食い散らかしながら、瞳から黒い血の涙を流していた。


混沌が顕現しただけで全てが終わった。まるで世界の終わりだとセレナは思った。

僅かな時間で化け物になり果てた家族の誰かが、哄笑を上げながら泣き叫ぶ家族を喰らっていた。

化け物はセレナだったかもしれないし、食われていたのがセレナだったかもしれない。

カオスは可能性だ。無限大に折り重なり、枝分かれした事象そのものを内包しているから、時系列や整合性が何ら意味を持たない。

荒れ狂う混沌の渦を前に、ただの人に抗う術などない。

全てが理解を越えていた。情報が歌い、概念が光となり、時間が傾斜していく。

王も、勇士も、騎士も、兵士も、身に纏った鎧兜と肉が融解して、大地にはなれの果てのキーキー叫ぶ赤い肉の鎧が彷徨している。

カオスの渦の中心を直視せずに生き延びたセレナは、果たして幸運だったのだろうか。

目を塞いだ双子の妹が目の前で解けて崩れていった光景が、今も目に焼き付いて離れない。


セレナは理不尽を憎んでいたが、世界は理不尽で、ならば世界そのものを憎むべきなのだ。

ぶち壊してやると怒りに眩んだ脳髄の灼熱と共に、眼帯に覆われた左目が疼き始める。

包帯を巻いて隠した黄金の指輪が酷く熱くなっていた。

邪魔だ。外したい。口の端から赤い涎が滴り落ちた。

セレナは混沌の渦に巻き込まれている。本来、とうに変異を起こしていたとしてもおかしくない。

黄金の指輪の封印は強靭で、普段は体に巣食った混沌を完全に抑え込んでいた。

それでも怒りと共にその箍を破壊したいと、半ば吹き飛んでいる理性のままに解き放とうとする。

歯を食いしばる。腕の筋肉が膨張し、四肢を拘束した荒縄がギシギシと軋んでいる。

足りない。まだ全然足りない。

セレナの魂の奥深くで『  』が蠢いていた。『  』に起きろと心で呼びかける。

狂気に近い憎悪に身を任せて暴れだせと、盲目の憤怒が荒れ狂うままに叫びをあげる。

『  』が目覚めて這い出してくれば、セレナという殻はあっさりと割れただろう。

後に残るのは、きっとかつて人であったとも思えぬ化け物だ。

異形の獣に成り果てるかも知れないし、或いは、粘液質の生きた原形質になって溶け崩れたままにのたうつかも知れない。

それでも、構わなかった。刺し違えてやる。わたしを踏み躙ろうとしたこいつらごとに砕けてしまえばいい。もう生きる価値などないのだ。

きっと『  』を目にした時に、自分は終わっていたのだから。

何もかも終わってしまえばいい。

憤怒と共に黒い『  』が鋭い爪を立ててセレナの魂の奥底から這い上がってこようとして


……なkaないで……姉さんが守ってあげるka……かrra……

せ、se界は……きっと綺麗で、一緒に……見て回ろ……


双子の妹の溶け崩れていく笑顔の記憶が脳裏を過ぎった。瞬間、心の奥底から湧き出した熱量が憤怒を凌駕して頭を醒ました。

「……私の方がお姉ちゃんだ。先に生まれたのに、あいつは何時もちょっと背が高いだけで……」


地面に俯いて、ぶつぶつと呟きだし、ついで獣のような唸り声を漏らしたセレナの背後から、怯えたように子供の後退った足音が僅かに鳴った。


「……なんなんだよ、お前ら」

やや冷静さを取り戻したセレナは、子供を眺めた。仕立ての良い服装をしている。

間違っても庶民ではない。裕福な市民以上の身なりだった。

店舗持ちの商人や富農でも、この年代の子供の服装に毛皮の裾飾りや翠石に銀をあしらった袖ボタンはあり得ない。


間違いなく裕福だ。没落する前のセレナでも比較にならない。

なのに、僅かな食料が生死を左右する自分から乏しい財産を取り上げた。

やっぱりムカムカしてくるので、地面に額を押し付けた姿勢のまま、まだ残された自棄っぱちな気分をかき集めて思い切り叫んでみた。

「私の食べ物を食べたくせに!勝手に人の塒に入ってきて!勝手に食べ物食べて!

殺すのか!よし!殺せよ!畜生!うわあああ!」

鼻血を吹き出しながら、ジタバタと暴れながら子供のように泣き喚いた後、急に静かになった。

疲れ切って急激にくたりと土間に崩れ落ち、その後は不貞腐れたミノムシのように寝転がった。


此れで殺されるとしても、人のままで死ねるだろう。

何の慰めになる訳でもないが、脱力しきったセレナが、間抜けな顔で所々、破れかけた風車小屋の天井を眺めていると子供が静かに泣いている音が耳に入ってきた。

顔を向けると、ぽたぽたと地面に子供の涙が零れ落ちている。

セレナが問いかけた。

「……なんで泣いてるのさ?」

「殺さないよぉ」

小さな手で涙を拭いながら、子供はそれだけ言った。



今回のあらすじ


く……疼きやがる。(左目の眼帯を抑えながら)

封印が弱ってきているのか。

私をあまり怒らせるなよ。


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