魔道の王
荒野に朽ちかけた小屋に、老爺が寄りかかっていた。
ゼイゼイと荒い息を吐きながら、空を見つめる目からは黒色の血の涙が零れていた。
きっと、彼方の混沌を見てしまったのだろう。
老人の喉よりか細い呟きが漏れていた。
「黄金……黄金を与えよう。何者か……我が言葉を耳に止めよ……使いきれぬ黄金を……」
時折、目の前を通り過ぎていくうちに足を止める者は誰一人としていない。
耳に届かぬのではない。黄金よりも恐怖が勝っていた。
金持ちの命乞いに耳を貸したものは、殆どが道半ばに共倒れた。
背に揺らめく影を背負った人々は、重い足を引きずって、一歩でも遠ざからなければならなかった。
さもなければ、迫る混沌に飲み込まれる。振り返ることも出来ない。
地の果ての彼方には、混沌が荒れ狂っている。
とびきり幸運であれば、狂死するだけで済むであろう。
「……大地を支配する秘密を与えよう。
汝が言葉は竜の群れを塵とし、呼び起こした雷撃は山を裂こう。
地の底に眠る黄金を。霊を呼び出し太古の叡智を蘇らす呪文を教えよう。
……頼む。誰ぞ。わしの言葉を……アウナンの王に届けれくれい」
何処へ向かうのかなどとは考えない。
ただ、恐怖だけが無感動に難民のまばらな列を動かしていた。
「……望みはある。まだ望みはある。南西へと向かえ。イシュトリアの国々は、なお持ち応えよう。
かの地にて、主(Lord)の剣を探せ。主の剣こそ、大地を取り戻す鍵なり。
誰か、彼の地に伝えよ。主の剣を探せと。何者でもよい。頼む……あぅなんの王」
囁きは、もはや蚊の羽音ほど。人々の耳に届かず、老人の命の灯も程なく消え去るであろう。
影を背負った少女が独り、溶けかけた老爺の目の前を通り過ぎた。
漆黒の粘液に蠢く唇の最後の囁きに、一瞬だけ色のない瞳を向けると、再び前を向いて地平へと歩き出した。
混沌が迫っていた。