大臣と伯爵
アーネットは馬車に揺られて王宮へ向かう。城に入ると馬車を先導していた黒装束の男は馬車の窓へ近寄り、アーネットへ一礼して去って行ってしまった。
「えっ、待って」と小声で囁くが、誰も馬車には乗っていないし、その声が黒装束の男には届かない。急に一人きりで場違いな場所に取り残されたアーネットは、寂しさで縮こまり、城門につくと案内人に場内へと招き入れられるが落ち着かず、周りをキョロキョロ見渡していた。彼女が通された部屋は王宮にあっては極めて小さな部屋だったが、それでも彼女の住んでた家よりもずっと大きく、しかも内装は煌びやかで宝箱のようだった。
しばらく待たされたあと、部屋に入って来たのは国務大臣だった。大臣としても本来は一市民の、しかも5歳の少女と会うことなどあり得ないことだが、これもあの王様の後始末と思えば、臣下としては自ら処理するしかないと判断したのだった。ゴホンと咳払いをしてからアーネットに告げる
「あなたは国王のお子様です。ご存知なかったと思いますが、あなたは王家の血筋を引いていらっしゃいます。ただしながら女性であることやお母上が庶民であることで、残念ながら認知して王宮にお招きすることはできません。王位継承権は与えられません」
と事務的に一気に事情を説明する。アーネットは全く意味がわからないと言った感じで、無表情に聞いている。その反応に大臣は内心ホットしている。隠し子などと名乗り出る物は、大抵、親親族が財産目当てに乗り込んでくるもので、王の子供だと知ったらどれほどの高額を吹っかけてきてもおかしくない。だが目の前にいるのは5歳の少女なのだ、そんな狡猾なことを言い出すはずがない。
「お母上やご家族の方はどちらいらっしゃいますか?」
と恐る恐る大臣は聞いてみる。
「お母様は亡くなりました。家族もいません」
とアーネットは短く答えた。これに聞いた大臣は、よしよし、と心の中でほくそ笑むのだった。大人がいなければ年端もいかない少女など、騙すのは簡単。適当に言いくるめて放りだしてやろうと思うのだった。
「そなたには苦労を掛けた。王様もきっとお心を痛めるだろう。ついては謝礼として、金貨10枚を与える。今日は大義であった、すこやかに過ごされることを願っておる」といって席を立ち部屋を出ようとした。その時、下を俯いていたアーネットが呟く
「ペンダントを返してください」
その言葉を聞き漏らした大臣が、「は?」と聞き返す。
「ペンダントを返してください。金貨なんていりません」
と今度はハッキリ聞こえる声でアーネットが懇願する。その態度の急変振りに、やや気押された大臣は
「あのペンダントか・・・あれはその、紛失してしまった」
と嘘をついた。あれは王様のもので、王家に伝わる秘宝の一つである。国宝といっていいほどの一品なのだ、金に換算したら何十億、いやそれ以上の値段がつく、そんなものをこの少女に渡すなど正気の沙汰ではない。こいつめ、少女だと舐めていたら、とんだ強欲者だ。やはり卑しい身分の子は欲深さに現れるな。
「嘘です、あれはこのお城の中にあります。あれはお母様からもらった大切なものなんです。返してください」
涙ながらに訴える彼女に困った大臣は、やれやれと言った顔で
「では金貨50枚にしてやろう、それで手をうたんか?」
と値段交渉に切り替える。それを被りを振って拒否するアーネット。
「嫌です。値段じゃないんです。あのペンダントは私にとって、お母様と同じなんです」
と、絶対拒否の姿勢を見せられて大臣は少々イラっとした表情を見せた。だが次の瞬間、頭の中で閃いた考えがあり「わかった」といって部屋をでていった。
しばらくして戻ってきた大臣の手には綺麗な箱が携えられており、その蓋を開けるとアーネットのペンダントが入っていた
「ほら、ペンダントだ。受け取るがよい」といって大臣が箱を突き出してきた
だが、アーネットはそれを一瞥して
「これはお母様のペンダントではありません」
と毅然と答えるのだった。一見したところ大した違いはないように見えたが、大臣がもってきたのはレプリカントだった。それを一瞬にして見抜かれて、大臣はギクリと心でも読まれたかと思ったが、表情には出さず平静を装って
「何を言うか、これがそなたのペンダントだ。どこからどう見ても同じではないか、さっさとこれをもって立ち去らんか」
と怒鳴るのだが、そんな大臣を見限って、アーネットは偽物には一切手を触れずに、部屋を走り出て行ってしまう。まさかの少女の行動にあせった大臣は
「おい、待て、どこへいく。衛兵、少女を捕まえろ!」
と周囲の兵に命令しながら、慌てて後を追う
アーネットは何かに導かれるように、一目散に走りだした。途中に荷物を抱えた召使がいようと、従者を従えた長いドレスの貴婦人がいようと、それらをすり抜け、駆け抜ける。すぐあとから、「そいつを捕まえてくれー」と大臣が叫びながら駆けてくる。少女と大臣と衛兵の突撃に巻き込まれた人々が悲鳴をあげる、王宮内がちょっとしたパニックになった。そんな騒ぎを尻目に、彼女は、まんまと大臣達をまいてしまった。
アーネットは目的の部屋の前まで来た。だが扉を開けようとすると鍵がかかっていて中に入れない。ガチャガチャと扉の取っ手を引く音がする。やがてその音に気付いて大臣達が走り寄ってくる。この部屋は廊下の突き当りにあって他に逃げ場がない。
すると、隣の部屋にいた男が、何事かと扉を開けて顔を覗かせた。その一瞬をついてアーネットは男の足元をすり抜けて部屋に侵入してしまう。「おい」と声をかけようとすると、さらに今度は大臣までが部屋にはいってきてしまい、娘を捕まえようとする部屋中を駆け回る。ネズミを捕まえるネコのような少女と大臣のやり取りをみて、やれやれと肩をすくめた男は、扉の鍵をかけると、
「二人とも落ち着くんだ、まずは座って話そうじゃないか」
と提案するが、それでも少女を捕まえようとする大臣を、まずは大きな手で両肩をがっちり掴んで、ソファーに無理やり座らせる。そしてアーネットに向かって
「キミも座って」と顎で対面のソファーを指示する。大臣が飛び掛かってこないのを確認してから、ようやく彼女もソファーに座る。
「オーケー」
といってその男も座った。そしてまずはアーネットに向かって
「なんで、君は逃げてるんだい?」と聞いた
「私は、ペンダントを返して欲しいだけです」
とアーネットは少々息を切らしながら答える。ではと、今度は大臣に向き直り
「どうして大臣は彼女を追ってるんだい?」
と尋ねると、大臣はハンカチを取り出し、体から噴き出す汗をぬぐいつつ
「返しましたよ、返したのに、その子が受け取らずに、いきなり場内を走りだしたんです」
と私が悪いんじゃない、と言外に含めて答えるのだった。これを聞いた男はさらにアーネットを向き直り、
「大臣はこういってるが、どういうことだい?」と尋ねると、アーネットは
「あれは偽物です。本物はこの隣の部屋にある」
というのだった。一瞬、男はアーネットの言葉に疑問を感じて
「どうして本物が隣の部屋にあるのがわかるんだい?」と聞くと
「ペンダントにはお母様が宿っているの、だからわかるの」
という彼女の返事に、男は怪訝な顔になり、そんなことは信じられないなと思いつつ大臣に
「そのペンダントって何なんだい、そんなに重要なのか?」
と聞いた。すると大臣はしばらく黙っている。
「うん? どうしたんだい」
と男が再度答えを求めると大臣はしぶしぶと
「これは王室の秘密事項です」と前置きをしてから、やや声を落として
「彼女は王室の秘密の紋章が入った魔結晶のペンダントをもっていました」
と答えた。これには男もビックリして目を見開く。そしてゆっくりとアーネットを見返した。
「そういうことか・・・」
と、納得し自分が首を突っ込んでしまった問題が予想以上に大きな問題であることに気づいた。おそらく彼女が偽物といったのも本当なのだろうと勘が働く。
「なるほど、それで本物のペンダントは国務大臣の部屋にあると?」
と大臣本人に確認を求めた。もちろん男は隣の部屋が国務大臣の部屋であることを承知している。それを渋々認める大臣。突然、男が笑い始めた
「あっはっはっは、これは愉快。そしてアメージングな話だ」
と笑ったあとで、アーネットの前へいき、しゃがむと手を胸にあてて、
「姫殿下、ようこそお城へ」
とうやうやしく頭をさげた後、ニッコリと微笑むのだった。それから大臣を部屋の端まで引っ張っていき、アーネットに聞こえないようにひそひそと話し出す
「ペンダントは本物を返すんだ。王が一度人に渡したものは、王の命がなければそれを受け取ってはならない。君のしていることは王の意志に反することだ。いいな、これは王の友人である私からの忠告だ。
それから彼女の面倒を王室で見てやるんだ、彼女の身を守るということは、ペンダントを守ることと同じことだ。大丈夫、彼女はあのペンダントを売ったり失くしたりはしないよ。彼女の身の保護と一緒に国宝も守る、その位の器量を見せてやれ。王家の恥になるぞ」
と説得した。この男は実際、王からの信頼が厚いウイリアム伯爵で、国務大臣と言えど無視できない存在だった。
こうしてアーネットは本物のペンダントを受け取り、すぐさま自分の首にかけて大事そうに自分の胸にしまい込んだ。それを眺めながら、伯爵はこんな少女が真贋を見抜くだけでも凄いのに、遠く離れたものを匂いを嗅ぎ分ける番犬がごとく、その場所を見つけ出すとは、一体どんな能力だと大いに興味を持った。
アーネットはこの伯爵のおかげで、王室の保護を受け、この帝都の有力者の家で育てられることになった。