南東王国との辺境戦 反感
敵の砦からもどったアーネットは、すぐに捕虜の牢屋へ向かった。
牢屋といってもここの駐屯地には頑丈な石組みの建物も鉄でできた柵もない、雨ざらしの空き地に、ただ手足を鎖で縛られた状態で座らされている。それを複数の兵が銃で狙い、24時間体制で見張っていた。それでも200人がまとまっていると危険なので、20人毎に分けられ、10カ所に分散されていた。
アーネットは看守を呼び出し、
「捕虜の中に大柄で、従者のようなものを近くに置く者がいないか」
と聞いてみる。調べてもらうと、3人ほど候補の者がいるとのことだった。
「その者を遠くから見えるように、案内してほしい」
と頼むと、監守は
「なんなら、その3人をまとめて引き連れてきましょうか?」
と提案されたが、それを聞くなりアーネットはかぶりをふって
「いや、ダメだ。絶対捕虜たちに気付かれないように観察したい」
と、厳しい調子で言われた看守は「どういうことだろう?」といった顔で
「それでは、遠目から見える場所にご案内します」
といって案内してくれた。3人を見終わった後、アーネットは看守に、今、自分が捕虜について尋ねたことや、聞いたこと一切を、捕虜や他の味方の兵にも話さないよう口止めして戻っていった。
ついに謎が解けた。砦の司令官は、自ら騎馬隊を率いて突入したのだ。つまり現在囚われているあの男こそ、兄王子であり、司令官なのだ。身分を明かして捕虜交換を言い出してこないのは、南東王国軍には捕虜交換と言った概念がなかったからだ。南東王国では、司令官は一番責任が重く、まして王子だとわかれば、見せしめとして殺されるか、有利な交換条件として利用されると思っているからだった。
すぐにアーネットは看守の役に自分の隊のメンバーを編入させた。そして実質的に看守役のリーダー的ポジションにそれらを据えた。この役目は信頼でき、手抜きをせず、細かな芝居ができる難しい役割だったからだ。アーネット隊の面々には真実を伝えた上で、
「この仕事は非常に秘密性の高いもので、かつ残酷な役割を担わなくてはいけなくなる。皆にとっては辛い任務になると思うが、心して任にあたって欲しい」
と言った。皆は「任してください」と快諾してくれたが、アーネットは
「(こうして、私の部隊は、私の仕事が重要になればなるほど、辛い任務をこなさなくてはいけなくなるのだな)」
と、皆に悪い思いがした。自分を支えてくれる仲間といっていい存在なのに、能力があり、信頼できるがために、逆に他の兵より肉体的にも精神的にも過酷な任務を命令しなければならなくなるジレンマに指揮官としての心苦しさを感じた。
この時代、囚人の脱獄はわりと当たり前にあった。手足に枷をはめたまま脱獄した者が、街で物乞いをしてる姿をみとめることもあるほどだ。それは完全な監視システムがなく、看守が賄賂を受け取ったり、怠慢を働く場合もあったからなのだ、それが故に、アーネットは捕虜の中に敵の王子を見つけ、万全な体制を取る必要があったのだ。
アーネットは翌日の作戦会議で、敵王子(司令官)との会談の報告をし、今後の作戦を説明した。だが敵王子のことがあり、敵にも味方にも秘密にしなければいけないことが多かったので、全てを語ることができなかった。それが故に一部士官からは
「そんなに事がうまく運ぶでしょうか?」といぶかる声が聞こえた。だが全部を話せない以上、仕方がない。「私に任せてください」といって退出するしかなかった。
そんなアーネットをアレンが呼び止めた。
「アーネット元気してるー?」
相変わらず、彼はバカっぽい。だがそれは彼なりの気遣いなのだ、もう本当のバカではないことはわかっているので、そう受け取ることができる。だが、それだけではなかった。彼はアーネットをテントに招くと、真顔で話をしてきた
「キミは一人で、抱え込みすぎだ」
開口一番、こう指摘された。
「えっ? そう」
「そうだよ、そんなことでは、すぐに気が滅入ってしまうよ」
と言われたが、アーネットは宮廷でのやり取りで慣れている。この位のやり取りでは全然大丈夫だというのだが、
「うん、そうか。思ったよりキミはタフなんだね、でもさ、こないだからのキミの会議での説明や行動をみていると感じるんだ、キミ自身がよくても、周りのキミを見る目は、確実に悪くなっいる。悪いと言うのは以前のような蔑みの眼ではなく、理解しがたい、もっといえばキミを恐れる目になっている。キミの作戦が鋭ければ鋭いほど、周りはキミを英雄視するかもしれないが、同時に不気味な存在になってるってことさ」
と、アーネットにとって目から鱗なことを言ってくる。なるほど、確かにそうかもしれない。会議で皆が私を引いた目で見ていた。そのあまりに過酷な作戦に怪訝な表情を浮かべる者もいた。でもそれでも、この地での帝国軍兵士を引かせるためには、それくらいの汚いギリギリの手を使わなければならない。キレイ事を言っている余裕などないのだ、それを彼に言うと
「もちろん、俺はわかってるさー、でもそれだけじゃ、周囲の心はキミから離れてしまうだろ、そうならないためには?」
と、彼が質問形式で聞いてきた。「ん?」この意外な展開に、さすがにアーネットも回答に困る。するとアレンは笑顔で
「大人をバカにするもんじゃないよ。それにもうキミは気づいてるハズじゃないか。中将だよ、この軍の総指揮官、彼を仲間に引き入れておけば、この集団でのキミの評価が揺らぐことはない。中将はバカではないと、キミも気づいてるだろ? だから中将だけには、作戦の全てを話しておくべきだよ、もちろんちゃんと秘密にすべきところは秘密にしてくれって『注意書き』をつけた上でね」
と、献策してくれた。
「な、なるほどー」
マズい、アレンの口調が自分に映ってきている。と思ったが、彼の忠告は正に的を得ていると思った。
「(それにしても、アレンにさえ作戦の一部を秘密にしてると思っていたのに、それに気づかれるとは・・・)」
あらためて、「彼はバカじゃないんだ」と思うアーネットだった。
「コンコンッ」
とノックの音が廊下にこだまする。さすがに中将のいる場所はテントではない。丸太小屋だ。その扉をアーネットは叩いた
「アーネットです。お話があります」
というと、中将は怯えた感じで彼女を迎えた。
「マズイ、本当に私は恐れられている」
アーネットは、中将の心を読んで、先ほどのアレンの言葉が本当であることを理解した。
「な、なにかね?」
中将は、まるで飼い主に手酷く叱られた犬のように慎重に彼女の出方を伺っている。
「(そ、そんなに私は将官をビビらせるほどのことをしているのか)」
と、アーネットは自分自身の評価をみてビックリしている。
「あ、あのですね。そんなに警戒しないでいただきたいのですが・・・」
というと、この一言は中将のプライドをまた傷つけてしまったようで
「なっ、け、警戒などするはずがないだろう」
と、中将が精一杯の威厳をみせてくるので
「すいません、今のは失言でした」
と、謝ってから、本題を説明していく。その説明に、中将の顔色がまたまた青くなり、彼女への恐れが増していく。話し終わる頃には、化け物を見るような目になっている。
「・・・というのが、作戦の全容です。この作戦は秘密性が高いものですので、先の会議では士官全員に、この話を全てお話しすることはできませんでしたが、中将には全てを知っていただくべきと考え、今日はご相談をさせてもらいに伺いました」
と、素直に話した。中将はやや意外だ、という顔をしつつ
「わかった」
と答えたのち、しばらく考えてから
「だが、これでは少尉が悪者になってしまうのではないか?」
と今度はアーネットが意外に思うような気遣いを中将がみせてきたので
「お心遣い、ありがとうございます。でも私は慣れていますので」
と、笑顔でいい、部屋をでた。なんとなく気持ちが晴れた気がした。
◇◇◇
翌日から捕虜への待遇を徐々に悪くしていく。朝5時
「ザバッー」と大きな桶から水が飛び出て捕虜達に浴びせかけられる
「ヘヒャー」とびっくりして目をさます捕虜達。
「俺がここの看守になったからには、お前達には帝国に攻め込んだ罰をみっちりとその体に覚え込ませてやるからな」
とその野太い声を唸らせて威嚇するのは、オーウェン軍曹だ。
「ビシッー」と鞭を鳴らして、奴隷を立ち上がらせると、
「今日からはお前達には、過酷な労働が待っている」
といい肥溜めの清掃をいいつける。ただでさえ汗臭い捕虜は、汚物にまみれて耐えがたい異臭に皆が顔を歪めている。
それが終わったら、水汲みが待っているからな、一人桶いっぱいの水をここから1km先の川から10往復だ」
と、捕虜達にとって地獄なようなメニューを告げる。「クソー」と奴隷達の眼に怒りの炎が浮かぶ。すると
「なんだ、その反抗的な目は、そんな気力など失くすまで働かせてやる」
と喜々とした顔で叫ぶと、また鞭を振るうのだった。もちろんこれは兄王子に復讐心を強く抱かせ、砦に戻った時に、必ずまたこの駐屯地軍に攻めてこさせるための布石なのだが、それにしても過酷だ。それは奴隷達だけではなく、帝国の兵からみても
「流石に、あれはやり過ぎではないか・・・」
と思わせるもので、そんな心情はやがてアーネット隊への畏怖と反発へとつながっていく。
◇◇◇
アーネットが敵の砦へ再度訪問する予定の2日前に、兄王子の拘束具をわざと壊れるように仕組み、水汲みに行かせた。もちろん兵には銃をもたせ監視させているが、兄王子は自分の拘束具が壊れているのに気づくと便意を催したといい、看守の目を盗んで鎖を外して逃げていった。
もし万一その場で仲間を救い出そうと暴れ始めたら大事になっていたかもしれないが、そのためにも、アーネットはこの軍で最強の自分の隊をつかせているのだ、誰も軍曹やオーランドの腕力にかないはしない。そこまで見越しての配属だ。そもそもこの兄王子というのは狡猾な男だ。仲間のことより、自分が確実に逃げることを優先しただろう、計算通りだった。
◇◇◇
「明日、再び敵砦に赴き、敵王子と会談してきます」
と短い説明で、作戦会議を終えようとしたアーネットに
「捕虜を逃がしたと聞きましたが?」
と、上司少佐が告げ口をするかのように発言する
「少々、少尉の独断専行が過ぎる気がします。捕虜達への行き過ぎた暴行には、私でさえ目をそむけたくなるほどです。あれでは命がけで脱獄を心みる者が現れるのも無理はありません」
と、上司少佐は、さも自分が慈悲深い人間のようにのたまう。
「それだけではありません、捕虜の交渉にも自分だけで行き、その報告を十分私達に話しません。本来これほどの大規模な作戦の指揮を少尉がとることなどありません。それなのに、それを任されたと思い込み、独断でやってしまう。失敗した時の責任は誰がとるのでしょうか? 少尉一人が責任をとればいいという問題ではありません。私はそういった危惧をするのです」
と上司という立場から責任を強調してくる。本当は少尉に全軍を指揮されることにプライドを傷付けられ反発しているだけなのだ。嫉妬しているだけなのだ。だが有能な者が指揮をとる。本来それは当たり前のことで、問題があるとするなら、アーネットが少尉という低いポジションであることの方で、それなら少将に命じればいいかと言えば、そんなことをしたら、もっと多くの反発がでることだろう。
この上司少佐の反発は、少佐一人の意見ではない、この会議室の多くの士官が抱くところなのだ。だがアーネットはその気持ちを感じて、それに対する理由もあると言いたいが、それを今、この場で話すことはできない。それは作戦の成否にかかわることだからだ。「答えに窮する」とはこの場合あてはまらないかもしれないが、そういう状況にある。そんな時、意外にも中将が発言した
「責任は私がとる。
私たちは、2年間、ここにいながら惰眠をむさぼってきた。何もできないと言い訳をして、なにもしてこなかった。その我々が、アーネット少尉がすることの足をひっぱるのは辞めようじゃないか、今はむしろ彼女のやろうとしていることに何が自分達ができるかを考え、やるべきことをやる。そういうことだろう」
と、以前アーネットが使った言葉を引用して、皆を諭した。
これには上司少佐もアーネットも、いや会議室にいる全員がビックリした。




