南東王国との辺境戦 たくらみ
敵、誘き出し作戦は大成功に終わった。なんなく成功したかに思われるかもしれないが、実際には各部署の創意工夫や連携があったればこその成功だった。もちろんアーネットの描いた戦略が前提なのは言うまでもないが、この作戦に参加した兵は、その経験をいままでのどの戦場で味わったものとも違う体験だと感じた。一言でその作戦の特徴を言い表すなら、それは「理にかなっている」ということだ。
最初は酷な役回りに悲観した第8中隊の兵達だったが、アーネットの作戦を実践していくうちに、その理にかなった計画に「勝てるかもしれない」と思うようになり、最終的に見事な成果を出したこの少尉に「ここまで指揮官によって違うのか」と思わずにいられなかった。
その第8中隊の指揮官に返り咲いた、上官少佐は、アーネットから
「中隊をお借りすることができ、成果をあげることができました。ありがとうございました」
と感謝を含めた報告を受けると、てっきり敵騎馬隊に大負けすると予想していただけに
「そ、そうかよかったな。まぁ、日頃私が鍛え上げている部隊だから、敵も怯んだのだろう」
と、へんな自慢を見せつけられた。しかし実際は復帰した少佐を前に、中隊の兵士の全員が、アーネット少尉にこのまま中隊を率いて欲しいと願うのだった。
もちろんアーネットはアレンにも改めてお礼を言った。今回の作戦はアレンがいなければ成り立たないもので、その存在はアーネットにとって非常に大きかった。二人は「アレン」、「アーネット」と呼び合うようになり、それを見る周囲からはますます、意味深な視線を浴びることになるが、アレンはともかくアーネットの方には未だ恋愛感情というものは存在しなかった。
いよいよアーネットの次なる作戦を話し合う会議がやってきた。いままでとは空気が違う。見事に敵を出し抜いてみせたアーネットに期待がよせられている。皆が聞き耳をたてて話をきいていた。
「まづは相手への交渉です」
と開口一番彼女はいった。そして背後の黒板に『不可侵口約』という言葉を書きつけ、再び向き直り
「今回捕縛した200名を人質に、まずは相手から"不可侵口約"をとりつけます」
と言った。
「ん?」とその場の一同が、その聞きなれない単語に、彼女の覚え間違いではないかと疑ったが、彼女の次の言葉は
「"条約"ではありません、"口約束"です」
と、意図的な間違いであると強調した。
「もし約束を破り、南東王国軍が我が国に侵入し、村を襲ったりしたら、捕虜を十字架に張り付けて焼き殺すと脅します、また敵が口約を拒んでも結ぶまで毎日一人ずつ同じ方法で殺すと脅します
南東王国では、死んだ人を土に返すのが習慣です。人は土にかえり、また再生されて蘇る。彼らはそういう宗教観をもっています。だから土に戻れず、貼り付けのまま殺すことは、大変な冒涜にあたります。でもそれをあえてやるということで、敵の反感を増大させます」
"張り付けて焼き殺す"という15歳の少女から発せられた言葉に、会場がざわつく。
「"条約"ではなく、なぜ"口約束"なのかというと、それは約束の相手が敵本国ではなく敵砦の司令官だからです。敵の司令官はとても器量の小さい方です。私が敵砦に侵入した時に、食堂を焼き払いました。燃え上がる食堂に皆が大騒ぎの時、この司令官の発した第一声は、怪我人の心配でも、火事拡大の心配でもなく、翌日の自分の食事の心配でした」
この解説に、なぜかレスター中将だけが、ひとり冷や汗をかいて咳ばらいをするのだった。アーネットは続ける
「このような敵司令官なので、本国には捕虜をとられた失態を報告せず、隠しているかもしれませんし、もし報告していたとしても捕虜を奪還できるチャンスが巡ってきたなら失態を取り返したくて、そのチャンスにかけてくるのではないでしょうか。
こうした推測の上で、敵司令官に、
『我が帝国は軍を撤退させたいと願っている、わずかな兵を残して撤退することを見過ごしてくれれば、捕虜を毎日1名ずつ解放する』
と提案するのです。もちろん東方連合との密約のある南東王国は、こんな取引には応じないでしょう。でもあの指揮官なら、この話に乗ってくるかもしれません。200日後には彼の失態は帳消しになるのですから。いかがでしょうか? このように誘導すれば、帝国は兵の大半を引き上げることができるのではないでしょうか」
とアーネットが皆の顔を窺うと、暫しの沈黙のあと、なんとあの上司少佐が
「それは、いささか甘いと言わざるを得ませんな。敵が約束を守るかなんて、その司令官の一存でしかない、司令官が捕虜の命を見捨てるかもしれないし、もしかしたら、敵はここを襲って捕虜奪還を狙うかもしれない」
と、勝ち誇ったかのように言い放つ。それに同調して首を縦に振る者もいる。
それを見届けたアーネットは、その反対論にたいして、ゆっくりと間をおいた後、
「そうです、彼は約束を守りません。狡猾で短絡な彼は、必ずこの約束を破り、少数になったわが軍を捕虜奪還のために襲ってきます」
「そこを逆に叩くのです!」
とアーネットは声を張り上げ、黒板を棒で「ビシッ」と一叩きした。勝ち誇ったハズの上司少佐は、このアーネットの発言にまるで自分が鞭で打たれたかのように「やられた!」と顔を歪めた。
「さらに言えば、もし敵司令官がこの約束を守ったなら、こちらが逆に約束を破り、捕虜を返しません。それでも襲ってこないなら、さらに人質を十字架にかけて『お前達が約束を破ったからだ』と濡れ衣を被せて敵を逆上させます。ここまでされて、攻めてこない軍などありません」
彼女の言葉に、室内は水をうったように静まり変えった。
「そ、そこまでするのか・・・・」
と、全員が引いている。とても目の前の15歳の女子が考えたとは思えない、狡猾で残酷な内容に、皆たじろぎを隠せない。これはもはや軍事作戦といえるものか疑わしい、犯罪者の手口を聞かされたような感覚に、中将も背中に冷たい汗を感じた。
「この娘だけは、敵にしたくないな」
と今までのいざこざを忘れて、一見すると実に美しい横顔に隠れた悪魔を見る思いがした。