南東王国との辺境戦 自戒
翌日の作戦会議で、面目を潰された司令官レスター中将が士官達を前に机を叩いて激しく弁舌している。それはまるで昨日アーネットから受けた屈辱、プライドを取り戻さんとしているかのようだ。
「諸君、我々帝国軍人は、いついかなる時もプライドを忘れてはならない。
例えこの辺境な地域に派遣されたとしても、例え困難な問題に直面したとしても、それらに背を向けてはならない。それを座して見過ごすことは帝国に対する忠誠を著しく損ない、臆病者とのそしりを免れないだろう」
なんということか、中将は昨日自分に向けられた言葉を、さも自分が思いついたかのように士官に向かって話している。これにはバカ貴族をはじめ多くの士官が、どの口がそれをいうかと白けた表情を見せている。だがそんな士官たちの反応を気にもとめづ、一方的に中将は話をまくしたてる。
「この困難な状況に一条の光をもたらす者が現れた。皆も知ってると思うが、アーネット少尉だ。若干15歳にして第4王女殿下でいらっしゃる。その高貴な身分にもかかわらず、彼女は苦労して作戦を立案し、その陣を指揮すると名乗りでてくれたのだ、この勇気に私は敬意を払いたいと思う。
彼女の作戦は後に自身から説明があると思うが、概略を説明すると、敵を誘い込み、罠を張って陥れるという、いささか姑息、ゴホン失礼、奇策ともいえる作戦だが、私はあえて、その若さに掛けてみようと思う。
彼女によると敵は必ず200頭の騎馬で奇襲するとのことだ、こちらも大群で迎えては敵が逃げてしまうだろう、ここは200人の兵で対応するのが、敵の油断をさそい、作戦の成功率を上げる対策と思える。もちろん銃も持っていては警戒されてしまう、武器は剣のみにする。ついてはアーネット少尉の所属する第8中隊をアーネット少尉の指揮下に置くことにする、是非奮闘して、結果をだしてもらいたい。
念の為にいっておくが、それ以外の隊はここから西に離れた場所で待機させる、決して加勢してはならない。これは罠なのだからな、不用意に敵に気づかれたら作戦がバレてしまうからな、いいか、これは私の命令だ」
どうだ、と言わんばかりの顔で中将はアーネットに有無を言わせず作戦の指揮を命じてきた。確かに昨日アーネットは自分の策を中将の前で披露した。だがその時に自ら指揮するとは一言もいってない。これは中将の個人的恨み、仕返しでしかない。
騎馬と同数の歩兵で相手を殲滅などできる筈がない。200名の歩兵は囮で、それを攻撃した騎馬を、隠していた2万の兵で取り囲んで殲滅する。これが誰が見ても筋だ。それなのに、2万の兵は離れて待機など、中将はアーネットに死ねといっているに等しい。あまりも酷な命令だ。そしてそれを避けようがないアーネットに同情の目が注がれる。普段は「中将なんて眼中にないぜ」と嘯いているバカ貴族息子達も、中将の狂気に圧倒されて声もだせない。
アーネットは硬直した顔をみせ、しばらく押し黙っていたが、やがて重い口を開き
「命令、承りました」と短く答えた。
それを見た中将は、ニターと笑って「吉報を待っているぞ」と勝ち誇った顔で言うのだった。中将は満足げに、「今日の会議は以上だ」といい部屋をでていった。残されたアーネットの周りに人が集まる。だが肩を震わせてうつむく彼女に誰も話しかけることはできない。力なく部屋から出ていくアーネットを見送りながら、バカ息子を含め多くの者が唇をかんだ。
それから丸三日、部下に外出すると言った後、アーネットは駐屯地を抜けだしたまま、食事の時も、就寝時も帰ってこなかった。部下はこの間、お通夜状態だった。
部下を引き連れて、ふらっとレスター中将がアーネット隊のテント近くに姿を現す。アーネットの姿が見えないので、近くにいたロブに声を掛けた。
「アーネット少尉はどうした?」
と、質問される。ロブは中将を認めると、苦々しさを最小限にとどめて、
「少尉は、ただ今、外出中です」と元気なく答えた。
すると中将は口元に嘲りの笑みを浮かべながら
「臆病者め、逃げ出したか」
と周囲にわざと聞こえるように嫌味を言って去っていった。部下達は全員、中将の後ろ姿を睨みつけるのだった。
◇◇◇
アーネットは、日の暮れた森の中で焚火にあたっていた。普通なら女性が一人、森の中で夜を迎えるなど危険なことだったが、彼女はその静寂に身を浸すように、じっと炎をみつめている。
彼女は悔やんでいた。それは彼女に無理難題が押し付けられたことにではなく、そこまで中将を怒らせてしまったことに対する悔やみだった。もちろん彼女にも自分に向けられた悪意に対して反発する感情はある。中将の脂ぎった顔や臭い、小太りで禿げ上がった頭皮に対して言ってやりたいことは山ほどある
「ざけんなよ、クソ親父! この能無しのハゲ豚・・・」
普通の15歳の女性なら、憎悪をむけられれば、さらにそれに反発するだろう。憎まれれば倍返しで憎み返すものだ。だがアーネットの感情はそれを一歩手前で押しとどめた。
それはアーネットのもつ能力からきている。今までの出来事から、それは人の命を感じる能力と捉えられているが、正しくは”気”を感じることができる能力だ。それは人の気持ちだったり、周囲の雰囲気だったり、自然の大気だったりする。
その感覚で見ると、乱れがわかる。人の気持ちの乱れ、場の雰囲気の乱れ、組織の調和の乱れだ。中将の心の乱れは憎悪にかられ醜く変形していた。それは先ほど挙げつらねた、多くのオッサンにみられる外見的な欠点よりも遥かに、アーネットにとっては異様なモノに見え、その姿を憐れとさえ感じさせた、そうしてしまったのは自分だと思うと、単純に中将へ反発することはできなかった。
彼女の中将への進言は正論だったハズだ、そこに迷いはない。だが中将は不正や悪事を働いていたわけではない、怠慢は責められるべきだが、他の者が指揮官だったとしてもあの駐屯軍の状況はかわっていなかっただろう。彼だけにその責めを負わせるのは酷ではないだろうか。
アーネットはたまたま運よく敵の情報を知りえただけで、それをあのような皆のいるところで、意図しなかったにせよ"王女"から叱責されれば、将官というプライドが傷付けられ、反発にかわってしまうのはムリのないことなのだ。人の気持ちを理解できる彼女なら、あの場で、大勢の前で恥をかかされた中将の心情を理解すべきだった。自分の非礼を詫びるべきだっただろう。"王女様"と皆にもてはやされ有頂天になって、そこで相手に払うべき配慮を怠ったのだ。部下の心情に配慮できてこその王女ではないかと思うのだ。
味方に敵を作っている場合ではない、王女の身分などいらぬといっておきながら、結局は将官に意見できるのは王家の血筋があるからなのに、それを利用しておきながら、中将の立場には思い至ることのできない不明を、己の浅はかさを、アーネットは嘆くのだった。
一度憎まれてしまったら、その心を変えるのはたやすいことではない。それが上司であるならなおさら、普通に詫びただけでは受け入れられないだろう。そんなことにまで気をつかずとも、軍や組織なら敵対勢力など、さらに上位の位置について従わせてしまえばいい。そう考えることもできた。実際アーネットの父はそういう考え方の人物だ。だがアーネットにはそうは思えなかった。人は上から命令されて強制されるより、自発的に協力する時にこそ真価を発揮するものだと思うからだ。
中将は悪い人ではなかった、だが今は憎しみで目が眩んでいる。憎しみは人を腐らせる、そうさせてしまったのは自分なのだ。とアーネットは焚火を眺めながら、自分の罪を感じるのだった。




