南東王国との辺境戦 敵砦潜入
すっかり夜も更け切った頃。アーネットは全身を黒い服装に着替え、頭にはフードを被り完全に闇に溶け込んでいる。目指すは敵砦への潜入。正門には当然衛兵がいて、そこから1時間間隔で周囲を見回りに兵が出発する。30分かけて1周する、つまり1度見送ってしまえば1時間は次の見回りはこない。見張り台は正門と、その建物の反対側の裏門に1塔ずつあり、高さは20メートルほどあり、そこから常時兵が監視している。建物の周囲には20メートル間隔で松明がもやされている。とここまでが今頃素っ裸で両手両足を縛らせベッドで眠っている男の情報である。
どこまで本当か、あるいは情報に洩れがあるかもしれないが、砦の側面の中央、20メートルかんかくの明かりの間を狙うのが良さそうだと判断できる。今深夜1時だ。見張りが来るのは10分くらいか、余裕をみて20分後に潜入することにした、塀の高さは10メートル近くありそうだ。ロープの先端に鉤がついたものを投げ込み、鉤が塀に食い込んでホールドされるのを確認したらゆっくりと上っていく。10メートルくらいなら難なく登れる。そっと中を覗き見るとほとんど暗闇で誰かにみつかることはなさそうだ。ロープをつたってそっと降りる。
まづは潜入に成功した。と思ったところでアーネットの勘が何かが近づいてくることを察知する。番犬だ。素早く短刀を抜き出すと、襲撃にそなえる。暗闇ですばしっこい番犬との格闘は不利だ。もし大きな音を立てたら周囲の兵に見つかってしまう。アーネットは暗闇をじっと見つめる。普通の人間なら暗くて見分けは付かなかっただろう。だがアーネットは、生き物の感覚を直感で感じられる。
「後ろだ!」
勢いよく、短剣を振りぬく。
「キャイーン」
と短い鳴き声のあと、番犬は絶命した。
アーネットは箱の中に隠された生命反応を当てられるくらい、直感がはたらく。その能力の性で命拾いをした。普通の密偵なら、この段階で犬に噛まれて重傷を負うか、格闘の騒音で兵に見つかり囚われていただろう。
あのエロ親父、番犬のことは話さなかったな。と一度戻って、股間に蹴りをお見舞いしてやろうかとも思ったが、さすがに口が軽いとはいっても、観光ガイドのように逐一全部を教えたりはしないか、と思い直した。
とりあえづこのままでは、兵にも見つかる可能性があるし、番犬がこないところまで移動する必要を感じた。
物陰にかくれながら、アーネットは自分と同じ位の背格好の者を探している。視線を移動させながら、敵兵を眺める。みな大柄だ、南方人は体も大きく髪は黒く、肌の色も北人に比べて浅黒かった。そんな中に丁度アーネットと同じ背丈の少年兵を見つける。その少年兵を追っていき、人気の少なくなったところで近くの倉庫らしき建物を思い切り蹴って、もの音を立てる。
「え、だ、誰かいるの?」
と、ビクッとした少年が、警戒しながら近づいてくる。建物に入ってきたところを、背後から襲い、首の頸動脈を勢い良く叩くと少年はあっけなく失神した。その子の着ている衣服を剥いで変装する。
「やれやれ、今夜はこれで2度も男の服を脱がすことになった」
と苦笑しつつ、この少年にも手足を縛り、声もだせないように塞いだ。銀髪が見えないように帽子で隠し、顔の色も浅黒くなるように、炭を粉にしたものを塗って肌の色を誤魔化す。
なるべく、男の子の姿勢をマネて、砦の中をうろつく。まずは建物の配置や兵の動きを見る。警備兵もそうだったが、ここの兵には緊張感というものがまるでない。帝国の南東軍も緩み切って緊張がなくなっているが、ここの兵は、ハナから戦いをするような気配を感じられない。一人一人の体は大きく、ガッチリとしていて力は強そうに見えるが、殺気のようなものが感じられない。そんな気がした。
まづは武器庫へ向かう。扉の前に二人、兵がいたが焚火にあたって話をしている。その二人に軽く声をかけてみると、片手をあげただけで、話しに夢中になってるようだ。それならと、扉に手を掛けると鍵もかかってなく、そのまま中にへ入れそうだ、とそう思った時
「ちょっと待ちな」
と別の兵がどこからともなく現れ、アーネットを呼び止めた。「しまった!」門番に気をとられて、別の兵を見逃していた。
「飲み物をきらしちまったんだ、急いでビールを2瓶もってきてくれ、そういうと小銭を渡された」
「・・・・・わかりました!」
とっさの判断で、そう返すと、その男は「おう、急いでな」といって離れていった。少年兵はそういう"ぱしり"に使われているのだろう。焦った、てっきり見つかったと思っただけに、心臓がバクバクしている。
あらためて扉を引いて入った。そのままあっさりと中にはいることができた。
「なんという緩い警備だろうか」
そうアーネットは思わずにいられない。ビールの件は焦ったが、それ以外は予想通り、ガバガバの警備だった。ハナから砦内に敵が潜入してくるとは思っていないのだろう。実戦経験もない部隊なのかもしれない。
庫内の武器の整列も手入れもなってないこと甚だしい。大砲がない。これは大きな収穫だ、戦闘において大砲の有無、砲数は重要だ、銃はざっと見て50丁程度か。これは野戦は最初から想定せず、砦での防御しか考慮してないからだろうか。だが銃の型が古いし種類もバラバラで、自国で生産したもののようには見えない。
やはり弓の数が多い。森林地帯な訳だし、それはうなづける。この地方の野生生物の豊かさからも、狩りを主要な産業にしてることは容易に想像できた。
それにしても、投石機が未だにあるのには少々驚いた。大砲がないのはそのためか・・・技術的に武器のレベルが遅れていると考えて良さそうだった。
次に向かったのは厩舎だ。アーネットはウィリアム伯爵邸で厩舎に出会って以来、馬に関する知識というか、感覚が深くなっている。その馬をみただけで、どのくらいの速度がでて、どれくらい馬主になれていて、どのくらいの戦力になるのかを瞬時に推し量ることができた。
かなり大きな厩舎だ。しかも複数ある。相当な数の馬がいることが想像できる。ああ、そうか鉄砲などの兵器技術が遅れている世界では、いまだに戦闘の基本は騎馬戦なのだ。もちろん主力は槍や剣でたたかう歩兵だろうが、それらを騎馬兵の機動力と大量の弓で遠隔で攻撃し、主力の歩兵がぶつかる前に敵を壊滅させる戦いなのだ。それに、砦に立て籠り防御一辺倒の戦い方としても妥当といえる。
それにしても馬体が大きい、帝国の馬と比べると二回りくらい大きく感じる。この馬は戦場よりも農耕に向いてるのではないかと思うほどだ。騎馬隊の機動力は速さだ。だが、この馬でどれほどの速さがだせるのか、疑問に感じる。それでも雰囲気から分かるのだが、ここの馬はどれも堂々としている。馬は本来臆病な動物で、ちょっとの物音にもビビって使い物にならなくなってしまう。だから軍隊で使う馬はそのための訓練が必要になるのだが、ここの馬はちょっとやそっとの物音や衝撃ではビクともしなそうだった。南東地域は馬と慣れ親しんでいるのだなと感心した。
「最後に、司令官殿にご挨拶をしたいところだ」
とアーネットは大胆なことを考える。エロ親父に聞いた場所を頼りに司令官のいる建物を探す。簡単にみつかった。それはこの砦で一番見栄えの立つ建物だった。
だが流石に、いかに気が抜けた軍隊といえど、司令官室に一人で忍び込むのはリスクが高い。そこでまずは食堂を探す。ビールを探しに来たわけではない。煙突のある建物を探して、ここかなと狙いをつける。そして建物の裏手に回る。食堂の裏手とは、つまり厨房にあたる場所だ。丁度近くに空の木箱があったので建物の壁に置いて火をつける。箱の中にゴミが入っていたため、簡単に火が付き、勢いよく炎が箱を燃やし、壁を焦がし始める。それを確認して、アーネットは先ほどの指令官のいる建物まで戻った。
食堂の厨房の壁が勢いよく燃え上がり、煙を吐き出すにいたってようやく気付いた者がいたようで、「火事だーー!!」と声があがる。その声に数名が起きてきて、驚いて火を消そうと試みるが、もう、ちょっとやそっとで消せる火の勢いではなくなっている。水を掛けようにも、そんなに大量の水が用意してあるわけでもない。火の手がどんどん勢いをまし、騒ぎがかなり大きくなってから、ようやく司令官の部屋にも明かりが灯り、中から司令官らしき人物が顔を見せる。大柄で、立派な髭を蓄えている。顔つきも荒々しい風貌だが、眠そうだ。面倒そうに
「何事か?」と聞いているが誰も答えられない、周囲をきょろきょろ見回して、まずいことにアーネットと目があってしまった。
「おい、そこの若造、何があったか見てこい!」
と、またまた"ぱしり"にされそうになったので、
「食堂から火の手があがっているようです」
と状況を説明してやる。なんといってもここに主犯者がいるのだ、見てくるまでもない。
「なんだと、調理人は何をしてるんだ、私の食事が滞るではないか」
と、まず最初に心配するのが自分の食事か、とアーネットは幻滅する。指揮官なら、まずはケガ人の心配や、火事の拡大・消火の事とか、先に考えるべきだろうに、真っ先に責任者の特定と、自分の食事の心配とは、呆れてしまう。
要はこの軍は、その程度のものということだ。とアーネットは判断した。
無能な指揮官の元に有能な部隊などあり得ない。どんなに有能な部下があつまったとしても、無能な上司がいたら、部下もそれに合わせてサボるか、マネて無能に成り下がる。それはあの兵士の態度から見ても明らかだ。無能な上司では部下がどんなに成果をあげても評価できないし、しない。全部自分の評価にしようとさえするから、そんな上司の為に部下が働くわけがない。
この部隊の兵士はガタイはいいから帝国との個人対個人なら、互角以上の戦いをするだろう、騎馬も優秀だから騎馬を活用できる場面があれば有効だろう。だが今の時代、騎馬は鉄砲の一斉射撃の前には無力だ。そして大砲もないときている。投石機では、近代兵器にはとても太刀打ちできない。そして極めつけが、あの指揮官だ。敵としてはこちらが感謝しなければならないほど、愚かだろう。部下にとっては悪夢だろうが。
と、ここまで観察して、これ以上偵察する必要はないなと判断したアーネットは、満足して砦を後にした。