訓練 その2
「お前たちが着ているシャツはキレイなままか?」
アーネットの第一声は、10名の兵にとって意外なものだった。誰もがアーネットを見つけられなかったことを責められると思っていた。それか逃げ切った自分の自慢をするかのどちらかと思っていた。だが違った。
それよりも、彼女の外見の変貌ぶりに一同は唖然とさせられていて、意外すぎる質問に、
「えっ、今ここでシャツの話しをするんですか?」
という雰囲気になっている。あれだけお姫様然としていたアーネットが、いまや乞食のように薄汚れているのだ、ウジが湧いてそうなボロ布を被り、髪も泥水を被ったように落ち葉や土がこびりついている。近寄ればヘンな臭いがしてきそうだ。
「ええっと、まぁ、"かくれんぼ"ですからね、そこまで汚れたりはしませんが」
と、軍曹と仲がよいベンがかろうじてそう答えると、
「そうか、では各自シャツを脱いで、赤い点がついてないか確認してみろ」
と、またまた意味不明な質問をしてくる。みなの顔に?ハテナマークが浮かんでいる。一瞬戸惑いを見せた一同だったが、再度「確認しろ」と言われて、慌てて自分のシャツを脱いでみる。すると
「あ、ついてます」とロブが真っ先に嬉しそうに手を挙げて発言した
その言葉に続いて「俺もついてる、気づかなかった」
「なんなんだこのマークは、木の実でも押しつぶした跡かな?」
と口々に自分のシャツについた赤い点を確認してそう呟いた。
各々がこの赤い点が意味するところを口にするが、だれも確信できる者はいない。そもそも森の中を探し回ったのだ、草を掻き分け、木によじ登り、隠れられそうな物陰に頭をつっこんで探し回ったのだ、何らかの汚れはついている。それがたまたま赤かった程度にしか誰も思っていなかっただろう。だが全員の服に赤い点がついてるとなると、話が違う、これはどういうことだろうという雰囲気になってきた
「赤い点がついている者は手をあげろ」アーネットが命令する
一人、二人と手が上がり、最終的にグロー一人を残して全員の手が上がった。
それをゆっくりと見渡した後、アーネットはひと呼吸おいて左手に持っている棒を掲げてこう告げた。
「その赤い点は、私がこの吹き矢でつけたものだ、私は逃げ回っていたのではない、お前達の背後に隠れて一人一人を狙っていたのだ」
「え?」
みな一様に驚く。なぜそんなことを、とポカーンとしている一同にさらにアーネットはたたみかける。
「いいか、その赤い点は、戦場でお前達が撃たれて流した"血の跡"だ」
そういわれて、全員が目を見開く。
もちろん、それは比喩だ。本当は赤く着色した木の実を当てて付けた点だろう。だがそれが意味するところは、熟練兵なら誰でもアーネットの言うことが理解できた。
もしあの場が戦場で、敵が茂みに隠れて狙っていたのなら、確実に自分達は銃で撃ち抜かれて死んでいただろう。
アーネットが言わんとすることを理解し始めた兵士達は、徐々に顔から血の気が引いていった。その顔色の変化が全員に行き渡るのを確認してからアーネットはわざとくだけた感じの声で話す。
「私は、あの場を戦場だと思えと念を押した。お前達は能天気なお姫様の遊びに、付き合っている気分だったかもしれない、白馬に乗ったお姫さんが「かくれんぼしましょう」といってきたのをバカバカしく思い、適当につきあって遊んでやるかと思ったのだろう。
だが、もし一連の私の行動が兵をおびき寄せるための陽動だったとしたらどうだ?例えば戦地で、敵の野営地を襲撃しようとしたが、一歩遅く敵兵は撤退した後だった。そこには作りかけの朝食が残されていた。美味しそうに思われたお前達は、何の疑いもなく、その朝食にかぶりついてしまう。それが毒入りの敵の罠とも知らずにだ。
お前達が犯した愚は、そういうことだ。次々と私が物陰に隠れて狙撃しているのに、全く気付かない。心臓を撃ち抜かれている者もいる。2発3発と被弾している者もいる。とっくにこの隊は全滅しているのだ」
アーネットは隊員の後ろに立ち、一人ずつ棒で背中をつついていく、
「お前も、お前も、お前も・・・・・
お前たちは背後に敵兵が隠れていても、吹き矢で届く距離に近づかれているというのに、自分が狙われてることに、まったく気づくことができない愚か者だということだ!!
今までどんな武勲を上げて来たか私は知らない。だが今、この訓練で感じたことをいえば、全員その程度だということだ。いいか自覚を持て。お前達は、今、あの森で死んでいても何らおかしくないということだ」
兵の全員が何も言えない。アーネットは、厳しい顔で彼らの周りを一周した。
「私が言いたいことはそれだけだ」
そういうと、アーネットはさっと帰ってしまった。
残された兵にとって、アーネットの言葉は晴天の霹靂に近かった。今まで威勢のよかったオーランドも、あの軍曹ですら、顔が固まったまま一言も発することができない。それくらいの衝撃だった。
「そ、そんな訓練ごときで、いきなりマジになられても」
とは言えなかった。全員が熟練兵で、プライドがある。だからこそ、こんな内地の安全な場所で抜き打ちテストみたいなことをされた結果だとしても、言い訳はできないことは理解できた。
少尉のいうことは正論だ。敵兵はどこにいるかわからない。スパイとしてこの駐屯地に紛れ込んでいる可能性だってある。そして兵ならば、そんなスパイに殺されないという保証はない。24時間気を抜くな。そんな兵なら当たり前の心構えを、14歳の少女から身をもって教えられたのだ。
姫を"かくれんぼ"で捕まえるという表面上の気楽さに釣られて、背後から狙われていることに気づけないというのは、兵士として弁解する余地がなかった。しかもあの姫様が全身ボロ布の乞食のような恰好をしているという事実に驚かされた。能天気だったのは自分の方だったことを思い知らされたのだ。
全員が頭をかいて顔を見合わせた。アーネットはその後の罰ゲームのことを言わなかったが、全員が訓練場を走り始めた。他の兵士からは「何の罰ゲームだ?」と揶揄されたが、部隊の人間はただ黙々と走った、自分がお姫様と侮っている度合いが強い者ほど、それは自分への呵責となって感じられ、この罰ゲームをこなすことで、少しでもその気持ちを軽減できたら、といった気持にさせられた。
人一倍悔しがったのはオーランドだろう。
「クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソーーーーーーー!!」
と、何度もクソを連発する。だがそれはアーネットに対する反発ではなかい。14歳の女に、まんまとしてやられた自分の不甲斐なさに対する怒りだった。
「これは下手な士官より数倍手強い」皆一様にアーネットに対する態度を改めようと思うのだった。
その後、アーネットはたびたび訓練をおこなった。その度に部下は不満をもらすのだが、彼女はその度に命令ではなく、理屈でもって説き伏せ、訓練の必要を説くのだった。
最前線の兵士に求められることとは、死を恐れずに敵に向かう勇気だ。いや勇気というか、狂気だ。故にバカほど良い。力のあるバカがよい。無駄な知識があると死への恐れが出てきて、逃げる理由を作り出す。だから現場では兵士に考えさせることはしない、絶対に命令に服従が基本だ。
(そこで奴隷を使って突撃する部隊が作られたこともあった、だが国に忠誠心も守るべき理由もない奴隷は、敵前で逃亡し、容易に裏切り、使い物にならなかった。当たり前の話だ。奴隷とて命が惜しい)
だが、アーネットは単に兵士を銃の的としてさらすことは、指揮官の無能に他ならないと考えている。有効な作戦をたて、有利に相手を叩かなければ戦争の意味がない。戦争の目的とは相手を負かすことではなく、敵にこちらの条件を飲ませることにある。消耗戦など具の骨頂。第三国に漁夫の利を与えてやるようなものだ。そうならないために、諍いが始まる前に準備を整え、外交によって有利な条件を引き出し、場合によっては、軍事的圧力で屈服させる。
戦闘とはそれら前交渉が決裂した時の最終手段であり、そこに効率を求めないというのは事前に何ら準備しなかった者の怠慢にほかならない。交渉の段階から実戦になった場合の勝算も含めて検討するのが上官の務めだ、死んでいい人間などいない、死なずに生き残った方が次の戦いはより有利になるのだ。戦死者が増えれば国内の国民感情も悪くなる。最悪反乱がおきるだろう。
そんな理屈を言う前に、やはり本音は部下を死なせたくない。女だからだとか優しいといわれようが、これは本音だ、だからアーネットは兵士にも求める。作戦の目的を理解し死なないようにすることを。
命令にただ従うのではなく、目的を理解し自ら考えて最善を尽くすことを求める。それで死ぬのと、理解せずに戦い死ぬのとでは天と地ほどの差があることを教えたかった。どれほど伝わるかは彼女にもわからなかった、だが彼女にはこの一歩が重要な一歩に思えたのだ。
アーネットは、ホワイトダウンズ家の放火事件以来変わってしまった。宮廷での酷悪な権力闘争も見てきた。継承権争いは王の計らいで表立っては巻き込まれなかったが、気を許せばいつ毒を盛られるかわからなかった。それほどに、宮廷での生活は欺瞞と猜疑に満ちていた。彼女の顔からは笑顔といわず表情が消えていた。
自分の立場を有利にするために、常に情報をつかみ、時には敵に甘い顔をして懐柔することも必要だった。面従腹背、魑魅魍魎が跋扈するこの宮廷を支配するには絶対的な力で圧殺するしかなかった。それは王を見ての感想だ。王は一切、宮廷の人間と話さない。いや正確には話しているのを人に見せない。常に御簾がかかった奥の間にいて傍観し、時に処罰を言い渡す。こちらからは声をかけることも、顔色を伺うこともできない。まさに絶対者としてそこにいた。それは王の個人的な好みなのか、宮廷の怪しさをしって距離をとっているのかはわからないが、そうして王は宮廷を仕切っていた。宮殿とは魔物の住む場所だ。
そんな生活を送った彼女だからこそ、戦場の過酷さとは別の意味の胆力があった。戦場には力という秩序がある。命を懸けた果し合いの中には敵味方を超えた友情さえあった。そういうところにアーネットが憧れた部分もある。それは伯爵から聞いた話から感じたものだが、だがそれ以上に、王族の血の争いから逃れる為には戦場に身を投じるしか選択肢がなかった。
17分隊の最初の集合時に、集合時間に遅れたのは、部下の兵士がどういう者達なのかを知るためだった。望遠鏡でつぶさに観察していたアーネットは、すぐに熟練兵士達であることを理解した。だが個々の我が強くて、あのままでは集団として結束することはできないだろうと判断できた。もちろん14歳の自分を軽く扱うであろうことも容易に想像できた。それらを含めて、一度彼らの考えをゼロに戻すことが必要だった。熟練兵だろうと、新人少尉だろうと、一度自分達の築き上げたものをゼロにして、新たに関係を構築する。そうしなければ真の連携や結束は生まれない。
アーネットの作戦がうまくいったのかはまだわからない。だが確実に部下の自尊心は消し飛んだだろう。もちろんそれは彼女への反感となって現れるだろうが、宮廷の騙し合いに比べれば、ヤンチャ共の反抗など子供の喧嘩だ。そう思うとかつて厄介になった、ホワイトダウンズ家の義兄のことが思い出された。今では彼の嫌がらせは彼女への好意と、嫉妬の愛憎入り混じったものであることを理解できる。あの子供と変わらない。
・・・・・そして、彼の運命はアーネットの運命に巻き込まれて、悲惨な最後を迎えた。
暗黒面に落ちそうになる一歩手前で彼女は気を取り戻す。そして今、彼女の指揮下になった17分隊の隊員には義兄と同じ運命を辿らせる訳にはいかないと誓うのだった。
そんなアーネットの思いとは関係なく、帝都の直轄領ロウア地区で暴動が起こっていることが士官達の間で噂になっていた。既に現地の治安部隊では手に負えなくなってきているようだ。これはこの暫定軍に鎮圧の命令が下るかもしれない。
アーネットの所属する部隊は、17分隊は別にして、その所属する組織を見渡せば予備役に近い存在だ。いずれは主戦場に送りこまれる予定だが、まずは国内で経験を積むために仮に組まれた組織のようなものだった。だが今回の暴動の鎮圧にはこの隊が起用されるかもしれない。なぜなら帝都にはまともな軍は、もう近衛兵以外残っていないからだ。そのくらい主戦場での戦闘は激しく、帝国民は長く戦い、兵は不足していた。