腐敗の王
俺が状況を説明すると、三郎は露骨に不快な表情を見せた。
翌日のニューオーダーだ。
テーブルには俺、三郎、そしてペギーの三名。
この女、当然のようにここにいる。絶対に裏があると分かっているはずなのに、なぜか追い払えない。
しかし問いたい。美女の同席を断れる男が、この世にいるのか。いや、いるのかもしれない。俺はそれができなくて死ぬ側の人間だ。
「参加するかどうか決める前に、一つだけハッキリさせておきたい。そのナンバーズの過激派ってのには、黒羽麗子も含まれてるのか?」
三郎の用件はシンプルだ。この仕事のついでに、黒羽麗子を殺害したいのだ。
だがそんな質問に俺が答えられるわけがない。ナンバーズのメンバーは知っているが、それぞれがどの派閥かまではさすがに把握していない。
ペギーがルートビアを一口やった。
「残念だけど、含まれてないね。彼女は穏健派だよ」
「やけに詳しいな。あんた、ナンバーズのファンかなにかか?」
「似たようなものさ」
すでに機構の手先だと説明してあるのだが、三郎にはどうでもいいようだった。
「そうかよ。ま、俺としちゃ、特に参加する理由もないってわけだ」
おいおい、待ってくれ。参加してくれないと俺が死んじゃうんだよ。
機構が報復を開始するのは来週。だから今週中には、妖精文書とやらを過激派の手から奪還しなければならない。できる限り人手が欲しい。
なんとか口八丁で引きずり込まないと。えーと、なにか手はないか……。
三郎がナッツをわしづかみで食い散らかし、こちらへ目を向けた。
「なあ山野さんよ。その女、信用できるのか?」
「いや、まったく」
「だったら、なんで一緒にいるんだ?」
「分からん」
ホントに分からん。美女がぐいぐい来てるから、断りきれずに同席させているだけだ。
ペギーはしかし余裕の笑みだ。
「ただのルーキーじゃないことは知ってるでしょ? そこらの組合員より腕は立つつもりだけど?」
六原はふんと鼻息をふいた。
「戦闘は俺一人でじゅーぶんなんだよ。俺に足りないのはただ一つ、臆病さだ。山野さんはそこを補ってくれてる。だから一緒に組んでるんだ。あんた、俺のなにを補えるんだ?」
おい、いま俺いわれなき二次被害を受けたぞ。
ペギーは動じていない。
「六原三郎、あなたは自分で思ってるほど強くないよ」
「あ?」
「そうやってふんぞり返っていられるのも、これまでザコしか相手にしてこなかったからだ。今度の敵はナンバーズの、それも、とりわけ好戦的な連中だよ。絶対に私の力が必要になる」
「聞き間違いか? クソみたいな寝言が聞こえた気がするんだが?」
三郎の目つきが変わった。こいつは安い挑発に乗るタイプではないから、演技かもしれないが。
しかしまあ、臆病さを発揮するなら、いままさにこのタイミングだろう。
俺は咳払いをして、割って入った。
「あー、君たち、その辺にしなさい。ここで殺り合っても一円にもならないぞ。ボランティア精神は捨ててくれ」
いや実際、そうなのだ。
金ももらえないのに人を殺すなんて、ボランティア以外のなにものでもない。それは頭のよくないヤツのやることだ。
すると三郎が首をかしげた。
「けど、山野さんよ。そんな湿布みたいなもの飲んでるような女、あんた許せるのか? そういう問題だぜ、これはよ」
これにペギーはあきれたような表情を見せた。
「未成年にアルコールを飲ませる気?」
「えっ……」
いや、ホントに。
三郎だけでなく、俺も、思わず立ち上がりかけた。
未成年?
なぜかペギーまでもが、驚いたような顔になった。
「あれ? 知らなかった?」
どう見ても二十代半ばだ。よくよく見れば顔に幼さが残っているような気もするが。言われなくちゃ分からないレベルだ。
まあ金次第で殺しをやるような人間が、未成年だからって酒を飲まないのもなんだし、遵法精神があるならそもそもこんな仕事をするなと言いたいところだが。
しかし未成年とは……。
「よく間違えられるし、べつにいいんだけど。どっちにしろもうすぐハタチだし」
ペギーの言葉に、三郎は急に真顔になった。
「そういう問題じゃない。あんた、親の許可はもらってるのか?」
「親がどこにいるのか分かればね」
「行方不明ってことか?」
「機構の職員ってことは分かってる。けど、特別な任務についてるらしくてね。私は別の職員に育てられたんだ」
「そうか」
三郎は、にわかに考え込むような顔になった。
似たような境遇と知って、少しは許す気になったか。
「少なくとも、自分の意志でやってるってことだな。よし分かった。今回の仕事、俺も受けよう。あんたがどれだけやるのか、現場で判断してやる。口だけのザコなら、もう二度と一緒にやらないからな。覚悟しておけ」
「望むところだよ」
いやいや、そうじゃないだろ。
この女、機構のスパイなんだよ。そこはいいのかよ。
*
だが結局、俺の心配などよそに、作戦当日を迎えてしまった。参加メンバーは俺たち三人と、ナイン、一子。ナンバーズ過激派との交渉だ。
日はすでに没している。
場所は新宿。
建築途中で放棄されたのであろうか、壁の崩れかけた廃ビルであった。窓にはガラスさえない。電気は来ていないが、外部から差し込む煌々とした明かりのおかげで、うっすらと室内は見渡せた。
インテリアのない、がらんとしたオフィス。
奥に老婆がいたので、俺は思わずぎょっとなった。迷い込んだホームレスだろうか。
彼女は木箱に腰をおろし、じっとこちらを見つめていた。粘りつくような、不快な視線だ。伸び放題の白髪、しわだらけの顔、ボロボロの和服。この廃墟に住み着いた亡霊かなにかにしか見えない。
老婆は吐き捨てるようにつぶやいた。
「ふん、ぞろぞろと雁首揃えて来よったな」
ナインの表情は不審そうだ。
「そっちは一人か?」
「一人でじゅうぶんだ。それに引き換え、なんなのだ貴様らは? 穏健派の顔が一つもないではないか」
む?
ナインも一子も穏健派ではないのか? じゃあいったい、どういう立場で過激派を止めに来たんだ?
ナインは一つ嘆息してから、こちらへ告げた。
「彼女が過激派の首魁、蟲喰みのナンバーズ・ファイヴだ」
こいつがあのファイヴか。
餌食長。通称「腐敗の王」。とにかくイヤな噂しか聞かない。
老婆が顔をしかめた。
「それで、用件というのは? 中立を気取っている貴様らが、よもや我らに意見する気ではあるまいな」
「機構から奪い取った妖精文書を、すぐにでも返還して欲しい」
「不愉快な。立場もハッキリせぬ貴様らに、いちいち指図されるおぼえはないわ」
「いいか。穏健派には検非違使がついているんだ。アレが動き出したら、機構の相手どころではなくなるのだぞ」
「関係ない。すべて殺せばよいのだ」
「であれば、力ずくでも止めねばならない」
「やってみよ。後悔することになるぞ」
それは唐突に始まった。
窓から一斉に、人間が這い上がってきた。
一人や二人ではない。数えている暇もない。手に鉄の爪をつけた連中が、ぞろぞろと部屋になだれ込んできた。
三郎が駆けた。
だが俺は、なにが起きているのかも理解できず、ぼうっと立ち尽くしていた。それを横から一子に突き飛ばされて、よろめいた。つっこみが強すぎる。かと思うと、俺が元いた場所を駆け抜けるものがあった。
ぞわぞわするような、黒くておぞましいなにかだった。
ナインが顔をしかめた。
「腐敗の力だ、触れたら腐るぞ」
「えっ?」
噂には聞いていたが、本当なのか。
ともかく、俺もようやくスイッチが入った。ジャケットの内ポケットからP226を引き抜き、ファイヴに狙いをつけた。
年寄りをいたぶる趣味はないが、これも仕事だ。悪く思わないでくれよ。
トリガーを引くと、老婆の体が踊った。
今日は冴えてる。全弾命中とはいかなかったが、五発撃ったうち、二発以上は当たった気がする。なにせ薄暗くて、正確なところは分からないが。まあ死んだだろう。
あとは鉄の爪の連中をぶっ殺せば、この場はしのげそうだ。
などと老婆に背を向けた途端、ふたたび一子に突き飛ばされた。一子に、というより、なにか風圧のようなものだった。そしてまた、さっきまで俺がいた場所を黒いものが駆けた。びちびちみちみちと不快な音を立てながら。
驚いて振り返ると、射殺したはずの老婆が、なにごともなく両足で立っていた。
なんだこいつ、不死身か?
となると、俺の管轄外ってことになるが……。
「がああっ」
悲鳴があがった。
鉄の爪の一人が黒いブツの流れ弾を受けたらしく、足を抱えて床をのたうっていた。派手な出血がないところを見ると、内部から破壊されるようだ。こんなの食らいたくない。
苦しんでいる男の首を、三郎が刎ねた。
慈悲のつもりか、あるいは怪我人にも容赦をしないスタイルなのかは不明だが。まあ、始まってしまえば三郎に躊躇はない。敵とみなされたものは全員死ぬ。
さて、始まる前はさんざん大口を叩いたペギーだが、彼女はたいした活躍も見せていなかった。グロック17を構え、パン、パンと、散発的な射撃を繰り返すのみ。それでも俺よりは役に立ってるけど。
数を減らした鉄の爪軍団が撤退を始めると、ファイヴも顔をしかめた。
「ふん、使えん連中だ」
老婆とは思えぬ身のこなしでさっと飛び退き、窓の桟に降り立った。
「この場は譲る。しかしおぼえておけ。我らは、中立派とかいうコウモリの戯言に耳を貸すつもりはない。まずは立場をあきらかにせよ。我らにつくのか、あるいは敵となるのか。交渉に入るのはそれからだ」
そう告げて、ふっと身を投げた。
ここは六階。
落ちれば無事では済まない高さだ。普通の人間であれば。
まあ落ちて死んでたら普通に笑えるけど。さすがにそんなことはなかろう。
ともあれ、戦闘終了だ。俺はP226をデコッキングし、ジャケットへ戻した。
ビルを出ると、ナインの呼んだ検非違使が入れ替わりでやってきた。例の三人組じゃない。後片付け専門の職員だ。彼らの目的は遺体の回収。放っておくと警察沙汰になるからな。
人の腕を齧りながら出てきた一子を、彼らはどう思ったろう。いや、慣れっこなのか。苦笑いで通り過ぎていったからな。
ともあれ、帰りの車がまた苦痛だった。
五人いるのに、四人乗りのセダンで来たから、後部座席はぎゅうぎゅうだった。三郎の隣を一子が確保するから、彼らは必ず二人で並ぶ。女はサブちゃんに近寄るなという態度だから、ペギーは助手席へ。ナインは運転席。となると、俺が一子と密着することになる。
いくら美人だからといって、腕を齧っている女の隣など苦痛でしかない。どうせならペギーの隣がよかった。あるいは一子と三郎が逆になるのでもいい。とにかくこの悪食の隣だけは勘弁だ。
いや、今日だけで二度も命を救われたんだし、俺ごときが一子さまに指図するなど、おこがましいわけだが……。そうとでも考えないと、自分で自分を納得させられそうにない。
一子はじつにうまそうに死骸を貪る。幸福そうな顔で。わたあめを与えられた無垢な少女のように。
ナインが眉をひそめてバックミラーを見た。
「警察に止められたら、君のせいだからな」
「だいじょうぶ……」
その発言になんの根拠があるのか問いたい。
(続く)